ロシアの研究者が日本と日本人について考えたこと

ノダリ・シモニア (ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所/ センター外国人研究員)

ロシア人が抱く伝統的な日本のイメージは極東の神秘と結 びついていた:「茶の湯」、神社、お寺、ゲイシャ、プッチー ニの「蝶々夫人」、サムライ、ニンジャ。ソビエト時代の一般 大衆にとって日本とは、ロシアから「合法的な領土」を奪お うといつもねらっている軍国主義と膨張主義の国だ。ペレス トロイカ以降は、日本は非常に金持ちで、世界中を自国産の 自動車、テレビ、カセットデッキで埋め尽くす技術大国、と いうイメージが優勢を占めるようになった。だが、ほんの一 握りの専門家を除いて、戦後数十年、日本に、実際いかなる変化が政治・経済・社会文化の上に起きたかを知るものはほとんどいない。

私は研究者で、ずっとアジア問題を専門にしている。特に最近の7、8年は自分のアジア社会 についての知識を、ロシア社会とロシア問題のより深い追究に役立てようと試みている。私は ロシアと日本の歴史的運命、その類似性にだいぶ以前から惹きつけられている。二つの国の近 代化はほとんど同時に、19世紀後半に始まったのだ。日本は明治維新の後に、ロシアは農奴解 放の結果として。両国とも外圧のもと、西欧列強の挑戦に応じる形で近代化をなし遂げ、両国 とも伝統的価値観と西欧近代主義の統合という問題を、苦心のすえ解決してきた(そして現在 も解決中である)。私は1983年の初来日以来、もう何度も日本を訪れている。毎回、日本人の ライフスタイルのなかから、新しい変化の兆候を読み取ろうと努力している。この短い文章で は自分の個人的な印象さえ詳しく語ることはできないが、私にとって重要な観察結果を一つ語りたいと思う。

90年代の初めごろまで、日本人は自国の伝統的な価値と、西欧から借用してきたテクノロ ジーを、単純な「西洋化」に堕することなく、見事に調和させることに成功した、と考えてい た。この面では日本はロシアのお手本だとさえ思っていた。しかし今回の札幌滞在では、1991- 92年に東京に3カ月滞在したときとの大きなコントラストに驚かされた。私の言おうとしてい るのは、テレビ番組では毎日、そして札幌の繁華街でたびたび週末にみかける、アメリカ「ポッ プカルチャー」の圧倒的な影響についてだ。「民主化」ロシアでもその影響はたっぷりある。ロ シアのテレビ番組で1カ月間に出てくるその種のヌードやあやしげなフィルムや三流のアンサ ンブルなどは「西側」じゅうのテレビ番組で1年間に見られるよりも多い。もし日本の計り知 れないほど貴重な文化が、この「文化のグローバリゼーション」の奔流にのみこまれてしまっ たというのなら残念なことだ。この思いを抱いたのは、先月ススキノで、若い女の子のグルー プがカバンをアスファルトに投げ、地元のロック・スターに合わせて踊り狂い、歌いまくって いるのを見かけたときだ。もちろん、このグローバリゼーションは避けることのできない過程 であり、多少の犠牲がでるのはやむをえないということは理解している。でもそれが人間性を 損ねることによって進行するとしたら私は反対だ。作詞家・岩谷時子が『ジャパン・タイムス』 の最近の号で「技術革新によって、彼女と、彼女の詞にメロディーをつける作曲家のあいだの 創作上の相互理解が、かえって妨げられるようになった」と語っていたが、彼女の気持ちに同 感だ。

ところでロシアの国民である私をなによりも不安にさせるのは、非常に問題の多い日ロ関係 だ。いちばん悪いのは政治家たちなのは確かだが、両国の一般人だって関係改善のため何かを できるはずだ。私などは、ロシアに依然として広く行き渡っている、日本に関するバカげた「神 話」や、通りいっぺんの俗説を吹きはらうことを、自分の使命だと思っている。特に、「現代日 本における軍国主義」の神話を一掃したい。歴史的には「武士道」とは、ただの勇ましさでは なく、名誉心と自尊心とも結びついていた。このことを知るのは、ロシアの政治家にとって有 益だろう。もう一つ、「日本人の外国人嫌い」の神話はどうか。わたしは時折日本人自身までも がこのことを言っているので驚いている。ここでは物事の簡略化と真実の歪曲がおこなわれて いるようだ。自分自身や祖国についてうぬぼれているような外国人は、日本人にいろいろと、 なにをどういう風にやるべきか教え込もうとするので、良好なつき合いはもちろん、期待でき ない。もっともなことだ。ロシアには「他の修道院へは自分の修道院の規則は持ち込まぬもの (郷に入っては郷に従え)」という、賢明なことわざがある。

私はオフィスや、乗り物や、店や、街頭や、あらゆるところでたびたび日本人と接触するが、 この目で見たものは「日本人のガイジン嫌いの神話」が誤りだということをハッキリ証明して くれる。みな礼儀正しいし、こちらが困っているとみるや、自分の時間を犠牲にしてまでも助けようとしてくれる人が多い。明らかな好意と親切にもよく出会う。短いエピソードのほうが、 長々しい考察よりもときには多くを物語る。あるとき私と妻は電車で札幌に戻るところだった。 ある駅で私たちの車両と反対側の車両とがさし向かいに止まった。向かいの車両に乗った中年 婦人2人が私たちを見た。私たちは彼女たちを見た。すると、彼女たちは非常に愛想良く私た ちにほほえみかけ、会釈をした。私たちはそれに同じように応えた。そしてそのあと家に着く まで、このつかの間の出来事で呼び起こされた、暖かく心地よい気分が続いた。もう一つのエ ピソード。円山公園を散歩するとき、スポーツウエアの中年の日本人が向かいからやってくる のによく出会う。毎回、彼らは私たちに丁寧に挨拶をする。この人たちは深い自尊の心を抱い ている人たちなのだろう。自分自身を敬う人だけが本当の意味で他人を敬うことができるのだ。

この機会を借りて、センターに支配する雰囲気がいかに私の気に入っているかということに ふれておきたい。第一印象は、私の初めての研究所で、30年間をすごしたソ連科学アカデミー 東洋学研究所の創造的雰囲気にふたたび包まれたという感じだった。もちろんここのメンバー の数は70分の1だが、一人一人が多様で、多面的で、幅広い興味を持っている。多くの西洋や アジアの学者たちが、このセンターに滞在する機会を得て喜ぶのはもっともである。ここには 実際、基礎的研究を静かな、哲学的とさえいってもいい環境ですすめる、あらゆる条件が整っ ている。センターは日本とスラブ諸国の間の相互理解を深めるために大きく貢献する組織の残 念ながら日本ではまだまだ数少ないひとつだと私は考える。(ロシア語から大須賀訳)