中国社会科学院訪問

望月哲男
9月4日から11日にかけて、中国社会科学院外事局(姜 章局長)の招待で、北京を訪問す ることができた。センターと縁の深い東欧中亜研究所を訪れ、中国のスラブ研究者たちと交流 するのがひとつの目的であった。

早速到着の翌日同研究所にうかがい、十数人のロシア専門家の方々と談話する機会を得た。 都心から車で30分ほどの距離にあって、丁度昔の東大駒場キャンパスの一部を思わせるような たたずまいである。社会科学系の研究所なので、現代ロシア文化事情に関する当方の報告自体 はめぼしい反応を呼ばなかったが、日露関係や日本のスラブ研究状況には深い関心が持たれて いるという印象を得た。学会の構成やスラブ研の資料などの話題から、北方四島をめぐる日露 関係にも話がおよび(どうもこれがないとおさまらないらしい)、「日本海の小さな島の問題で もなかなか解決しないのですから・・・」などとつい口走る。尖閣諸島の問題は意識していたが、灯台をめぐる状況の緊迫については当時全く知らなかった。ニュースを知らない文学者と いうものは、平気で恐ろしい話にも踏み込むものである。

同所の図書館は政治経済の分野を中心に数万点の図書を集めている。ロシア語の雑誌類もか なり揃っているが、欧米の書籍が高価なため集めにくいという悩みを聞いた。研究スペースの 事情もあり、所員の大半は週二日程度出勤するだけで、主として家で仕事をするのだという。 研究会などの行事も皆の出勤日に合わせておこなうようである。いろいろな点で80年代までの ソ連の研究所を連想させた。

来世紀に向けての国家方針を決定する共産党の大会が来年に控えている関係で、ロシア東欧 専門家は概して大変に忙しそうであった。センターの客員であった陸南泉教授は、政府代表団 のロシア訪問への随行を含めて、2カ月間ほど北京を離れていたという。今回貴重な時間を割 いて親身にお世話して下さった李静杰同所副所長(昨年度センター客員)も、この後すぐに一 週間のモスクワ出張を予定していた。改革の方針選択の素材として、ロシアや東欧のケースが、 いろいろな角度から熱心に検討されているようだ。また社会科学者たちの研究が、国家の政策 決定に密接に関係しているという事情もうかがえた。
外国文学研究所での研究会
中国社会科学院は31の研究所を持つ大組織だが、8日にはそのひとつである外国文学研究所 を訪問することができた。こちらはメインストリート長安街に面した、堂々たる社会科学院ビ ルの一角を占めている。ここにはロシア文学のセクションもあって、丁度滞在中であった イェール大学のヴェンツーロフ教授とともに、現代ロシア文学に関するセミナーを持つことが できた(同教授の話題はヨシフ・ブロツキーの作品における時空間のテーマ、当方の話題は現 代ロシアのポストモダニズム文学)。特に若い世代の研究者は現代ロシア文学への関心が深いら しく、個々の作家の作風や評価について、かなり突っ込んだ質問も投げかけられた。時間の関 係でゆっくりと談話できず、また同所の図書館も拝見できなかったのが残念である(姜局長が 豪華な会食に招いて下さったのだが、一体に中国の食事はとても美味なので、学問的興味が負 けてしまう傾向がある)。

もう一つ予定されていた北京大学訪問が先方の事情でキャンセルになったので、仕事らしい ことをしたのは以上であり、残りの時間は観光客として過ごした。招待者の親切な配慮で、流ちょうなロシア語を話す大学院生(李勇慧さんという李教授の優秀なお弟子さんである)とカ ンフー小説の大好きな運転手が終始付いてくれたおかげで、長城、和擁宮といった少し遠いと ころも含めて、短時間にかなりの史跡を訪ねることができた。我々が海外からの客人にしてさ しあげられないことである。

北京の面積は四国ほどもあるというが、ここでは何もかもサイズが大きい。郊外の風景はき わめて広大、建物は巨大であり、歴史は遥遠で驚くべき人物に充ちている。それも首都圏の一 部を見ているに過ぎないのだから、この国の規模をイメージするのは難しい。都心も観光地も 地下鉄の中も含め、訪れた場所はみな清潔でよく管理されていた。小さな食堂や商店も含め、 先輩旅行者から注意されたある種の不潔さや不便さは、首都にいる限り全く経験しなかった。 噂を上回るという意味でカルチャーショックを受けたのは交通である。早朝から膨大な数の乗 物が通りを埋めている。自転車道のある大通りを直進している限り違和感はないが、自家用車、 バス、自転車、輪タク、大小の荷物を積んだリヤカーといったものが一堂に会する交差点や裏 通りでは、スリルとサスペンスを味わうことができる。当方のドライバーはカンフー仕込みの 反射神経で二輪四輪歩行者の群に間合いを見きって踏み込み、相手がひるんだとみるやその鼻 先を器用に抜けて行く。誰もぶつからない。海の中の大小の魚がぶつからないように、スピー ディーに混在し、しかも衝突しないのである。交通に関する規則はあり、警官が厳しく交通整 理しているが、互いにぶつからないという基本ルールを除いて、枝葉の部分は適宜柔軟に解釈 されているようだ。これは党やアカデミーといった組織が健在な一方で、きわめて資本主義的 なビジネスや個人商店がそれぞれに栄えているこの国の雰囲気に似合っている。いわば交通に おける社会主義市場経済が成立しているのだ。

中国の陽気な雑居性についての観光客的な感想には限りがないが、総じて高齢者も子供も、 あるいは南方からの何百万という数の出稼ぎ人も含めて、全ての人が何かするべきことを見出 しているように見える北京の町の雰囲気は、旅行者を闇雲に元気づけるものであった。

最後にこのような機会をつくって下さった中国社会科学院の関係者の皆様に、心から御礼申 し上げたい。中国のスラブ研究を世界に向けて開いてきた陸先生や李教授の世代の努力が、若 い世代に受け継がれて行くためにも、この国の順調な発展をお祈りしたい。