ある日の体験 −「スラブ」をめぐって−

松戸清裕 (COE非常勤研究員)

「センターニュース」にエッセイを書くよう依頼された。今号も(他の方々の原稿によって)質、量ともに充実したものとなるのだろうから、文才に乏しい私がエッセイなど書かなくともと思ったのだが、非常勤研究員としての義務であるらしい。とはいえ、急に気のきいたことを書けるようになるはずもないので、ある日の、笑えない個人的な体験を記してお茶を濁すことをお許しいただきたい。

昨年の秋、何年かぶりで高校時代の友人、知人に東京で会ったときのことである。私は札幌に引っ越した旨を話し、「北海道大学スラブ研究センター」と刷られた名刺を何人かに渡した。私は、「そこで何をしているのか」、「いつまで札幌にいるのか」など、職場の説明抜きで話が進むと予想していたように思う。もちろん、いわゆる社会人である友人たちが「スラブ研究センター」の存在を知っているとまでは私も期待しなかったが、「北大」にある「スラブ研究」の「センター」だということは諒解してもらえると思ったし、それ以上のことは特に説明する必要も感じなかったからだ。

しかし予想は裏切られた。友人たちは、「スラブってなに?」、「アラブと関係ある?」、「チェコスロヴァキアと関係ありそうじゃない?」などなどと言いだしたのである。こうした友人たちの反応を諸先生はいかが思われるだろうか。「近頃の若い人は本もろくに読まないから一般常識に欠けている」とのお馴染みの台詞を言われるだろうか。その通りであれば、単なる笑い話となろう。なるほど、その時耳にはさんだ話では、職業上の必要がないと新聞も読まない(人もいる)らしいので、「近頃の若い人は本もろくに読まない」というのはあてはまりそうだ(といってももうそれほど若いわけではないが)。だが、よく考えてみると、友人たちが「一般常識に欠けている」といって済ませてしまうことはできないように思われてきた。

友人たちの卒業した高校は地方公立ながらいわゆる「進学校」で、「スラブ」を知らない友人たちは、「一流大学」を卒業し「有名企業」で働く、いわば「高学歴のホワイトカラー」である。また高校では世界史が必修であった。もちろん、大学は、「スラブ」のスの字も見ないで卒業することも十分に可能だろう。また高校で必修だったからといって全員が真面目に世界史を勉強したとは思えないし、仮に勉強していても、大学受験から10年余も過ぎれば、頭に残っていることの方が少ないかもしれない。それはそれで大きな問題だがここでは措くとして、私が思ったのは、こうした人々が知らない「スラブ」という言葉は、「一般常識」とは言えないのではないかということである。

「特殊な例を一般化して語るな」、「『類は友を呼ぶ』という通り、お前の友人が特別に『一般常識』に欠けるのだろう」という声が聞こえてくるようだ。それならそれでよい、というより、そのほうがよい。笑って済ませることができる。しかし友人たちの反応が、20代後半から30代前半の「大卒社会人」の一般的反応であるとしたら、こうした人々の間では「スラブ」という言葉さえ常識ではないとしたら、どうだろうか。そのような社会において自分はスラブ関係の研究に取り組んでいるのだと考えると、私はこの体験を笑って済ませることができない。

いやいや、たまたま「スラブ」という言葉がなんらかの理由で特別に馴染みが薄いということもあり得る。友人たちも「ロシア」や「チェコスロヴァキア」は知っていたではないか(!)。 このように考えると少しは救われる気がしないでもないが、しかしたとえそうであるにしても、「スラブ」という言葉さえ知らない友人たちの「ロシア」や「チェコスロヴァキア」についての知識や関心は、残念ながら非常に心許ないものであろう。

なぜ「スラブ」がこれほど知られていないのか、こうした状況にたいして「スラブ」関係の研究者や「スラブ研究センター」はなにをなすべきかなどということをここで論じたいのではない。ただ、「スラブ」関連の研究がメジャーとは決して言えない分野であることは常日頃思い知らされてはいたが、しかしそれほどまでにマイナーであったかと考えさせられたこの体験について、「スラブ」研究に関わる方々に知っていただきたいだけである。「いやそんなことはない、『普通の社会人』はもっと知識もあるし関心もある」という心暖まる(?)ご意見をおもちの方は、お教えいただければさいわいである。