中央ユーラシアの叙事詩に謡われる「ノガイ」について
坂井 弘紀




            はじめに
 1 中央ユーラシア=テュルク叙事詩の特徴
 2 ノガイ大系について
 3 叙事詩「オラク・ママイ」と「カラサイ・カズ」
 4 ノガイとその周辺地域・「民族」
 5 現代国家とノガイ大系との関わり
  まとめ
(「ノガイ大系」の作品のあらすじはこちら

はじめに


 中央ユーラシアのテュルク系諸民族には、数多くの叙事詩が伝えられてきた。それらの叙事詩作品は、超自然的な描写や非現実的な表現などが見られることがあったりするものの、概して歴史事象を反映し、実在した歴史上の人物が描かれることが多かった。しかも作品の主人公は、現存する様々な民族の「民族英雄」となりうる人物たちであり、現在の民族を考える上で決して無視できぬ存在の人々である。

 文字が一般に使われなかった中央ユーラシアのテュルク系の人々、とりわけ遊牧民の歴史を知るには、これまで、文字をもった周辺民族の記述によらざるを得なかった。しかし、彼らの叙事詩・系譜などの口頭伝承には歴史上の人物や歴史的事件が伝えられるが多く、彼らの視点による「歴史叙述」という点でも価値あるものといえるため、これらをある「民族」や集団の自己認識やアイデンティティ、歴史認識について知る手がかりにすることは十分に可能なのである。

 「民族」を直接生み出すのが「想像」、アイデンティティ、記憶であるならば、「民族」の形成やその歴史を考える上で、集合的記憶である口頭伝承をが果たす役割は大きいのだが、中央ユーラシアのテュルクに関していうと、そのような観点からの研究はいまだ黎明の時期であり、十分な成果は得られていない。

 さて、15-16世紀のノガイ=オルダに関係した人物たちを謠った、ノガイ大系と呼ばれる一連の叙事詩がある。これは中央ユーラシアの叙事詩作品の中で、質・量ともに大きな比重を占め、この地域の「民族形成」やそれの歴史を検討する上で大きな示唆を与えるものと考えられる。今回の報告では、口承叙事詩とくにノガイ大系を中心に、中央ユーラシア=テュルク系の人々が自分たちの「歴史」をどのように見ていたか、それらの作品が何を伝えてきたかを検討するとともに、現在の民族がそれらをどのように受容しているかといった点についても触れたいと思う。


    「ノガイ大系」

  ノガイ=オルダの統治者・有力者について謠った叙事詩群。ノガイ=オルダを中心にカザン、クリミア、エディル(ヴォルガ)川・ヤイク(ウラル)川流域をその舞台とし、14世紀末から17世紀前半のノガイ=オルダやカザン=ハン国、クリム=ハン国などの歴史時代について謠っている。
 カザフ、バシュコルト、カザン=タタール、クリム=タタール、カラカルパク、ノガイなどといったキプチャク草原の諸民族に伝えられている。
ノ ガイ大系はノガイ=オルダの創始者とされるエディゲと彼の子孫を描いた叙事詩が中心である。主な作品は「エディゲ」「ヌラディン」「ムサハン」「オラク・ママイ」「カラサイ・カズ」「チョラ=バトゥル」「エル=タルグン」「エル=コクシェ」など。


   ノガイ=オルダ

  いわゆるキプチャク=ハン国(ジュチ=ウルス)の後継国家で、カザン=ハン国やアストラハン=ハン国、シビル=ハン国に強い政治的影響力をもっていた。14世紀末にエディゲ・ヌラッディン親子によって興されたとされる。 自称はマングト。ヴォルガ河とウラル河流域とその周辺がその領域であった。
 ビーといわれる統治者を中心にムルザ(ミルザ)という有力者によって統治されていた。ムサとその息子たちが治めていた15世紀末から16世紀中頃までがその全盛期。
 16世紀中葉以降、ノガイ=オルダの内部では支配権を巡って争いが絶えず、大ノガイ、小ノガイなどに分裂し、弱体化していった。その後、一部はクルム=ハン国の保護下に入り、一部はカザフに同化するなどした。また北カフカスに居住するものもあったが、これは現在のノガイ人の先祖である。


1 中央ユーラシア=テュルク叙事詩の特徴

 中央ユーラシアの叙事詩には、歴史上重要な出来事が謠われていた。ケネサル=カスモフの反ロシア闘争や「イサタイとマハンベトの反乱」など19世紀の事件を題材にした作品が多く伝えられているほか、20世紀に入ってからも、1916年の「中央アジア大反乱」や第二次世界大戦をテーマにした作品などがつくられた。

 現在の「民族英雄」である、歴史上の人物を謡った作品の代表的作品として、カザフに伝わる叙事詩「アブライ=ハン」が挙げられる。アブライは、18世紀にカザフ草原を治めた人物で、「アクタバン=シュブルンドゥ(大いなる災難)」と呼ばれるモンゴル系ジュンガルの中央アジア侵攻の中、カザフの団結を呼びかけ、この危機を脱しようと努めたハンである。彼はカザフの英雄として叙事詩などの口頭伝承に語り伝えられてきた。叙事詩「アブライ=ハン」は、アブライの生涯のみならず、彼の系譜や彼を支えた部族構成や政権構造、周辺地域との交易の方法や物品についても伝えており、史料としての性格を示している。

 次に、「民族名称」としてカザフという言葉が現われる古い例として「アルカルク=バトゥル」が挙げられる。この叙事詩は、アブライから少し遡った時代、カルマクの中央アジア攻撃が本格化した時期を描いた、カザフに伝わる作品である。

      カザフのハンが治めていた時代のこと、

      カザフの敵となったカルマクが略奪をしていた。

と明確にカザフという言葉を使い、現在のカザフとほとんど同義の表現が見られる。このように、カザフの叙事詩は、18世紀には現代に通じる「カザフ」というアイデンティティが存在したことを示している。

 また、バシュコルトにはプガチョフの乱に参加したサラワト=ユラエフ(1754-1800)について謡った口頭伝承の作品も数多く残されている。そこには「バシュコルト」という言葉が自己を表す名称として使われており、バシュコルトの「民族形成」を検討する上で、大きな示唆を与えている。この作品は、カザン=タタールには伝えられているものの、その他の地域においては、筆者が知る限り、伝えられていない。

 さらに、カラカルパクには、「ダウレトヤルベク」という叙事詩があり、18世紀後半に実在した人物を謡っている。この作品は、コングラトの人々とヒヴァ=ハン国との戦いを描いている。この作品は、コングラトという場所、あるいは部族について描いた話であるため、カラカルパクという表現こそないものの、カラカルパクに固有の彼らの歴史を伝える作品として語り伝えられてきた。

 このように、18世紀の人物を描いた叙事詩は、当時の社会についての具体的な情報を含み、そこには現在の「民族アイデンティティ」と共通する意識が反映されていることが見て取れる。

 それでは、これより遡った時代を謡った叙事詩に、このような「民族アイデンティティ」と共通する意識を映した作品はあるだろうか。そのような、現在の民族に固有の「英雄」を謡った叙事詩は、筆者の知る限り存在しない。17世紀以前の歴史について謡った作品は、ノガイ大系に属するとされる作品がほとんどすべてなのである。ノガイ大系には現在の民族名称が表れることはなく、ノガイの勇士が描かれ、その舞台もノガイ=オルダの領域を中心とした地域である。叙事詩は、英雄叙事詩・恋愛叙事詩・歴史叙事詩などと分類されることがあるが、このうち具体的な歴史を謡っているとされる歴史叙事詩は、古くても18世紀前半を描いており、それ以前の時代を謡う作品はないことも、併せて考えると興味深い。

 では次に、18世紀以前の歴史を伝えるノガイ大系について具体的に見てみたい。


2 ノガイ大系について

 ノガイ大系の作品は、どのヴァリアントもほぼ同様の登場人物や似通ったあらすじで、キプチャク草原を中心に広く伝えられ、この地域に住む人々に共有されている。

 中央ユーラシア=テュルクの叙事詩では、「カザフ」や「カラカルパク」など現在の民族名がその舞台として叙事詩に現われることはまれで、コングラトやウァク、クプシャク(キプチャク)などの部族が舞台となるのが一般的である。しかし、ノガイ大系の舞台は「ノガイのくに」を中心とした、カザンやクリミア、エディル(ヴォルガ)川やヤイク(ウラル)川流域の広範な地域である。
 著名な叙事詩研究者ジルムンスキーは「エディゲに関する物語は、テュルク系諸民族、すなわちカザフ、カラカルパク、ウズベク、ノガイ、カザン=タタール、クリム=タタール、シベリア=タタールに広く伝わっている」と述べているが、実際にこれらの作品がどの地域伝えられているかを作品の分布地図を例に見てみたい。

(分布地図省略)

 分布地図が示すように、東は西シベリア・カザフ草原から西はクリミア半島、東欧まで、北はヴォルガ中流域から南はシル川流域までの広範な地域に伝えられてきたが、この地域の地理的特徴として、遊牧による移動を遮る地理的障害がほとんどない放牧に適した草原地帯であることが挙げられる。

 さて、ノガイ大系の主な作品として、「エディゲ」「ヌラディン」「ムサハン」「オラク・ママイ」「カラサイ・カズ」など、ノガイ=オルダの統治者・有力者を描いた作品や「チョラ=バトゥル」、「エル=タルグン」など16-17世紀のノガイやその周辺の歴史を伝える作品などがある。

 「エディゲ」には、エディゲ・ヌラディン親子がティムールとともにトクタミシュと戦うさまやヌラディンとトクタミシュの息子カディルベルディとの争いが描かれる。なお、ノガイ大系のエディゲ裔の作品には、ノガイ=オルダの統治者の系譜としての役割も果たしており、その信憑性についても認められるべきであろう。また、エディゲ裔の作品、とくに「エディゲ」では、エディゲの系譜が彼の20代前の祖先アブバクルにまで遡って伝えられるなど、ノガイの統治者の「ムスリム」としての由緒正しさ、イスラーム的な歴史の深さが強調されている。もっとも、7代前のババトゥクラス以前の系譜については、エディゲの孫ワッカスのころに「捏造」されたと考えるのが自然で、このような系譜は、チンギス=ハンの血を引かぬエディゲ一族が、チンギス=ハンの血統に対抗すべく、イスラームの系統を利用したものという指摘がなされている。

 「エル=タルグン」は、主人公タルグンがノガイのくにやクリム=ハン国をさすらいながらカルマクと戦う様を描いており、文献史料では確認できないものの、口頭伝承ではノガイ=オルダのムルザ、エステレクの息子として伝えられている。また、「チョラ=バトゥル」の多くのヴァリアントでは、チョラがクリミア=ハン国からカザンへ行き、ロシアと戦うというあらすじである。チョラはノガイ=オルダの人物ではないものの、カザン=ハン国の有力者であったと考えられ、16世紀のカザンを中心とした地域の出来事に深く関与する人物であった。

 さて、数あるノガイ大系の中でも、エディゲ・ヌラディン親子を謡った作品、オラク・ママイ兄弟やカラサイ・カズ兄弟を謡った作品が多くを占めているため、これらの作品がノガイ大系の中心的作品と考えて差し支えないだろう。とくに「オラク・ママイ」「カラサイ・カズ」の二つの世代を描く作品は、キプチャク草原を中心に広く伝わり、またノガイ=オルダやそれを継承する様々な「民族」の歴史にとって重要な出来事を描いているため、これらの作品はきわめて注目に値する。今回はこれらの作品を中心に検討していく。


3 叙事詩「オラク・ママイ」と「カラサイ・カズ」

 口頭伝承の作品において、オラクとママイはそれぞれ単独で謡われることは少なく、ひとつの作品において二人が主人公として描かれる。それらの作品に「オラク・ママイ」という題名が付されることが多いのはそのためである。このことは、カラサイやカズを描いた作品にも同様で、そこでもやはり二人が主人公として謡われるため「カラサイ・カズ」と二人の名前が作品の題名となることが多い。このため、本論でもこれらの作品を「オラク・ママイ」「カラサイ・カズ」と表すこととする。さらに、「オラク・ママイ」では、オラクの息子カラサイとカズが、「カラサイ・カズ」では彼らの父オラクが描かれることが珍しくなく、これら二つの作品は連続性をもってつながっているため、今回これらの作品を一連の作品としてとらえて検討していくこととしたい。

 あらすじ(「ノガイ大系」の作品のページへ) を見てみると、「オラク・ママイ」はイスマイルをはじめとするノガイ内部の争いを、「カラサイ・カズ」はカルマクやクズルバシュといったノガイ外の敵との戦いを描いていると言うことができるであろう。このことは、この一連の作品が叙事詩の二大テーマである「内部の団結」と「外敵との戦い」にまさに合致していることを示している。

 さらに、描かれる事件が起こった時期について見てみると、その時代はノガイ=オルダの歴史において、キプチャク草原の人々にとって重要な時期であったことがわかる。

 まず、「オラク・ママイ」では、狡猾なイスマイルの策略によってオラクが殺害され、ノガイに内部抗争が本格化したことが描かれる。実際に、1550年代、イスマイルは親ロシア派の代表的人物で、クリム側につく他の有力者たちとの間に確執が生じていた。叙事詩のようにイスマイルがオラクを奸計をもって殺害したか否かは、口頭伝承以外の史料では確認されていない。しかし、「イスマイルのオラク殺し」を謠った口碑は各地に数多く伝わり、またオラクが死去したのは1550年頃と考えられていることから、イスマイルの策略は史実であったと考えるに足りよう。イスマイルは、対立していた親クリミアのユスフを殺害することにより、ノガイにおける勢力をさらに強めていった。ユスフやオラク、シャーママイ、カズなど、多くの有力者と鋭く対立していたイスマイルが、口頭伝承においては総じて、ネガティブに描かれていることは興味深い。
 なお、叙事詩に描かれる「オラク」は、イスマイルに殺害されたユスフの渾名とし、この二人を同一人物とみなす見解があるが、ロシアの外交史料などからもオラクの実在は確かなようであり、今後さらなる検討が必要である。

 次に「カラサイ・カズ」に描かれる外敵との争いも、ノガイにとって重要な出来事であった。
 カラサイらが救うアディルは、クリムのハン、デヴレト=ギレイの息子、アディルギレイのことである。実際に、「カズ=オルダ」といわれる小ノガイは1569年のアストラハン攻撃に、アディルギレイの司令の下参加するなど、密接な関係にあった。オスマン帝国は1578-1606年にかけてサファビー朝(クズルバシュ)との戦争を行う上で、クリム=ハン国の助力の必要が高まり、アディルギレイもサファビー朝との戦いに参加するが、彼らに捕らえられる。捕虜となったアディルを救い出したのは、カズ一族が統率する「カズ=オルダ」であり、作品にはその様子が描かれているのである。あるヴァリアントでは、アディルを救出したカズが、アディルをハンの位に就かせ、カラサイはアディルの妹を妻としているが、実際16世紀後半に、小ノガイはさらにクリム=ハン国との関係を強化し、やがて同化していったのであった。

 さて、「カラサイ・カズ」にはクズルバシュではなくカルマクと戦うヴァリアントがある。1630年代のカルマクの侵攻が、ノガイ=オルダの崩壊を決定づけ、北カフカース移住の大きな契機となったように、カルマクとの戦いはノガイの運命を左右するものであった。正確にはカズの治世にノガイとカルマクが争ったという史実はない。しかし、かつて筆者が「チョラ=バトゥル」を用いて明らかにしたように、テュルク叙事詩では、どのような歴史的事件の記憶がより重要であったという「歴史観」によって敵民族やエピソードが変わる例がしばしば見られることから、後世の人々にとって、カルマクの侵攻がクズルバシュとの戦いよりも重要で、カルマクがクズルバシュに取って代わったものと考えられる。

 このように「オラク・ママイ」「カラサイ・カズ」は、ノガイ=オルダの分裂・弱体化を謠っており、ノガイ大系の多くの作品の冒頭部分に謠われる「ノガイ=オルダが分裂したとき」というフレーズと合致している。  


4 ノガイとその周辺地域・「民族」  

 ノガイ大系の作品では、「エディゲ」や「オラク・ママイ」「カラサイ・カズ」などではノガイ=オルダと周辺地域との関係が、「チョラ=バトゥル」ではカザン=ハン国の状況が、また「エル=タルグン」ではノガイやクリミア=ハン国がそれぞれ描かれている。ここではノガイ大系に描かれる国々、あるいはそれらが伝わる地域や「民族」についてノガイ=オルダとの関わりを中心に見てみよう。


 1 カザン=ハン国

 16世紀前半、ノガイ=オルダはカザン=ハン国において発言力をもつようになり、その内政に積極的に介入してきた。たとえば、カザンに接した地域(ヤイクやカマ流域)を遊牧していたノガイ=オルダのムルザ、ユスフは、1533年、娘スユンビケを当時のカザン=ハンであったジャン=アリ(ヤナレイ)に嫁がせ、カザンのハンたちと姻戚関係をもつにいたった。当時、カザン=ハン国にはモスクワ派とクリム派の二つの派閥があったが、クリム派のカザン人は、まさにこのユスフの教唆によってジャンアリを殺したのあった。その後、カザンに、それまでモスクワ派によって追放されていたクリムのハン、サファギレイが舞い戻り、スユンビケは今度は彼の妻となった。こうしてユスフは、カザンの玉座を通じて、クリム=ハン国とも血縁関係を構築したのである。

 1546年、内紛の結果、再びサファギレイがカザンを追放され、再度シャーアリが玉座につくと、サファギレイは自分の家族とともに義父ユスフのもと、すなわちノガイに見を寄せた。クリムの有力者はカザンのハンに返り咲くため、ノガイの協力を必要としていたのであった。このように、ノガイはカザンで大きな役割を果たしていたのである。

 1552年に、ロシアがカザンを占領して以降も、一部のノガイの人々は勢力を保ち続けた。一例を挙げると、ノガイのユスフとウルスの子孫は、1800年ころに、それぞれユスポフ家、ウルソフ家といわれるロシアの貴族階級となった。ちなみに、ユスポフ家は19世紀末に断絶したが、ウルソフ家の子孫は存命であるという。


 2 クリム=ハン国

 クリム=ハン国は、モンゴルによって建てられたキプチャク=ハン国の継承国家である。その歴史は、15世紀前半、ハジ=ギレイがバフチェサライを首都として、黒海北岸のクリミア地方に建てたことにはじまる。1475年にはオスマン帝国の保護下に入り、キプチャク草原で隆盛を誇り、この地域の歴史において少なからぬ役割を果たしたが、18世紀以降、黒海進出をもくろんでオスマン帝国と対立するロシアの攻撃を受けるようになり、1783年にはロシアに併合された。

 ノガイ=オルダはクリム=ハン国と深い関係があった。シャー=ママイやユスフはクリム出身のカザン=ハン、サファギレイに娘を嫁がせるなど、クリム側の有力者との関係強化に努めた。

 さらに、16世紀後半以降ノガイ=オルダがロシア派とクリム派に大きく二分されてからは、「カラサイ・カズ」に謡われるカズが統率したノガイの勢力、とくに「カズ=オルダ」はクリム勢力ときわめて緊密な関係にあった。

 クリムには多くのノガイ人が移住し、クリミア半島北部には多くのノガイが住んでいたが、彼らは16世紀後半以降、クリミア半島を中心とするクリム=ハン国領内に移住した人々の子孫であった。彼らはクリミア移住後も、ノガイ=オルダを謠った作品を代々語り伝えてきた。19世紀末にラドロフがクリミアで採録したノガイ大系の作品は、まさに彼らが伝えてきたものにほかならない。さらに、クリミア戦争以降、ノガイの人々はクリミアからその宗主国であったオスマン帝国領内へと移住した。現在、東欧・ドブルジャ地方に住むタタール系住民の中にはノガイ系の人々がおり、彼らからもノガイ大系の作品が採録されている。


 3 カザフ

 カザフとノガイ=オルダはもともと、生活様式や言語・文化の面において類似していたが、16世紀中頃にカザン=ハン国とアストラハン=ハン国がロシアに征服されてから、カザフ=ハン、ハクナザルの攻撃を皮切りに、ノガイ=オルダの一部は漸次カザフ、とりわけ小ジュズに同化していった。小ジュズの別名アルシュンという名称はクリム=タタール、カザン=タタール、バシュコルト、ノガイなどにも見られる。

 カザフ詩の豊かな伝統の礎を築いたのはアサン=カイグやドスパンベトやシャルキイズなどとされているが、これらの詩人はノガイ=オルダの詩人なのである。先に、カザフの叙事詩の中心はノガイ大系であると述べたが、カザフの詩人の伝統もまた、ノガイ=オルダに発している。現在ではカザフの人々がノガイの詩人たちを「カザフの詩人」とみなしている。

 彼らの歴史を伝える叙事詩に、カザフという名称ではなくノガイという名称が使われているように、カザフ人は自分たちの歴史の一部がノガイであると認識していた。しかし、19世紀には「ノガイ」という言葉は、叙事詩に現れる「ノガイ」の意味とは異なり、タタール(主としてヴォルガ=タタール)を表すことが一般的であった。19世紀には「ノガイ時代」や「ノガイのくに」のノガイとタタールを意味するノガイとの二つの異なる用法が併存したのである。なお、叙事詩においても、たとえば19世紀の「ケネサルの乱」を謡った叙事詩には「ノガイ」がヴォルガ=タタールを指す言葉として表れる。


 4 バシュコルト

 ノガイ大系が謠う時代、すなわち15-16世紀のバシュコルトにたいする政治的要素はノガイの覇権が強く、16世紀後半には、現在のバシュコルトスタンの領域の多くがノガイ=オルダ(大ノガイ)の支配下にあった。ノガイの人々の一部は、16世紀中ごろから南バシュコルトスタンの遊牧民と混合し、バシュコルトの「民族形成」に関わり、16世紀末にはバシュコルト(とくに南バシュコルト)に同化していた。一説には、バシュコルトの「民族形成」は15世紀末から16世紀前半にかけて行われたといわれるが、その真偽はともかくノガイがバシュコルトの「民族形成」に大きな影響を与えたことは確かである。

 バシュコルトは「ノガイ」や「タタール」と呼ばれることが多かったために、当時の彼らの詳細は不明である。しかしながら、バシュコルトの口頭伝承には、ノガイ=オルダの統治者の系譜が自分たちの系譜として伝えられている。

 また、「バシュコルトの東南部のウセルガン部族はカザフ人と緊密に交わって暮らしてきた。そのウセルガン族からはアルグシャイ=バトゥルとスラ=バトゥルが輩出された。」という伝承がある。このことからバシュコルトにはノガイ大系に謡われる人物を自らの先祖と考える人々がいたことやカザフと密接した関係を維持していたことがわかるのである。実際、バシュコルトはカザン=タタールやカザフと文化・歴史的に共通する点が多く、とくに南部に伝わる口頭伝承には、カザフと共通する特徴が見られる。


 5 カラカルパク

 カラカルパクの「民族形成」については諸説あるが、彼らの「民族形成」にまつわる口碑や口頭伝承は、やはりノガイに関する一連の歴史的な作品がもっとも著しい存在であり、ノガイからカラカルパクが派生したと伝えられている。


      ノガイであった人々は故郷を離れて、

      僅かな希望を抱ながら暮らしていた。

      10のノガイのくにが分裂したとき、

      あるものはさすらいながら過ごしていた/

      かの者はノガイをカラカルパクと呼び

      「離れしもの」として一生を過ごした。


 こうしたことは、カラカルパクがノガイ=オルダを長く構成しており、カラカルパクがかつてノガイとともにアラル海沿岸やヴォルガ川、ウラル川、クリミア地方にまで遊牧をしていたことの反映であるとの指摘がある。
カラカルパク民族史学では、カラカルパクという名称自体は9世紀から存在するものの、「ノガイの6人の息子」と呼ばれるムサの息子たちの支配したくにがカラカルパクの基幹をなしたとされている。カラカルパクの口碑の多くが「ノガイのくにで」と始まるのはこのためであり、16世紀後半の「ノガイの6人の息子のくに」の分裂によって、自らをかつての「民族名称」に従い、カラカルパクと呼び始めたという。カラカルパクがかつてノガイであったことは疑いの余地がないとの指摘もあり、カラカルパクがノガイから分裂したということは十分に考えうる。


 6 ロシア

 ノガイ大系にはロシアとの戦いをテーマにした叙事詩が少なからずあるため、その対立が強調されることが多い。たとえば、「チョラ=バトゥル」では、クリム=ハン国やカザン=ハン国のために主人公チョラがロシアと戦い、戦死する様子が描かれていたり、「オラク・ママイ」や「カラサイ・カズ」でオラクを卑怯な手法で殺害する「内部の敵」たるイスマイルが完全なロシア派の人物であったりと、ロシアは敵対勢力としてネガティブに謡われている。

 それに対して、「カラサイとカズ」は、クリムの皇子アディル=スルタンを救出し、アディルはノガイのハンとなるということを謡っており、「クリムに対する賛歌」ともいえるような内容である。

 このようにノガイ大系は「反ロシア・親クリミア」的性格が強いように感じられるが、チョラがロシア史料では親ロシア派の人物であったり、「オラク・ママイ」では、オラクやママイの兄弟にロシア娘の血を引く息子がいたりと、必ずしも対立の面だけではない、複雑な関係も反映されていることに注意が必要であろう。実際、ノガイはロシアの重要な東方貿易相手のひとつであったり、イスマイルのようにロシアとの関係を重視する勢力があったりした。ノガイ大系の作品に謡われる事件が起こっていた時代には、ロシア対イスラーム世界といった単純な対立だけではなく、内訌も含めた様々な争いや対立軸があったことを忘れるべきではないだろう。そして、ロシアとの対立構図は、むしろ時代を下って一層強調されるようになったと考えるべきである。



5 現代国家とノガイ大系との関わり

 現代の中央アジアの国家において、「民族文化」たる叙事詩は、国家統合の象徴であり、「ナショナリズム」高揚の役割を担っている感がある。クルグズスタンでは、叙事詩「マナス」の数多くのテクストや関連書籍が出版されたり、1995年には「マナス1000年記念祭」が開催されたりして、「民族英雄」に祭り上げられている。「マナス」は、類似したモチーフや登場人物などが他の民族に伝わる叙事詩にも見られるものの、もっぱらクルグズに伝わる作品と認知されており、その意味ではクルグズに固有の「民族文化」として「国家統合」の象徴に転化されやすい。

 ウズベキスタンでは、1998年に「アルパミシュ千年記念祭」が開催され、一連の関連行事が行われ、多くの書籍が刊行された。「アルパミシュ」系の作品は、アルタイからトルコまでの広範なテュルク世界に伝えられており、「マナス」の例とは対照的である。しかしながら、数多くの様々なヴァリアントがウズベキスタンで採集されていることやその舞台が現在のウズベキスタンにあると一般に考えられていることなどで、その「正当性」が主張されているようである。

 一方、ノガイ大系の作品についてはどうであろうか。ノガイ大系は、キプチャク草原を中心に中央ユーラシアの広範な地域に伝えられ、共有する民族が多く、その「正当性」をどの民族も主張することが可能である。裏返せば、どの民族もノガイ大系を自民族に固有の「民族文化」とは訴えがたい。
また、これらの民族の多くは、クルグズスタンやウズベキスタンのような「独立国家」を持たず、「マナス」のような「国威発揚」の象徴としての「民族英雄」を叙事詩に見出す必要性に欠けている。さらに、これら民族が居住する国家(ロシア連邦構成共和国、ウズベキスタン構成共和国)は、独立国家であるカザフスタンも含めて、とくに複雑な民族構成であるという背景もある。
現在の国民や民族としての意識を強化させる観点からは、ノガイ大系が「民族文化」や「民族英雄」として再発見・再創造される可能性は高くはなさそうである。

 近年タタルスタンの首都カザンでは「エディゲ」のテクストが幾度となく出版されているものの、総じてノガイ大系の出版・研究は少ない。これは「アルパミシュ」や「マナス」とは対照的に、国家のてこ入れが少なく、財政的に困窮した状況にあることも関係しているだろう。


まとめ

 キプチャク草原に住む、中央ユーラシアのテュルク諸民族にはそれぞれ、史上実在した「民族英雄」について謡った叙事詩が伝えられている。それらはカザフのアブライやケネサル、バシュコルトのサラワトなどであるが、このような作品は当該の「民族」以外には基本的に伝えられていない、その「民族」に固有の作品である。こうした特徴をもつ、18世紀以前に遡った時代を舞台とした作品はほとんど見られない。また、口頭伝承を見る限り、18世紀以前には、現在あるような民族名称が表れることは、ほとんどない。

 17世紀以前を舞台にした作品は、ノガイ大系に謡われる歴史上の人物は、ノガイ=オルダの有力者で、現在のいずれかの民族に限定される勇士たちではない。ノガイの勇士たちが活躍した時代にも、たとえばカザフにはジャニベクやケレイ、ハクナザルなどが、またクリミア=タタールにはメングリ=ギレイやデヴレト=ギレイなどの英雄的人物がいたにも関わらず、彼らについて謡った作品は、筆者の知る限り、伝え残されてはいない。これまで、もっぱらノガイの勇士たちが彼らの「英雄」としてみなされてきたのである。

 ノガイ大系には、ノガイ=オルダを中心としたおよそ二世紀におよぶ歴史が描かれ、とくにその主要作品は、その歴史において重要な出来事を伝えている。
 ノガイ大系の多くの作品の冒頭で、


      10のノガイが分裂したとき、オルマンベトが亡くなったとき


と謠われるように、ノガイ=オルダの分裂は転換期のひとつと見なされており、実際、現在の民族の形成の強化にとってこの時期は画期的な時期であったといえるであろう。

 現在、ノガイ大系が伝わる民族は、これらの作品がノガイ=オルダの歴史を謠い、様々な民族に伝えられていることを認識しつつも、それぞれがそれらを自分たち自身の作品として捉えている。このことはノガイ大系が彼らの「民族文化」として完全に根付いていること、そしてノガイ=オルダの歴史が彼らの歴史の一部として代々伝えられてきたことを示している。

 また、キプチャク草原には、英雄叙事詩であるノガイ大系のみならず、「コズ=コルペシュ」などの恋愛をテーマにした叙事詩、スプラ、アサン=カイグ、シャルゲズなどの実在したあるいは実在したと考えられる詩人(ジュラウ)の作品など、ノガイについて謠った作品も伝えられており、詩を中心とする口承文芸の伝統においては、彼らに共通の基盤が存在していた。中央ユーラシアには、しばしば言われる「中央アジアの一体性」や「イスラーム共同体」といった枠組みとは別に、口承文芸など精神文化における共通性やある種の文化圏もまた存在したことにも注目すべきであろう。