ロシアのかぼちゃ

藤田智子


 日露青年交流センターの小淵フェローシップを受けてИМЛИで学んでいる。寮がないのでアパートを借りた。住み始めて2週間後、夜遅く呼び鈴が鳴った。
 「どなたですか」
 「警察です」
 ドアミラーをのぞいたが、廊下の明かりが切れていて真っ暗だ。ドアチェーンをはずさずにほんの少しドアをあけて応対した。身分証明書らしきものを隙間から差し入れてきたが半分しか見えない。
 「何のためにいらしたのですか」
 「まずドアをあけてください。それから話します」
あやしい。5年前初めてロシアに来た時、偽インターポールに荷物を調べるふりをしてお金を取られたのを思い出した(1)
 「あけられません。何のためにいらしたのかおっしゃってください」
 「まずドアをあけてください。それから話します」
 「誰か呼んでください」
押し問答になった。しつこい。とうとう怒り出した。
 「Елки-палки!(2)=jまるで幼稚園だ。明日また来る!」
 「何時にいらっしゃいますか」
 「明日は日曜日だ。あさって来る!」
 02番に電話したら、呼び出し音が10回鳴ってから出てきて「警察は忙しい」と一言言って切られた。さらに2回かけたがどうしても出ない。緊急の場合はどうするのだろう。
 しかたがないので、翌日、近くの地下鉄駅で立番している警察官の所に相談しにいった。
 「まず身分証明書を見せて、何のために来たかを言わず、単に出てくるように言ったのですね。ああ、わかりました。それはテロリズム対策オペレーションです。すべての新しい住人を調べるのです」
 おーっと、本物の警察官を追い返しちゃったらしい。
 「アパートの契約書は登録してありますか」
 「いいえ」
 「登録していない住人を調べるのです。パスポート、ビザ、契約書を持って地区内務局に行き、登録しなければなりません」
 ところが、地区内務局のПаспортный стол に行くと、外国人留学生はビザの登録だけでよい、アパートの契約を登録する必要はないとのこと。やれやれ。でもね、最初のおまわりさん、私がテロリストならあなたはかぼちゃよ!で、一件落着かと思われたのだが・・・
さらに3週間の後、再び夜遅く呼び鈴が鳴った。
 「どなたですか」
 「警察だ」
 「あなたは先月いらっしゃいましたか」
 「そうだ」
 「身分証明書を見せてください」
 「身分証明書は後だ。まず出てこい」
 今日はいきなり高飛車だなあ。
 「ドアから離れてください」
 「離れたぞ」
 夏至が過ぎたばかりだったので、夜10時過ぎでも薄明るい。ドアミラーをのぞくと窓の明かりを背景にして制帽のシルエットが見えた。確かに本物の警察官だ。ドアをあけて窓の前に出ていった。
 「むだなことを。誰といっしょだ」
 「私は一人で暮らしています」
 まるで犯人扱いだ。が、ビザを見たとたん、ころっと態度が変わった。
 「なぜここに住んでいるのですか」
 「研究所が寮を持っていないのです」
 「何という研究所ですか」
 「世界文学研究所です」
 「どこにありますか」
 「バリカードナヤ駅の近くです」
 顔を見るとちゃんとした人らしい。酔って外国人に嫌がらせをする不良巡査がよくいるそうだが、そういう輩ではないようだ。肩章にも縦線1本と星が4個ついている(3)。
 「僕はそこの民警拠点の長です。ここは悪いアパートで、以前простутка住んでいたのですよ」
 「простутка、って何ですか」
 「・・・金を取って、っていう娘」
 あらら、テロリズム容疑だけじゃなかったの。先月と言い、今夜と言い、こんな夜遅くやって来たのは現行犯逮捕するためだったわけか。
 上等だ。
 嫌味を言ってやることにした。
 「あなたの名前は何と言いますか。身分証明書を見せてください」
 すぐ見せて、すぐしまった。下手をすると日本大使館が出てくるぞ。
 「先月は出ていかなくてごめんなさい。5年前初めてロシアに来た時、路上で見知らぬ人がインターポールと名乗って、盗みをしたのです」
 「(苦笑いして)僕は制服を着ているのに」
 「暗くて見えませんでした」
 「(廊下の電球が切れているのを見上げて)ずっと切れていますね」
 そっちこそ胡乱だったんですからね。
 「私の指導教授と話したいですか」
 「何について」
 「もし私がうそをついていると疑っているなら」
 「疑っていません」
 おお、そうか、疑ってないか、よしよし。
 4・5日して、近所で、一度だけぱったり出会った。ばつの悪そうな顔をしたので「こんにちは」と言ってあげたら、「こんにちは」と言ってすれちがった。かわいいとこあるじゃない。かぼちゃだけど。

 追記:以後、廊下の電気がつくようになった。

1 当時国際的にはやっていた手口。スラ研のI先生とH先生も中欧で遭遇し、私の話を聞いていたので用心して事なきを得ている。そしてそれについてI先生は「そんなの警察なわけないじゃない。人がいいんだから」と恩知らずにも言い、I先生ほどでないH先生は「藤田さんの経験役立ってますよ。ぐふふ」と言った。
2 強いいらだちを表す間投詞。なるほど、こういう用法なんだ。
3 あとで調べたら、これは民警大尉(警部)のしるし。


スラブ研究センターニュース No88 目次