スラブ研究センターニュース 季刊 2011 年秋号No.127 index

エッセイ   ワルシャワ東方研究所訪問記:

もはや社会主義後ではない

藤森信吉(センター)

整備が行き届いたワルシャワ市内
 2011 年9 月、私は15 年ぶりにポーランドを訪問する機会に恵まれた。在波日本大使館の尽力による国際交流基金助成事業「ユーラシア国境地域の検証」がポーランド東方研究所(OSW、ワルシャワ)で開催され、我々北大GCOE「境界研究の拠点形成」研究員一同(岩下、井澗、福田、藤森)が、研究報告することになったのだ。正直に言うと、東欧の専門家の前で報告を行うことに多少の恐怖を感じていた。ましてや、今回のテーマは専門外の沿ドニエステル共和国である。しかもOSW のHP にはしっかりと「モルドヴァ専門家」がリストされており、余所者が半可通な報告をして炎上する、というどこかで馴染みの光景が脳裏に浮かんだりした。
 15 年前のワルシャワは、キエフで専門調査員をしていた私の目には眩いばかりの「ヨーロッパ」都市に映った。今も昔もウクライナは「ヨーロッパ」国を自称しているが、当時のキエフは経済危機のど真ん中で殺伐とした雰囲気が街中に充満し「ヨーロッパ」の片鱗などどこにもなかった。ワルシャワ中心街のちょっとしたファーストフードや英語を解するホテルの掃除係にすら、越えられない壁を感じたものだった。もっとも、90 年代半ばにキエフに来た日本人は社会主義丸出しの街を気にしなかったようで、ポーランドからの出張者含めて皆、異口同音にウクライナ女性の美しさを称えて帰っていた。その後、ポーランドはEU、NATO加盟を果たし、名実ともに「ヨーロッパ国」といえる存在になった。ウクライナも2000 年以降、経済成長を遂げEU 準加盟を窺うまでになったが、自由度や腐敗認識指数、報道自由度といった各種指数を見ても、両国間にはまだまだ大きな差がある。
研究会のもよう
 そのポーランドだが、入国審査が経由地ヘルシンキ空港で済ませられることで早くも「ヨーロッパ」国を実感した。ポーランドのEU 加盟時、某教授が「我々ポーランド研究者は今日からEU 研究者だ、君たち旧ソ連研究者と違う」と高笑いしていたことを思い出した。尤も、キエフの入管審査も実は非常に迅速であるため、シェンゲンの壁を体感できる以上に実質的な差はないのだが。ワルシャワでは、真新しい空港ターミナル以上に、モスクワ、キエフ、北京等でお馴染みのタクシーの客引きがないことにも妙に感心した。EU 加盟国共通の法令でもあるのだろうか。ワルシャワ市内を走る乗用車は何れも真新しく、かつて路上を覆い尽くしていたポロネーズやラーダは完全に姿を消していた。我々が宿泊したホテルは、地方政府関係者用のホテルだったようで、社会主義時代と変わらないであろう素っ気なさであったが、ホテルからOSW までの歩道や周囲の公園は綺麗に整備されていた。今や「EU 研究者」となった福田研究員が、EU 構造基金のおかげではないかと教えてくれた。しかし、仮にロシアやウクライナで公園や歩道が誰かの資金で整備されたとしても、新たな路駐スペースやテナントに化けるだけではないだろうか。現にキエフの中心街にあるフレシチャチク通りの美しい歩道には車が所狭しと駐車しており、管理する市当局の小銭稼ぎの場となっている。
 OSW は、建物内の調度、会議室のつくり、進行、飲み物・軽食の用意、グッズ、そしてフルペーパーが用意されない点が、ブルッキングス研究所のようなワシントンDC のシンクタンクと似ているように感じられた。
傷みが目立つ文化科学宮殿
異なる点といえば、コーヒーがインスタントであったことくらいだろうか。何より感心したのは、副所長、部門長を含めた研究員の若さである。一名だけ、頭髪から判断して年齢が高そうな研究員がいたので「社会主義時代にはどこで働いていたのですか」と質問をしたところ、「まだ学生だったよ…」と返されてしまった。肝心の研究報告だが、OSW 研究員達の見事な英語力に感銘を受けた。パワーポイントによるガイドなどなくても、簡単なプロットを記した紙だけで淀みなく話し続けるし、コメントの英語も崩れない。ただ、正直に言うと、豊富な知識量に対して、テーマ設定が学術的にやや地味なように思えた。企画が決まってから急遽、動員されたのかもしれない。逆に我々はリハーサルを重ねてプレゼンも練り上げていたが、逆に言えば、パワーポイント頼みであり、アドリブに乏しい。私は“Business Interests in Transnistria” と題し、非承認国家問題を多国籍企業の利益から読み解く報告を行った。しかし、アクターごとのリサーチが不十分で、件の「モルドヴァ専門」研究員から事実関係の訂正を受けた。しかしながら、「結論の部分は100% 賛成する」という、実にヨーロッパ的(?)なコメントもいただいた。
ポーランド美女
また、OSW 研究員の何人かからも、好意的なコメントをいただいた。昼食時、館内でバイキング形式のランチが用意されたが、その際に、様々な情報や資料の在り処を聞くことができた。頂いた情報を加味して、何処かに論文を発表できればと考えている。このようにOSW では局地的に受けた私の報告だが、ABS(The Association for Borderlands Studies)ソルトレイクシティー大会で同様の報告した際には、会場からの反応を全く得ることができなかった。遠く離れたマイナー地域の話をされても、イメージが湧かないのだろう。このことはどの地域にも当てはまる。実際のところ、日本国内で我々が重要視している北方領土や普天間の海兵隊基地移転でさえ、一歩国外を出れば、単なる小さな係争問題の一つとしか見られないようだ。我々GCOE は特に沖縄基地問題については、ワシントンDC でのシンポジウム(2010 年3 月)をはじめとし、様々な機会を通じて国外の聴衆に発信しているのだが、残念ながら彼らの反応は芳しくない。しかし「基地」から離れて、「地域的安全保障」や「ジェンダー問題」といった大きなテーマに転化すると、会場は俄かに活気を帯びはじめる。地域研究にしても歴史学にしても、何らかの大きな枠組みで論じる必要があることを改めて認識した。
 報告の翌日、我々はスターリン建築で有名な文化科学宮殿を見学したのが、こちらはEU からの投資が回っていないのか、傷みがかなり目立った。勤労意欲がまったく感じられない展望台エレベーターガールと相まって、真に社会主義時代を体感できるものであった。
 そういえば、本年は、ウクライナの公式外交路線「ヨーロッパ選択」によれば、「ウクライナがEU 加盟のための国内条件を全て整える」意義ある年でもある。しかし、多分に政治的なティモシェンコ裁判で、ウクライナはEU 早期加盟の夢を自ら閉ざそうとしている。「美しすぎる政治家」を刑務所に閉じ込めて露出を低下させることは、「ヨーロッパ国ウクライナ」のみならず、「美女国ウクライナ」イメージを損なうことになるかもしれない。



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