町の上を飛ぶ天使

エヴゲーニイ・アニーシモフ(ロシア科学アカデミーサンクト・ペテルブルグ支部歴史研究所/センター外国人研究員)

サンクト=ペテルブルグのペトロパヴロフスク要塞の近 くに1995年11月中頃にいた人は、驚くべき光景を長く記憶に留めたことだろう。ペトロパヴロフスク聖堂の尖塔の上 に、ほとんどつかえそうになりながら、荷物をぶら下げた小さな青いヘリコプターが浮かんでいたのだ。ペテルブル グの晩秋の身を切るような風が吹き、避けられない大惨事の予感に心臓がしめつけられるのであったが、幸いにしてす べては無事に済んだ。ヘリコプターは尖塔の上に荷物を下ろしてから地上に降り、そのあとまた飛び立って、ペテルブルグの低い空を突く巨大な黄金の針の先に注意深く近づきながら、長いこと旋回していた。

我々は、この勇敢なトンボが何をやっていたのかを知っている。数カ月の間に突如としてすべての人に知られ大切なものとなった、我らが「天翔ける天使」を、小さく分けて上に運んでいたのである。実は天翔ける天使は、いつも我々ペテルブルグ市民と共にいた。旧海軍省の船形の風見や、夏の庭園、冬宮、ネフスキー大通りと同様、いつもペテルブルグのシンボルだったのだが、空の高いところにいるので、我々の地上の瑣末でくだらないことどもからはとても遠いように見えた。ところが突然、天使にも、我々死すべき人間と同様、ありふれた問題があることが分かった。空を飛ぶ黄金の天使も時間には勝てない。時には病気になり、治療のための金は、我々と同じく、ない−−だいたいどこから天使に金が湧いてこよう?

……そもそも、天使が我々の町の上を飛ぶようになってからもう三世紀目である。学を衒って言うなら、もう四代目の天使がペテルブルグの空にいる、今の天使の曾祖父を1724年末にペトロパヴロフスク聖堂の尖塔の上に見たのは、市の開祖ピョートル大帝自身であった。ツァーリは、まず鐘のある塔の建設を終えるよう、主任建築家のドメニコ・トレジーニとオランダ人職人のゲルマン・ヴァン・ボレスをひどく急かしていた。本堂ではなく、塔がツァーリに第一に必要だったのだ!なぜなら塔は町の上にそびえ立ち、海から町に着くすべての人にはっきりと告げるのである、ここは平屋の百姓小屋が並ぶ平坦な沼地ではなく、帝国の首都なのだ、と!ピョートルは自分の町を船として建設したのだが、大きなメインマストなくして何の船と言えようか?

鐘のある塔というアイデアは、もちろん独創ではない。ツァーリはペテルブルグを作る際に、リガ、レーヴェリ、ロンドン、アムステルダムの見取図を絶えずのぞき込んでいた。しかしペトロパヴロフスク鐘楼には独自の、本当に独創的、ロシア的なところもあった。塔を建てるなら必ず一番高いものを、尖塔を付けるなら必ず黄金のを、という。こんなものはどこにもない。巨大な金メッキの尖塔は、ロシアそれ自身と同様、アジアとヨーロッパを結び合わせていた。ヨーロッパ式の八面からなる尖塔の厳密で優美な幾何学と、金をかぶせたモスコーヴィヤ伝統の丸いドームの絢爛。ドームは、ヴラヂーミル・ヴイソーツキイの言葉を借りれば、我々ロシア人を「神がもっとたびたび目に留めるように」、貧しい国を見下ろして火のように熱く燃えていたのだ。尖塔の上の天使というアイデアもまた、陳腐でもあり同時に独創的でもあった。塔や鐘楼の頂上にある多様な形象というのは、ヨーロッパの諸都市では普通の現象である。北欧の都市を歩きながら頭を上げれば、日付を入れた小旗、船形の風見、風見鶏、小さな像などが目に入らずにはいない。われらが天使は、誇り高い昔の海辺の町に不可欠な風見の、欧風の仲間に属するのだ。当時の商人や市民は、町の時計の時報や午砲の砲声に習慣的に耳を傾けると共に、高いところの風見を眺めていた。朝からの風向きはどうだろう?今日リューベックやコペンハーゲンからの船の到着を当てにしていいだろうか?しかし天使、それもこれほど大きく、しかも黄金の天使のようなものを首都の上に舞わせることができるのは、北方の真の君主のみであった!

天使の計画をツァーリに提案したのはトレジーニだった。軽はずみでいたずら好きな、バロッコの金色の子供が出来上がった。トレジーニの天使は地面と平行に飛び、尖塔の頂上の、直立したいかめしい十字架に触れているだけのように見えた。天使のかかとはきらめき、翼ははためき、マフラーの端がひらめいていた。トレジーニの天使は、当時の世俗的絵画の主人公である、バロッコ様式のお茶目なキューピッドの兄弟だった。桃色のお尻とふくらんだ頬のキューピッドは、教会堂に「飛び込む」と、こぶしを握ったおとなしい天使に変わるのであった。忘れてならないのは、祝日にはペトロパヴロフスク尖塔の上の天使と一緒に、巨大で長い、カラフルな旗が風にひるがえっていたことである。ネヴァ川に泊まる船のマストの上や、ペテルブルグのほかの建物の塔の上でもそうだったのだが。これは昔の版画を見ればよく分かる。騒々しくぱたぱたいう空の仲間に囲まれて、トレジーニの天使は本当に居心地よいのであった。

最初の天使は町の上空で22年間とんぼ返りをしていたが、1756年4月30日、すさまじい夜の雷雨の中、ペトロパヴロフスク聖堂の鐘楼を稲妻が打ち、木造の尖塔が焼け出して、あかあかと燃える柱となって聖堂の上に崩れ落ち、ペテルブルグっ子を震え上がらせた。尖塔の外張りの赤熱した板だの、炎に溶ける鐘だのの、崩れて燃える建造物の混沌の中で、トレジーニの天使も最期を遂げた……。聖堂の再建には長い時間がかかった。1774年になってようやく、新しく作られた天使が町の上に飛び立ったが…… 長生きはできなかった。1777年9月10日、有名な最初の大洪水が始まり、未曾有の強さの暴風が凶暴な攻撃をかけて、天使の翼をもぎ取り体を曲げたのだった。ここに至って、天使を作り変え、軽はずみな空中飛行というアイデアを放棄し、天使を十字架の基盤にきつく結びつけて、重心が尖塔の垂直軸に近づくようにすることが決められた。風見天使の下絵を描いたのはペテルブルグの偉大な建築家アントニオ・リナルディで、1778年に新しい−−早くも第三代の−−天使が、空中に飛び立った。それはトレジーニの天使より小さく、十字架により近くくっついていた。そして、
偉大な都市を祝福し災いを祓うために、自由になった片手を挙げたのだった。これより先、名高いオランダ人職人のオールトン・クラスの尽力により、塔の時計が時報と共に時を刻むようにもなっていた。

リナルディの天使は、ペテルブルグの寒空にしては珍しく長く、まるまる人の一生に当たる70年以上を持ちこたえた。天使はピョートル一世像である青銅の騎士の除幕式を見、マルス広場での盛大なパレードを、スイトヌイ市場の汚い広場での屈辱的な死刑を、1824年の恐ろしい二度目の大洪水を、1825年の元老院広場での蜂起を見た。天使は地上の多くの人よりも長生きした−−なにしろ、われらが天才アレクサンドル・プーシキンの一生が、天使の長い飛行の時間に納まってしまうのだから。天使は二度、皆の好奇心の対象となった。1825年の夏の夜ごと、不安げなペテルブルグ市民の群衆が十字架と天使をじっと眺めていた。そこでは奇妙な、驚くべき変化が起きていた。夕闇がせまると、鐘のある尖塔の上の十字架は輝き始めた。暗くなればなるほど、金色の十字架は空に明るく光を放った。長い夕焼けが十字架に反射しているのだと思った懐疑論者たちは、黒雲に覆われた暗い夕にさえ光が現れるのを見て、黙り込んだ。その後、信じやすい群衆を騒がせた魔法の光は、突然消え失せた。奇跡の秘密は簡単だった。要塞から遠くない空き地の一つで、建設作業員たちが石灰を焼くために炉を設け、その炉口からの光が、ちょうど尖塔の頂上に当たっていたのだ。尖塔そのものは炉を取り囲む塀の陰になり、特別な光学的効果を作り出していた。作業員たちはとっくに事情に気がついていたが、仕事が終わるまで口をつぐんでいた。そうしなければ特別市庁が炉を徹底的に壊してしまうだろうと、正しい判断をしていたから。

1830年夏、向こう見ずな屋根葺職人ピョートル・テルーシキンが天使に忍び寄った。彼は十字架と天使の必要な修理をおこなうために、現代のロッククライミングの要領で尖塔の勾配を見事克服し、一番頂上までよじ登ったのである。しかしながらリナルディの天使の状態はさらに悪くなっていった。早くも1834年、目の良い君主ニコライ一世は、尖塔の十字架がひどく傾いたと、非難を込めて取り巻きに言った。1857年、リナルディの天使は地上に下ろされた。熟練の技師・職人たちの宣告は無慈悲なものだった。第三の天使はもう飛んではならない!この時作られたのが、我々皆が知っている四代目の天使である。技師ジュラーフスキイの作業班は初めて金属製の尖塔を建て、1858年秋にはもう天使が町の上で輝いていた。尖塔そのものは、古い銅銭から鋳直された最良の銅に金メッキを施したもので被われた。恐らく、四代目の天使も古銭から作られたのだろう……。

四代目の天使が飛び立ってからもう二世紀目である。ペテルブルグの罪深い土地の上に、四代目は、先代よりも恐ろしいものを目にした。アレクサンドル二世の暗殺、三度の革命、1924年の三度目の大洪水、町に急降下するドイツの爆撃機、封鎖されたレニングラードの通りで死んでいく人々、それに劣らず恐ろしい、無学で野蛮な文化の敵たちの襲来。1938年にボリシェヴィキが華麗な時計に「インターナショナル」の演奏を強いたあと、「勤労者たち」がスターリンに、「ペトロパヴロフスク要塞の尖塔から天使と十字架を撤去し、モスクワのクレムリンの塔の星のような赤い星を尖塔に戴かせるよう」請願し始めた。しかし何かの技術的理由で冒涜は実現されなかった。レーニン像がその場所を狙ったアレクサンドル円柱から、天使が投げ落とされなかったのと同じように…… 。

そして今から2年前、天使は町の中心の塔の頂上から消えた。天使は修復されなければならなかったが、偉大な都市はその時貧しく飢えていた。ペレストロイカは終わり、帝国は崩壊し、未知の生活が始まろうとしていた。長いこと、数カ月たて続けに、ペテルブルグのテレビは塔の何もない頂上を映し、修理に必要な金を集めるよう呼びかけていた。その時私には、我々一人一人の守護者・救済者であるこの天使が、我々の道徳的・法律的罪に耐え切れず、町の上の無限の灰色の空に永遠に飛び去ってしまったように感じられた。しかしながら、これはまだおしまいではなかった。資金が集められ、天使は再び黄金で被われた。天使は再び、自分の金色の翼で町を不幸と惨事から守りながら、我々の上を飛んでいる。本当に、これが永遠であってほしい。(ロシア語から宇山訳)