スラブ研究センターニュース 季刊 2011 年冬号No.124 index

熱い顔と冷めた音:ペテルブルグの音楽生活覚書


 

クラシック音楽好きの人ならば、ワレリー・ゲルギエフという指揮者のことをご存知だ ろう。1953 年生まれ、オセト人であり、生まれはモスクワだが、育ったのは北オセチアで ある。現在は、ペテルブルグのマリインスキー劇場の芸術監督兼総裁(художественный руководитель и директор)を務めている。彼はひょっとすると、プーチンとメドヴェージェ フを除けば、最も世界的に名前が知られているロシアの人間かもしれない。その人気は、ネッ トで検索してもらえればすぐに分かるだろう。来日公演も毎年のように行われて、好評を博 している。欧米での評価は詳しくは知らないが、名門ロンドン交響楽団の首席指揮者を兼務 したり、グラミー賞やBBC Music Magazine Awards に彼のCD が2 年連続でノミネートさ れたりしているのを見ると、それなりに評価されているようである。

2009 年の5 月以来、ペテルブルグに来てから私は、彼の演奏を30 回以上聞くことになった。 が、ここで学術論文よろしく、私の結論を先に書かせてもらえれば、私は日本におけるゲル ギエフの評価に対し異論がある。音楽はしょせん「蓼食う虫も好き好き」の世界であるから、 ゲルギエフに対する評価もいろいろあってしかるべきである。私の意見もその「いろいろ」 の一つにすぎない。そのことを断ったうえで、以下、ゲルギエフに対する私見を述べる。

1999 年、ゲルギエフがウィーン・フィルを振ってライブ録音されたチャイコフスキーの交 響曲第5 番のCD が出たとき、大変な熱演として日本の音楽ファンの間で話題になったこと がある。私も世評につられて購入したが、確かにアンサンブルのズレをものともしない、む しろそのことが迫力を生む演奏で、初めて聞いた時、私も確かに興奮した。私の印象では、 このころに、あのいかにもコーカサス的な強面の顔のせいもあるのだろうが、「ゲルギエフ= 熱血指揮者/ 21 世紀のマエストロ」という評価が、日本のクラシック音楽ファンの間で定着 したように思う。アンサンブルを整理整頓することよりも、本当に生き生きした音楽を聞か せることを優先させる指揮者として、ゲルギエフは脚光を浴びたのであり、その評価は現在 も基本的に変わっていない。私はそのころ学生オケに入っていたが、みんな今話題の指揮者 としてゲルギエフの名前を口にしていた。ただゲルギエフの公演のチケットは高いのが常な ので、日本では彼の生演奏に接することはなかった。

ところがあれから10 年経って、実際にペテルブルグで聞いた生のゲルギエフはどうだった か。残念ながら何度彼のコンサートに通っても、10 年前に感じた興奮を味わうことができな かった。それどころか、そこにあったのは「この人は何かに熱くなることがあるのだろうか」 と思うくらい冷めきった視線、インスピレーションを押し殺したような音の羅列。おまけに 忙しすぎるのか、明らかにリハーサル不足の演奏を頻繁に聞かされた。最悪だったのはワー グナーの楽劇「ニーベルングの指環」という、上演に4 日もかかる超大作を2009 年の夏に聞 きにいった時のことで、陶酔できないワーグナーがこんなに苦痛なのかと思い知らされるこ とになった。その時初めて私は、「指環」の初演を聞いている最中に気分が悪くなって劇場か ら飛び出したというニーチェに共感できたのである。3 日目と4 日目に関しては、私も途中 で帰ってしまった。

ではゲルギエフが箸にも棒にもかからない、どうしようもない指揮者かというと、そうと も言えない。確かにいい時もある。これまでで一番良かったのは、2010 年の1 月2 日に聞いた、 ロディオン・シチェドリンという、 ソ連時代から活躍しているロシア の作曲家が書いた歌劇「魅せられた 旅人」の演奏である。作曲者が臨席 していたせいか、今まで聞いた駄演 は一体何だったのかといいたくな るぐらい緊迫感にあふれた世界を 描きだしていて、初めてゲルギエフ が世界的な指揮者だということを 認める気になった。しかも演奏直後 に行われた公開トークでゲルギエ フは、マリインスキー劇場の今後の プランについて1 時間以上も延々と 熱弁をふるって、そのエネルギーに すっかり圧倒されてしまった。もう 少し一般的なレパートリーでは、ラ ヴェルの「ラ・ヴァルス」と「ダフニスとクロエ」第2 組曲、バルトークの歌劇「青ひげ公の 城」、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「カルタ遊び」などが、心に残っている。

ワレリー・ゲルギエフ、ロディオン・シチェドリン、
マイヤ・プリセツカヤ
左からワレリー・ゲルギエフ、ロディオン・シチェドリン、 マイヤ・プリセツカヤ。2010 年1 月2 日、マリインスキー 劇場のコンサートホールにて

ここから言えることは、ゲルギエフが得意とするのは、決して熱いパッションや重厚さが 求められる曲ではなく、むしろ楽譜を機械的なまでに忠実に音にしていくことが求められる、 色彩的な近代管弦楽曲だということである。ラヴェルにしろストラヴィンスキーにしろ、自 作が演奏家によって「解釈」されることを嫌ったことで有名だし、バルトークに至っては、 楽譜に「ここからここまでは何分何秒で演奏しろ」と書いてある。

他の作曲家の作品についても、ゲルギエフの演奏で聞くと、「なるほど、この曲はこういう 構造になっていたのか」「ここにこんな仕掛けが施されていたのか」と勉強になることがある。 したがって私は、ゲルギエフが指揮者としてそれなりの能力を持っていることを認めるのに やぶさかではない。だから私は、(珍しい曲を取りあげたり世界的なソリストと共演したりす るということも大きいとはいえ)ゲルギエフのコンサートに30 回以上も通ったのである。し かし彼の長所は決して音楽を熱く盛りあげることではなく(彼の場合、それは下手だと言っ てもいい)、複雑な管弦楽法を上手に整理して、洗練されたサウンドをオーケストラから引き だすことにあるということは、強調しておきたい。

何でこんなに世評と私の意見が違うのだろう? 私の耳が悪いのかもしれないが、かつて ロシアでゲルギエフの演奏に接した鳥山祐介氏や安達大輔氏も私と同じ意見を持っておられ るようなので、あながち私の独りよがりというわけでもなさそうだ。ひょっとしてゲルギエ フは、ロシアの内と外で演奏スタイルを変えているのだろうか?そんなことを勘繰りたくなっ てしまう。もし、あのいかにも熱血という感じの顔のイメージが独り歩きしているとすれば、 大きな問題だが。

ではペテルブルグの地元の人はというと、ゲルギエフのコンサートはよく席が埋まってい るので、てっきり地元で人気があるのだと思っていた。ところが普段お世話になっているロ シア人の先生から聞いた話では、ペテルブルグの人はゲルギエフが嫌いらしい。なぜかとい うと、ゲルギエフのオペラやバレエの演出の方針が過激だからだという。ゲルギエフのチケッ トを買うのは、基本的に外から来た観光客とのこと。

この話がどこまで本当かは知らないが、聞いた瞬間、私は「え!?」と思った。もちろん私 もマリインスキーで何度かオペラを見ている。基本的に台本のト書に忠実な演出が多いが、 中には、衣装がずいぶんと派手だったり、たとえば中世の話を現代に移しかえるなど設定を 読みかえたり、というものもある。だが現在、ザルツブルグやバイロイトなどヨーロッパに 行けば、聴衆に対し問題提起を試みるより大胆な演出を見ることができる。もはや女性のヌー ドなど珍しくもない。そんなわけで私は、マリインスキーの演出は、センスの良し悪しはと もかくとして、どれも大人しいもので、たまにはもっと過激な試みをやらないかなあと思っ ていたのだ。日本の宝塚歌劇を「大いなるマンネリ化の魅力」と評した先生がいるが、こち らでオペラやバレエを見ていると、ロシアの多くの人々はまさしく「大いなるマンネリ化」 に魅せられているではないかと思えてくる。

さて、こちらでコンサート通いをしていて、もう一つ日本との違いで驚いたことがある。 それはオーケストラのレパートリーが偏っていることである。もちろん、ロシアものがよく 演奏されるのは当たり前だが、意外だったのは、19 世紀ドイツの交響曲が、あまり演奏され ないことだ。

日本においては、ベートーヴェンとブラームスの交響曲で名演を聞かせられる指揮者こそ、 「真の巨匠」と目される傾向がある。ある高名な日本の音楽評論家が「ベートーヴェンは偉大 なのだ。それを表現できないのならば、指揮などやらないほうがよい」と述べたことがあるが、 日本のクラシック音楽ファンの代表的な見解だと言えよう。晩年の朝比奈隆に見られるよう に、ベートーヴェン、ブラームスに加えてブルックナーの交響曲が十八番(おはこ)となれば、もはや 神格化の域に達する。海外オケの来日公演でも、ベートーヴェンやブラームスの交響曲はよ く演奏されるので、欧米でも事情は似たようなものかもしれない。

かつてレニングラード・フィル(当時)を率いてソ連を代表する指揮者として活躍したエ フゲーニ・ムラヴィンスキーは、ドイツの交響曲も重要なレパートリーとしていたので、ロ シアでもドイツの交響曲は普通に演奏されているのだと思っていた。ところが実際にペテル ブルグに来てみると、19 世紀ドイツの交響曲はあまり演奏されない。中でも意外なのはブラー ムスの4 曲の交響曲がほとんど演奏されないことで、マリインスキー劇場のコンサートホー ルとペテルブルグ・フィルハーモニーの2 年間のプログラムを眺めてみても、2 番がマリイ ンスキーで1 回、フィルハーモニーで1 回、4 番がフィルハーモニーで2 回演奏されただけ である。日本では大人気の1 番が、一度も演奏されていない。両方のホールを合わせると、 文字通り「三日にあげず」コンサートが行われているにもかかわらず。ゲルギエフの場合は、 ピアノ協奏曲第2 番とドイツ・レクイエムを2 回ずつ振っているが、交響曲には一度も手を 染めていない(確かに似合いそうにないが)。日本ではオーケストラの基本とされるレパート リーを、ロシアのオーケストラがあまり取りあげないということは、ロシアにおけるクラシッ ク音楽の在り方を考える際、とても重要な点だと思われる。誰か考察していないだろうか?/p>

こんなエッセイを書いていることからもお分かりのように、私はこちらに来てからさんざ んコンサート通いをし、ロシア国内外の多くのアーティストに接することができた。そして 多くの忘れがたい名演に接することができたが、私が得た結論は、日本のオケのレベルも決 して低くないということである。もちろん、それぞれのオーケストラには得手不得手があり、 持ち味がある。だがかつて札幌交響楽団の定期演奏会に通った立場から言わせてもらうと、 札響の総合的なレベルはマリインスキーのオケと比べても決して劣らないどころか、むしろ 上回っているのではないかとすら思えてくる。ゲルギエフをありがたがるのもいいが、札幌 の人には地元のオケに誇りを持ってほしい。「本場もの」が日本のそれより上であるという保 証は、決してないのだから。

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