スラブ研究センターニュース 季刊 2009 年春号 No.117 index

研究の最前線


 ITP《博士号取得後のスラブ・ユーラシア研究者の能力高度化プ ログラム》  の初年度を振り返って

スラブ研究センターが実施組織となっている国際トレーニング・プログラム(ITP)「博士号取得後のスラブ・ユーラシア研究者の能力高度化プログラム」の 初年度が終わりました。英語論文執筆講習会(5~6月)など年度前半の行事についてはすでにニュースでもお伝えしてありますし、ITP派遣者の国際学会で の活躍などはITPホームページに適宜掲載されていますから、ここでは主に年度末の活動について紹介します。

今年2月5~6日におこなわれた第1回スラブ・ユーラシア研究東アジア・コンファレンスにおいて、ITP参加者のうち13名が報告しただけではなく、パネ ルの組織などでも貢献しました。こうして日本の若手スラブ研究者は東アジア研究者コミュニティ形成の先頭に立つと同時に、国際学会への参加のノウハウを学 びました。従来、アジアの若手研究者には、国内レベルでの研究発表と世界・全米レベルでの研究発表との間に水準の格差や語学障壁があり、なかなか国際的に 飛躍できないという構造的な問題がありました。これは、まずはヨーロッパ地域学会で英語で発表する訓練を積むことができる欧州大陸の若手研究者と比して、 アジアの若手研究者が出遅れる原因でした。東アジアにおけるスラブ研究コミュニティの成立は、この障壁を克服するものです。

昨年度、東アジア・コンフェレンス以外にも、5月にウラジオストクで開催された国際若手ワークショップ(日本の若手から5名が報告)が若手の国際的な報告 数を増やしました。ITP派遣者はもとより、それ以外の多くのITP参加者が、2009年の全米スラブ学会(AAASS)、2010年の世界スラブ学会 (ICCEES)に向けて報告・パネルを登録しました。

こうした中で、国際査読誌に投稿する習慣が若手研究者に広まりました。ITP派遣者はそもそも投稿が義務ですから、彼らが書いた3本が査読中です。これを 除いてさえ、昨年度だけで6本、Modern Asian Studies, Journal of Religion and State をはじめとする国際査読誌が、ITP若手が書いた論文を採択しました。そのほか5本が査読中です。日本の文科系においては、大学院生ましてや20歳代のう ちから欧米の査読雑誌に業績を発表する習慣はあまりなかったので、これは大きな変化です。以前、「国際的査読雑誌にコンスタントに書く若手スラブ研究者を 今後5年間で20人育てる」と私がある場所で発言したところ、ある有名な日本人教授が「海外査読雑誌などそんなに簡単に通るものか。あなたは『採択』と 『投稿』を言い間違えたのではないか」とコメントしました。しかし、上記の目標を達成するのにどうやら5年も要らないようです。とはいうものの、ウラジオ や札幌で報告された膨大な数のペーパーがまだ投稿前なのですから、若手の皆さんには、これらを確実に論文にし、投稿するよう頑張ってほしいと思います。

ITP派遣者は、派遣先と協力して、セミナー等を組織しました(本号掲載の望月エッセイも参照)。これは、自分の研究発表をそつなくこなすだけではなく、 外国でイヴェントを組 織できるような企画力と語学力を身につけるというITPの趣旨に基づいた課題です。これらの企画は、派遣先で大いなる好感を持って受け止められ、スラブ研 究センターに謝意が寄せられました。たとえば、この4月初旬、私はワシントンDCのヘルドレフ出版社が組織した南オセチア戦争関連の企画に招かれました が、GWUの欧・露・ユーラシア研究所のホープ・ハリソン所長(冷戦研究者)が、私が報告したセッションだけわざわざ聴講して、それが終わった後にITP で杉浦史和氏を派遣したことに、こちらが恐縮するほどの丁寧な謝意を表明されました。ハリソン所長は今夏に任期が切れますが、後を継ぐことになっているヘ ンリー・ヘイル教授からも、研究所の質を上げるためには優秀な外国人フェローが来てくれることが非常に大切だということで、(やれハーヴァードだオックス フォードだといわず?)ワシントンDCに優秀な若手をITPから送るよう念を押されています。

乗松、平松両氏が企画したセミナーの参加者
乗松、平松両氏が企画したセミナーの参加者

ここでITP派遣者が派遣先で組織した企画を紹介すると、オックスフォード大学アントニー校に派遣された乗松亨平、平松潤奈氏は、3月15日、セミナー Cultural Creation of “Russian Reality” を組織しました。

10:00-11:30
Panel 1: Reality of Socialist Realism (I)
Chair: Catriona Kelly, Oxford U
Sandra Evans, Tübingen U, Germany “The Creativity of Rubbish or the Reality of Ambivalence in the Communal Apartment”
Monica Rüthers, Basel U, Switzerland “Socialist Living in the New Family Home of the Khrushchev Era”
12:00-13:30
Panel 2: Reality of Socialist Realism (II)
Chair: Andrei Zorin, Oxford U
Mikhail Ryklin, Humboldt University of Berlin, Germany “‘The Best in the World’: Discourse of Metro, Discourse of Terror”
Junna Hiramatsu, Oxford U “Mimetic Representation and Violence in Stalinist Culture: The Case of M. Sholokhov”
15:00-17:30
Panel 3: Colonial Reality in the Russian Empire
Chair: Mark Bassin, Birmingham U, UK
Kyohei Norimatsu, Oxford U “The Dispute over ‘Russian Orientalism’ in the Mirror of Bestuzhev-Marlinsky’s Ammalat-bek (1832)”
Susan Layton, Edinburgh U “Russian Tourism, Nationalism, and Social Identity: Representations of Self and Other in the Early Reform Period”
Dany Savelli, Toulouse U, France “Colonizing Shambhala: From the Usurpation of a Buddhist Myth to a Usurpation of Identity (the Roerich Expedition in Central Asia – 1924-1928)”

ジョージ・ワシントン大学に派遣された杉浦史和氏は、3月5日、ランチョン・セミナーDynamics of Business: Government Relations in Russia: Before and after the Crisisを組織しました。報告者は、杉浦氏(“Reemergence of Wage Arrears in Russia: Implications and Possible Consequences to the Business – Government Relations”)と、この企画のためモスクワの高等経済大学から招かれたアンドレイ・ヤコヴレフ氏(“The Model of Russian Firms during and after the Crisis”)でした。

ハーヴァード大学デイヴィス・センターに派遣された半谷史郎氏は、1月30日、セルゲイ・ラドチェンコ氏(LSE)をロンドンから招いて冷戦研究セミナー を組織しました。ラドチェンコ氏は“Soviet Koreans, East Asia, and the End of the Cold War”という題で報告しました。さらに、3月11日には、日本から望月哲男氏を招いて、“Perceptions of Dostoevsky and Tolstoy in Contemporary Russia and Japan”について報告するセミナーを組織しました。

このように、すでに国際級の実力を持つ若手研究者の活動を援助すると同時に、2、3年後のITP参加候補者を開拓するため、2009年3月23~26日、 修士課程院生も対象にした学術英語強化コースを北海道大学でおこないました。このためのネイティヴ講師の派遣は英会話学校ベルリッツに依頼しました。20 名の参加があり、レベルに応じて3つのグループに分かれ、国際的なプレゼンテーション能力の向上を目指しました。

総じてITPの初年度は、日本のスラブ研究史上の転機と呼んでも誇張でないような成功をおさめました。しかしこれは、ITP の成功というよりも、実力のわりには国際貢献の意識が薄かったこれまでの日本の研究のあり方があまりにも不自然であったということの反映ではないでしょう か。業績発表の国際化に抵抗する一部の日本人文系研究者の論拠として、「ある分野で日本の研究水準が国際水準を上回っている場合、英語で業績を発表する必 要などない」というものがあります。これは奇妙な論理であり、もし本当に444「ある分野で日本の研究水準が国際水準を上回っている」のであれば、海外の 同僚の成長を助けるために、日本人はますます英語で書かなければならないはずです。以上の反面、ITPが急速に発展したのは、内容面で日本の研究が国際的 な水準に到達しているからであることは忘れてはならないでしょう。能動言語の習熟は、膨大な「読む」作業を代替しません。話し書く内容が実際に面白いから こそ、外国語で発表する価値があるのではないでしょうか。

スラブ研究センターの援助で、

[松里]

→続きを読む
スラブ研究センターニュース No.117 index