1997年点検評価報告書
はじめに
外部評価委員のプロフィール
第三者による評価
外部評価報告を読んで
「スラブ研究センターを研究する」へ
SRC Home
百瀬宏
I・T・ベレント
ノダリ・A・シモニア
エヴゲーニイ・アニーシ モフ
スティーヴン・コトキン
セルゲイ・A・アルチュ ウノフ

ノダリ・A・シモニア 報告

1.研究プログラムに関する報告
 北海道大学スラブ研究センターにおける私の滞在期間は1996年から1997年にかけての10か月であった。主要な研究テーマは「現代ロシアにおける官 僚的資本主義と民主主義の展望」であった。滞在期間中、このテーマでの、著作の執筆のために必要な資料の蓄積とかなりな量のデータベースの構築を行い、ま た、3つの章を完成させることができた。
また、研究の主体であるモノグラフのための作業と並んで、次の2本の論文を執筆した。
1)「ロシアにおける国家形態の発展」
2)「中国および韓国における改革のロシアへの教訓」
これらは、スラブ研究センターの特別セミナー(1996年11月5日)とスラブ研究センターの冬期シンポジウム「スラブ地域の変動−その社会・文化的諸 相」(1997年1月30日〜2月1日)において報告した。双方の報告に若干の修正を加え要約した論文が、スラブ研究センターによって刊行されることに なっている。
 さらに、「グローバリゼーション、リージョナリズム、ナショナリズム 二十一世紀の役割を模索するアジア」と題する米国国際関係学会(ISA)と日本の 国際政治学会(JAIR)の合同大会(1996年9月20日〜22日、幕張)において報告を行った。
 また、スラブ研究センター滞在中に、 1)「北太平洋地域における経済発展と安全保障問題」と題する北太平洋研究センター=日本総合研究所の第8回会議(1996年11月28日〜29日、札 幌、北海学園大学)、および、2)「ナショナル・アイデンティティとエスニック・宗教紛争」と題する国際シンポジウム(東京、1996年11月18日 〜21日、日本国際問題研究所主催)の2つに参加した。
 東京への出張中(1996年11月7日〜11日、1997年2月13日)には、ロシアの国家形態、現代ロシアにおける社会経済的変化と政治的展開につい て、東京大学、青山学院大学、一橋大学、日本国際問題研究所で講演を行った。
 1996年11月には休暇を利用してヨンセイ大学とチュン・アン大学(韓国、ソウル)からの招聘に応じ、朝鮮統一に関する国際学術会議とスラブ研究につ いての年次シンポジウムに参加した。
2.日本側に参考となると思われるいくつかの問題点について
スラブ研究センターによる学術会議とシンポジウムの主催につ
 センターは、毎年、いくつかの学術会議とシンポジウムを非常に活発に組織している。どれほどの時間が、国際的な学術会議を準備するのに必要であるか、私 は、自分の経験から、よく理解している。それゆえ、私はセンターのリーダーシップおよびスタッフの努力とその成果が全体として優れたものであることについ て、自信をもって述べることができる
また、スラブ研究センターは、全ての学術会議とシンポジウムに際して、常に、優れた専門知識を持つ報告者とコメンテーターを選んでいる。この種の学術的な 会議は、日本全国の研究者と外国人研究者が互いに出会い、アイディアや意見を交換する大変良い機会となっている。これらの討議の結果は学者だけでなく、政 策立案者や政治家、一般人にとっても価値あるものである。
スラブ研究センターのスタッフは、より広範な学術集会にも積極的に参加している。その一例として、昨年、スラブ研究センター長の林忠行教授は、幕張で開催 されたISA−JAIRの合同大会の中の2つの特別パネルを組織し、さらにもう一つのパネル討論の司会を行っている。
上に述べたこと全てが、日本におけるスラブ研究の全体的な枠組みを真に統合する「センター」として、スラブ研究センターが現実に機能しているという事実の 確かな証拠である。
しかし、このようなすぐれた成果がある一方で、センターには、別な側面が存在するということも指摘しなければならない。常勤でセンターに勤務しているのは わずか10名(実際には11名だが、1名は留学中であった−編者注)の教授や助教授にすぎない。彼らは全力を尽くしているが、スラブ世界は極めて大きく多 様なものであり、このようなわずかなスタッフでは、この領域の中の最も重要な問題やトピックスのわずかな部分ですら、包括的に扱うことは絶対的に不可能で ある。
私の提案は、スラブ研究センターを可能な限り膨張させようということではない。私は、ソビエトやロシアの研究所の経験から、巨大な学術研究所がいかに管理 が困難で、非効率なものになりうるかを知っている。しかし、理にかなった形で、漸進的で、注意深いセンターの拡大(毎年1、2名の若手研究者を数年間雇用 する形で)は、スラブ研究センターにとってばかりでなく、日本のスラブ研究にとっても極めて有益なことであろう。
まず、ロシア研究について言うと、ロシアの国内問題の分野に特に関心が払われるべきである。ロシアの国内問題は、今日、その対外的行動に強い影響を与えて いる(とくに、現在のロシアの外交政策は、国内的な事態の進展を勘案せずにはとても理解することはできない)。
またロシアのCIS諸国との関係が、センターにとってはもうひとつの問題である。スラブ研究センター全体で、カザフスタン共和国の専門家がたった一人、と いう状況では、このような広大でかつ微妙な問題に対処することは不可能である。これらの上で言及したふたつの問題は、最も重要でかつ緊急の空隙部分といえ る。
 2)図書施設について数言
 総合図書館とスラブ研究センターの図書室の両方ともに優れたものである。特に、膨大な点数のスラブ諸国、とりわけロシア関係の書籍と定期刊行物が蓄積さ れたスラブ研究センターの図書室は、(とくに私の研究領域のせいもあり)私個人ににとって最も重要であった。私にとって、ロシアの定期刊行物を利用するに は、モスクワよりも、ここスラブ研究センターの方が、はるかに便利だったほどである。だが、ここでも一つの重要なボトルネックに気付いた。スラブ研究セン ターの図書室は信じがたいほど豊かであるが、それとは極めて対照的に、図書スタッフが数的に不十分である。これら全ての必要な書籍や資料を取得するため に、巨額の予算が費やされているのだから、ライブラリアンの数を節約するのは無意味なことである。いかなる図書館であっても、効率的な作業を行うために は、(非常勤契約ではなく)常勤で仕事をする専門的ライブラリアンが中核となるのは当然のことである。
 3)研究活動のための国内出張について
 目下のところ、外国人研究者の出張は、非常に制限されている。数日間の出張が一回可能なだけで、これでは明らかに不十分である。アメリカの大学を数回訪 れた時の私の経験では、かの国では「レモン絞り」方式とも呼ぶべき外国人研究者の取り扱いシステムに出会った。
私はホストの大学でこき使われたばかりでなく、他の大学で講演したり、セミナーへ参加するために派遣されたこともあった。これは極端なやり方の一例であ る。来訪者は十分な研究時間を有していなければならないし、そうでなければ招待を受けるのは無駄なことになろう。
しかし、ここ日本で私が経験したものは、それとは対極をなすものであり、研究には有り余る時間があったが、他の研究機関を訪問する機会は最小限に過ぎな かった。ロシア人の研究者のためにも、日本の研究者のためにも、二つの極端なものの間に「黄金の中庸」が見出されるべきだろう。
 なぜこんなことを申し上げるのかと言えば、ロシア人研究者の大多数は(そしておそらくロシア人以外の研究者も)、日本の研究者の行っている研究がいかな るものかを知る機会を(どんなものであれ)ほとんど持っていないということがある。私の母国では、大多数の研究者が、英語の刊行物に触れる機会を持ってお り、容易にアメリカやEUの研究者や政府が(ロシアのような)変革の直中にある国々をどのように取り扱っているか容易に知ることができる。しかし、日本の 研究状況についていえば、ごく一部の日本関係の専門家だけが、日本の状況と日本の研究者が何をしたり、語ったりしているのかを知っているにすぎない。日本 の学問は、伝統的にロシアにいる研究者にはほとんど知られないままである。これは残念なことである。私は、多くの日本人研究者の方法論的アプローチがロシ アの現状にとって、はるかに適していることに気づいているからである。たとえば、一例を挙げると、アングロ・サクソン型の経済発展が最良の形であり、新古 典派の経済理論のみが信頼できるという仮定に縛られていない。それだけに、こうした交流の薄さには、非常に問題がある。
最後にこの機会を利用して、私がスラブ研究センターの学問的であると同時に人間的な雰囲気をいかに楽しむことができ、また私自身の学術的な研究を進める上 で素晴らしい機会が与えられたことに感謝の意を表したい。

[PageTop]