スラブ研究センターニュース 季刊 2011 年冬号No.124 index

グローバルCOE

境界から考える多言語・多文化世界
GCOE 研究会「多言語社会ヴォイヴォディナ:交錯する境界・文化・アイ デンティティ1」に参加して

旧ユーゴスラヴィアは多民族国家として知られていましたが、少数民族を多く抱えるセル ビアは、特に多くの民族問題を孕んでいます。セルビアの民族問題というとコソヴォの紛争 や独立問題などが多々言及されますが、北部のヴォイヴォディナ地方も、セルビアの民族問 題を理解する上で等しく重要です。

ヴォイヴォディナ地方の面積は、約21,500 平方キロメートル(関東地方の2/3 ほど)で、 およそ200 万人(札幌市と大体同じ)が居住しています。セルビア人が人口の6 割以上を占 めていますが、その他の民族構成はかなり複雑で、それはこれだけの面積、人口に対し、6 つの公式言語(セルビア語、クロアチア語、ハンガリー語、スロヴァキア語、ルーマニア語、 ルシン語)が設定されていることからも明らかでしょう。尚、公式言語は上記の6 言語です が、バナト・ブルガリア語のようなに地域レベルで公式化が進みつつある言語も存在します。 そして非公式な言語まで含めると約30 になるとも言われています。

これらの民族はさまざまな意味における「境界」と関わって暮らしています。それは国境 を越えた民族的母国との関係、共存する他民族との精神的あるいは文化的境界など極めて多 様です。この研究会では、この「境界」からヴォイヴォディナ地方が持つ、多言語・多文化 性について明らかにしていくことを目標としているものであり、今回はその第1 回目の研究 会でした。

研究会第1部では、リュドミラ・ポポヴィッチ教授(セルビア、ベオグラード大学)による「セ ルビアのルシン人とウクライナ人:いかに彼らがお互いに編みこまれているか」と題された 報告がおこなわれました。

ルシン研究の重要な側面の1 つとして、あらゆる意味でウクライナとの関係が挙げられま す。すなわち「国境を越えた母国」とその歴史や文化を巡る諸問題です。ポポヴィッチ報告 ではルシン人とウクライナ人の歴史や、彼らの民族名称の起源についての議論があり、セル ビアのルシン人とウクライナ人は、本来同じ少数民族(national minority) なのだが、オース トリア=ハンガリー時代から政策によって分断されてきたと結論づけられました。またミ クロ言語としてのルシン語とルシン文学は、引き続き発展し、同時にウクライナ語は少数言 語としてだけでなく一国家の言語として重要性を拡大すると予測されていました。中でも興 味深かったのはルシン人文法学者ハヴリイル・コステリニクの著作の詳しい分析です。ポポ ヴィッチ氏はコステリニクの議論を土台とし、ウクライナ語、ポーランド語、スロヴァキア 語やセルビア語がルシン語へ与えた影響についての言語学的分析を紹介しながら、ウクライ ナ語とルシン語の起源に関わる議論は、もはや過去のものであるとも批評していました。

興味深いことに、この講演では“Ruthenian” という語が一貫して用いられていました。こ れは、ポポヴィッチ氏が明らかに「ウクライナ人=ルシン人」という立場を取っていること と深く関わっていると思います。“Ruthenian” がどの人々、またはどの言語を指すのか、「ル シン人」と「ルテニア人」としばしば使い分けられることを考えると、若干違和感があった ものの、狭い意味に限定しないよう”Ruthenian” を選んだのではないかという印象を受けま した。また、18 世紀中盤までは、民族籍よりも「どこから来たのか」という事実が重要だっ たという指摘を興味深く感じました。ルシン人自身の認識によって「どこから来たか」とい うことも左右される可能性があるとすれば、人文地理学的なアプローチも可能であるように 思いました。

野町,Miroslav Dudok,Ljudmila Popovic,Jana Dudkova
左上:野町、左下:Miroslav Dudok 教授、右上: Ljudmila Popovic 教授、右下:Jana Dudkova 研究員

日本ではあまり知られていない ヴォイヴォディナのルシン人の言 語問題を考える上で大変意義深い 報告でしたが、必ずしも歴史的な 起源や言語的な同一性が「民族」 を決定するものではないことに も注意しなければならないでしょ う。現地人の自己規定もその大き なファクターです。例えば、ブル ガリアとギリシャの国境周辺に住 むイスラム教徒の「ポマク人」は、 歴史的にも言語的にもスラヴ系の ブルガリア人ですが、自身は宗教 的側面から「トルコ人」と規定す る傾向があります。また、歴史的 に連続しているブルガリアとマケドニアの言語問題(これは今年6 月のリントステット先生 の講演テーマでした)も、幾分ルシン問題に比せられる要素もあるように思われました。

第2 部では、ミロスラフ・ドゥドク教授(セルビア、ノヴィサド大学/ スロヴァキア、コ メニウス大学)による報告「スロヴァキア語における内的・外的境界:民族言語、ディアス ポラ言語としてのスロヴァキア語」がおこなわれました。ドゥドク氏は、自身がヴォイヴォディ ナのスロヴァキア人マイノリティーであり、同時に作家でもあります。この報告では、スロヴァ キア語の言語的特徴を概説した上で、言語を細分化する境界線には内部のものと外部のもの があるものの、スロヴァキア語の場合は260 万人のスロヴァキア語話者がスロヴァキア国外 に存在しており、スロヴァキア語の境界線は国家の領域を超えていることが詳細に説明され ました。したがって、スロヴァキア国外にも方言が存在し、例えばヴォイヴォディナのスロヴァ キア語はスロヴァキア本国の標準語と同等の地位を持ち得るのかということが疑問に思われ ました。

この報告で興味深かった点の一つは、スロヴァキア語が「対抗する」相手が変化してきて いるという指摘でした。従来はチェコ語との区別がスロヴァキア語をスロヴァキア語たらし めることと直接的に関わってきましたが、現在ではスロヴァキア語に英語の語彙が大量に入っ てくることが問題になっているのだということでした。

ドゥドク氏の研究報告は、単なる研究報告だけではなく、現地人研究者による現状紹介の 意味合いも大きかったと思います。尚、余談になりますが、ご自身がスロヴァキア語作家で もあるので、ご自分の作品をどのように規定するか伺ったところ、「私はスロヴァキア語で作 品を書くが、自分はむしろ『ヴォイヴォディナの作家』という位置づけをしている。作品は スロヴァキア文学でもあるが『ヴォイヴォディナ文学』」とも考えている」と言っておられま した。ヴォイヴォディナのスロヴァキア人マイノリティーは、移住以後200 年以上もそのア イデンティティを保ち続けている「優等生」として知られていますが、やはりそのアイデンティ ティは時間と共に変容し、そこには何らかの「境界」が生まれているのではないかと感じら れました。

第3 部では、ヤロスラフ・ヴォイテク監督による映画「国境」(2007 年)が上映されました。 この映画はヴォイヴォディナを扱うものではありませんが、中・東欧の国境問題とヴォイヴォ ディナとも関連する諸民族(ハンガリー人、スロヴァキア人、ウクライナ人)の多様性を理 解するうえで、興味深いものでありました。

この映画は、分断された家族や土地を観察することによって国境での生活を描き出すドキュ メンタリーです。舞台となるスレメンツェというザカルパッチャ地方の村は、1944 年11 月 にソ連軍が進入したことに端を発し、ソ連とチェコ・スロヴァキアに分断されました。この 村の属する国家は今日スロヴァキアとウクライナとなっていますが、住民のほとんどがハン ガリー人であるということが興味深く感じられました。

封鎖された国境を挟んで住民たちが会話する様子や、国境の反対側に住む両親を持つ花嫁 の再現映像など、印象深い数々の場面とならんで、映画の前半では村の住民が国境警備兵に タバコを渡す光景が紹介されていました。その後スレメンツェがEU の境界になったことで、 それまでの動きから逆流するかのように警備が厳しくなると、前半の場面との対比がシェン ゲン協定による様変わりを効果的に印象づけていました。シェンゲン協定が国境を消滅させ る可能性についてはよく議論されますが、シェンゲン協定が逆に国境を強化する場合もある のだと気づかされた場面でした。

この映画の後、ヤナ・ドゥトコヴァー講師(スロヴァキア科学アカデミー演劇・映像芸術 研究所)による作品解説がおこなわれました。ヴォイテク監督は「90 年代世代」と呼ばれる スロヴァキアのドキュメンタリー映画監督の世代に属し、この世代の特徴はドキュメンタリー 映画とフィクション映画を混合することだといいます。この映画でも、現地人だけではなく 現地人役の俳優が起用されており、地元のハンガリー語ではなく、標準語のハンガリー語を 話していたことが指摘されていたのも興味深かったのですが、同時にこの映画が真に問うも のが何なのかということも考えさせられました。

ヴォイヴォディナの多民族・多言語・多文化をめぐる諸問題は、研究可能性の宝庫で、「境 界」はその理解に有効な切り口です。そしてヴォイヴォディナ研究は旧ユーゴスラヴィア、ルー マニア、ハンガリー、スロヴァキアなどの地域研究者の共同研究が最も効果的に、かつ意義 深くおこなわれる地域の1つでしょう。今回は外国人報告者中心でありましたが、今後は様々 な背景を持った日本人研究者の積極的な参加と意見交換が望まれます。今後もGCOE の研究 会の一つとして継続されるとのことなので、次回以降も今回に劣らぬ充実した研究会が期待 されます。

[西原周子(北大文学部・院M1)・野町]

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