スラブ研究センターニュース 季刊 2003 年冬号 No. 92

 

忙しい女

毛利公美 (センター 2002 年度非常勤研究員)

ロシアにて友人ユリアと

ナボコフの作品に『忙しい男』という短編がある。 いつも自分の魂の動きを研究することに余念がない「忙しい男」グラフイットは、33 歳の誕生日を迎える数日前に、幼いころ見た夢を思い出す。 おまえはキリストが死んだときと同じ 33 歳で死ぬ、そんな不吉な予言を含んだ夢だ。 その夢を思い出したとたん、周りの世界は暗示に満ちたものに思えてくる。 そして死の恐怖に とらわれた彼は、それからの一年間を怯えながら過ごす。

ナボコフを読むと、目が「ナボコフ化してしまう」とは、英文学者の若島正さんの名言である。 ナボコフは登場人物を人形のように操り、彼らの人生の中に様々なヒントを配置して、虚構の向こう側に作者が君臨するもうひとつ上の次元の世界が存在することをほのめかすが、その仕掛けに満ちたきらびやかな文体の奥底には、神の意思や運命の力という彼岸 (потусторонность) の存在についての信念が秘められている。 若島さんのおっしゃる「ナボコフ化現象」には様々な症状が考えられるが、世の中のいろいろな細部が何かを暗示しているように見えるのも、その兆候のひとつではないかと思う。

33 歳になったとき、私はこの『忙しい男』という短編を思い出した。 私は一応、仏教徒だし、死を予言する夢を見たわけでもないが、33 といえば、女性にとっては厄年でもある。 おまけに、東京で占い師をやっている姉によれば、私は今、「天中殺」真っ只中にいるらしい。 むろん、すべて迷信と笑って済ませることもできるだろう。 しかし、そんなことをつい考えてしまうのは、近頃やけにいろいろなものが壊れたりなくなったりするからなのだ。 琥珀をつないだお気に入りのネックレスは、ある日とつぜん紐が切れてばらばらになり、鍵と一緒につけていたキーホルダー型の二つのお守りも、鎖が切れて次々とはずれて落ちた。 自転車の鍵は根元からぽっきり折れてしまったし、携帯電話の画面には不吉な黒い染みがどんどん広がって、とうとう使い物にならなくなった。 ある晩などは、洗面所のほうでものすごい音がしたので起きていくと、シャンプードレッサーの鏡がついた上部が壁から外れて床にひっくり返っていた。 ひとつひとつはつまらないことだが、こう続くと穏やかではいられない。 まるで、私の周りの世界が崩壊していくような気さえしてくる。 極めつけに、研究ノートから個人的なやりとりまですべてを記録してきたパソコンをロシアでなくしたときには、なんだか自分の人生までが一緒に失われたような気持ちだった。

そういえば、不運の兆しは、いわゆる「前厄」を迎えたころから漂いはじめた。 そのころ私はモスクワの国営ラジオ放送局で働いており、与えられたニュースや時事解説の原稿を翻訳して読むほかに、週に一度の担当番組「文化の世界」では自分で取材して記事を書いたりもして、忙しいながらも充実した日々を送っていた。 人生絶好調と浮かれていたさなか、父が癌の宣告を受け、手術を受けた父が順調に回復に向かったとたん、今度は飼っていた犬が主人と同じ肺癌で倒れた。 モスクワの私に電話をかけてきた母は、これはきっと我が家の忠犬が愛する主人の病をかわりに引き受けたのだと言って泣いた。 自宅療養の父と、末期癌の犬と、両方の看病に疲れた母が心配で、私は留学も入れれば三年間のロシア滞在に終止符を打って日本に戻ったが、毎日が新鮮な驚きと発見に満ちていたロシア生活の後、大学と家を往復する毎日は退屈極まりないものに感じられ、先の見えない将来を思うとついため息が出た。 人々の欲望を掻き立てる色とりどりの広告と膨大な種類の商品に溢れかえる東京の街の風景は私を疲れさせた。 帰国して 8 ヵ月が過ぎたとき、ロシアの広大な風景や気のおけない友人たちがたまらなく懐かしくなって、私は再びロシアを訪れた。 “祈祷師” スヴェトラーナに会ったのは、そのときのことだ。

ロシアには今でも異教時代からの迷信が驚くほど根強く残っている。 中でも興味深いのは、「ズグラース (сглаз)」や「ポルチャ (порча)」など、「呪い」や「憑き物」についての迷信である。 2001 年の 3 月にスラ研で行われた「現代ロシア文芸に関するセミナー」でも、フォークロア研究家の渡辺節子さんが『人が人を害する話: 今も生きているポルチャ、ズグラース、キラ、イコータ』という報告をなさり、ロシアで集めてこられた様々な「呪い」にまつわる体験談の数々を披露なさった。 「ズグラース」は、意識するかどうかは別として、妬みなど邪悪な思いを含んだ視線や言葉の力で相手が病気になったりする現象、「ポルチャ」は悪意をもって呪いをかけられた食べ物や事物によって病や不和がもたらされる。 スヴェトラーナは神や聖者の力を借りてそういう邪悪な力を取り払うのが仕事だ。

センター外国人研究員たちを引きつれ、札幌厚生年金会館ホールで歌舞伎を鑑賞。これも仕事のうち (?)

私をスヴェトラーナのところへ連れて行ってくれた友人のユリアは、以前からあきれるほどの占い好きだったが、熱愛の末に結婚した夫との仲がうまく行かなくなったり、自分の体調が悪くなったり、様々なトラブルが続くのを、当時借りていたダーチャ (別荘) の家主の呪いだと信じている。 家主は 40 代のエネルギッシュなキャリアウーマンで、フランスを主な拠点にビジネスを展開し、経済的には成功しているものの、家庭の幸福には恵まれず、可愛い娘が生まれたばかりの仲のよい若夫婦を妬んで、彼らにポルチャをかけたというのだ。 スヴェトラーナに言われて探してみると、確かに、ダーチャの地下室には「明らかに呪いのかけられた石」が置いてあったし、胸が炎症を起こして母乳が出なくなったのも、呪われた庭の林檎を食べたせいらしい。 授乳のことを考えると抗生物質を飲むのもためらわれ、産院で知り合った友達に勧められてユリアが訪れたのが、スヴェトラーナの “診療所” だった。 スヴェトラーナはユリアに “お祓い” を施し、毎日、胸の前で教会のろうそくを燃やすようにと指示した。 帰宅して言われたと おりにやってみると、ろうそくは悪い病の気配を感じて風もないのに激しく揺らめいたという。

異教か黒魔術かというような話ばかりだが、スヴェトラーナの祈祷や治療はロシア正教の信仰と結びついている。 彼女は単に材料として教会のろうそくを用いるだけではなく、相談に来た相手に信仰や愛や許しを説く。 こうしてスヴェトラーナのところに通ううち、それまで激しく宗教を嫌って、教会の建物の中には決して足を踏み入れようとしなかったユリアは、敬虔な正教徒になった。 こんなふうに極端から極端へ変わるのはロシア (人) の特徴だが、おせっかいなのもまたロシア人気質である。 久しぶりに会った私が浮かぬ顔ばかりしているのを心配して、ユリアは私をスヴェトラーナのところへ連れて行った。

“診療所” はモスクワのごくありふれたアパートの一室だった。 ドアを開けて私たちを迎えたのは、神秘的な雰囲気をまとったどちらかというと暗いタイプを思い描いていた私の想像を裏切り、大きな声でよく笑う明るい眼をした女性だった。 まずは 3 畳ほどの小さなキッチンでお茶を飲みながらのカウンセリング。 とはいえ、私の場合、誰かに呪いをかけられて深刻な問題を抱えているわけではないし、何より、彼女にとっても日本人の客は私が初めてだったようで、 話の内容は相談というよりはただのおしゃべりに近かったと思う。 それでも、ロシアにいると ついロシア流の開けっぴろげな告白調になってしまう私の口からは、愚痴やら悩みやらが漏れたのだろう。 ひとしきり私の話を聞いた後で、スヴェトラーナは言った。 「ひどい悩みや病気を持った人がたくさん治してもらいに来るけれど、呪いが原因なのはほんのわずかで、ほとんどは自分で災難を招き寄せているの。 すべての人間の頭のてっぺんからは、神につながる光の糸みたいなものが出ているのだけれど、悪いことばかり考えていると、だんだん穢れのようなものがこびりついて曇ってしまう。 あなたは本来、明るくて良い性格なのに、どうもいろいろ考えすぎる傾向があるみたいねぇ。」

…とまあ、こんな「診断」を受けた後は、いよいよ「治療」である。 私たちは隣の部屋に移動した。 入り口から遠い上手の隅にイコンがかけられた簡単な祭壇 (いわゆる красный угол) がある他は、やはりごくありふれた居間である。 スヴェトラーナは私を椅子に座らせ、目を閉じるように言うと、私の頭の上に手を置いて念じる。 気の力だろうか、その手はやけに重く熱い。 続いて彼女はろうそくに火をつけ、祈りながら私の身体の周りを炎でなでるようにろうそくを動かす。 こうして私が抱えている不安や悩みを焼くのだ。 それが終わるとスヴェトラーナは私に目を開けるように言い、「ほら、こんなに “汚れ” がついてしまっていたのよ」と溶けた蝋に混じった黒い煤を見せた。

その数ヶ月後、私は 33 歳になり、スラ研非常勤研究員という誰もがうらやむ身分になった。 不吉な出来事の数々は、33 歳という宿命の年だからだろうか、それとも知らないうちに「ズグラース」されているのだろうか? いやいや、きっと私の魂についた汚れのせいにちがいない。 暗い気持ちに沈みそうになると、私はあのとき見せられた黒い煤を思い出し、自分の頭のてっぺんから天上に向かってのびる黄色い光を想像してみる。

ナボコフの「忙しい男」は、守護の天使として作品世界に遣わされた隣人エンゲルに助けられ、33 歳の運命の年をなんとかやり過ごす。 そしてようやく 34 歳になる日、隣人の元に一通の電報が届く。 “Soglassen prodlenie”—登場人物の生死の決定権を握る作者から、寿命延長を告げるメッセージだ。

スラ研で非常勤研究員として「忙しい」日々を送りながら、私は考える。 私の周りのどこかにも、エンゲルがいるのかもしれない。 鎖の切れたお守りは言うまでもなく、落ちた鏡も、盗られたパソコンも、より大きな災難を身を挺して防いでいてくれたのかもしれない。 そう思うと、周りの世界は不思議な輝きと慈愛に満ちたものに感じられてくる。 私の 33 歳ももう残りわずかだ。


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