スラブ研究センターニュース 季刊 2010 年秋号 No.123index

対馬のまずいコーヒー:国境フォーラム雑感

藤森信吉(センター)

 

グローバル化が進展する近年、 「社会ダーウィニズム」が随所で 聞かれるようになってきた。しか し、その意味するところは「強者」 ではなくて「より適応した者」が 生き残ることにある。例えば、旧 ソ連・東欧の地域研究者は就職が 極めて厳しい状況にあるが、これ は、研究水準が低下したからでは なく、スラブ地域の研究が教育機 関の要請に適応しなくなっている からなのである。必要なのは「良 い研究」ではなく、「求められて いる研究」である。「今の研究を 地道に進めれば君たちも就職できるよ」などと言いつつも優雅な年金生活を送るであろう人 達の前世はアノマロカリスか、ダーウィン・フィンチだったに違いない。

厳原の韓国人観光客
厳原の韓国人観光客

それはさておき、日本の境界地域もグローバル化に晒されている。三位一体の改革の波を もろにかぶった自治体のいくつかは、観光に頼ったり、あるいは海士町のように観光に依存 せず地場産業の育成に傾注したりしている。

「第4 回国境フォーラム(2010.11.12-13)」開催地の対馬は、韓国からの観光に地域活性化の 芽を見出している境界地域である。日韓の国境地帯に位置しているとはいえ、対馬は距離的 には福岡より釜山に近く、多くの韓国人観光客がフェリーで訪れる。韓国人観光客の増加に ともない、彼らのマナーや韓国資本による不動産買収等が報じられ、「韓国人による対馬占領」 とか「国境の安全保障の危機」とかセンセーショナルに叫ばれる。しかし、実際に厳原に行 くと、韓国人観光客はのんびりと観光しており、逆に一日本人として、対馬を訪れて経済に 貢献してくれる彼らに感謝したくなったりする。率直に言って、本州や北海道に住む我々は 対馬観光に食指が動かない。同じ予算・時間があれば釜山で飲み食いする方が楽しいに違い ない。しかし、対馬は、朝鮮半島から近いという立地、そして韓国人が好む釣りやトレッキ ングを生かして「韓国人にとって最初の海外旅行地」の地位を確保しつつある。



「観光」は、大きな地場産業を持たない自治体のマジック・ワードでもある。しかし、実際 のところ、小さな自治体にとって「観光立国」は簡単なものではない。観光資源だけでなく ソフト面の充実が不可欠であるが、境界地域にとってこれが難問である。近年、日本では中 国人・韓国人観光客が増加しており、主要都市では、彼らに「適応した」観光業が成立している。 札幌にも卒業した中国留学生をスタッフに揃える中国人観光客専用ホテルが誕生している。 大都市圏では、外国語ができるスタッフを揃えるのは容易であるし、競争が激しいから状況 の変化に直ぐに適応していく。しかし、それ以外の地では変化が少ない。前回の国境フォー ラム開催地であった根室も、ホテルは旧態然としたものでがっかりするものだった。体験上、 これらのホテルはネットがなく、クレジットカードが使えず、朝食のコーヒーがとてもまずい。 これを「観光客の価値観の押し付け」とか「上から目線」として批判するのはたやすい。だが、 観光客は各地域の特色とか複雑な地元利益には無頓着で自分の価値観が実現することを当然 と思う。

対馬に限って言えば、市が韓国人スタッフを雇って韓国語による観光パンフレットや広報 につとめたり、釜山に観光事務所を構えたりと大変な努力をしている。しかし、受け入れ主 体であるホテルや小売店の対応は十分とはいえない。スタッフが韓国語をできないのはまだ しも、カード決済ができなかったり(これは小売りにとって明らかに機会の喪失である)、イ ンターネットがなかったり、さらには韓国人に対して朝食に生卵を出したり、と韓国人観光 客がお金を落とす環境が全く整っていない。ネットに関して言えば、CATV 網が対馬全島に 張り巡らされているのだがら、インターネット環境は僅かな追加投資で実現すると思うのだ が、なかなか腰が重いようだ。

みうだペンション
みうだペンション

とはいえ、対馬でも主たる観光 客のニーズに「適用」した宿泊施 設もある。例えば、今回巡検でお 世話になった上対馬にある「みう だペンション」である。釜山訛り の韓国語を駆使する経営者は、韓 国人観光客をターゲットに、バー ベキューができ、オンドルを備え る宿泊設備を建設した。道をはさ んで向こうには市が経営する温泉 施設がある。周囲が自然に囲まれ ているため、問題になる韓国人観 光客の大騒ぎも、ここでは無縁で ある。辛ラーメン用と思しき湯沸 しポットが各部屋に置かれ、カードもネットも可能である。そのかいあって、客の8 割は韓 国人であり、夏場は満室が続くという。特に韓国からはサイクリング客が目立つという。自 転車を積んで釜山からフェリーで厳原に入港し、9 時間ほどサイクリングしてたどり着いた 上対馬で温泉に浸かった後にペンションでバーベキューに興じ、翌日、近くの比田勝港から 釜山に戻る、というプランである。釣り客を除けば、韓国人の対馬観光はリピーターが少な いと言われているが、このサイクリングにはリピーターが多いとのことである。

長々と観光客としての体験を書いたが、筆者は「国境フォーラム」で境界地域を訪れるた びに、自らの立つ位置の難しさを痛感する。無意識のうちに観光客目線になってしまうのだ。 日本の境界自治体の実務者と境界問題の学術専門家を集めて行われる「国境フォーラム」も、 そして北大グローバルCOE プログラム「境界研究の拠点形成」も、首都の政策決定過程に届 かない境界自治体の立場にたって彼らの声を集約するとともに、学界を交えることで各自治 体が世界標準の共通言語で考え、語る場を提供することを目的としている。しかし、これら 自治体に対し、我々は観光客の価値観を投影してしまう。そもそも大都市札幌も旧帝大北大も、 日本の中では中心に近い。もしかしたら、観光客目線に加えて、無意識のうちに 宣教師や 植民地総督のような上から目線になっているのかもしれない。だが、その一方で、中央資本 たるモスバーガー長崎対馬店で飲んだプレミアム・ブレンドコーヒー(220 円)はどの対馬 のホテルのコーヒーよりもおいしかったように感じられた。筆者の味覚まで、中央の価値観 に染まってしまったのだろうか。

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