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Name
ARAI Yukiyasu

氏名
荒井 幸康
所属
スラブ研究センター
職名
COE研究員
学位
博士(学術)
現在の専門
モンゴル諸族の近現代史、ソヴィエト言語政策史、社会言語学(言語政策論、言語 イデオロギー論、消滅の危機にある言語に関する議論)

研究内容 研究・教育歴 研究業績

研究内容

これまで1920年代から1940年代までソヴィエト連邦内のモンゴル系諸族(ブリヤート、カルムイク)およ びソヴィエトの衛星国であったモンゴル人民共和国において行われたそれぞれの地域での言語政策およびその相関関係を考察してきた。
博士論文『言語の統合と分離』では、モンゴル文字という一つの文字によって緩やかに束ねられていたカルムイク、ブリヤートとモンゴル国のモンゴルが 1920年代からソヴィエトで始まる「言語建設」の動きの中でそれぞれの地域での差異を明確化させ、言語あるいは方言という規定が曖昧であったそれぞれの 地域で話されていたことばを「言語」に収斂させてゆくプロセスを –はなはだ不完全な形ではあるが- 行った。
よって、博士論文で扱った時期のことに関しても多くの課題が残されている。今後はそのような課題を一つ一つ考察して議論をすすめていくと同時に、以下の4 つの事柄に関しても

1,ブリヤート人やカルムイク人のインテリ層の形成について、また、彼らの思想に影響を及ぼしたロシア内外の 思想の流れについて。
 1920-1940年代のモンゴル諸族における言語政策を用意した一要素としてインテリ層の形成は非常に重要なものであると考える。インテリの形成に及 ぼしたロシア人の影響はもちろんであるが、少数民族同士の相互の影響関係も視野に入れたいと考えている。また、フィンランドの学者(古くはカステレン、新 しくはラムステッドなど)とも関係が深いのでその影響に関しても考察してゆきたいと考えている。

2,内モンゴルの言語政策への影響
1920-1940年代のモンゴル諸語の言語政策は1950年代中華人民共和国の内モンゴル自治区にも大きな影響があった。中国語(漢語)の言語改革思想 や日本の言語政策の試みなどの影響も複雑に絡まった内モンゴルにおける1950年代の言語政策を検討したいと考える。

3,現代的な言語学導入以前のモンゴル人の言語観について。
 特に仏教が大きな影響を果たしていると見られる。モンゴルや内モンゴルにおける特にチベット語でなされたモンゴル人の哲学や文学的な著作に関する研究を 頼りに、その後のモンゴルの言語観に残されているもの、変化したものに関する考察をしたい。

4,消滅の危機にある言語としてのモンゴル諸語について。
 ブリヤートやカルムイクといったロシアのモンゴル系民族の住む地域に足を踏み入れて感じるのは、それらの言語の話者が実数としても能力としても衰退しつ つあることである。このような現象の進む先は消滅である。この現象をくい止める何らかの手だてはないか言語政策論の一つとして考察し、さらにできる範囲で の実践を行うことを考えている。


研究・教育歴

研究歴
  • 1989年4月-1994年3月 大阪外国語大学外国語学部モンゴル語科

  • 1997年4月-1999年3月 一橋大学言語社会研究科修士課程

  • 1999年4月-2004年3月 同 博士後期課程

教育歴
  • 1992年8月-1993年8月 ウランバートル市立第23特別中学校教諭(モンゴル国)

  • 1995年9月-1997年4月 国立イルクーツク外国語教育大学講師 (ロシア連邦)

  • 2004年7月-2005年3月 モンゴル発展調査センター 客員研究員(モンゴル国)

  • 2004年9月-2005年3月 国立モンゴル大学 非常勤講師(モンゴル国)

  • 2005年4月 現職

研究業績

論文
  • Мультикультурализм в Японии - взгляд японца(日本の多文化主義 日本人の目から) Проблемы  поликультурного образования Махчкала (『多文化教育の諸問題』 マハチカラ), 2001, 29-35頁

  • 「1920年代のカルムィクのことば」 『日本モンゴル学会紀要』第32号, 2002年, 13-27頁 

  • 「ブリヤート、カルムィクの文学について」 『モンゴル文学への誘い』 明石書店, 2003年,237-247頁

  • Б.Я. Владимирцов монгол хэл болон халимаг хэлийг латинчлах явдлыг юу гэж бодож байсан бэ? (B.Ya. ウラジミールツォフはモンゴル語とカルムイク語をラテン文字化することをどう考えていたのか?)『MONGOLICA』Vol.14 (35) Ulaanbaatar, 2004,21-23頁

  • 「ソヴィエトにおける言語の「土着化」政策に関して」 『一橋研究』2004年 79-90頁

  • 「モンゴルの外国語教育の歴史を振り返る」 『多言語社会研究会年報』第二号 2004 42-48頁

  • 「1930年代のカルムイクにおける言語政策」 『日本モンゴル学会紀要』第35号、 2005年

単著(編)
  • International and External Factors on Economic Cooperation and Development in Mongolia and Northeast Asia, Ulaanbaatar, 2005

翻訳
  • アレクセイ・バラカエフ 「三つの絵」 (カルムィク語より日本語)『モンゴル文学への誘い』所収  『モンゴル文学への誘い』 明石書店 2003年 141-175頁

  • アイサ・ニコラエヴナ・ビトケーエヴァ 「カルムイク語その過去と未来」(カルムィク語より日本語) インターネット上での公開
    http://www.tooyoo.l.u-tokyo.ac.jp/~kmatsum/tagengo/
コラム
  • モンゴルの文字使用の歴史 『モンゴル文学への誘い』 明石書店 2003年 70-72頁

  • ことばというパスポート41 カルムイク語 『言語』 大修館書店 2004年5月号 90-94頁

書評
  • Алексеева,П.Э. Станица граббевская(ⅩⅦ век - декабрь 1943 г.) Элиста 1997  『日本モンゴル学会紀要』第33号 2003, 79-82頁
その他
  • Language Market for minority languages Language and Society on the threshold of the new millennium Result and Prospects Moscow, 2001 217-218頁

  • Одно мнение о возрождении языка меньшеств Буддизм в контексте исотрии идеологии и культуры Центральной и Восточной Азии Улан-Удэ, 2003, 187-189頁



他 -受賞歴、国際会議発表、等-

  • 2000年10月8日 Барадин и его взгляд на языковое образование(バラーディンと言語教育思想) 民族教育学会 於ロシア連邦カルムィク共和国エリスタ市

  • 2002年2月8日 Барадин и Латинский алфавит(バラーディンとラテン文字) サンジェーエフ生誕100周年記念会議 於ロシア連邦ブリヤート共和国ウランウデ市

  • 2002年5月23日 Транскрипция и письменность - письменная реформа калмыков в 1920-х годах-(転写と文字 ~1920年代におけるカルムィク人の文字改革~)アユーキハーン生誕330周年記念国際会議 於ロシア連邦カルムィキア共和国エリスタ市

  • 2002年8月9日 Attitude of Vladimirtsov toward latinization of Mongolian and Kalmykian language 国際モンゴル学学者会議 於ウランバートル

  • 2004年12月10日 『言語』の統合と分離:1920年から1940年にかけてのソ連とモンゴルに おけるモンゴル語政策間の関係 第2回国際若手研究者ワークショップ於北海道大学スラブ研究センター 



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