ロンドン大学スラブ・東欧学部を訪ねて

村上 隆

王立国際問題研究所の客員研究員としてロンドンに滞在している間に、
ロンドン大学のスラブ・東欧学部(School of Slavonic and East European Studies)を訪問し、この学部の内容を垣間見る機会を得た。旧ソ連・東欧の言語、歴史、文学の研究者、とくに中・東欧の研究者にとっては、たぶん馴染みの深い学部であろうと思う。私のような経済を専門にする者に とっては、これまで縁遠い存在であったので、昨年末にスラブ研究センターを訪問したスラブ・東欧学部のマクミラン教授(Arnord MacMillin、専門はロシア文学、とくに最近ではロシアの 演劇、音楽)を訪ねた折りに得たインフォメーションは示唆に富むものであった。そこで最近のこの学部の状況について紹介してみたい。

1915年にキングス・カレッジ(King's College)の一講座として出発(1932年にロンドン大学の学部となる)してから80年の歴史をもっている。学部はロンドンにしては比較的新しい セニト・ハウス(Senate House)の北ブロックにあり、ラッセル広場(Russell Square)に面していて、地下鉄駅(Russell Square)から5分、大英博物館や社会生活(劇場、パブ、レ ストラン、ショッピング等)をエンジョイできるすばらしい環境にある。学科はロシア学科 (The Department of Russia)、東欧言語・文学科(The Department of East European Languages and Literature)、歴史学科(The Department of History)、社会科学科(The Department of Social Sciences)の4部門から成り立っている。教授陣は講師(lecturers)のレベルまでで、ロシアが13人、東欧言語・文学が11人、歴史が12人、社会科学が8人の 合計44人で構成され、この他内外から特別ゲストとして実に多彩な講師を招いている。学生数 は現在、学部生が約330人、大学院生が約160人。これほどにロシア・東欧に関心を持つ学生 がいること自体、驚きであるが、同時に就職口があるのだろうかといぶかりたくもなる。この ことを王立国際問題研究所のスタッフに聞いてみたところ、東欧のマイナーな言語を勉強して いても最近では企業が東欧とのビジネスを考えていて、結構需要があるのだという。

何事も古い英国のこと、この学部すら歴史の重みを痛感させるが、そこにあぐらをかいてい るわけではなく、さまざまな悩みと解決法を模索している姿がうかがわれた。とかく、我々は 英国の大学というと歴史の重みばかりをみる傾向にあるが、この学部に関しては少し大袈裟に 言えば“動いている”部分に対応しないと、崩壊してしまうという危機意識が、むしろ我が研 究センターより強いのではないかという印象を受けた。幾つかを指摘してみたいと思う。

第一は教育と研究の理念(目標)の問題である。残念ながら私は「なぜスラブ研究センター が旧ソ連・東欧の研究をやらなければならないのか」と問われた時、明確な解答をもちえない。 学問とか研究とかいった言葉でごまかして、極めてあいまいである。だがロンドンのこの学部 の理念ははっきりしているように思える。それは、より現実的であり、移行期の旧ソ連・東欧 で起こっている問題が西側の生活に直接インパクトを与えているという現実を忘れてはならな いという認識であり、そのことが英国の利益に直接係わっているという理解に基づいているこ とである。旧ソ連・東欧の教育と研究が移行期の旧ソ連・東欧の平和的な発展に必ず貢献でき るという信念が明確に示されているのである。

第二は旧ソ連・東欧の転換期に学部も変わるべきであるという認識に基づいて、4年前に社 会科学科が新設されたことである。学部全体の当面の最優先研究課題として、経済システム、 環境問題、社会的・批判的・美学的文脈での文学・文化、国家のアイデンティティ・ナショナ リズム・少数民族、共産主義からの移行、政治文化・イデオロギー、実践的・理論的言語研究、 社会学、政府のシステム、旧ワルシャワ条約加盟国の安全保障、都市・地方リストラクチャリ ングがうたわれていることからも、社会科学研究重視の方向が読み取れる。今のところ他の学 科に比べれば社会科学のスタッフの層は薄く、マッコーリー(C. M. A. McCauley、Senior Lecturer、ロシアの政党、ロシアの政治・経済エリート研究)、ダンカン(P. J. S. Duncan、Lecturer、ナショナリズム研究)、スミス(A. H. Smith、Reader、貿易、国際経済関係、ルーマニア経済)、ハミルトン(E. E. I. Hamilton、Senior Lecturer、投資、ビジネス研究)をはじめ、専任が8人、この他客員研究員や特別ゲスト講師で埋め合わせている。英国は、旧ソ 連・東欧とのビジネスの世界ではドイツ、フランス、イタリアに概して遅れをとってきたが、 旧ソ連・東欧が市場経済、とくに金融の世界に深く係わりをもつようになってきてから、ロン ドンの存在が強まってきているように思える。高価な商品の並ぶボンドストリートを闊歩する ニューリッチのロシア人の姿もめずらしくなくなった。ロシア人の豪邸購入のうわさもしばし ば耳にする。英国人の大好きな“スパイ物”の題材を提供してきたロシア人が、今度は“キャ ピタリスト”として話題を提供している。

第三はEU体制の教育・研究の拠点としての存在を意識していることである。ロンドンに生 活していると実に多様な民族が行き交い、どこの国の出身なのかほとんど気にならない世界で ある。第二次世界大戦でスコットランド軍と共に戦い、そのまま英国にとどまった兵士が多 かったこともあって、ロンドンにはポーランド人も多い。社会主義体制の崩壊で人の交流の障 壁がとれた。この学部も中・東欧をはじめ多くの講師を招いている。バルト三国やウクライナ、 ベラルーシからの講師もいる。そのスケールが大きいのは、ロンドンが文字どおり国際都市で あり、この学部が伝統的に旧東欧の言語・文学・歴史を中心とした教育・研究をおこなってきたからなのであろう。

第四は財政強化に一段と熱心になってきたことである。国家予算からの配分が厳しくなって いる状況で、学部が生き残るために基金の調達に管理部門はかなりのエネルギーを割いている。 日本でも国家財政が破綻寸前にある状況では、早晩国家配分の増額には期待できなくなり、ス ラブ研究センターも新たな資金源獲得の方法を考えなくてはならなくなるだろう。その場合、 今から英国や米国の大学の基金調達のノウハウを研究しておく必要があろう。

最後にこの学部のライブラリーを簡単に紹介しておこう。現在の蔵書数は32万冊。教育・研 究の伝統からして文学、歴史、中・東欧関連の書物が多いのは当然のことである。マサリク・ ホール(Masaryk Hall)のあることがその象徴でもある。後年、チェコスロヴァキアの大統領 となったマサリク(T. G. Masaryk)は設立当時のスタッフの一人であった。ロシアを中心と する旧ソ連の書籍は約9万冊、うちウクライナは6,000冊、ベラルーシは1,000冊、エストニ アは2,000冊、ラトビアは1,500冊、リトアニアは1,700冊、ポーランドは2 万冊、チェコおよびスロヴァキアは1万9,000冊、旧ユーゴスラビアは1万1,000冊、ブルガリアは9,000冊、 ハンガリーは1万6,000冊、フィンランドは7,500冊、ルーマニアは8,000冊などである。社 会科学の書籍は限られている。数多くの定期刊行物の他に115種の新聞をとっているが、概し て東欧のものが多く、旧ソ連についてはわがスラブ研究センターの方が充実している。ライブ ラリアンはスクリーン(J. E. O Screen、MA、PhD、Dip. Lib. 、フィンランド研究)を筆頭に、サブ・ライブラリアン1名、アシスタント・ライブラリアン3名、シニア・アシスタント・ ライブラリアン5名、ライブラリー・アシスタント約5名を抱えている。わが図書室に比べて 専門家が多く、かなり恵まれているといえよう。コンピュータに打ち込まれているのは1988年 からの蔵書であり、それ以前のものはカード検索に頼らなくてはならない。この図書館の蔵書 の古さからみたら、コンピュータも余り役に立ちそうにない。ご多聞にもれず、この図書館も 資金不足に悩まされているようであり、図書館紹介の小冊子が何と3ポンド(750円)で販売 されているし、外部からの利用者は1週間に6ポンド払わなくてはならない。

ゆったりと構えていて“静”のようにみえる英国の大学も、実は“動”の部分に揺り動かさ れている。我々も“静かに”眠っているわけにはいかない。学問の府としての良さを生かしな がら、変化していく社会に対して大学がどのように貢献できるかという視点を追求していかな いと、社会から取り残されていくだろう(1996年10月7日、秋の気配のロンドンにて)。

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