スラブ研究センターニュース 季刊 2011 年春号 No.125 index

大学院だより

修了者・新入生・在籍者


 2010 年度、大学院文学研究科スラブ社会文化論専修では、4 人が博士課程を単位修得退学し、4 人が修士課程を修了しました。また、前年度に博士課程を単位修得退学した麻田雅文さんが、 論文「中東鉄道経営史:ロシアと「満洲」、1896-1935 年」を提出し、博士号を取得しました。皆さんの諸方面での活躍をお祈りしています。麻田さんと修士課程修了の宮風さんが、下記 のように修了者の声を寄せてくれましたので、お読みください。

 4 月には、修士課程3 名、博士課程1 名(内部進学)の新入生を迎えました。今年度の大学院生およびスラブ研究センター研究生は以下の皆さんです。

[宇山]

学年
氏名
研究題目
指導教員(正/副)
D3
須田将 スターリン期ウズベキスタンにおけるソヴィエト市民の創出 宇山 岩下
立花優 アゼルバイジャン現代政治 宇山 松里
井上岳彦 帝政ロシアとカルムィク人 宇山 長縄
櫻間 瑛 ロシア連邦沿ヴォルガ地域における宗教=民族関係 宇山 松里
マルティン・ホシェク 極東におけるチェコスロヴァキア軍団(1918-1920年) ウルフ
竹村寧乃 ソ連初期ザカフカス連邦 宇山 長縄
秋月準也 ミハイル・ブルガーコフと20世紀初頭のロシア文学 望月 野町
アレクサンドラ・クリャクヴィナ
有島武郎の「或る女」とトルストイの「アンナ・カレーニナ」に おける女の運命
望月
野町
D2
斎藤祥平
ロシア人亡命者の擬似科学、1930 年代ユーラシア主義
ウルフ
望月
松下隆志
ウラジーミル・ソローキンと現代ロシア文学
望月
野町
中嶌哲平
コーカサスのトルコ系ムスリム知識人の政治思想とその運動
長縄
宇山
D1
ハン・ボリ(韓寶.) 中央アジア高麗人社会の「改宗と伝統」問題 宇山
長縄
M2
石黒太祐
チェコスロヴァキア連邦解体過程に関する研究

家田
マリヤ・アルチュシキナ
東シベリア・極東地域と北東アジア諸国のエネルギー協力におけ るサハ共和国の 役割
田畑
荒井
塚田愛
ウズベキスタンからロシアへの出稼ぎ労働者問題
宇山
山村
長友謙治
世界の農産物市場におけるロシアの役割
山村
田畑
アセリ・ビタバロヴァ
カザフスタンおよびタジキスタンにおける中国に対する認識
岩下
宇山
恩田良平
中央アジアをめぐる外交と援助
宇山
岩下
西原周子
ヴーク・カラジッチとセルビア標準語
野町
望月
野口健太
ロシア経済発展の可能性
田畑
山村
エレーナ・ゴルブノワ
ロシア極東地域の発展における中央政府の役割
田畑
荒井
M1
高良憲松
チェコとスロヴァキアの「正常化」の記憶とイメージ
家田
野町
中野 智
中央アジアの現代政治・国際関係(クルグズ共和国を中心とし て)
宇山
岩下
山﨑龍典
ソ連に於ける任意スポーツ団体
松里
田畑
研究生
エカテリーナ・プリーク
日本とサハリン州の都市間交流の歴史
岩下

アントン・マトヴェエフ
サハリンの農業と日露農業交流(1980 年代後半より)
山村


北大辞去

麻田雅文(日本学術振興会特別研究員/首都大学東京)

 スラブ社会文化論専修に入学したのは、イラク戦争もたけなわの2003 年4 月であった。札幌でバグダッド陥落のニュースを見たのを、つい先日のように思い出す。それから7 年かけて私は博士課程を終え、博士論文の執筆のために無理を言って居させてもらい、ようやく2011 年2 月に札幌を後にした。世界や日本の状況はその間にすっかり様変わりしたが、スラブ研究センターの院生室には、常に研究を価値あるものと信じる若人がやって 来ては去って 行った。私もその一人である。
  こうして書きつけてみれば長い年月のようでもあり、思い返してみれば短い年月のようにも感じる。どちらも感じ方の問題であることからしてみれば、また年月 を経た時には、また違う感じ方をするのだろうと思う。それでもあえていま、北大時代とは何だったのか振り返ってみれば、ひたすら学問に打ち込んだ時代と言 えるだろう。ここに来なければ、中東鉄道というテーマで博士論文を仕上げることはまず不可能だった。指導教官として未熟な私を導いてくださった原暉之教 授、デヴィッド・ウルフ教授には感謝するばかりである。また副指導教官として、様々なチャンスを与えて下さった松里公孝先生には、その信頼に応えていたか 不安はあるものの、学者としての跳躍台を用意して頂いたことにお礼の言葉もない。その他にも、私の院生生活を様々な形で支えて下さった図書室や事務室の皆 様へ心より御礼申し上げたい。北大で頂いた博士号や修士号は学問、そして人生の一里塚に過ぎない。この先、北大で打ち込んだ学問を花開かせるよう、怠らず に研鑽に努めたい。
 ところで、当のスラブ研究センターではグローバルCOE や新学術領域などの大型プロジェクトも終わりに近付いている。国外にアピールする力も大切だが、余裕のなくなりつつある国民の税金で支えられていることを 思えば、国内に向けて発信する力と説得力もますます求められるだろう。古巣の「スラ研」は様々な意味で岐路に立っているが、後に続く院生の皆さんにはそう した状況に翻弄されずに、入学当初の初心に立ち、しっかりと学問をしてもら いたい。そのために十分な環境は整えられ、欲する者には様々な便宜が図られるのだから。一方で、そうした贅沢な環境に安住しがちなのも知っている私として は、積極的に院生室の外へ飛び出し、学会や社会で広く活躍して欲しいと願うのが、私の辞去の挨拶である。

夢の2年間

宮風耕治(大阪労働局)

 あっという間の2 年間でしたが、私自身は本当に充実した時間を過ごしました。2 年前、胸を高鳴らせて修士課程に進んだ時のことを思い出します。9 年間勤めた職場の理解を得て、幸いにも、2 年間休職という形で大学院に入りました。2 年後は復職できるということもあり、勉強と研究に集中することができました。就職活動も長期化する中、修士課程修了後に就職を目指す学生たちは、研究の面 においても、将来の見通しという面でも、今はたいへんな苦労をされていると思います。同時に、大学院で勉強された方々は私にとっては非常に憧れの存在で あったわけで、遅まきながらそうした人の中に加われるということは、興奮すると同時に不安でもありました。
ともかく、修士課程の2 年間でこういうことをやりたいという目標というか、願望のリストのようなものを、除夜の鐘が表す煩悩のごとく書き出し、大学院生活に臨みました。毎日やる こと、今週やること、一ヶ月以内にやること、そうしたものを書いている時は楽しいのですが、いざやり出すと飛ぶように時間が過ぎ去ってしまい、今日の目標 が全然達成できていないと、夜の11 時頃になって焦り出すこともしばしばありました。
 修士課程での時間の過ごし方については、1 年次に修了に必要な単位をおおむね取ってしまい、2 年次は修士論文を書くことに時間を当てるというのが、普通のやり方だと思います。大学院の授業は演習が中心なので、少人数の濃密な授業が続くわけですが、 少人数とは言え、さまざまな分野に専門的な関心や知識を持つ人たちが集まっているので、自分では気づかないようなものの見方や情報をたくさん知ることがで きました。私が受講した演習や講義はどれも知識を詰め込んだりするようなものではなかったのですが、左官屋が何度も塗り重ねて壁を仕上げていくように、自 分の頭の中もペタペタと仕上げられていくのを感じました。これは非常にありがたいことでした。
 修士論文については、現代ロシアのSF 文学をテーマにすることは決めていたのですが、具体的に誰を取り上げるかということは入学時には決めていませんでした。ところが、先行研究が少ない分野な ので、とにかく実際の作品をたくさん読み進めないと、論じる対象の全体像がどういうものなのか自信が持てず、1 年目はロシアのSF 史上で重要と思われる作品をひたすら読みまくることに決めました。しかし、600 ページを超えるような長編を何十冊も読むことなどできるはずもなく、ヒトデ人間とイカが対決する話が果たして自分の修士論文に関わってくるのだろうかと疑 問を抱くようになり、論文は論文としてきっちりと論点と構成を考えなくては、このままでは間に合わないと気がついたときには、入学後1年を過ぎていまし た。
 具体的に取り上げる作家を決めたのはその頃ですが、あまり作品数の多い作家ではなかったので、とにかく主要作品は全部読んでしまおうと、若干引きこもり がちになりながらも作品を読み進め、夏頃までにだいたい読み終えました。スラブ研究センターには、毎学期に一度は、院生全体の前で発表をする授業がありま すが、そうした場所を使って、皆さんの好意に甘えて拙い発表をしながら、さまざまなご意見をいただきました。快刀乱麻を断つごとく頭の回転が早い人もおら れれば、哲学者のように執拗にぐるぐると思考が渦巻く人もおられ、本当にびっくりしました。
 指導教員の望月先生はじめ、さまざまな方のご意見を得てなんとか修士論文を書くことができましたが、やはり、自分ひとりで書いていれば全く別のものに なったと思います。2 年間を振り返って、最初に立てた目標の中で、できたこととできなかったことがやはりありました。中でも日本語への翻訳はほとんどやらず、もっとやりたかっ たし、やるべきだったのかもしれません。しかし、最初に立てた目標全体の5 割くらいはやったと思います。それ以外に、自分は想像すらしていなかったけれども、さまざまな人からこういうことが大事だよと教えてもらった部分があり、 それが2 割くらいあるので、合計で7 割くらいの目標達成度です。しかし、その2 割は自分ひとりではなく、この大学院に来なければ決して気づかなかったものなので、かけがえのない2 割です。完璧な理想の院生生活を送ったわけではないのですが、7 割くらいできたので自分としてはそれなりに満足しています。
 他人から言われた意見というのは、大事だなと思っても、自分の中で咀嚼して自分のものになるには時間がかかると思いますが、北大は幸いにして、図書館の 資料が充実しているので、すぐに自分で調べ直すには絶好の環境でした。呉下の阿蒙の話ではありませんが、自分が自分でなくなっていくような感覚を味わうこ ともありました。
4 月からは職場へと戻りますが、直接、ここで学んだことが役に立つ部署ではありません。ただし、2 年間で身につけたことは残ると思います。以前から生涯学習という言葉がよく使われていますが、専門的な知識というものは、これだけ情報や技術の回転が速い 社会ではすみやかに陳腐化してしまいます。しかし、教育の効果というものは、そうした知識を与えるということよりも、経験を通じて人間性のなかの一般的な 力として蓄えられる点にあると思います。私にとっては、この2 年間はそういう時間であったと思います。これから私はしぶとく生きていこうと思いますが、スラブ研究センターが、学問と教育の世界に生きる人にとってこれ からも大事な存在であり続けることを願っています。

2010 年度大学院共通授業「地域研究と国際協力の接点」を開講


 スラブ社会文化論 専修は主としてアカデミックな研究の訓練をする場ではありますが、地域研究者にとって国際協力の現場感覚は非常に大切なものであり、ま た国際協力関連の仕事は院生の就職にとっても重要な選択肢の一つです。そこで、2010 年度後期の大学院共通授業「スラブ・ユーラシア学Ⅰ」では、「地域研究と国際協力の接点」をテーマに、国際協力・外交関係の機関で活躍する人々や、国際協 力に携わった経験を持つ研究者の話を聞きながら、地域研究者が国際協力にどのように貢献しうるのか、また実務家として働く場合に地域研究の知見をどのよう に活かしうるのかを議論することにしました。授業は2011 年1 月31 日(月)~ 2 月2 日(水)の3 日間、集中講義形式でおこなわれ、各講義の講師・題目は以下の通りでした。
内田外務省上席専門官による講義風景
内 田外務 省上席専門官による講義風景
宇山智彦(センター)  「序論:地域研究者にとって国際協力とは何か」
北野尚宏(JICA 東・中央アジア部長)  「中央アジアに対する日本と中国の経済協力」
福田宏(センター)  「事例としての中欧地域:ODA の『卒業生』とどう付き合うか」
内田一彦(外務省第四国際情報官室上席専門官)  「ロシアCIS 諸国における外交活動の現場と研究者の役割」
下社学(JETRO 海外調査部主幹)  「わが国の対中央アジアビジネスの現状と今後の展望」
グロムジョン・ジュラ・ボボゾダ(駐日タジキスタン大使)  「中央アジアにおける開発と地域協力」(特別講演)
 
 授業にはスラブ社 会文化論の院生のほか、他研究科(医学、教育学、理学、農学)の院生なども参加しました。そして援助と国益の関係や、他の大国、特に中国 の力が増す中での日本の国際協力のあり方などについて、極めて熱心に議論がおこなわれました。日本人学生が、日本の国際的プレゼンスの小ささに悲観的にな りがちなのに対し、むしろ外国人学生たちが日本の援助を評価し、日本はもっと自信を持つべきだと発言していたのが印象的でした。
 若手研究者・院生と外交・国際協力の接点としては、大使館専門調査員の仕事が比較的意識されやすく、今回の授業でも関心を集めました。しかしそれ以上 に、 国際協力を専門として第一線で活躍する実務家の話は、院生が普段接することのないさまざまな立場からのものの見方を教えてくれ、大変刺激になったとの感想 が院生から相次ぎました。多忙な本務のスケジュールの合間を縫って来札してくださった講師の皆様に、お礼を申し上げます。また、授業に参加した、所属・専 門を異にする院生たちの間では、その後も交流が続いているようです
[宇山]


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