スラブ研究センターニュース 季刊2007年秋号 No.111 index

ルースキー島訪問記

片山博文(桜美林大学)

 

開放的な港町・ウラジオストク

まだまだ暑さの残る9月9日、私はスラ研のみなさんと一緒に6人で新潟空港からウラジ オストクへと飛び立った。「環オホーツク海の開発と環境」に関する調査プロジェクトのため である。

実は私にとって、ウラジオストクは初めての訪問であった。正直いうと、仕事はもちろん 別として、町自体の魅力という点で、行く前はあまりウラジオに期待していなかったのであ るが、到着の翌日、夜が明けてウラジオストクの市街を歩くと、港町の開放的な雰囲気に心 が異様にはずむのを感じた。

おそらくこの気持ちの一端は、私が前日までモンゴルに居たことと関係しているかもしれ ない。私の在職している桜美林大学には、アジア・ウインド・リングという風車サークルが あり、毎年モンゴルの孤児院に風車と太陽光パネルを贈っている。私はその顧問をしている ので、この夏も学生さんたちと一緒にウランバートルに行ってきたのである。モンゴルの草 原は素晴らしいし、人々のもてなしも本当にうれしかったのだが、草原の果てしなさは、ど こか「閉ざされた感じ」を自分に 与えていたようだ。ウラジオスト クに来て、町の一角が海に開かれ ているということがこれほど自由 な感じを与えるのだということを、 私は初めて知ったのだった。

ルースキー島からの眺め
ルースキー島からの眺め

実際、ウラジオストクの町は、 それほど悪くない。大通りにはヨー ロッパ調の建物が連なっていて景 観もなかなか素敵だし、私たちの 泊まったホテル「プリモーリエ」 から港に面したウラジオストク駅 に出るまでの道にはちょっと路地 的な雰囲気があり、起伏のある地 形のために坂やカーブが多く、すこし歩いてアムール湾沿いの海岸通りも魅力的だ。運転手 のおじさんが極東技術大学の裏手から連れて行ってくれた鷲の巣展望台から町を一望すると、 海と山と建物と軍艦が複雑なシルエットをつくっている。それに、いまロシアや中央アジア の大都市はどこも自動車の大気汚染がひどいが(ウランバートルもひどかった)、ウラジオス トクの大気は思ったよりきれいであった。これはおそらく、ウラジオの自動車のほとんどが 日本製であるためだろう。

ロシアはヨーロッパか、というのは、いわゆる西欧派とスラブ派の対立以来ロシアの永遠 のテーマだけれど、私は、ヨーロッパとアジアを分ける決定的な違いは、「アメニティ感覚」 (景観や街並みを大事にする心)があるかないかだと思っている。その意味では、少なくとも いまのロシアは、私にとってあまりヨーロッパ的ではない。しかし、ロシアではあまり感じ ることのないヨーロッパ的な「アメニティ感覚」のにおいを、このウラジオストクでは感じ るのだ。これでもうちょっと整備したら、まちづくりの努力があったら、日本人にとって長 崎のような観光地になるのに、と思わずにいられなかった。

禁断の島? ルースキー島へ

ところがウラジオストクはいま、大開 発のときを迎えている。街中でちらほら 見かけたのが、2012 年のウラジオストク APEC と2014 年のソチ・オリンピックの 看板である。とくにAPEC の首脳会談が 行なわれるウラジオ対岸のルースキー島 (ロシア島)は、これから大規模な開発が 予定されている島である。ここはもとも と対日戦争の要塞で、いまでも島のウラ ジオと反対側には海軍基地があるそうだ が、APEC の開催に向けて、高級ホテル、 ビジネスセンター、遊園地、高級住宅、 ゴルフクラブなどが建設され、ウラジオ との間に大きな橋もかけられて、一大リゾートセンターに変貌するという。

APECの看板
APECの看板

そこでわれわれ一行は、開発される前のルースキー島をぜひ見ておこうという話になった。 ウラジオから島までは連絡船が行 き来しているが、海軍基地がある ので外国人が島へ行くには許可が 必要なのではと誰かがいう。どう したらよいのか? まあとりあえ ず行ってみようという話になった。

連絡船は片道25 ルーブル、時間 は40 分くらいである。島に到着し 桟橋を降りると、愛想のいい怪し いおじさんがやってくる。聞くと 島のエクスカーションを1200 ルー ブルでどうだという。一人1200 か と思うとそうではなく6人全員で 1200 ルーブルである。これはけっ こう安い。最初はちょっと近辺をうろうろして次の船で帰るつもりだったわれわれも、渡り に舟とおじさんの提案に乗ることにする。

おじさんのクルマに乗せられ、島の未舗装の道路を走り出したが、林の中を通るばかりで 時おりちょっと家がある以外は確かに何もない。途中、コルホーズの跡があったが現在では 全く閉鎖されているようだ。ところが水を買うためにキヨスクで降りるとまた別のおじさん が近寄ってきてバーベキューやらないかという。美味しいホタテがあるそうだ。結局その場 はお断りし、エクスカーションのおじさんに、まず大きな砲台のある丘に連れて行かれる。 この砲身は回転できるのか、周りは山に囲まれているのに、どうやって日本海軍を攻撃した のだろうなどとみんなで議論しながら、またクルマに乗り込むと、ただでさえ狭い林の中の 道から、さらにクルマ一台がやっと通れるかどうかという道なき道を進んでいく。だいじょ うぶなのか、と不安に思っていたが、たどり着いたのは島のたぶん頂上付近の高台であった。

砲台
砲台

ここには要塞の壁が道のようにずっと続いており、その上に立って見渡すと周りの海や島々 が一望できる素晴らしい景色である。急に視界の開けたその景色が、本当に素晴らしいのだ。 写真だけではその感動が伝えられず、もどかしい気持ちである。われわれ一行はみんな、日 本人でこの景色を見た人はそうはいないよねとか、この景色が今回の調査の最大の収穫だと か、この景色が開発で失われるのは残念だとか、APEC のときには各国首脳はみんなこの要 塞に並んで立って記念写真をとればいいのに、などと口々にその素晴らしさを讃えている。 田畑先生の持っていた地図をみながら、隣にあるポポフ島や他の島の砂州を確認する。荒井 先生は、おじさんにくっついて壁の下にある要塞を探検している。山村先生は植物観察に余 念がない。そのあと、島の教会に行って自給自足のために飼っていると思われるヤギとたわ むれ、海辺に行って海の家みたいなところでバーベキューのシャシリクで一杯やり、おじさ んに別れを告げてわれわれ一行は満足のうちにルースキー島を後にしたのだった。

だいじょうぶか? 水上原子力発電所

このように充実したルースキー島訪問であったが、島にはインフラと呼べるようなものは ほとんどなく、一大リゾート建設はホントに5年後のAPEC に間に合うのか、という危惧を 抱かざるを得なかった。

ルースキー島開発計画の中で、現在私が最も興味を持っているのは、水上原子力発電所の 建設である。最初聞いたときには耳を疑ったが、実はもうすでに今年の4月、白海のセヴェ ロドヴィンスクで第1号の建設が始まっている。本年度の建設費はおよそ26 億ルーブル、 2010 年5月の完成予定である。発電量70 メガワットに300 メガワットの熱供給が可能で、 20 万人の電力をまかなうことができ、また海水の淡水化も行なうことができるという。水上 原発のエネルギー原価は、石炭のみを利用している地域に比べると2分の1から3分の1と 安価である。その建設費は総額で2億ドルとも3億ドルともいわれているが、11 ~ 12 年で 元がとれるとされている。予定稼動期間は40 年である。

水上原子力発電所は、エネルギー不足地域での広範な利用が見込まれており、とくにロシ アの極北地域のように、発達したエネルギーシステムが欠如している地域に独立した安定的 な電力を供給するのに適しているとされ、今後7基の建設が予定されている。また海水の淡 水化もできるとあって、ロシア国内のみならず、中国、インドネシア、マレーシアなど現在 15 の国が関心を示しているという。

なるほど確かにこんな発電所ができればルースキー島の電力・水供給の問題は解決するか もしれないが、水上原子力発電所は本当に安全なのだろうか? ロスエネルゴアトムのセル ゲイ・オボゾフ氏はその信頼性をカラシニコフ自動小銃に比肩しうると述べ、またロスアト ムのセルゲイ・キリエンコ氏は、「水上のチェルノブイリは起こらない。初の水上原子力発 電所の安全性は、ソ連・ロシアの原子力砕氷船の長年の経験が保証している」と豪語してい る。確かに、原子力潜水艦が動いていることを思えば水上原発もありうる話かもしれないが、 2000 年のクルスク爆発・沈没事故で明らかになったように、原子力潜水艦も何度も沈没事故 を起こしている。アメリカでも同様の水上原発開発計画が1980 年代にあったが、環境団体の 反対で断念したと聞く。もともとウラジオストクには多数の原潜や退役原潜があるといわれ ているが、放射能汚染の懸念材料がまたひとつ増えるわけで、日本にとってもその影響は無 視できない。まさかの場合に備えた体制作りを行なうべきであろう。


今回の調査の結論―みなさん、ぜひ開発される前のルースキー島に行ってみましょう。例 のエクスカーションのおじさんの連絡先は、山村先生が知っていますよ。

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