図書室だより

◆ 新規受け入れ資料の紹介 ◆

昨年暮、緊急経費により、ハンガリーの歴史雑誌Szazadokの第1巻(1867)から第100巻(1966)までを購入しました。 この他、次の新聞のマイクロフィルムを受け入れました。
Sovetskaia Sibir’ 1919-1994.
Sankt-Peterburgskie vedomosti 1762-1782.
Sotsialistik Qazaqstan 1944-1986.
Sovet Turkmenistany 1943, 1945-1947, 1951-1980.
Sovet Uzbekistoni 1965-1986.
Sovettik Kyrgyzstan 1956-1980.
Tochikistoni soveti 1955-1980.
Pravda Vostoka 1930-1954.
正教新報 1880-1912.
正教時報 1912-1939.
(欠号部分もありますので詳細はお問い合わせください)

また、Akty, sobrannye Kavkazskoiu arkheograficheskoiu kommissieiu. t. 1-12, 1866-1904. のマイクロフィッシュ、および、Comintern archiveのうち第7回大会(1934-35)を扱う3rd Installmentまでを購入しました。[兎内]

◆ シアトルで極東ロシアの図書館員に会う ◆

昨年のAAASS年次大会は、11月下旬にシアトルで開かれたが、そのプレコンファレンスとして、ワシントン大学で開かれた「21世紀への秒読み : 太平洋岸における露米図書館協力」に出かけてきたので、ご報告したい。

このプレコンファレンスは、11月19日から翌20日の午前中にかけて、ワシントン大学スザロ図書館の会議室で開かれた。出席者は、米国側がハワイ大学図書館のパトリシア・ポランスキー、カリフォルニア大学バークレー校図書館のアラン・アーバニックを代表に、アラスカ、オレゴンなど太平洋岸の大学図書館スラブ部門の担当者が中心、他に議会図書館、IREX(これについては後述)、イリノイ大学からも参加、ロシア側は、ウラジオストク、ユジノ・サハリンスク、マガダン、ハバロフスクなど極東地方の科学アカデミーや公共図書館、文書館などから9人、モスクワの国立外国文献図書館から2人、他にカナダのブリティッシュ・コロンビア大学から1人、北海道大学スラブ研究センターの私、という構成だった。 米西海岸と極東ロシアの図書館の交流には、ここ数年の実績がある。

1993年、AAASS年次大会がホノルルで開催されることを機会に、IREXの補助金を受けて、極東ロシアから4人の図書館司書と1人の文書館員を招待し、アメリカ西海岸の図書館員たちとの会議を開いて、相互協力の可能性について討議した。ロシア側参加者は、この後、AAASS年次大会に参加するなど、6週間の日程をこなした。この会議には、私の前任者の秋月孝子さんも参加されている。 翌1994年には、同じくIREXの補助金によって、ハバロフスクで4日間にわたる図書館協力セッションを開き、50人以上のロシア人が参加した。この他、会議の中で聞いたところでは、アメリカと極東ロシアとの間では、アラスカとヤクートとの地域間協力など、さまざまな協力活動が個別に展開し、実績がつくられているようすである。

今回は、ロシア側は1日半の会議の後、AAASSの年次大会、その後で図書館学の研修を何日か受けて帰国する、13日間の日程である。資金源はIREXとOpen Society Instituteつまりソロス財団である。 IREXについてここでひとこと。

IREXは、International Research & Exchange Boardの略で、所在は首都ワシントン。1968年に、アメリカの大学のコンソーシアムによって、米ソ間の学術交流のために設立され、現在では、旧ソ連、東欧、モンゴルとの学術交流や技術援助などを推進している。図書館・文書館に関する協力事業の後援もおこなっている。 さて、悪天候による飛行機の欠航のため、ロシア人たちの到着が当日未明にずれ込んだが、3時間ほど開会を遅らせただけで、予定した会議の日程は、時間を多少切りつめる形で全部消化された。その議題を順に列挙すると、極東ロシアの図書館の機械化、図書館資源へのアクセス、文書館、資料の交換と人的交流、共同プロジェクト、要約、協力のための確認事項である。 会議はロシア語で進行し、ロシア語を聞き取れない一部の参加者のためには、LCからの参加者が傍で同時通訳をしていた。

進行の仕方は、アメリカ側とロシア側から一人ずつそれぞれ20分程度の報告があり、そのあと自由討論となる。 今回の会議では、結局、何か具体的な事業について合意するとか、合意文書を作るとかということはなかった。なされたのは、どこでどんなことがあったのか、どんな問題点があるのか、という情報交換である。ここで浮かび上がってきた問題点としては、書籍流通の仕組みの未整備のため、極東ロシアの図書館自体、どんな出版社があり、どんな出版物が出ているかをよく把握できないでいることがある。そのため、書籍見本市を開き、出版社の名簿をつくるなどの努力をしているとのことである。また、資料の国際交換は、送料負担の面から、厳しい状況に立たされている。さらに問題なのは、極東ロシアには、交流の受け皿になるとか、標準化の旗を振ることのできる、図書館協会にあたるような組織がなく、何か共通の枠組みをつくるというのは困難ということである。

従って、全体として何かの課題に取り組みましょうというのではなく、それぞれ個別に協力事業を推進しましょう、IREXはその種の提案を待っています、それから個々の活動をWEB公開するようにして、極東の中でも、アメリカなど外国からでも、お互いのことがわかるように努めましょうという話になった。

今回、極東ロシアからの参加者は、本の山を携えて来ていた。地元の出版物を紹介し、パートナーを捜そう、ということである。展示された資料にはなかなかおもしろいものがあり、その幾分かは、会議終了後に分けていただいてきた。また、ウラジオやサハリンから来た何人かの参加者と話すことができた。

国際交換では、相手先にも依るが、一般に日本語出版物はあまり歓迎されず、英語など欧文出版物の方が受け入れられやすい。しかし、ロシア科学アカデミー極東支部のアミール・ヒサムジーノフによれば、同支部の図書館は日本語資料の収集をしたいとのことである。ただ、送料の問題から、ウラジオの日本領事館を経由することは考えられないだろうかと言う。これは難しかろうと答えておいたが、国際返信切手の利用など、何か方策を編み出したいものである。 サハリンから参加したミハイル・ヴィソーコフにも、日本語資料の必要性について尋ねてみたが、彼によると、サハリンでの日本語教育は最近始まったばかりであり、自分は読めないが、数年すると読む人が出てくるであろうとのことであった。 極東ロシアは、地理的には札幌からそう遠くないが、図書館との交流・協力としては、出版物の交換をいくつかの機関と実施しているものの、お互いに面識があるわけでも、事情を知っているわけでもない。

しかし、ロシアの地方出版物、とりわけ極東地方の学術出版物の入手は、センターにとって重要であり、購入が困難である現在、極東ロシアと日本とが相互理解を深めるためにも、出版物の交換は意義のある仕事といえる。 微力なセンター図書室に、どの程度のことかできるかは定かではないが、とにかく様子を見てきたというのが、今回の旅行であった。[兎内]