スラブ研究センターニュース 季刊 2011 年春号No.125 index

学界短信

民族研究協会(ASN)の年次大会に参加して



 去る4 月14 ~ 16 日、ニューヨークのコロンビア大学で開催された民族研究協会(Association
for the Study of Nationalities)の年次大会で5 年ぶりに報告してきた。この学会は地域・争点の双方においてマイナー志向・先端志向が強く、その意味でASEEES よりも日本の研究者向けだと思われるのだが、どういうわけか日本の研究者で大会に出る人が少ないので(今年も日本人は私一人だった)、参加促進の意味も兼 ねて、ここで紹介したい。
田舎回りをするASEEES の大会と違って、ASN 大会の開催地は毎年コロンビア大学に固定されている。毎晩7 時過ぎまでコロンビア大学で缶詰にされても、8 時のブロードウェイの開演に十分間に合うので、ミュージカル・ファンには夢のような数日間がおくれる。ペーパー数は約700 本で、ASEEES の半分くらいである。そのため期間も3 日間で、セッションあたりのパネル数も少ない。特徴的なのは、ASEEES よりも個人プロポーザルを気軽に受付け、パネルに配置することである。つまり組織委員会の権限がASEEES より大きいと考えられる。このあたりも日本人向けであり、私も昔からASN には個人で参加してきた。ただし、ペーパー配分の結果か4 人パネルが多いので、報告時間は20 分ではなく15 分である。
 ASN が1996 年に大会を開催し始めたときには、AAASS(現ASEEES)を喰ってやるという野心が露骨であった。また、ソ連解体の余波から、それだけ多くの研究者 が民族問題に関心があり、ロシア語以外の言語を学んでいた。しかし、ほどなくして中央ユーラシア研究協会(CESS)が分離独立したことはASN のプロファイルからして大打撃であり、こんにちでは自らのニッシェにおさまったことでASEEES との棲み分けはうまくいっている。コーカサス、旧ユーゴスラヴィアなど民族混住地域や紛争に関するペーパーが多いことが特徴である。経済のペーパーが少な いのはASEEES も同じだが、それに加えて歴史のペーパーも少ない。民族史や帝国論のブームを考えると後者は不思議だが、特に最近の傾向である。今年の大会ではアブハジア に関するパネルが非常に多く、ほとんど各セッションごとにあった。しかもそれらパネルで必ずといっていいほどメグレリ人問題が議論になった。これは、昨年 から今年にかけて、Tom Trier, Hedvig Lohm, and David Szakonyi, Under Siege:Interethnic Relations in Abkhazia (London, Hurst & Company, 2010) とJohn O’Loughlin, Vladimir Kolossov and Gerard Toal, “Inside Abkhazia: Survey of Attitude in a De Facto State,” Post-Soviet Affairs 27:1 (2011), pp. 1-36. というアブハジアのマイノリティに関する優れた集団研究の成果が発表されたからである。これらのプロジェクト・メンバーは、アブハジア人も含めて当然参加 していたが、率直に言って英語が聞き取りにくい人もいた。しかし、聴衆の質問はアブハジア人に集中し、また辛抱強く聞いていた。「両方の言い分を聞いてみ なければならない」などということは日本における非承認国家研究では以前から当たり前のことで、非承認国家から来たというだけで有難がられるようなことは 日本ではないから、その点では日本の非承認国家研究の方がずっと進んでいる。しかし、中立的な研究の必要性が認識されるや否や、膨大な資金を投入して上記 のような優れた成果をあっという間に発表してしまうのだから、やはり北米にはかなわない。
 私自身は、「信仰か、伝統か:アルメニア使徒教会とアルメニア、カラバフにおけるコミュニティ建設」という題で報告した。私以外の報告者は皆アルメニア 人だったが、聴衆の中にはアゼルバイジャン人が多く、感情を抑えた学問的な討議になった。カラバフで調査する限りでは、もう一度戦争をしない限り双方納ま らないように思われるのだが、それ以外のシナリオも、僅かな可能性ながらあるのかなと感じた次第である。
[松里]

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