スラブ研究センターニュース 季刊 2012 年春号No.129 index

エッセイ

日出ずる国の魅力:礼儀・茶道・書道など

マルガリータ・ジャガリャン (サンクトペテルブルク経済大学学生)


はるかさん、アンナさんと札幌テレビ塔で
私の隣は従兄弟です
 私にとって、日出ずる国への訪問は、最初からどこか特別なものでした。4年以上も夢に見て、2年近く待ち望んだものでした。母のノナ・シャフナザリャンのおかげで、やっと夢が実現しました。母は、自身の研究に研鑽を重ね、スラブ研究センター外国人特任教授の選考を勝ち抜きました。そのため私も大好きな国を訪れることができたのです。
  成田空港に着いた途端に、日本とロシアの間にある違いを感じました。周囲の全てが私に、ここはまるで違う世界で、独特な規則や慣習がある世界だと語りかけて来たのです。私は、少しでもこの待ち望んだ国の文化を理解するために役にたてばと思い、日本へ向かうにあたって十分に準備し、できるだけ多くの書物を読むように努めてきました。それでも何か間違いをしないかと不安でした。
 何よりも驚いたのは、人々の関係性です。私の観察がどの程度普遍的なものかはわかりませんが、相互に尊重しあう姿しか目にしなかったのです。このことが最初に目についたのは、今まで生きてきたロシアで目にしていた礼儀作法は、いささか違ったものだからです。
 ユニークな人間の巣窟のようなスラブ研究センターにおいてもこのような人間関係が満ちていて、お礼の言葉もありません。私の札幌滞在を温かく、心地よいものにしてくださった方々に感謝します。特に松里先生とそのお子さんたちです。また長縄先生はペテルブルク出張の際、来日前の私にビザ書類を持ってきて下さいました。素晴らしい日本のご家庭を訪問し、大いに友好を温めることができました。
 望月先生は、世の中の「長」と名のつく人々の中で、最も親しみやすく、話しやすい方として記憶に刻まれています。最初にお会いしたときに、センター長室のホワイトボードから記念にマグネットをいただき、その姿から優しいヴァレリー叔父を思い出しました。
 山本さんにも特別な感謝を述べたいです。山本さんは日本での最も素晴らしい思い出を贈って下さいました。彼女のはからいで、一週間日本の「本物」の学校に通うことができたのです。日本のアニメが好きで、少なからず学園物も見てきたので、私にとっては二倍楽しいものでした。学校の雰囲気というものを自分の目で見てそれに触れ、どっぷり浸りたかったのです。もちろん、ロシアの学校との比較も興味深いものでした。
 学校に通うにあたっての最初の課題は、校則を知る、ということでした。私の母校では「走らない、飛び跳ねない、先生の話を聞く」というもの以外に明文化された規則が無かったので、日本の校則は、私にとって尋常でないものでした。校則を見てわかったのは、これらは冗談などではなくすべて真剣なものであるということでした。ますます興味がわき、学校に行きたい気持ちが抑えられなくなりました。

学校の教室で、みんなと一緒にお弁当
 学校の私への対応は、最初から最後まで素晴らしいものでした。私たちの交流から、礼儀と思いやりの大切さを学んだことを忘れません。まず、古矢先生にお会いしました。古矢先生は、幾つかの手続きや学校の時間割について説明してくださり、先生方に紹介してくださいました。その後、お借りする制服を受け取りました。学校の制服というものを着たことが無かったので、とても新鮮でした。(ちなみに母はソ連時代に子どもでしたから、学校ではずっと制服を着ていたそうです。)制服を着て、女の子たちが待つ教室に向かいました。はるかさんとは今でも交友が続いており、無二の親友です。彼女はお友達に私を紹介し、仲間に入れてくれました。言葉の壁があったにも関わらず、女の子たちはみんな私に気を配ってくれました。そのなかで誰よりも親しくなったのは、アンナさんです。彼女とは、授業の間さえひそひそ話したり、お互いの国について語りあったり、感動を分かち合ったり、色んなことについて品定めしたりしました。(訳注:彼女たちは英語でコミュニケーションをしていました。)
 学校での日々で印象に残ったことの一つは、お昼ごはんです。何度もアニメでは見ていましたが、わたしの学校ではお昼ごはんを自分で持ってくることはなく、食堂で食べていたので、生徒たちが「お弁当」という小箱を家から学校に持ってきて、お昼休みにみんなで一緒に食べるということに大変驚きました。
 古矢先生は、私のことに大変配慮してくださって、最初の日には一人の女子生徒、きほさんに、私が迷わないように家まで送り届けるよう頼んでくださいました。帰り道で、きほさんにどれだけ日本が好きか、話しました。きほさんは、興味深いことをたくさん話してくれ、一緒にお店に行こうと誘ってくれました。その店はきっと私の気に入るだろうと。
 大変心地よい日々でした。日本ほど、新参者にこのように親切に対応をしてくれる国はないと、他の国での経験から、知っているものですから。あらゆる場面で親切にされたものですから、「なかまとしての私」が受け入れられているのだ、と確信がもてました。このことは今に至るまで忘れません。 あっという間に一週間は過ぎました。日々、親しい関係の女の子たちが増えていきました。

書道のクラスに参加
  ふざけあい、笑いあい、一緒ににぎやかにお昼を食べ、家から持ってきたおいしいものを分け合ったり、思いついたことを話したりしました。 I 先生は、何度か日本文化の授業をしてくださいましたが、その授業は、とても興味深いものでした。I 先生は私に、今日まで考えてもみなかった文化の特徴を教えてくださいました。大好きな日本をより深く知りたかったので、彼女と過ごす時間を心待ちにしていました。 I 先生、古矢先生、そしてありささんたちのおかげで、茶道のお稽古に参加することができました。とても感激しましたので、作法に則るように、また熱心な弟子であるよう頑張りました。それから書道のクラスにも参加しました。私が書いたものは子どもの落書きのようでしたが、先生から褒めていただけるように努めました。
 学校での最後の日は楽しくもあり、悲しくもあるものでした。このような素晴らしい人たちともう会えないかと思うと悲しかったのですが、同時に、札幌での素晴らしい時間を思い出すと、温かい気持ちになります。一緒にたくさん記念撮影をして、アドレス交換をし、いつかまた会おうと約束しました。
 写真だけでなく、私の記憶にずっと残るであろう、素晴らしい思い出を作ってくださった皆様、本当にありがとうございました。
(ロシア語より山﨑龍典訳、大須賀監修)


→続きを読む
スラブ研究センターニュース No.129 index