ITP International Training Program



ICCEESストックホルム大会の印象

乗松 亨平

(東京大学、ITP第1期フェロー)[→プロフィール



  ICCEESストックホルム大会について、私的な印象を二、三記したい。


  私は個人発表でエントリーしたが、組織委員会の工夫で、19世紀コーカサスを扱うペーパーばかり集めたパネルを組んでいただけた。結果的には、4人の発表予定者のうちロシア人2名は現れず(キャンセルの出ないパネルはわずかという有様だった)、青島陽子さんと私だけになったが、専門的関心をもった聴衆が集まり、突っ込んだ指摘を受けることができた。やはり、テーマに凝集性の高いパネルのほうが、聴く側として足を運びやすいのは確実で、自分も今後、国際学会へのパネル・エントリーを実現できるよう努めたい。また、場をみごとに切り盛りしていただいた、司会のオザン・アルスラン氏に感謝申しあげる。


  大会の全体テーマが「ユーラシア」だったこともあって、ロシアにおけるアジア問題を掲げたパネルが目立ち、私もそれらを中心に足を運んだ。分野としては「文化史」に入る発表が多く、私の専門である文学プロパーの発表にはあまり立ち会えなかった。いろいろと勉強させていただいた一方、これらの主題と分野の難しさを感じもした。


  まず、ロシア文化におけるアジア問題については、議論がどうしても、ある対象が帝国主義的・差別的であったか否か、という点に収斂しがちである。むろん、善玉/悪玉の二分法ではない繊細な議論や、ジェンダーなどの別要素を組み込む工夫はなされているが、しばしば屋上屋をかける感のあることは否めなかった。


  次に「文化史」については、会場で交わしたいくつかのやりとりが心に残った。私は自分の発表で、コーカサスにおける改宗というモチーフを扱ったマイナーな文学作品を論じたのだが、発表後、東京大学の沼野充義先生から、芸術的価値が高いとはいえない作品をとりあげる意義について問いかけをいただいた。そのあと、以前にスラブ研究センターの国際シンポジウムでお会いした、カーチャ・ホカンソン氏(ロシア文学におけるアジア問題の代表的論者のひとり)と雑談した際にも、同じことが話題になった。氏は今回、ロシアの女性作家の中央アジア旅行記について発表されたのだが、やはり芸術的価値という点では評価のない対象である。しばらく前までであれば、いわゆる二流・三流作家を文学研究でとりあげるのは、一流作家の活動の背景を探るためであったといえるだろう。しかし、近年の「文化史」的潮流においては、一流と二流・三流といった区別、つまりは「芸術的価値」や「美」が、問題にされなくなっているように感じる。文学作品は新聞記事や一般人の手記と同様の歴史的資料と化し、違いがあるとしたらその受容と影響によってでしかない。ホカンソン氏とお話ししたのは、このような流れに棹差すことへのためらいであった。「文化史」や「言説史」のなかに「美」「芸術」の場所をいかに見出していくか、という個人的課題を確認した大会となった。


[Update 10.09.07]




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