スラブ研究センターニュース 季刊 2010 年夏号 No.122 index

研究の最前線


ヨウコ・リントステット教授の来訪(GCOE・SRC 特別セミナー他) 

去る6 月17 日(木)、フィンランドを代表する スラヴ語学者の1 人であるヨウコ・リントステッ ト教授(ヘルシンキ大学)をお迎えした特別講演 会がおこなわれました。リントステット教授は南 スラヴ諸語、特にブルガリア語文法の専門家とし て著名ですが、古代教会スラヴ語研究、バルカン 言語学、言語接触論と関心の幅は広く、近年では 『コニコヴォ福音書』の文献学的研究などでも成 果を上げられています。尚、教授の研究のうち特 に重要な論文は、生誕50 年記念に刊行された論 文集 Kontakto kun Balkanio (Helsinki, 2005) で読む ことができます(無料でホームページからダウン ロード可)。

リントステット教授講演会のようす
リントステット教授講演会のようす

以上の確固たる言語研究を背景に、現在はフィンランド学士院の支援を受けたヘルシンキ 大学のプロジェクト“Updating the Sociology of Language in the Balkans” のリーダーとして、 社会言語学の研究も進められており、今回の講演はこのプロジェクトの研究成果の一部でも あります。“Cross-Border Linguistic Nationalism in the Central and Eastern Balkans” と題さ れた本講演では、ブルガリア本国ではたいてい「ブルガリア語」とみなされている言語構造 を持つ言葉、すなわち「バルカン的」特徴(バルカニズム)を持つ南スラヴ諸語(ブルガリ ア語、マケドニア語、セルビア語のティモク・プリズレン方言)を題材に、19 世紀末から現 在に至るブルガリアの越境的な言語ナショナリズムの諸問題が論じられました。尚、アルバ ニア内の南スラヴ人、ギリシアのポマク、マケドニア、セルビア、アルバニアの国境に分断 されているゴーラ人の言語とアイデンティティについても言及されるなど、比較的狭い地域 にもかかわらず言語、宗教、文化の問題が複雑に入り組んでおり、そして国境が民族のおか れている環境に重要なファクターとなっていることが改めて提示されました。

リントステット教授は、バルカン半島の言語背景に加え、歴史的背景、文化的背景と先行 研究を十分に踏まえて持論を進められ、言語学者は「客観的」と思われる言語学的アプロー チだけでは上記の言語ナショナリズムの諸問題が決して解決しないことを自覚するべきであ り、当地域における学際的研究の必要性を強調されました。

本講演会で印象に残ったのは、教授が国家のアイデンティティが相互に排他的であるとい う考えをはっきり「誤り」と断じていたことでした。マケドニア人であればブルガリア人に はなれず、ブルガリア人がマケドニア人であることもできないという考えが主流を占めてい ることについて、オフリドの聖ヨヴァン・カネオ教会の例を挙げて論じられました。カネオ 教会は、建立当時はセルビア領内にあり、しかも当時はブルガリア人とマケドニア人の区別 は存在しませんでした。したがって、ブルガリア人とマケドニア人どちらの文化遺産である か争うのではなく正教徒の南スラヴ人共通の文化遺産と見なすべきであるとの主張は、ナショ ナリズムを考える上で興味深く、聴講者の共感を呼んでいました。

尚、6 月19 日には日本西スラヴ学研究会との共催で“Towards Understanding the Balkan Linguistic Area” と題された特別講演会がおこなわれました。これは「バルカン言語連合」に ついてバイリンガリズム研究からアプローチするもので、講演後には活発な議論がおこなわ れました。

[西原周子・野町]

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