家田 修(いえだ おさむ)

A)個人研究活動 (うち主要学術研究業績一覧
B)共同研究活動
C)受賞など
D)学歴と職歴
E)「私のスラブ研究センター点検評価」
F)専任研究員セミナーでの外部コメンテーターのコメント集


A)個人研究活動

1.研究主題:東欧経済史、ハンガリー史、農村社会論、社会思想

2.研究領域

1)ハンガリー農村社会経済史

第一の研究領域はハンガリー農村社会経済史であり、筆者が大学院時代から一貫して取り組んできた研究課題である。

東欧ロシア社会は現在に至るまで農村的性格を根底に持っている。実際、内外の研究史はこの地域における農村社会の基盤をなす農民や貧農の経済的、社会的、政治的分析に関 して膨大な研究業績を積み重ねてきた。筆者も近代におけるハンガリーの農村を素材とし て、農民と村落共同体との関わりを分析してきた。その要点は、1.ハンガリーでは近代に おいても共同体的な土地経営が農民経営の再生産にとって不可欠の前提だった、2.近代に おける土地改革思想において規範的に想定されたのは共同体農民であった、3.富農層の形 成が弱く、大量の下層農民が堆積したが、経営規模の縮小において最も重要だったのは均 分相続慣行だった、などである(参照著作:「総有団体:ハンガリーにおける農村共同体の 一形態」『歴史学研究』1981年別冊特集;「農民経営と共同体-1945年土地改革に至るハン ガリー農村社会への一接近-」『社会経済史学』1982年、47巻5号;「ハンガリーにおける 第二次世界大戦後の土地改革と農民的土地所有」椎名重明編『ファミリーファームの比較 史的研究』お茶の水書房、1987年)。

この研究領域に社会主義時代を含めることができる。ハンガリーの場合、社会主義農業 を農民と集団農場の単純な対立的図式においてとらえることはできない。筆者は社会主義 政権下においていち早く現地調査を手がけ、それに基づいて農民的経営と集団的農場経営 が相互依存的な関係にあることを明らかにした。(参照著作:Individual Faming and Socialist Agricultural Cooperative - Based on a Case Study of Individual Faming in the 1970s' Hungay -," Japanese Slavic and East European Studies , 1991,Vol.121「田園都市ケチケメートの農民夫婦」" 南塚編『東欧改革と庶民生活』朝日選書、1992年)

この研究領域における筆者の基本的関心は農民経営それ自身にあるというよりも、農民 経営を取り巻く共同体ないし地域社会が如何に深く農民経営と関わっているかを明らかに することにある。つまりこの問題関心は研究領域1)における第二の研究課題と結びついて いる。すなわちそれは農村社会におけるもう一つの柱である地主層の社会経済的役割、お よび地主層と農民層との相互関係の解明である。この問題領域は従来の研究史において全 'く無視されていた。筆者は博士論文の主題として地主主導の社会経済運動を取り上げ、ハ ンガリーにおける農本主義と農村協同組合を素材として、地主的社会運動の実体と歴史的 意義を分析した(博士論文「ハンガリー近代における農業危機と農業政策一中小地主の農本 主義と協同組合運動一」1987年)この第二の研究課題はハンガリー農本主義の原点を発掘す る取り組みや、その後の農村協同組合運動の奇跡を追う作業へとつながっている(参照著 作:「19世紀末ハンガリーにおける農民信用問題」『広島大学経済論叢』1992年、15巻3-4 号;「ハンガリーにおける初期協同組合運動史一ハンジャ消費協同組合における中央組織と 地区協同組合一」『協同組合奨励研究報告』1989年、第15輯;Kzopont es kozsegi szovetkezetek a Hangya Szovetkezeti Mozgalomban az elso Vilaghaboruig [第一次世界大戦までのハンジャ協同組合運動における中央と農村] Agrartorteneti Szemle[農業史評論],Budapest,1990,No.1-4)。

2)ロシア東欧地域の農村経済に関する比較研究

筆者はハンガリー経済史と並んで、ロシア東欧地域における比較社会経済論をもう一つ の中心的な研究領域としている。ここでの第一の研究課題は共同体論、市場構造論、社会 層分析を基にして、比較史的にロシア東欧地域の特色を描き出すことである(参照著作: 「近・現代東欧経済史の特徴」木戸・伊東編『現代東欧史』有斐閣、1987年;「社会主義経 済-ソ連と東欧」社会経済史学会編『社会経済史学の課題と展望』有斐閣、1992年)。 この研究領域における第二の研究課題は、1990年代に入って大きく変動し始めたロシア 東欧経済の現状を調査分析することである。これは新たな学問的かつ社会的な要請から出 発した研究課題である。変動分析の第一は農村経済の変容に関してであり、集団農場の解 体や再編が分析対象である。当初はハンガリーに対象領域を絞り、現地調査に基づく分析 を行った(国際交流基金海外派遣1992-1993年、全国農業協同組合連合会奨励研究1993年)。 この調査研究により、集団農場再編に際しての組合財産の分割では、1.勤労に基づく平等 主義的原則が強く押しだされたこと、2.ハンガリーで集団農場の解体が進まなかった背景 として、多数の農民が集団農場を運命共同体と考えていることが決定的に重要だったこと、 3.新たな農村協同組合の運営原則には責任負担という重要な構成要素が欠如していること などが明らかとなった(参照著作:Folytonossag es valtozas a magyar mezogazdasagi temeloszovetkezetek atalakulasaban, kulonos kekintettel a veszpremmegyei esetekre[ハンガリー 農業生産者協同組合再編に関する連続性と断絶性 - ヴェスプレーム県の事例を基にして], M. Olah ed. Az atmenet avagy Veszprem megye a rendszervaltas idoszkaban [体制以降、あるいは体制転換期のヴェスプレーム県] Veszprem,1995;「政治変動後のハンガリーにおける農業協同 組合-理念と現実-」『協同組合奨励研究報告』1995年、20輯)。

ハンガリーにおける現埴調査と並んで、社会主義後の農村経済を国際的に比較検討する 作業がここでの研究課題におけるもう一つの分析対象である。ただし、その詳細は現在進 行中の研究に属するので、次項で記す。

3)西欧と東欧の社会史的・思想史的比較研究

1980年代からのロシア東欧地域での変動は、いうまでもなく農業や経済分野にとどまら ない。むしろ政治的変化がその中心にある。筆者は東欧史を専門とする研究者として、変 動全体をどう把握し、それをどう歴史的脈絡の中に位置づけるか、という研究領域に取り 組んでいる(参照著作:「ハンガリー政治改革の軌跡と現状(1)一(7)」『未来』、1990年 282-291号)。

この変動はこれまでのところ、欧州への回帰、民主主義や市場経済への移行(ないし復 帰)として理解されることが多い。EUの東方拡大を巡る議論はその象徴といえる。しかし 東欧地域の近代史を振り返るなら、東欧がEUに加盟することによって欧州の一体化が実現 するなどという見方がきわめて皮相的なものでしかないことは明らかである。実際、東欧 諸国は具体的な加盟交渉において、自国の現実とEU基準との間にある大きな断層に直面し ている。他方、西欧の既加盟国も10ヶ国以上に及ぶ大規模な拡大がもたらす影響の深度を はかりかねている。仮に政治的判断が先行してEU拡大が1頃調に進んだとしても、欧州統合 を内面的に支えるはずの社会統合では多難な前途が予測される。筆者はこうした歴史的な 視野に立って、EU東方拡大問題を社会統合という分析視角から論ずることを研究課題とし ている。これは東欧史を超えた問題領域であり、欧州近代史全体に関わる研究領域である。 研究領域3)における第二の問題群は社会思想に関するものである。すなわち以上で述べ た第一の視点が社会の構造を対象とするものであるのに対し、以下で述べる歴史の見直し 論は社会思想を分析対象とした問題領域である。1990年代、ハンガリーに限らずロシア東 欧では歴史の見直しが盛んに行われ、いまも継続中である。その主眼は、社会主義時代に イデオロギー的歪曲を受けた歴史研究を批判し、不当に扱われた歴史を「正当な」歴史に 書き換えることにある。しかし歴史の見直しは実際上、新たなイデオロギーによる過去の 断罪、あるいは新体制に都合の良い歴史解釈の押しつけであることが多い。ハンガリーに おけるその典型は、社会主義時代の指導者カーダール個人、及びカーダール体制を全体主 義的として批判する解釈であり、1956年事件はr反革命」からr革命」へと再定義された。 筆者はこうした歴史の見直しは、一つのイデオロギーを否定する別のイデオロギーへの乗 り換えにすぎないと考える。その意味で歴史の見直しをそのまま受け入れることに対して は極めて懐疑的である。(参照著作:Hanza és Hangya[協同組合における中央と自治-1930年 代のハンガリーから],in F. Gratz ed. Szomszedok es Szomszedaink kozott, Budapest,1993; The Zigzag Way of Thought of a Hungarian Populist, Japanese Slavic and East European Studies,1998, No.18)。とはいえ歴史の見直しは、見直している主体の思想的基礎を問うことを通して、そ れ自体が学問的な研究対象となる。とりわけそこには同時代の政治思想や社会思想が反映 されており、極めて興味深い分析素材である。しかも東欧やロシアの場合、争点となる政 治、社会思想は必ず西欧との関係において論じられる。すなわち、ロシア東欧における歴史の見直し論は、必然的に西欧社会思想との比較分析にならざるを得ないのである。

4)ロシア東欧地方政治文化の研究

これはスラブ研究センターが1996-98年に行った総合的な共同研究事業である科研費重 点領域研究rスラブ・ユーラシアの変動」の一部分として始まった研究領域である。この 研究領域の趣旨は、変容するロシア東欧を分析する鍵は地方にあるという視点である。実 際的な調査研究としては第一に、政治変動後における地域住民の政治意識を分析すること であり、そのための基礎資料を得るべく、3年間にわたって5力国でアンケート調査を実施 した。この調査結果は内外の研究者によって共有されるべきであるという趣旨に基づいて、 英文でまとめられ、現代ロシア東欧政治を研究するための貴重な同時代資料となっている (参照著作: Public Opinion on Local Elites in the Emerging Slavic-Eurasian World- Questionnaire Surveys in Russia, Hungary and Bulgaria, Occasional Papers on Changes in the Slavic-Eurasian World, 1997, No.24; Political Elites in Veszprem County,Hungary , Occasional Papers on Changes in the Slavic-Eurasian World, 1998, No. 71 ; Public Opinion on Local Elites in the Emerging Slavic-Eurasian World - Questionnaire Surveys in Russia, Hungary, Bulgaria and Romania -Expanded Version, Occasional Papers on Changes in the Slavic-Eurasian World, 1998, No.58 ; Local Elites and Politics in the Emerging Slavic-Eurasian World - Questionnaire Surveys in Hungary, Occasional Papers on Changes in the Slavic-Eurasian World, 1998, No. 59)。またこの調査結果に 基づく総括的な分析は拙稿「東欧・ロシアにおける地方社会の自画像」(『スラブ・ユーラ シアの変動-自存と共存の条件-』スラブ研究センター、1998年)としてまとめられたが、 各国別の本格的な分析は今後の課題となっている。

この研究領域における第二の研究課題は政治変動によって大きく変貌した地方制度を総 合的に分析することである。この研究課題は内外においてほとんど研究蓄積がない分野で あり、英文にまとめられた研究成果は内外の研究者の便に供されている(参照著作: O.Ieda ed.. The Emerging Local Governments in Eastern Europe and Russia, Historical and Post-Communist Developments , Keisuisha, Hiroshima, 2000)。

以上で述べたように、筆者の研究領域は4点にまとめることが出来るが、1-3の研究領域 ではこれまでに行った研究を単著の書物としてまとめる時期に来ている。とりわけ1)の研 究領域については早急にこれを行うことが必要である。今後は3)の研究領域を広げて、東 欧史、および欧州史全体の文明史的考察を行いたい。

3.現在進行中の研究

1)ハンガリーおよび東欧ロシアにおける農村社会経済の歴史的変容に関する研究

1999年から国内外のロシア東欧農業経済専門家を集めた国際共同比較研究「旧社会主義 諸国における農村経済構造の変容」(1999-2001年度科研費)を進めている。筆者は研究代 表者および地域分担者(ハンガリー及びルーマニア)としてこの共同研究の運営に当たり、 研究報告書の編集(The New structure of the rural economy of post-communist countries, SRC, Hokkaido Univesity, 2001)、国際研究集会の開催(Transformation and diversification of rural society in Eastern Europe and Russia 北海道大学、2001年7月)などを行ってきた。この共 同研究での筆者の役割は社会主義後の農村社会における経済再編過程を、19世紀以来の歴 史的文脈で分析するという通時的な視点を提示することである。この通時的視点は研究領 域1)と重さなり合うものであり、とりわけ農村社会構造論(地域共同体論と地域指導者類 型論)という共通の問題関心が研究の背景にある。筆者はこの研究を通して、社会主義後 のハンガリーが一方で西欧的な政治・経済規範を導入しつつも、他方で、基層的社会構造 としては市民社会化ではなく階層分化の方向に向かって動いていることを明示した (Re-transformation of the co-operative farm and rural society in Hungary - Dual leadership of integration in agricultural production、2001年上記国際会議報告)。

2)EU東方拡大とハンガリー社会

東欧諸国は2004年から2007-08年をめどとしてEU加盟を実現するため、政治や経済に 関する広範な国内制度をEU基準に合わせて全面的に作り直している。EU基準は工業製品 規格や食品衛生基準などの非常に細かい経済的規範づくり、土地制度や通貨関税政策など の重要な国家的経済指針、国境管理や少数民族政策などの主要内務制度、原発の安全管理 や廃棄物処理など基本的環境政策、地方自治制度改革等々、国政のほとんどの分野に及ん でいる。このため欧州におけるEUの専門家はいずれかの分野に特化して研究を進めざるを えなくなっている。東欧各国でも状況は同じであり、EU加盟を総体として論じる研究は、 加盟是非論を別にすると、ほとんど見あたらない。つまりEU東方拡大が全体として東欧な いし西欧に何をもたらすかについては、必ずしも十分な研究や分析が行われていないので ある。

このためこれまの主要な論点は、如何にしたら「東欧の後進的現実」を「西欧的な規範」 に引き上げるかに収斂してきた。個別準備過程をいくら積み上げてみても、結局はEU拡大 により東欧が西欧の中に解消されるという結論にしかたどり着けない。焦点となりうるの はその過程がどの程度迅速に進むか、あるいは移行に伴う困難をどう処理するか、という 時間と量の問題に限られてしまう。しかし加盟交渉で明らかとなっているのは、東欧社会 と西欧社会の歴史的構造上のずれである。農業・土地問題はその典型であるが、地方自治 制度改革についても同じ事が言える。つまり長期的な歴史発展の結果として生まれた社会 制度についても、EU基準への転換が求められているのである。歴史的形成物を一方的に破 壊することは、長期的に見れば新たな歴史的葛藤の始まりである。

筆者はこうした社会構造的相違という視点からEU東方拡大問題をとらえ、加盟交渉に現 れた問題を通して、現代における東欧社会、そして西欧社会の歴史的特質を描き出すべく、 調査研究を進めている(松下国際財団研究助成1998-2000年)。(参照著作:「ハンガリーと EU加盟問題」林忠行編『東中欧地域国際関係の変動』、スラブ研究センター、1998年)。こ の研究課題は研究領域3)に関わるが、今後はこの研究を他の東欧諸国をも含む共同研究と して拡大し、比較研究を行いたいと考えている。

3)ハンガリー現代政治社会思想の研究

これは研究領域3)の第二の問題群に関わる研究である。つまり歴史の見直しに関わる研 究課題である。すなわち歴史の見直しは現実政治の場において、政治家が過去を恣意的、 かつ作為的に政治資源化し、国民を動員する「学問的」背景になっている。筆者はハンガ リーに具体例をとって、現代東欧の政治家がどのように歴史を語っているかを分析し、そ こから東欧の政治思想、ないし社会思想の特質を解明する作業を行っている。具体的には ハンガリーの現政権党である青年民主同盟が打ち出している新保守主義の分析である。こ の新保守主義は歴史主義と西欧志向の併存、地方主義と権威志向の混在といった二律背反 的な要素の結合によって特徴づけられる。なぜ青年民主同盟が一見すると矛盾に満ちた内 実を持つ新保守主義を標榜するに至ったのかが分析対象である。この新保守主義の系譜は 直接的には青年民主党指導者が学生時代を過ごした1980年代初頭から始まると考えられる が、系譜のさらなる源流をたどれば、戦前における人民派の運動にまで行き着くと思われ る。この研究課題ではこうした新保守主義とそれを取り巻く思想的環境を総合的に掘り起 こし、現代ハンガリー社会思想の歴史的位置づけを行いたいと考えている。(参照著作: Restoration of St. Istvan's Crown: Where is the Orban government of Hungary headed?, in Jan Sykora ed., A New Dialogue Between Central Europe and Japan: A Tension Between Continuity and Change, Charles University, Prague, 2001) 。

4.主要学術研究業績一覧

1)著作

(3)編著

2)学術論文

(1)単著

3)その他の業績

(2)書評


(4)その他

B) 共同研究活動

1.共同研究の企画と運営(代表者として)

1)科研費などの研究プロジェクト

(1)科研費、重点領域研究『スラブ・ユーラシアの変動』計画研究『地方政治と政治 文化』(平成7-9年)
(2)科研費、基盤研究A海外学術調査「旧ソ連東欧地域における農村経済の構造的変 容」(成11-13年)

2)学会などでのパネル組織

(1)国際シンポジウム「Transformation and Diversification of Rural Society in Eastern Europe and Russia」の企画と組織運営(平成13年7月11-14日、北海道大学)

3)その他の共同研究活動の企画と組織

(1)釧路市民交流セミナー「釧路から見たロシアと日本」の企画と組織運営(1996年)、 およびその報告集『釧路から見たロシアと日本』(スラブ研究センター、1997年)の編集
(2)国際シンポジウム『日露文化交流の懸け橋一ブブノワ姉妹と環黒海地域の平和一』 (1998年、モスクワ:ロシア科学アカデミースラブ学研究所との共同研究)の企画と組織
(3)国際ワークショップ「The New Structure of the Rural Economy of Post-Commmist Countries」の企画と組織運営(平成12年10月26-30日、チェコスロヴァキア)

2.共同研究への分担者としての参加

(1)林忠行研究代表「東中欧地域国際関係の変動」1996-97年度
(2)松里公孝研究代表「脱共産主義諸国におけるリージョン・サブリージョン政治」 1999-2001年度
(3)林忠行研究代表「東欧と中央ユーラシアにおける近代とネイション」2000-2003年 度

C)受賞など


なし
D)学歴と職歴


学歴
:1953年生まれ、1977年東京大学経済学部経済学科卒、1985年東京大学大学院経済研究科博士課程単位取得退学、1987年東京大学経済学博士号取得
職歴:1986年広島大学経済学部助手、1990年北海道大学スラブ研究センター助教授、1995年同教授


E)「私のスラブ研究センター点検評価」

1)センターの共同研究

センターの点検評価はセンターが研究所であることを考えるなら、個人研究を除けば、 共同研究のあり方が中心とならざるを得ない。センターが行っている共同研究は三つの型 に分類できる。第一はシンポジウム型共同研究であり、組織主体としてセンターの全体が 関わるが、最近はシンポジウムの主題設定から報告者の選定に至るまで組織担当者の企画 力に委ねられるようになっている。シンポジウム型共同研究は一回限りの研究報告集会の 開催で終了するため、持続的な研究課題には適さない。しかしこの型の共同研究は内外の 多くの研究者を統合できる点で優れており、センターが内外のスラブ地域研究全体に対し て行う貢献としては中心的な位置にある。実際、この10年余りの間にシンポジウム報告集 として蓄積された成果は、センターのスラブ地域研究に対する大きな寄与といえる。 第二の形態は科研費型共同研究である。組織主体は数名のセンター専任研究員であり、 通常、これ以外に数名のセンター外研究者が参加する。研究主題は地域特性(極東、東欧 など)や専門分野(政治、文学など)によって制約される場合が多いが、ある程度の持続 性を伴って共同研究が行われる。研究成果はセンターの研究報告シリーズであったり、商 業出版の形式を取ったり、多様である。数年前からセンターの冬季研究集会がこの種の共 同研究の成果を発表する場となっている。現在、センターの専任研究員が全体として最も 時間と労力を割いている共同研究はこの型である。この型の共同研究は科研費という予算 的な裏付けもあり、人選においても柔軟性があり、必要に応じて国際的な共同研究にも発 展させることが出来るため、今後もこの方式の共同研究がセンターにとって軸となると思 われる。

第三の共同研究の型はセンターの専任研究員全員が参加するものである。センターの場 合、この型の共同研究は立ち後れているといわざるを得ない。1995-1998年の重点領域研究 は規模が大きかったため、全員参加型の共同研究となったが、実際には第一と第二の型の 共同研究を積み重ねたものであった。全員参加という点ではある時期までのセンター主催 公開講座がその機会を提供していた。統一的な主題の下でセンター専任のほぼ全員がそれ ぞれの専門分野に関わって何かを語っていたからである。しかし公開講座は学術的研究成 果を発表する場ではないし、主題の選択に継続性があったわけでもない。

このように現在までのところ、センターは第一、第二の型の共同研究で大きな成果を上 げていると言えるが、全員参加型の共同研究の場が欠如している。過去においてもこの型 の共同研究は例外的でしがなかった。果たして、それでよいのだろうか。スラブ研究セン ターが地域研究を主旨とする学際的研究所である以上、人文科学から社会科学に至る総合 的な立場からスラブ地域の地域的特性を専任研究員が共同で問う作業を行うことも使命で はないかと考える。もちろん、センターは全体としてこの学術的目的に沿って活動を行っ ている、と言えるかもしれない。しかし明示的な研究成果としてそれを提示できなければ ならないのではないか。学際的な地域研究所に課せられたこの作業は、主題や専門、ある いは特定地域、さらには時間といった制約を持つ第一、第二型の共同研究の積み重ねだけ では遂行できないのではないか。すなわち、総括的な研究主題を全員参加型の共同研究と して行うにはそれにふさわしい独自の形式があると考えるのである。

独自の形式の第一は共同研究の持続性である。シンポジウム型や科研費型の場合、どう しても単年度ないしせいぜい3-4年という時間的な制約が課されてしまう。これに対してセ ンターの専任が中心となって行う共同研究の場合はこうした時間的制約から自由である。 第二の独自性は主題設定における柔軟性である。第一、第二の型の共同研究では短期的な 研究成果を求められるので、研究主題は具体的、個別的にならざるを得ない。これに対し て第三の型では長期的、かつ総合的な視野に立って、センターの独自性を発揮できる研究 主題を設定することが出来る。この二つの特性を踏まえるなら、例えば10年単位の長期的 な研究領域を設定し、その下で二年ないし三年単位ごとに短期的な研究課題を決め、専任 研究員はそれぞれの視点や手法で研究を行うという方法が可能である。長期研究課題とし ては、「スラブ地域とは何か」、「スラブ地域と社会主義」、「近代におけるスラブ世界」ある いは「変貌するスラブ世界」などを設定し、隔年ないし三年ごとに「都市と農村、富と貧 困」、「身分と階級、家族と職業」、「聖と俗、生と死」「性と世代」、「中央と地方、多数者と 少数者」、r帝国、民族、人民」、r戦争、権力、暴力」などの切り口にそって研究成果をま とめるのである。もちろん全員参加型だからと言って専任以外を全く排除する必要もなく、 その都度、主題の分析にとって欠かせないと思われるセンター外研究者を取り込むことは 必要でもある。また研究成果は叢書のような形で商業出版されても良いし、啓蒙版にして センターの公開講座用資源として活用することもできる。

2)大学院教育

a)副専攻:大学院教育については、地域研究所が大学院教育を行う以上、副専攻ないし 副学位制度を導入することが必要だと考える。まず第一に地域研究には確立された理論的 体系はなく、学際的であることが要件だが、それも必須というわけでもない。また大学自 身にスラブ地域研究関連の教育科目がほとんどない以上、スラブ地域研究という専門学位 を取ることの必然性や動機付けもあまり存在しない。つまり地域研究自身が、政治、経済、 文学、歴史、社会、民族などの専門的研究分野を基礎にして行われざるを得ないのである から、大学院教育においても、基礎となるのは専門的学問分野であり、地域研究所はそれ を側面から支えられるような制度を備えていなくてはならない、ということである。

副学位・副専攻制度はセンターの大学院教育が北海道大学という枠を越えて、広く全国、 そして海外にも開かれる事を意味する。この開放性はセンターが全国共同利用の研究所で あり、かつ日本で唯一の学際的なスラブ研究機関であることを念頭に置くなら、当然のこ とといえる。実際上も、鈴川基金制度や『スラヴ研究』の編集を通して、センターは実質 的に全国の若手研究者を教育する活動を行っている。副学位、副専攻はこうしたセンター の実績があるからこそ、初めて提案できる制度である。

もとより副専攻、副学位制度は地域研究についてだけでなく、例えば文学主専攻・教育 学副専攻、あるいは法律主専攻・経済副専攻など、既存の専門別大学院や学部でも検討さ れるべき事柄である。その意味では将来の大学教育や大学院教育全体の見直しの中で議論 される問題である。ただし制度的な改正は長期的な問題となるので、それまでの間は実質 的に副学位となるような認定をセンターなり文学研究科が与え、実績を積んでいけばよい のではないか。

スラブ研究センターが認定する副学位は博士論文に対する「スラブ地域研究副学位」で あり、その要件は、例えば、1.センターの教官の下で2単位以上の論文指導を受け、2.そ の後二年以内に論文が副学位論文として認定され、3.それは『スラヴ研究』に掲載される、 これらの3点などが考えられる。

b)拡大共同セミナー:今日の大学院教育は研究者だけでなく、高度な専門職業人の養成 にも携わらなければならない。その意味では大学院教育の中に、スラブ地域との関わりで 活躍している人材、ないしは指導的立場にある人物を取り込むことが必要である。拡大共 同セミナーは特定の主題の下に、通年、ないし一学期間、民間や官公庁、ないし産業界や 学界の各方面から講師を招いて連続講演会(5-10回)を行うという企画である。大学院生 はこのセミナーを通して地域研究が様々な分野で生かされている実情を知り、さらには研 究主題の設定や将来の進路設計に役立てることも出来る。またこうしたセミナーは専任が 行う研究活動の視野を広め、民間、官公庁、産業界の側にとっても大学との相互交流を系 統的に進める上で役に立つ。

このようなセミナーの主題としては、様々なものが考えられる。例えば、調査分析にお ける情報媒体(マスコミ、資料文献)、対スラブ地域外交の歴史と現在、スラブ地域の経済 と通商、スラブ地域における日本のNGO活動、日露関係と北海道、などをあげることが出 来る。またこうしたセミナーはセンターや文学研究科の大学院生だけでなく、広く北大や 北大以外の大学院生にも開放されるべきである。

このセミナーを授業として行うことは、講師資格の問題などがあり、現在の制度を前提 にすると困難であるかもしれない。さしあたってはセンター主催の講演会という形式をと り、将来に公式化(予算化)されることを目指せばよいのではないか。


F)専任研究員セミナーでの外部コメンテーターのコメント集

1996年度
「ハンザとハンジャ:南スロヴァキア割譲と協同組合の統合」(1996年5月13日開催)

「ハンザとハンジャ:ハンガリーによる南スロヴァキア併合と協同組合の統合」,『東欧史研究』,20:86-107(1998)として既刊
コメンテーター:長與進(早稲田大学政経学部〉

1997年度
「ハンガリーとEU加盟一社会統合の視点から」(1998年3月2日開催)

「ハンガリーとEU加盟問題」(林忠行編『東中欧地域国際関係の変動』,北海道大 学スラブ研究センター,79-99,1998)として既刊
コメンテーター:佐々木隆生(北海道大学経済学部)

EUの加盟国拡大については、一般にEUの現在から出発した問題設定がなされる。EU は an ever close runion among the peoples of Europe(マーストリヒト条約)として自己を規定 しているが、果たしてどこまで統合を深化させるのか、またどこまで拡大しうるのかは自 明ではないからである。また、不戦共同体なり、統合された市場という出発時の目的は、 既に「中年になったEU」(The Economist, May 31st, 1997)にとっては過去に確実に獲得され ており、新たなアジェンダ設定は常に緊張をもたらすからである。
加盟国拡大について言えば、おおよそ以下が主要な論点となる。(1)一体ヨーロッパ統 合の対象はどこまで広がるのか(もはやEUはカロリンガーの判図を越え、ラテン的キリス ト教世界を越え、そしてNATOの枠を越えている)、(2)中・東欧の加盟によって人口は30% 増加するがGDPは5%ほども増加しないが、このような低所得地域の加盟によるコスト増 加に耐えられるのか、あるいはコストを上回る利益は存在するのか、(3)拡大によって生 じる域内構造の多様性に対して、現存の制度は機能しうるのか、あるいは新たに機能しう る制度構築は可能か、これらである。ここで重要なのは、EUが単なる関税同盟や自由貿易 地域つまりティンバーゲンの言う「消極的統合」体ではなく、共通政策をはじめとする「積 極的統合」体であるという性格から問題が生じていることである。

家田報告は、ハンガリーのEU加盟問題をEU論の視角ではなく、加盟申請国ハンガリー の側から検討している貴重な研究である。そして、そこから、EUが最低条件として提示し たアキ・コミュノテールがハンガリーでは最終目標として捉えられるズレと、既に一定の 深化を遂げたEUの積極的統合(消極的統合ではなく)がハンガリー社会にとって参入障壁 となっていることがよく明らかにされ、加盟拡大後のEUの変容が予示されている。わけて も、地方自治、農業、民族問題への言及は非常に興味深いものであった。

家田報告は、ハンガリー社会とEUの問の障壁に焦点を当てる上で、統合を社会的側面で 把握する試みを行っている。それは、わけても長い間「社会主義体制」にあった諸国の加 盟に関して、ギリシャなどの「途上地域」と同様に、有効な切り口であるし、また必要と されるスキームであろう。だが、このスキームを活かすためにも、今後の研究の精緻化に あたっては、いくつかの留意が必要と思われる。第1に、家田報告はH.ケルブレ『一つの ヨ一口ッパヘの道』の欧州社会同質論を参照しながら、東欧が異質性を持つことを指摘し、 統合は社会面での同質性の確保に通じる変革・再編という課題を東欧に負わせていると述 べているが、こうした問題設定はケルブレの同質社会論の妥当性にあまりに依存すること になる。①既にEUがカロリンガーなりラテン的キリスト教社会という原加盟国6力国がも つ同質性なり共通性を超えて拡大していること、また②EUにおける統一された市民社会の 創出が国内地域間の人口流動性の低さや移民労働力の還流に見られるように困難であるこ と、さらに③欧州統合の深化についても拡大についても種々のイデオロギーと利益が複雑 に錯綜して推進されていることなどに留意し、そこからハンガリーのEU社会への独自の統 合を問題とすべきではないであろうか。そして、第2に、ケルブレを前提とするとしても、 同質性が何であり、ハンガリーの異質性は何であるのかが掘り下げて問われなければなら一 ない。無論、ケルブレの同質論が成立しないとすれば、「アキ・コミュノテール」がヨーロ ッパの何を体現して設定されているのかが明らかにされ、さらに参照基準を明確にした上 でのハンガリーの特殊性(単純に異質性を規定しえないとしても)がそれに対置される必 要があろう。また、第3に、同じく上の議論を前提とするとしても、統合の他の枠組み、 たとえば安全保障と統合の関係、経済統合それ自体などとの関係が明らかにされる必要が あろう。そうでなければ、なぜにハンガリ」がEU加盟を申請し、またEUは1993年のコ ペンハーゲン欧州理事会で拡大に踏み切ったのかが明らかにされないからである。また、 ハンガリーが加盟によって獲得するものと失うものを総体的に評価しえないであろう。

中・東欧の加盟は、おそらく南欧3力国の加盟にまさるとも劣らない影響をEUに与える であろう。だが、それを確かに展望する労作は余りに少ない。家田報告がフロンティアを 切り開く研究として結実することを期待している。

1998年度 「戦後日本の東欧史研究と東欧史像」(1998年12月7日開催)

未公刊
コメンテーター:栗生澤猛夫(北海道大学文学部)

本論文は、東欧概念の終焉が語られ始め、また新東欧論が打ち上げられるなどの昨今の 状況のなかで、著者が行った「政治体制や国際状況の変遷に左右されない東欧像の形成」 を求める試みである。

著者は戦後日本の東欧史研究の総括の部分で、それを1受身の東欧史、と2可能性とし ての東欧史の二つに分類している。この分類自体はかなり説得的に思われる。しかしたと えば、受身の東欧史という場合、著者はこれを「隣接文化圏からの影響に基づいて特徴づけ ていく東欧史像」ととらえて、ビザンツ文化をとくにとりあげているが、鳥山氏が受身の東 欧史といった場合、むしろ隣接諸大国の圧力のゆえに自らの歴史を形成しえなかった東欧 のことを念頭に置いていたように思われるが、いかがであろうか。 また著者は、梅田編『東欧史』が東欧に対するビザンツの影響を無視するあまり、東欧 近世像が非常に暗いものになったことを指摘して、梅田を批判するが、東欧近世像が暗い ものになるのは、何も梅田編『東欧史』に限らず、一般的な現象のように思われるし、か りにそれが梅田編『東欧史』に限られていたとしても、それは梅田がビザンツを重視した からであるとは思われない。

次に、本論文の主要部「類型的個性としての東欧史:統一的な東欧像は可能か」につい て。著者はこの節で、いわばこれまでの東欧史研究がやってこなかったこと、すなわち東 欧を統一的にとらえるためのメルクマールの提示を積極的に行おうとしている。その意味 で本節はさらに一層の展開が必要であるとしても、学界に対する大きな貢献であるといえ る。問題は著者の見解が妥当であるかどうかである。
著者が最初にあげるメルクマールは、東欧ではキリスト教が支配の妥当性を保証するも のとして受容されたということである。これは東欧ではキリスト教がある時期に、上から、 つまり新生間もない国家権力の手によって強制的に導入されたということを思えば、ある 程度納得の行く点である。しかしこの点をもって東欧を統一的に把握する特徴と言えるか といえば、いささか疑問である。

そもそもキリスト教には本来的に支配の正当性を保証するという側面があり、それは西 ヨーロッパでも例外ではなかった(ローマ帝国でキリスト教が公認、国境化された後の性 格の変化を思うべきである)ということがまずあげられる。次に、キリスト教の東欧地域 への導入は、当時の状況から考えるならば、ほとんど必然的なもので、そこには東欧諸国 の文明化という意味もあった。つまりキリスト教には支配の正当性を保証するという意味 もあったけれども、むしろキリスト教とともに東欧諸国が文明化したという意味の方が強 かったのである。キリスト教を支配の正当性という側面からのみ見ることは、事の本質を 歪めることになると考えられる。さらに東欧のキリスト教が支配の正当性を保証したとい うとき、そのことで東欧の社会が具体的に一体どのような特徴を帯びるにいたったのかに ついて、著者は明らかにしていないことも問題と考える。

著者があげる第二のメルクマールは均分相続の慣行である。これについては以下に二つ の疑問をあげておく。まず、均分相続は東欧に固有の慣行といえるのか。東欧に限定され ない一般的な慣行とはいえないか。次に、いずれにせよ、一子相続といい、均分相続とい い、これは貴族や土地所有者に関わることで、国民の大多数を占める農奴身分には関係が ないと思われる。そうなると社会全般を規定する要因とはいえないのではないか。

第三のメルクマールは東欧史の担い手としての地方名望家である。いま地方名望家を貴 族と言い換えることができるとするならば、近年西欧史研究において、絶対主義時代にお ける貴族層の役割を再評価しようとする傾向が目立ってきている。つまり、絶対主義とい っても伝統的社会の要素(貴族もその一つである)を完全に払拭していたわけではないと いうことである。このように西欧史では貴族の存在を重視する傾向が出てきているといえ るが、著者の試みはこれを東欧史でもやろうということのようにみえる。はたしてそれは 妥当であろうか。すなわち、東欧史では、外来民族による支配が強まってくるなかで、土 着の地方名望家層の勢力はふるわなかったと思われるのだが、どうであろうか。地域によ って異なっているのではないか。いずれにせよ、近代までの歴史において地方名望家を「歴 史の担い手」とすることができるのは、むしろ西欧においてではないのか。

1999年度
海外研修のため中止

2000年度
「政治変動後のルーマニアにおける農家経営一コヴァスナ県における事例調査をもとに 一」(2000年7月4日開催)

『スラブ研究センター研究報告シリーズ』,79:23-62(2001)に既刊
コメンテーター:長南史男(北海道大学農学研究科)

2001年度
「Re-transhmation of the co-opearative farm and rural society in Hungary -Dual leadership of integration in agricultural production-」(2001年7月6日開催)
コメンテーター:坂下明彦(北海道大学農学研究科)

  1. 全体としてハイレベルの農業、商品流通のもとでの改革の第二ステージ 「政治的変動後のハンガリーにおける農業協同組合」(第一ステージ)からの変化の導因 は?どこまで進むのか(ex.北部地域)

  2. 前半部の家族農場P、法人農場Cの粗生産額上位グループの集積率を指標とした Leadership of integrationの4つのタイプの仮説
    指標の問題 図5-6(家族農場) 図11-12(法人農場)

  3. P.11 peasantleadershipがintegrationにおいて最も重要なファクターであるということ の意味 - 地域社会との関連

  4. 協同組合は農業組合ではなく農村協同組合
    農業・アグリビジネス・非アグリビジネス それぞれの改革の内実の違いは?
    農業部門は簡単に進まない - 土地利用型大規模複合経営(畜産と飼料基盤)
    むしろ加工・製造部門から

  5. 競争的リーダーと権威主義的リーダー、どちらが地域社会(共同体?)に親和的なのか。
    地域社会の意味。推進派と保守?派社会主義下での企業年金(リタイア一層)が協同 組合改革を規定する要素

  6. 中国との比較