スラブ研究センターニュース 季刊 2012 年冬号No.128 index

レムニョフ氏追悼文

野田 仁(早稲田大学イスラーム地域研究機構)

 ロシア帝国期のシベリア研究で多くの業績を残したレムニョフ氏の訃報を聞いて大変驚いている。その年齢からしても、また近年の仕事量から見ても、さらなる活躍をされるだろう と思っていただけに残念なことしきりである。やや遠い中央アジア史の研究という立場からではあったが、私は氏と知己を得て、勤務先のオムスク国立大学(OmGU)を訪ねた経験が ある。そのことについて記しておきたい。 センターに滞在されていたレムニョフさんを札幌に訪問したのは、2007 年の夏であった。 翌08 年初めにオムスクで資料調査をしたいと考えていたからである。氏の日本滞在は年度末までであったにもかかわらず、招聘についてOmGU のスタッフに連絡することを快く引き 受けてくださった。またこの時のロシア帝国のカザフ草原統治についての議論は、有意義なものであったことをよく覚えている(このとき初対面のつもりだったが、どうもモスクワや カザフスタンの文書館で遭遇していたらしい。氏の観察力はここにも発揮されている)。 年も明けて寒さ厳しい1 月末のオムスク空港で迎えてくれたのは、ご子息のパーシャだった(彼もまたOmGU でロシア史を専攻し、その後も研究を続けている)。結局、1 月半の滞 在中、すべてをレムニョフさんのご家族とOmGU の関係者にお世話になってしまった。そもそもの住まいからして、大学の寮をお世話していただいた。OmGU 周辺をうろつく間に気 がついたのは、氏は教育者としても非常に精力的に研究者を育てつつあったことである。私が直接会ったN. G. Suvorova、V. V. Vorob’ev、E. V. Bezvikonnaia といったロシア史研究者 たちは、レムニョフさんに薫陶を受けた人々だった。OmGU を中心に、レムニョフさんらは様々な会議を開き、その成果を報告集としてまとめていたが、そこで興味深いのは、カザフ スタン ― とくに北部カザフスタン ― の大学との交流・共同研究である。とくに、“Stepnoikrai” という空間を冠する一連の国際会議の報告集を手にして、オムスクあるいは西シベリア の、ロシア帝国内における地理的な位置を再認識するにいたった。このような、たんに現在のロシアにおけるシベリアという枠組みに限定せず、カザフ草原、中央アジアも含めてひろ く考察を行う姿勢は、レムニョフさん(およびその講座のメンバー)の広い関心と学識によっているのではないかと感じたように記憶している。 日本に戻ってから、逆にオムスクに戻られる直前のレムニョフさんをお連れして東京周辺をめぐることができたのは幸いであったし、思えば直接お目にかかった最後の機会となった。しかしながら、すでに述べたように、その学統は若い世代に引き継がれ、さらに発展するも のと信じている。レムニョフさんのご冥福をお祈りするばかりである。

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