ICCEESストックホルム大会の印象

池 田嘉郎(東京理科大学)


 2010年7月26日から31日まで、ストックホルムで開かれたICCEES(国際中 東欧研究学会)の世界大会に参加した。色々と思うところの多い学会であったので、参加記を書いてスラブ研究センターのHPに投稿することにした。
 私がこの大会に参加したのはパネリストとしてである。パネルの題は「日本とロシア、1904‐1905年の戦争を越えて」というもので、スラ研にいたア ンドレアス・レンナー(ケルン大学、ドイツ)が組織した。日露戦争の終了から第一次世界大戦までの、日露関係の黄金時代を扱ったパネルであり、レンナーは 日露戦争のロシア人捕虜が戦争体験をどう回想したかを分析し、もう一人の報告者であるユリア・ミハイロヴァ(広島市立大学)がロシアの新聞における日本イ メージを扱った。私は日露関係という慣れないテーマであるのでさんざん苦心したあげく、ロシア専制の世界観という自分の元々の関心からいって、日本の専制 がロシアでどのように捉えられたかというテーマであれば何とかまとめられるであろうとの結論にたどりついた。それからあとは早稲田大学図書館に連日通って 『ビブリオグラフィア・ヤポーニイ』のマイクロを読み、明治天皇の死(1912年)、昭憲皇太后の死(1914年)、大正天皇の即位の礼(1915年)に ついての史料を使って、どうにかペーパーをまとめた。コメンテーターが『旭日を目指して』のデヴィッド・シンメルペンニク・ファン・デル・オイエ(ブロッ ク大学、カナダ)であったのは恐れ多かった。
 慣れない日露関係のパネルに参加した理由を弁明すると、レンナーはもともと軍事と医学をやっている人と聞いていたので、それならいっしょにやれると彼の 呼びかけに乗ってみたところ、スラ研滞在中に関心が変わったと聞いて、困ったけれど今更ひけない、ということになったのであった。なので、私の報告者とし ての参加は、あまり主体的なものとはいえない。今振り返ってみれば、パネルとは別に、個別報告で自分の専門についてしゃべればよかったと思うのであるが、 それは大会に参加して初めて分かったことであるし、いずれにせよ二つの報告を準備する余裕はなかった。それに、はじめは何とかひねり出したテーマであった が、調べているうちに面白くなってきたので、頑張ってきちんと形にしたいと思っている。

 このように自分の報告はあまり主体的に準備できなかった私なのであるが、大会に参加し て色々なパネルに出てまわっているうちに、呑気な物見遊山気分はどんどん吹き飛んでいってしまったのであった。今回ストックホルムに行ってとにかく痛感し たのは、ロシア史研究におけるアメリカ合衆国のプレゼンスの大きさである。これに尽きる。何を今更といわれるのではないかと思う。ただ私は、これまでずっ と、90年代以降のロシアにおける研究状況の復興の方に、もっぱら目を奪われていたのである。いや、もっと正直になって考えてみれば、要するに私はこれま で欧米圏の国際学会に参加したことがなかったので、外国語といえばロシア語で発表することに慣れ切っていたのである。だがそれでは全然駄目だということ を、今回身をもって知った(読み返してみて、つくづく遅すぎると恥ずかしくなる。実際、大串敦さんや長縄宣博さんのように、私より年少で、私よりずっと前 にこのことに気づいて、英語中心に仕事をされている方がいるのであるから)。端的な話、英米の研究者に挨拶して、論文があるから読んでくださいといってロ シア語の論文コピーを差し出すと、それだけでなんだ英語じゃないのかという顔をされるのである。もちろん発表言語の問題とは別に、英語圏の研究者は組織力 も際立っている。今回、Russia’s Great War and Revolutionという企画の発表会があって、その関係者によるラウンドテーブルやパネルがいくつもあったのだが、中心にいるのはアメリカの学者とア メリカに留学したロシアの学者であって、ともかくその規模の大きさに圧倒された。軍事、帝国、銃後、文化など7巻本の予定であって、さらに各巻が分冊にな るので、大変巨大なシリーズになるのである。ほんのちょっと前まで、第一次大戦はロシア史では研究のされていないテーマであった。それがいきなりどかんと 質・量ともに圧倒的な力を見せつけられたのである。もちろん企画に関与しているという人の中には、報告を聞いてもなんだこの程度かという人もいる。だがそ れは発表者の中では例外であった。大戦中の正教会の活動についてとか、ネップ期の戦史博物館の展示についてとか、とにかく斬新で刺激的な報告がたくさん あったのである。私は彼らの報告を聞き、上述の企画発表会を聞きながら、もうこれからは英語で書かななければだめだと強く思った。これまでも石井規衛先生 からは英語で書かねばならないといわれてきたのだが、なかなか思い切ることができなかった。今回そのきっかけを与えてもらっただけでも、ストックホルムに 来た甲斐があった。何か今更英語英語と騒いでいるのは色々な意味で恥ずかしいことなのであるが、「やらないより遅い方がまし」と私の大好きなロシア語でも いうのであるから、ここに決意を書き留めておくことにする。

 第一次大戦以外で印象に残った発表を一つだけ書いておくと、ソヴィエト時代の暴力をめぐるパネルが大変面白かった。そこでは『ペザント・メトロポリス』 を書いたデヴィッド・ホフマン(オハイオ州立大学、アメリカ)が、1930年代のテロルを徹頭徹尾モダンの文脈で説明した。敵の除去と理想的な社会の創出 は、19世紀末の犯罪学に端を発する傾向である等々。私はこうやって万人向けの分析の道具を使って明快に整理していくのがアメリカ式なのかしら、こういう のを身につけなきゃいけないのかなと思って聞いていた。ところが、議長兼コメンテーターのデヴィッド・シーラー(デラウェア大学、アメリカ)が、この報告 を真正面からバッサバッサと切り始めたのである。いわく、本当にスターリンのテロルはモダンで説明できるのか。いわく、理想的な社会をつくるために特定の 集団を抹殺することは前近代にも見られた。いわく、近世における宗教上の弾圧はどうか…。私は聞きながら本当に感動してしまった。シーラーには『スターリ ンのロシアにおける工業、国家、社会』という、20年代末の産業機構の改組を扱った渋い、そして実に面白い本があるのであるが、彼はやっぱり本当に頭のい い人であった。私もシーラーが議長なら質問しちゃえと思ってハイと手をあげて、30年代に理想社会の比喩としてよく出てくる「大家族」の理念は、復古的な ものに見えるけどどうですかと尋ねた。ホフマンは、それはモダンな企図を貫徹するための道具にすぎないと答えたが、これは彼の報告の立場からすれば当然予 想される答えであった。ともかくこのパネルからは、安易な相互了解をよしとせず、自分の確信に基づいてどこまでも問いを立て続けることの尊さを、あらため て学んだ。

 大会終了前日の金曜日の夜に、「東方からの観点はあるか」と題して、東アジアにおけるスラヴ研究の特集企画がもたれた。あいにく実行委員会が事実上の最 終日の晩にこの企画を入れてしまったため、出席者はそれほどではなかった。それでも、いい企画だったという声があちこちから聞こえた。報告者は中国から2 人、韓国から1人で、それに日本からは議長が松里公孝さんで、報告者が宇山智彦さんと田畑伸一郎さんであった。二人の報告は、日本における中央アジア研究 史であったり、スラ研の新学術領域の紹介であったりと、私にとってとくに新しいものではもちろんないわけだが(とはいえ、中国・韓国の研究者の報告も含 め、地域研究のあり方をめぐってあらためて勉強させられる点は多々あった)、そうしたことを、こういう場所で、英語で語るということは、やや大げさなこと ばを使えば、責任感や使命感にかかわることなのである。報告を書き、議事を組織するのにも、相応の苦労があった筈である。私は壇上の人々の努力に、素直に 頭が下がる思いであった。その翌日、閉会式で、次回、2015年のICCEES大会が幕張で行なわれることが発表され、松里さんが再び壇上にあがり、今回 の大会同様いい大会にするから、ぜひ日本に来てほしいと熱弁をふるった。彼のスピーチに会場は沸いたし、個々に話した知人たちも、みなヨーロッパを離れて 日本でやるのはいい決定だ、ICCEESの歴史における新しい一歩だと好意的であった。今回の出張で、私は行きも帰りもアムステルダム経由で松里さんと いっしょだったのだが、帰りの松里さんは大会中とは別人のようにぐったりしていた。周りからは見えないところで、さぞストレスのたまることもあったのであ ろう。松里さん、本当にお疲れ様でした。
 2015年の幕張大会については、どういう準備組織をつくるのかとか、金はどこから確保するのかとか、ヨーロッパやロシアから人が来るのかとか、パネル はどれだけつくらねばならないのかとか、いろいろな不安があるわけであるが、しかし、つまるところは、頑張って自分の好きな研究をして、多くの人に聞いて もらうことに尽きるのではないか。私は英語で書くと決めてしまった以上、次回は主体的にパネルを組織するつもりである。
 今回のストックホルム行きでは、かなり多くのパネルに出ていたので、町を見ることはあまりできなかった。それでも最終日は閉会式が早くに終わったので、 王 宮のある旧市街を歩くことができた。その旧市街のだいたい真ん中で、たまたまノーベル博物館があるのに行き当たり、作家たちの絵ハガキが売っているという ので、土産売り場だけ入ってみることにした。別にロシアにこだわることもないのだが、パステルナークとソルジェニーツィンの絵ハガキを買った。他に何かな いかと思って見回すと、ガラスケースの下の方に、小さな立像が3体並んで立っていた。それは三人の偉大な物理学者、マリ・キュリー、アインシュタイン、そ れに湯川秀樹であった。私は彼らとは縁もゆかりもないのであるが、少し考えてからきれいに彩色された湯川博士の立像を買って帰ることにした。これからはこ の像を本棚に飾って、湯川先生を見るたびに、英語で書くと決めたことを忘れないようにしようと思うのである。

(2010 年8 月4日記)



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池田 嘉郎(いけだ よしろう)
東京理科大学准教授 北海道大学スラブ研究センター学外共同研究員
専門は近現代ロシア史。
科研費新学術領域研究「ユーラシア地域大国の比較研究」(代表:田畑伸一郎)研究分担者。
著書に『革命ロシアの共和国とネイション』(単著、山川出版社)など。



*なお、エッセイの内容はスラブ研究センターを始め、いかなる機関を代表するものではなく、筆者個人の見解です。



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