第3回国境フォーラム・首長サミット

田 村慶子


2009年12月21日(月)、根室市総合文化会館で「国境自治体首長サミットin根 室」が開催された。今回のサミットは、2007年9月に与那国で開催された「国境フォーラムⅠ」、2008年10月に小笠原で開催された「国境フォーラム Ⅱ」に続く3回目の国境フォーラムである。今回は国境自治体のすべての首長が一堂に会して、日本の国境政策の現状と現場が抱える問題点についてそれぞれ問 題提起と討論を行い、どのように国境地域の声を国政に反映させていくのか、そのために4つの国境自治体はどのような協働が出来るのかについて、会場に集 まった根室市民およそ120人とともに、突っ込んだ議論が展開された。
パネリストとコメンテーター、司会は次の方々である(敬称略)。ただ、小笠原村長の森下一男村長は、急用のために直前に根室行きが困難となり、代わって産 業観光課長の参加となった。

  【パネリスト】
 与那国町長 外間(ほかま)守吉
 対馬市長  財部(たからべ)能成
 小笠原村産業観光課長 澁谷正昭
 根室市長  長谷川俊輔

  【コメンテーター】
 鹿児島大学多島圏研究センター 長嶋俊介
 東海大学海洋学部       山田吉彦
 北海道大学スラブ研究センター 岩下明裕

  【司会】法政大学教授 中俣 均


  首長サミットは、まずパネリストが各自治体の現状と課題を紹介し、会場の参加者やコメンテーターからの質問や問題提起を受けてさらにパネリストが意見を述 べるという形式で行われた。

与那国:「日本政府には国境政策がな い」
 与那国島は県庁のある沖縄本島から約520km離れているが、台湾までは約110kmという距離にある日本最西端の自治体である。2005年に近隣(と 言っても127km離れている)の石垣島や竹富島との八重山合併を村民投票で否決し、台湾との経済交流で島の未来を切り開く道を選択したことで全国的に有 名になった島でもある。
サミット前日に根室入りし、初めて体験した雪道で3回も転んだというエピソードで会場を和ませた外間町長は、与那国と台湾の間には戦前から国境などなく、 自由な経済的・人的交流をしていたこと、1947年当時の与那国の人口は1万2,000人であったと、まず当時の繁栄する島を紹介した。だが、現在は 1,650人と往時の8分の1近くまで減少して島の疲弊は著しいこと、島の自立と島民の安全安心のために台湾との交流を再度活発化させるべく様々な試み (台湾との定期航路の開設や自然災害時の緊急支援関係を結ぶ)をしてきたが、日本政府が台湾を国家として承認していないために、その試みは拒絶されてほと んど実現していないことを淡々と述べて、「島を疲弊させたのは日本政府である」「日本政府には国境政策がない」と厳しく批判した。
しかし、自民党政権に取って代わった民主党政権は、過疎振興法も海洋基本法も見なおすことを表明しているため、今後は展望が開けるのかどうか期待と不安を 持っていると述べて、与那国の抱える課題の紹介を終えた。

対馬:「日本政府には国境意識が足りな い」
 対馬は、戦前は朝鮮半島との交易で栄えた島であったが、戦後の断絶と漁業の衰退、その後は島の経済を支えていた公共事業の減少によって島は疲弊、現在の 人口は3万6,000人にまで減少した。この人口は最盛期の半分でしかない。
 この衰退に歯止めをかけるべく、対馬は韓国との交流の復活・発展を模索し、近年は対馬と韓国を結ぶ高速船運航によって島の人口を上回る韓国人観光客が訪 れるようになり、島は少しずつ活気を取り戻している。しかし、2008年7月に観光客としてやって来た韓国の退役軍人が、「対馬は韓国の領土だ」と叫ぶと いうパフォーマンスを市役所近くで行った。これがマスコミによって全国に流れ、まるで対馬が韓国に乗っ取られてしまうのではないかというような領土キャン ペーン報道までなされたため、全国各地から「対馬市役所は何をやっているんだ」「(対馬は日本の領土だと韓国に明言するように)頑張れ」という激励と非難 が相次ぎ、現在でもまだ収まっていない。財部市長は、「このような騒ぎの中にあっても対馬市民はいたって冷静で、日本の島であるという地理的位置と韓国と の国境を意識しながら、これまで通り韓国との交流を進めて対馬を活性化させていきたいと思っている。対馬は歴史的にそのように発展してきた」「ただ、この 騒ぎで、日本政府には国境という意識が足りないことを痛感した。今後の島の発展戦略については、他の自治体や専門家の方々の意見も聞きながら提案していき たい」と報告を結んだ。

小笠原:「小笠原の経験を北方領土に」
 小笠原は国境を意識しない場所である―これが昨年のフォーラムに参加した澁谷氏の感想であったという。確かに小笠原群島や硫黄島、日本最東端の島である 南鳥島のどこに立っても、他の3地域とは異なって外国が見えない。また、小笠原群島の現在の人口は2,400人余りであるが、島々は広い太平洋に点在して いて、住民は父島と母島以外の島を訪れることはほとんどない。
また、返還のプロセスとその後の開発が、小笠原群島と島民に他の自治体住民と全く異なるユニークな特徴を持たせている。第二次世界大戦末期に日本軍の命令 によって小笠原島民は本土に強制疎開をさせられた。島民はみなすぐに帰れるものと思っていたが、戦後アメリカ軍の統治下で旧島民の欧米系住民のみが父島に 帰島を許され、他の島民が戻れたのは1968年の返還時であり,それから改めて島を「創りなおす」という作業が始まったのである。戦前は主要なそれぞれの 島に村があったが、まとめて小笠原村という行政単位となり、父島と母島に都営住宅、道路や港湾の整備などがなされ、1979年に首長選挙が行われて、よう やく小笠原は自治体として独り立ちした。また小笠原の大自然と古い習慣が少ないという風土に惹かれて新しく本土から移住する者も絶えなかった。澁谷氏も 1983年に東京都から移住してきた。現在の島民の半分は澁谷氏のような新しい移住者である。
澁谷氏は、この「創りなおし」の歴史と経験は返還後の北方領土の再建に役に立つのではないかと述べる。返還された北方領土に誰が住むのかという議論がある が、北方領土に戦前住んでいた方々の年齢などを考えると、故郷(ふるさと)であっても今更帰ることは無理であろう、でも移住者の立場に立って「新しい故郷 (ふるさと)を創る」という意識で開発を進めれば、きっと移住しようという人は多いだろうと示唆に富む意見を述べて報告を結んだ。

根室:「十字架を背負う街」
 与那国での国境フォーラムにもパネリストとして積極的に参加した長谷川市長は、冒頭に「根室は他の自治体とは異なり、ロシアと係争中の領土問題を抱えて いる」と述べて、根室が抱える厳しい現実から報告を開始した。
根室は、歴史の新しい北海道のなかでは、江戸時代初期から日本人が入って開拓を始めたという歴史を持ち、道東一の大きな漁業の街として長い間繁栄してき た。また、根室は日ロ交流の発祥の地でもあり、ロシアとは長い交流の歴史を持ってきた。しかし、戦後は北方領土を失うという大打撃によって根室の漁業は衰 退の一途を辿り、ロシアとの交流も途絶えた。北方領土が返還されれば根室は往時の繁栄と失った人口を取り戻すと期待して、北方領土の元島民1万7,000 人余りを中心に日本の返還運動の先頭に立ってきたのである。だが、戦後64年が経って元島民の半数以上が他界し、残っている方々の平均年齢は76歳になっ た。返還運動の後継者をどのように育てていくのかが、緊急の大きな課題である。  市長は2年前からモスクワやロシアの極東諸都市を訪れて、領土問題の交渉を行ってきた。そこで得た感触は、ロシアも何とか北方領土問題を解決して、日本 との経済交流を深化させたいと思っているということである。ただ、ロシアも日本もそれぞれが北方領土は自国の領土だと国内では教育、宣伝しているために、 現在はなかなか妥協点が見いだせずにいる。北方領土という「十字架を背負う街」(市長の言葉)の首長という辛い立場からの、でも希望をつなぐ報告であっ た。

【意見交換】
 以上の4自治体の報告に対して、会場やコメンテーターからの意見や質問、それに対するパネリストの議論がなされた。そのうちのいくつかを紹介する。

(1)第一の発言者は北方領土の旧島民の方で、日本政府および日本国民のほとんどは領土問題と国境問題に無関 心なのではないか、日本政府が本腰を入れて国境問題に取り組んでいないのはきわめて残念なことであると述べ、本日は国内外の研究者も参加しているので、ぜ ひ日本の国境問題についてあちこちで発言してほしいと要望した。また、元島民はもう高齢になっているが、もし政府がすぐにでも北方領土の開発に着手すれば 若い人が移り住むだろう、北方領土は元島民だけの領土問題ではなく日本国民全体の問題であるという意識をすべての人に持ってもらいたい、と強く求めた。
旧島民の切実な思いを訴えるかのようなこの発言に対して、国境フォーラムの発起人であり、コメンテーターも務める岩下明裕氏は、小笠原島民の法律相談に快 く応じている法律家の山上博信氏を紹介して、「山上氏は、もし北方領土が返還されればいつでも旧島民だけの法律相談に乗ってくれるだろう、彼のような人が いれば後に続く人は必ず出てくるだろう」と、北方領土に移り住む新たな人々の可能性を示唆した。

(2)もう1人のコメンテーターである山田吉彦氏は、与那国が抱える別の課題を指摘した。1つは与那国の上空 の半分は台湾の防空識別圏であること。つまり半分は台湾が管理する空なのであり、日本の自衛隊は自由に飛ぶことを許されていない。もう1つは、与那国は津 波や台風の危険があり、また海洋権益の拡大を目指す中国と対峙するという国家の安全保障上重要な位置にある。そのために外間町長は村民の理解を得て自衛隊 駐屯を推進したことを紹介した。
 外間町長は、日本政府は与那国を「生殺し」にしてきた、与那国が台湾との交流を再び活性化させようという試みをすべて拒否して何もしてくれなかった、だ から外務省にお願いしても埒(らち)が明かないので自分たちで打開策を積極的に考えていくしかないのではないか、と改めて日本政府を批判した。これは、外 務省に反対されながらも、台湾の花蓮市に与那国連絡事務所を設けて、台湾の観光客や投資を誘致し、チャーター便の運航や児童の交流という「町政外交」を積 極的に促進してきた町長だからこその、発言であろう。

(3)この外間町長の発言を受けて、コメンテーターの長嶋氏は、与那国の「頑張り」は根室の人々にとっての刺 激になるかもしれない、さらに、地元を応援するためにも研究者を含めて自分たち外部の人間も、多様な発想と積極的な行動をしていかなければならないと述べ た。

(4)日本政府の消極的な態度という点に関して、対馬市の財部市長はエピソードを紹介した。対馬市役所近くで 行われた韓国人のパフォーマンスの直後に、市長は国会議員40人ほどに呼ばれて上京、居並ぶ議員たちに「対馬市は自衛隊駐屯地に隣接する重要な土地を韓国 不動産会社に売却してホテル建設を認めたのはなぜか」と詰問された。これに対して市長は、これは民間会社どうしの合法的売買なので市はどうしようもない、 そもそも重要な土地ならどうして国がもっとちゃんと管理しないのか、国防上の重要地であることをどうして対馬市に教えてくれなかったのか、と応じたそうで ある。日本政府は対馬という国防上の重要地に対しての国境政策を持っていない、このエピソードはそのことを明確に語っていよう。

(5)会場からの「小笠原の土地の中には国から賃貸料が出ている土地もあると聞いている。具体的に教えてほし い」という質問に対して、硫黄島は「国による全島借り上げ」になっていて、旧島民には賃貸料が支払われている。だが、父島と母島の元島民で、本土に生活の 基盤を持ったために島に帰れない人には何の保障も支払われていないという状況も一方ではあると、小笠原村役場の澁谷氏は答えた。さらに、歯舞群島は根室の 管轄域ということで、国が地方交付税交付金を出していることも、根室の長谷川市長から紹介された。
与那国の外間村長からは、国は沖縄本島北部振興策という名目で10年間で1千億円をバラ撒いている。にもかかわらず、与那国には何もしない。これはあまり に公平さを欠くのではないかという意見が出された。

(6)国からの補助金という点に関して、会場からは北方領土はロシアに占領されたままであるので、根室市に もっと多額の補助金が交付されてしかるべきではないかという声があがった。外間町長からも、補助金や交付金を含めて国境離島全体に対する国の総合的な政策 があってしかるべきである、それを国に強く要求するつもりなので、他の自治体の協力をお願いしたいという要請もあった。

(7)ダブリン大学(アイルランド)のカムセーラ氏からは、北方領土を取り返すために4島一括で進めているが 他に方法はないのか。さらに領土をあきらめるという選択肢はないのか、例えば、ドイツは第二次世界大戦後に領土の3分の1を失ったが、それでもその土地を すべてあきらめたことで、返還要求をしていく以上のものを得ることができたという肯定的な意見もある。この点に関しての意見を聞かせてほしいという質問が 出された。
 根室の長谷川市長は、ロシアは1993年の東京宣言において北方領土は未解決であると認めているし、日本は北方領土は日本固有の領土であるという立場を 堅持しているのだから、一部をあきらめるというのではなく、粘り強く話し合って解決したいと思っている。ただ、返還のされ方については、根室市民の要望も 踏まえてやっていきたい、と答えた。


 根室市には、国境線が決まっていないための不満と葛藤がある。他の自治体は国境線が定まっているけれども、 様 々な問題を抱えている。確かに根室と他の自治体は異なる立場にあるが、共通する課題や問題については互いに知恵と英知を結集して取り組んでいきたい。根室 市長が与那国での国境フォーラムに参加してくださり、今回はホストまで引き受けてくださったのは、今後の戦略やネットワークづくりを進めていきたいという 意思の表れであろう―岩下氏がこのように述べて2時間に及んだシンポジウムは幕を閉じた。



田村 慶子(たむら けいこ)
北九州市立大学教授 専門は国際関係論・東南アジア地域研究
科研「ユーラシア新秩序の形成」(基盤研究A)への参加を契機に、スラブ研究センターの国境研究チームに加わる。2008年に小笠原で開催された国境自治 体のフォーラムでは司会を務める。


http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/publictn/report/20081226-j.pdf

*なお、エッセイの内容は、スラブ研究センターを始め、いかなる機関を代表するものではなく、筆者個人の見解です。


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