スラブ研究センターニュース 季刊 2012 年春号No.129 index

エッセイ

スラブ研究センターと冬の札幌での5 ヵ月

タラス・クジオ(トロント大学ウクライナ研究講座/ センター2011 年度特任教授として滞在)


クジオ氏
 北海道大学スラブ研究センター特任教授としての5 ヵ月 間の滞在が終了し、帰国するときが来ました。私は、ウク ライナに関する1000 ページの原稿を仕上げることを可能 にしてくれたスラブ研究センターのフェローシップに感謝 しています。この原稿は1953 年から現代までのウクライ ナ現代史を扱ったもので、現在北米の大学の出版会で出版 の校閲中です。
  次に挙げる三つの助力がなければ、スラブ研究センター の滞在期間が我々にとって有意義なものになることはな かったでしょう。第一に、我々は研究センターのスタッ フ(特に大須賀みかさんとセンター長の望月哲男教授)の 仕事熱心な姿と我々への献身的なサポートを思い出に、こ こを去ることができます。クリスマスや卒業式の時期に行 われるスラブ研究センターのパーティーやその他のイベン トを私たちは懐かしく思い出すことでしょうが、望月先生 はそういった席でつねに我々のグラスに日本の不老長寿の 薬、つまりサケを沢山ついでくれました。また、ウクライナをはじめとする旧ソ連の非ロシ ア諸共和国研究の日本における第一人者であり、スラブ研究センター特任教授となる手続き のサポートをしてくださった松里公孝教授には個人的にお礼を言いたいと思います。
 第二に、旧ソ連の7 つの地域から来たスラブ研究センターの外国人たちにとっては、長兄 のリーダーシップやアドバイスなしで長期滞在を乗りきるのはもちろん難しいものでしょう。 今回の場合、リーダーとして長兄役を担ってくれたのは私の研究室の隣人でもあるヴラディ ミル・シシキン教授でした。

仕事のあとの和やかなひととき
 我々旧ソ連人は共通するソ連時 代の経験によって理解しているの ですが、ロシア人を長兄としたリー ダーシップはソヴィエト連邦の家 族である非ロシア系諸民族の方向 性、達成度、献身性、生産性の確 保に不可欠なものです。滞在期間 中に我々は「兄弟として」頻繁に 乾杯をする機会がありましたが、 いつも長兄はボトルの3 分の2 を 飲みほします。しかしそれでも残 りの3 分の1 を非ロシア系の7 人 で分ければよいので満足でした。
  第三に、北海道の長い冬はノナ・ シャフナザリャン教授の助力なしでは耐え忍べなかったことでしょう。彼女は前向きで明る く、人生に対する情熱を持ち、すばらしいアルメニア料理、コーヒー、紅茶の作り手でもあ ります。仕事後には研究室でくつろいだ雰囲気のお茶会を開いてくれましたし、彼女を訪ね てきたお姉さんと妹さんも紹介してくれました。ノナさんはスラブ研究センターの5 階のフ ロアに、研究者同士がよい関係を築けるようなリラックスした雰囲気を作ってくれました。 また同時にノナ・シャフナザリャン教授はスラブ研究センターに三人のセミナー発表者を招 き、センター内での知的交流・対話も促進しました。
 私が小さな「日本のニューヨーク」とよんでいる札幌は、人々の心を惹きつける北海道の 歴史のほんの一部分にすぎません。北海道は19 世紀において、アメリカ流に「マニフェスト・ デスティニー」として開拓されたアメリカ西部と、イギリス流に囚人が移送されたオースト ラリアのシドニーという二重の役割を演じていました。私は妻のオクサナとともに日本でク リスマスと新年を過ごせましたが、ほかの外国人研究員たちも美しい日本の様々な地方を経 験することができました。巨大で狂騒的だが、途方もなくエネルギーの満ちた東京。寺院が 多くゆったりとした雰囲気の京都。私の場合は静岡にも訪れました。また、日本アルプスで 大晦日を過ごし、旅館の布団で眠った飛騨高山が印象に残っています。
  我々はみな、この先長く心に残るようなすばらしい思い出を胸に日本を発つことでしょう。
(英語から秋月準也訳)


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