ささやかな「学際」

藤田智子 (COE非常勤研究員)

センターでは、原則としてすべての専任研究員が年に1度「専任研究員セミナー」で報告す ることになっている。事前にペーパーがセンター内に配られ、3人のチョンチョコリン
(1)も含めてセンターの研究員全員がそこに参加して意見を述べあう。

去る6月19日(水)、“Regionalism in a Transitional Period: The Case of Primorskii Krai”(2)と題する皆川修吾先生のセミナーがおこなわれた。そのときウクライナ人学者ネミリア氏に よる「地方主義」のとらえ方が話題になった。ネミリア氏は、東部ウクライナの政治学者が地 方主義を論じるとき当該地方の「自己満足度」とキエフおよび西部ウクライナとの対立という 二つのトピックがよく取り上げられると述べている(3) 。つまり、当該地方の自己満足度そして中央との対立という二つの力が一般的に地方主義と結びつけられているというのがネミリア氏 の認識である(4)。セミナーで話題になったのは、自己満足度はともかく、中央との対立という 要素がはたして地方主義になじむのかということだった。

結局、ネミリア氏による「地方主義」はナショナリスティックだという結論になった。「地 方」主義というからにはより大きなあるエリアの一部分に留まりそのエリアの「中央」と結び つき続けることに利益を見いだす行き方をするはずのところを、ネミリア氏による「地方主義」 は中央との対立を重要な要素としている。中央と対立し独立を志向するならそれはすでに「地 方主義」ではなく「ナショナリズム」である、とのことであった。

これを聞いてネミリア氏の原稿をネイティヴ・チェックしたときのやりとりが思い出された。 センターでは、英米人以外の著者による英文の依頼原稿はネイティヴ・チェックを通す。そし てチョンチョコリンが校閲者のもとにお使いに行く。ネミリア氏の原稿は本学の言語文化部に 所属する英国人教師の方に見てもらった。その方がおっしゃるには、この英語には奇妙なまち がいが三つある、「キーエフ」を“Kyiv”と表記していること、“Ukraine”に“the”をつけていないこと、「ロシアの」を“russian”と小文字で書き始めていることである、たいへんよい英語なのにまったく奇妙だ、と指摘された。

それぞれについて検討した末、まず“Kyiv”は「キーエフ」のことだとすぐ分かるから直さなくてもよい、ということになった。ロシア語からローマナイズすると“Kiev”という一般的 な綴りになるがウクライナ語から直接ローマナイズすると“Kyiv”になる。著者はロシア語経 由がいやなのだろう。

また“the”なしの“Ukraine”についても、この著者はウクライナが今ではロシアの一部で なくひとつの国になったことを誇りに思っているから“the”をつけないのであろう(地域の名 称には“the”をつけるが国名にはつけない)、これもやはり意味が通らなくなるわけではない
からこのままでよい、ということになった。

だが“russian”は語頭の“r”を大文字に書き換えることになった。他の国の形容詞は “Ukrainian”のように大文字で書き始めているのに“russian”だけ小文字にしているのはよ ほどロシアが嫌いだからだろうが、私的な手紙ならともかく学術論文では不適切である、と。

こんなふうにネミリア氏は言葉のはしばしにウクライナ・ナショナリズムをにじませていた。

いいわけめくが、私は文学畑のチョンチョコリンなので主張自体がナショナリスティックか どうかを評価する力はない。むしろテクストの付帯情報、著者のロシア嫌いが目に入る。それ ゆえネミリア氏的「地方主義」そのものがナショナリスティックであるというセミナーでの議 論はおもしろくてためになった。「感じ」にすぎないはずのものを裏付けてもらえたのだから。 ささやかな「学際」。

専任研究員セミナーのために、それまでまったく無縁だった分野の学術論文を読み意見・質 問を考え出すのはたいへんな負担になる。だがこういう役立つこともあるのだからがんばって 出よう。



(1)スラ研用語で「COE非常勤研究員」を意味する。時給をもらっているうちは「チョン チョコリン」、月給をもらい始めれば「ぺーぺー」。非常勤研究員の給与は時給。
(2)ペーパーは「スラブ・ユーラシアの変動」領域研究報告輯No. 11 A01「政治改革の理念とその制度化過程」班研究成果報告書第2号として刊行ずみ。
(3)「スラブ・ユーラシアの変動」領域研究報告輯No.8 A02「地方統治と政治文化」班研 究成果報告書第2号 G. Nemiria, “Regionalism: An Underestimated Dimension of State-Building in Ukraine,” p. 9.
(4)領域研究報告輯No. 11, p. 1.