スラブ研究センターニュース 季刊 2008 年冬号 No.112 index

学界短信


JCREES 日本代表より

松里公孝(センター)

 

木村汎先生の後をついでJCREES の日本代表となり、2005 年のベルリン大会でICCEES の 執行委員となってはや2年半たった。といってもそのうち2年近くはSRC のセンター長との 兼任なわけで、JCREES、ICCEES のいずれについても十分に働けているとは思わない。それ でもアカウンタビリティーのために一応の報告をしたい。

韓国、中国のICCEES 加盟問題

ICCEES の最大の問題点は、世界組織を自称しながら活動もリーダーシップも欧州に偏っ ていることである。アジアからの執行委員会への代表は私一人であり、中国はICCEES に 参加しておらず、韓国は事実上関係を凍結していた。5年に1回のICCEES の世界大会は、 1985 年にワシントンDC でおこなわれたのを最後に、以後、欧州に開催地を独占されている。 最大組織であるAAASS は、ICCEES を若干見下しているようなところがあり、その発展に あまり熱心ではない。

韓国においては、日本にもゆかりの深いハ・ヨンチュル・ソウル大学教授らが中心となっ て1985 年にKASS(韓国スラブ研究協会)を旗揚げしていた。ところがペレストロイカの末 期、ソ連とのコンタクトが何かと珍重された時代、KIIS(韓国国際関係研究機構)という組 織がICCEES のカウンシルメンバーになった。ハ・ヨンチュル教授らは、この組織はロシア 語も読めない国際政治学者の集まりで、地域研究の世界組織であるICCEES には加盟資格が ないと主張したがICCEES 執行部は受け入れなかった。実際、KIIS はその後雲散霧消したよ うだが、ICCEES の執行部は、韓国にはあい争う2組織があると思い込んでしまった。こう してICCEES とKASS の関係は途切れてしまい、KASS は加盟費をICCEES に納入するのを 止め、ICCEES の世界大会にもほとんど参加しなくなった。

私もKIIS が実体のない組織だということを知らなかったので、両組織の間を取り持ち、 統一代表を選んでもらうつもりで、昨年9月に訪韓した。驚いたことに、現在(昨年)の KASS の執行部は、KIIS という組織が歴史的に存在したことも知らず、私の依頼を受けて一 生懸命探したが、その代表者の名前もオフィスの住所も知ることができなかった。要するに ICCEES の韓国認識は全く誤っていたのである。KASS は加盟金の納入を再開し、この7月に ストックホルムでおこなわれるICCEES の執行委員会に代表を派遣して韓国の状況について 説明する予定である。私は、KASS がICCEES との関係を修復した以上、また韓国がスラブ・ ユーラシア研究者の数(約400 名)においてブリテン並みであることを考慮すれば、当然、 ICCEES 執行委員会に韓国代表が入るべきだと思う。

ICCEES と中国との関係はより複雑である。中国のナショナル・センターである CASREECA(全中国ロシア東欧中央アジア研究協会)は、個人が会費を払って加盟す る組織ではなく、中国のスラブ研究機関、大学講座が組織として加盟する組織だからで ある。ICCEES は、CASREECA は研究者の社会団体ではなく半国家団体だとみなして、 CASREECA の加盟希望をまともに取り扱ってこなかった。しかし、このような見方をすれば、 日本の地域研究コンソーシアムも半国家団体ということになってしまう。CASREECA に言 わせれば、AAASS のような組織形態をとりたいのはやまやまだが、そうすれば1年に1度 コンヴェンションを開かなければならなくなる、中国の研究者はまだそのような経済状況に はないとのことである。いずれにせよ、CASREECA の執行部は、自分たちが社会団体であ るということを確信しているので、ICCEES 会長であるジョン・エルスワース教授の求めに 応じてCASREECA の活動を説明する書簡をすでに提出し、7月のストックホルム執行委員 会にも、韓国代表とともにオブザーバー参加する予定である。

ICCEES 世界大会招聘問題

これについては昨年秋にJCREES 加盟4団体の年次大会を私が回って説明したので、概要 をご存知の方も多いだろう。ICCEES の世界大会開催地は、1990 年にハロゲイト、1995 年に ワルシャワ、2000 年にタンペレ、2005 年にベルリン、2010 年にストックホルムという形で、 すでに5回、25 年間、欧州に独占されている。2015 年にはフランスのリヨンが立候補してい るが、日本も立候補すべきであるというのが私の見解である。

世界大会開催地が欧州に独占されていることの必然的結果は、大会の視野のローカル化と 水準の低下である。2000 年のタンペレ大会が欧州拡大をテーマにしたのは悪くなかった。し かし2005 年のベルリン大会が同じテーマを掲げたのはすでに笑い話である。実際、企業に寄 付金を集めに行くと、「うちではとっくに東欧に工場を建てて生産してますよ。欧州拡大な んて、いまさら何言ってるの」と失笑を買うことがしばしばだったようである。2010 年のス トックホルム大会がまたしても同じテーマでおこなわれるに至っては、いったいどう表現し たらよいのか。毎回、バルト海の北岸と南岸で開催地をキャッチボールしている結果として、 ICCEES の世界大会では、大学院のゼミ水準のパネル、出国ソ連人の同窓会のようなパネル が多々ある。これがアメリカ人がICCEES を馬鹿にして、大会のために大西洋を渡ろうとし ない理由である。

欧州以外の国が世界大会を招請することが、このような危機的状況を打開する上で有益だ という認識は、ICCEES の執行部に共有されている。2015 年の世界大会を招聘しているフラ ンス人執行委員(フランスにはスラブ研究のナショナルセンターがないので、フランス代表 ではない)自身、日本が立候補したら自分は直ちに降参するよと言っている。

しかし、日本が立候補するとすれば、最大の問題は、これまでの参加実績、国際貢献度が 低いことである。ベルリン大会で日本人が組織したパネルは10 程度でしかなかった。フラン ス人は30 組織している。これは、日仏のスラブ研究の水準を比べればパラドックスである。(フ ランスにとっては)隣の国で開催されて安いから多くの人が参加し、(日本にとっては)欧州 で開催されて高いからわずかしか参加しないというわけではないと考えられる。

私としては、このような状況をストックホルムで変えない限り、2015 年世界大会を日本に 呼ぶ正当性は得られないと思う。日本から国際学会への参加数を伸ばす上で最大の障害になっ ているのは語学力ではなく、日本の学会の年次大会の独特の形式である。日本では、共通論 題と称するものの組織権が学会の指導部に握られており、若手研究者は自由論題という形で 個人的にしか報告できない。これは、学会の大会で報告するためにはパネルを組織しなけれ ばならない国外との決定的な違いである。

この学会大会の組織形態は、まず業績発表効率を著しく下げている。共通論題なるもので 異常に時間をとる上に、1時間で1本しか発表できない自由論題なるものもまたパネル方式 の3分の2の発表効率しかない。こんにち生活が決して楽ではない若手研究者が複数の学会 をかけもちせざるを得ない理由のひとつは、ひとつの学会から得られる発表機会が乏しいか らである。もっと深刻なのは、個人的にしか発表できないことが、「誠実に研究しているが、 自分の研究をより広い学問的な文脈の中に位置づけることができない」という、日本の文系 研究者がしばしば指摘される弱点の理由のひとつであると考えられることである。パネルを 組織するとなれば、たとえばウクライナ、コーカサス、トルコの研究者が協力して、「環黒海」 というひとつ上位のコンセプトで自分の研究を打ち出さなければならない。このような努力 を毎年求められない日本の研究者は不幸である。

断っておくが、私は欧米化主義者ではない。日本のスラブ・ユーラシア研究が国際競争に 勝つためには日本風のスパイスが効いていなければならないと考えている。しかし、日本の 学会大会の形式だけはこの例外であり、百害あって一利ない。こんなものとは一刻も早くお さらばして、国際標準・パネル方式に移った方がいい(もちろんこれは、松里の個人的見解 であり、JCREES の意見ではない)。

通常、ICCEES の世界大会では400 パネル、1200 ペーパーが組織されている。AAASS のパ ネル数が250 強だから、この数は明らかに多すぎである、量が多すぎて水準低下をもたらし ているという問題は脇に置いて、もし極東で世界大会を開催するとなれば、経済的な理由か ら伝統的な参加者は半減するだろう。つまり、200 パネル、600 ペーパーとなるのである。こ れをアジア、オセアニア、アメリカ西海岸からの新規参加者、100 パネル、300 ペーパーで補 填することができれば、その大会は、規模が通常の4分の3だったとしても、成功とみなさ れるだろう。

東アジア研究者コミュニティの欠如

中韓のICCEES 加盟問題からも、ICCEES 世界大会のアジアへの招致問題からも、我々は、 東アジアにおけるスラブ・ユーラシア研究者コミュニティが存在していないことが諸悪の根 源であるという結論にたどり着く。実際、アメリカ・カナダ・ブリテンも、欧州も、旧ソ連 圏も、国の枠を超えるローカル・コミュニティを持っている。それがないのは東アジアだけ である。このことが東アジアのスラブ・ユーラシア研究者の国際競争力を著しく削いでいる。 たとえば30 歳代研究者の国際的プロモートという一点をとっても、前田弘毅、大串敦、長縄 宣博、赤尾光春、佐藤圭史、青島陽子といった水準の研究者ならば、AAASS の大会に行っ て当たり前のように報告すればよい。しかし「うちの大学院では非常に優秀」程度の若手研 究者をいきなりAAASS に送れるだろうか。やはりアジアで英語で発表する訓練をつむべき ではなかろうか。欧州にはそのような中間階梯があるが、東アジアにはない。

このように、東アジアのスラブ・ユーラシア研究者には、中韓のスラブ学会のICCEES へ の加盟・代表権問題、2010 年ストックホルム大会での共同パネルの組織、2015 年世界大会の 東アジアへの招致、若手中心の東アジア・コンフェレンスの開催といった共通・焦眉の課題 がある。

スラブ研究センターは、北海道大学から資金援助を得て、2月21 ~ 22 日に、ソウル大学 ロシア東欧ユーラシア研究所との共催で国際シンポジウム「ロシア再興のユーラシア、北東 アジアへのインパクト」をソウルで開催する。これに付随して中韓日のスラブ学会長サミッ トをおこない、上記の諸問題を検討する。中韓の学会長は出席するし、JCREES からは残念 ながら袴田茂樹会長は参加できないが、宇多文雄副会長が参加する。東アジアの研究者コミュ ニティの誕生は、相対的に研究先進国である日本におけるスラブ研究の状況をも根本的に変 えるだろう。



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