部下のペーチカと狙撃手アンナのロマンスをも交えた映画のイメージは、その後意外な形で受け継がれることになる。アブラム・テルツ(シニャフスキイ)によると、革命50
周年の1967 年頃から、チャパーエフを主人公とするアネクドート(ジョーク)が人々の間で語られ始め、その後チャパーエフは最も多くアネクドートに登場する人物の1
人となった(Абрам Терц, Анекдот в анекдоте // Одна или две русских литературы?
L’age D’homme, 1981)。
たいていは、うぶで間抜けなペーチカと、それに劣らずとぼけた指揮官チャパーエフの軽妙なやり取りが、笑いの種となっている。アネクドートはブレジネフ時代のソ連で全盛を迎え、ペレストロイカの80
年代後半にはすでに後退したらしい。しかし、私が大学院生だった1990 年代後半でも、まだ以前の名残で際限なくアネクドートを披露したがるロシア人に出会うことが時々あった。その頃に書かれたヴィクトル・ペレーヴィンの小説『チャパーエフと空虚』(初版1996
年。三浦岳氏による邦訳は群像社、2007 年)は、アネクドートに映し出されたチャパーエフとペーチカの姿を原型とした作品である。主人公の僕(ピョートル)は、夢と現のあわいで現代のロシアと内戦期の混乱の中を行き来する。そこで出会ったチャパーエフとのやりとりを通して、自分の中の異なる位相を発見していくのだ。職員が退屈するほど人の来ない博物館で、ひと通りチャパーエフに関する展示物――もちろん内戦期のものだけに限られる――を見終わって帰ろうとすると、建物を出てから別棟に行けとのこと。言われた通りに行ってみると、少し離れた場所に丸太作りの小さな家が立っていて、入り口のところで案内役の女性職員が私を待ってくれていた。小屋と言ってもいいほど小ぢんまりとした家は、チャパーエフの生家をそのままの形で移築したものだ。職員が鍵を開けて中に導きながら、そこにあるものについて説明してくれた。薄暗い建物の中には、どこにでもあるような農家の調度類が並ぶ。奥の間は寝室になっていた。女性職員によると、ベッドには両親が、温かいペチカの上には祖父母が寝て、9
人いたという子供たちは、ペチカの上から渡した板と天井との間の狭い隙間に潜り込んで寝ていたそうだ。アネクドートを口にする人も滅多に見かけなくなった現在、英雄の少年時代を夜ごと包んでいた寝床は、静かに何かを物語っているようで、楽しい気分になった。チャパーエフ少年は、ここでどんな夢を見ていたのだろうか。