スラブ研究センターニュース 季刊 2008 年春号 No.113 index

研究の最前線


乗松亨平(第1 期ITP フェロー、オックスフォード大学に派遣)

個人的な事情になるが、博士論文をようやく脱稿し、それを世に問う仕方についてこれか ら考えねばならないところだったので、今回の合宿はまことにタイムリーであった。自分の 専攻はロシア文学だが、研究の方法は英語圏の文献に圧倒的な影響を受けている。しかし、 みずからの研究成果を英語圏で公表しうるという可能性は、日本国内の媒体に英語で論文発 表することは別にして、これまであまり現実味のあるものとして考えてこなかった。今回の 合宿をとおし、しかるべき訓練としかるべき手続きを経れば、あるいはそれも不可能ではな いかもしれない、という想念を得ることができたのは――なかば錯覚であるにせよ――、自 分にとって大きなことである。

訓練についていえば、原稿を読まずにプレゼンテーションをする、という今回の合宿の主 目標は、自分にとってたいへん驚きであった。アメリカの学会ではほんとうに原稿を読まな いのか、と複数の人に聞いてまわったくらいだ。ちなみにいただいた回答のなかには、文学 研究の場合は読むこともあるというものもあったのだが、いっぽうで思い出されたのが、先 だって、アメリカで教鞭をとる高名なロシア人学者を日本に招聘した際、講演の原稿の事前 配布に強い難色を示されたことである。聴衆の英語力を慮ってのことだったのだが、ペーパー を読むのであれば話す意味はない、講演とはパフォーマンスであり聴衆への感化力が枢要な のだ、と彼は述べていた。この点で印象深かったのが、合宿を締めくくるデモ・カンファレ ンスに先立ちおこなわれた、アンドリュース教授の講演である。彼のプレゼンテーションは、 合宿で教わった諸方法のまさしく模範例であった。そのようなものにしてくれという依頼が あったのかもしれないが、これが英語圏のスタンダードなのだ、という事実をまざまざと見 る思いがした。

もうひとつ、自分にとって清新であったのは、文学以外のスラヴ・ユーラシア圏研究者と の交流である。今回の合宿で文学研究者は越野剛氏と私の2 名だけで、多くの参加者の方々 とは初対面であった。「ロマン主義」や「リアリズム」すらかならずしも通じない場所で、自 分の関心をたびたび説明することになったのは、よい訓練であったとともに、自分が自明と している諸前提に反省を迫る経験でもあった。


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