St. Antony's College, Oxford

皆川修吾

COE海外派遣研究員としてオックスフォード大学セント・アントニーズ・コレッジに今年度6月1日から5ヵ月間滞在する機会を得た。1990年にスラブ研究センターに赴任して以来2ヵ月以上の海外研修は初めての経験であり、またこれが最後の機会でもあり、感慨深いものとなった。バブル景気に沸く昨今の英国であるが、オックスフォードは国の貴重文化遺産の指定をうけたコッツウォルド田園地方の入口にあり、難なく数世紀前の姿にタイムスリップすることができる。歴史的な学園都市として知名度の高いオックスフォードだけに旅行者も多く、とくに夏休みは観光都市化し、10月に新学期が始まるとまた、学園都市に豹変し、このような変化でこれほど季節感を感じさせる都市は(多分ケンブリッジを除いて)他にないであろう。
現在、オックスフォード大学は国立大学であるが、13世紀初頭から実質的にコレッジで構成・運営されており、現在学校法人化された私立のコレッジの数は36にもなっている。男女別に分かれていたコレッジが共学を認められたのは1974年以降で比較的最近の出来事である。大学院コレッジは6校あるが、すべて今世紀中に設立されたもので、それも理系が多くを占め、セント・アントニーズ・コレッジは数少ない文系大学院コレッジである。連合大学・大学院の態様を持つ教育は、狭いオックスフォード地域だけに限定されているせいか、また長年培ってきた慣行にしたがっているせいか、複雑な仕組みにもかかわらず有機的に動いているといってよい。由緒あるPPE(政治・哲学・経済)学位コースも時代の流れに合わせて、コース内容も漸次変化しているし、一時は時代錯誤的といわれていたが、現代社会の教養コースとしてはこれほど時代に合ったコースはない。履修科目はグローバル・エコノミーからジェンダー学、グリーン政治学など、多種多様で、(Senior Associate Memberという資格が与えられている)海外のアカデミック・ビジターを積極的に講義に参加(無償)させている。到着早々、コレッジの学寮長(warden)から、「貴方は今日からアントニアンです」と言われ、一瞬戸惑いを感じたが、その言葉の裏にはSenior Associate Memberとしての義務感を自覚してもらいたいという願望があったように見えた。私も、「ポスト・ソヴィエト体制」という一連の講義に他の訪問者、ブレスラウアー(カリフォルニア大バークレイ)、ネムツォフ(元ロシア政府第一副首相)らの専門家とともに、私の持ち分(人脈政治)について講義(講義1時間、質疑応答1時間)をする機会をもった。受講者は学部生、院生、大学教員など100人前後であったが、受講者の中にはロシア、CIS、東欧諸国からの者が多数おり、彼らから実体験を通しての質問が多かった。このような講義編成もオックスフォードだから出来る技で、財政的にも若干助けとなっている模様である。
 コレッジ構内にある本部建物と図書館 
学期中はまた、院生からの研究課題その他に関する相談が結構あり、相互の知的刺激となっている。アカデミック・ビジターの受け入れは十分制度化されており、問題はほとんどなかった。電子メールのアドレス登録、ダイヤルイン・サービス、そしてコンピューター関連施設など昨今の研究者には不可欠のものも良く整備され、数時間でほとんどの手続きが済み、またボドレイアン大学図書館発行の磁気カード一枚ですべてのコレッジの図書館および端末室に入館できるほか、同カードはIDカードの役割も務め、英国の他大学の図書館および国立図書館でもこれを提示すれば、入館を認められるという。
同コレッジには現在8つの地域研究センターがあるが、それぞれのセンター設置の歴史的背景が異なるためスタッフの数や蔵書規模など一様でなく、この中でも施設が突出しているのが日産自動車の基金で設立した日本研究センターである。ロシア研究センターは研究室や図書室のスペースが足りず、蔵書数も貧弱である。ロシア・東欧関連の蔵書のほとんどがボドレイアン図書館の新館に保存されており、そこにはスラブ関連の図書を扱っている専任の司書がおり、蔵書状況を良く把握している印象を受けた。私の場合、ロシア連邦議会刊行物などの資料を必要としていたが、閉架式のためそれら資料をお願いすると読書室の私のテーブルの上に手際よく揃えてくれた。ロシア史関連の蔵書数は相当数に上ると思われるが、図書予算の制約があるせいか現代の資料、とくに社会科学については、スラブ研究センターの方が整備されているように思えた。英国内のスラブ関連の蔵書数はやはりロンドン大のスラブ・東欧学院(SSEES: School of Slavonic and East European Studies)かバーミンガム大のロシア研究センターが群を抜いている。
セント・アントニーズのロシア研究センターにはコレッジ専任の研究員が5人、そして非常勤研究員が2名いる。これら専任研究員(fellow)全員がオックスフォード大学専任の教授(1名)か講師(4名)を兼務している。非常勤研究員も含めたスタッフの専門分野は社会科学で、政治(2名)、外交(1名)、安保(1名)、経済(1名)、歴史(2名)となっている。現スタッフのなかで、同コレッジで博士号を授与されたものは一人しかいなく(Dr. Alex Pravda)、他はすべて他大学の教育を受けている。なかでも、現在同センター長を務めているブラウン教授(Professor Archie Brown)はロンドン大のLSEで博士号を取った後、グラスゴー大、エール大、テキサス大等で教歴を経た後、同センターの研究教育職に就いている。
コレッジの院生数は約250名、毎年100名前後の新入生がいる。ロシア研究センターはロシア・東欧研究修士専攻の院生の面倒を見ているが、最近新入生の数が5名前後で他センターの新入生数と較べて少ない。オックスフォード大のコレッジには伝統的なゼミ(tutorial)制度があり、学生らは手厚い個人指導を受けている。ケンブリッジを除く英国の他大学では、tutorと言えば、準講師に当たり教員ランクでは最下位に位置するが、コレッジのtutorを務めながら本大学の教授職を兼務している錚々たる教授陣がいる。本コレッジは大学院コレッジのためtutor職を置いてないがfellowがそれを代替している。
博士課程およびポスト・ドック研究生の唯一の悩みは資料不足、それに研究助成金が少ないことのようだ。保守党政権時、職業指向の専門学校であったポリテクニックが大学に格上げされ、一挙に大学数が増えた。このため、国民一般の教育水準を押し上げることが出来たが、その分大学への助成金が薄く広く配分されるようになり、(とくに非実験講座の)研究者にとっては厳しい時代を迎えたと言ってよい。労働党政権になってもこの傾向は変わらず、研究者の層を厚くする横断的な研究プロジェクトに英国政府が助成金を出すようなことは今のところ考えられない。英国の研究者から見れば、われわれが最近経験した文部省科研費重点領域研究など羨望の的となっているが、彼らには今までの研究蓄積があり、英国唯一のロシア・東欧学会を通じて、研究体制の協調が有機的に働いているように見える。
講義教室がコレッジの数ほどあり、また町中に分散されていることもあり、学生の頼る足は当然自転車となっている。学期中ガウンを翻して、自転車をうならせる姿は頼もしくもあり将来に夢を託した若さのシンボルでもあるが、交通事故発生の原因となっており、大学病院外科病棟の入院患者のほとんどがこれで怪我をした学生だという。コレッジの古い建物の中を覗けば、いずこもOA機器が所狭しと置いてあり、習慣、因習、慣行で凝り固まっているオックスフォードであるが、近代文明との不協和音は不思議と余り聞こえてこない。