スラブ研究センターニュース 季刊 2003 年春号 No. 93

モスクワ大学の歴史教育について

吉田 浩 (岡山大学)
ロシア通でなくても知っているモスクワ大学の建物 (正面から)

2002 年 12 月 17 日から 24 日まで、勤務先である岡山大学の教育改善推進費 (学長裁量経費) を使用してロシアへ出張し、モスクワ大学の教育体制について調査してきた。 国立大学の法人化にむけて、岡山大学でも教育の改善についてさまざまなプロジェクトがつくられている。 筆者は文学部の 「欧米大学の人文学教育に関する調査研究」 会に属し、ロシアの大学でどのような教育が行われているか調査することになった。 モスクワ大学は巨大な組織であり、滞在日数が限られているので、今回は歴史学部に限って調査をおこなった。 以下に述べることは主に聞き取り調査に基づくので、細かい点で誤りがあるかもしれないことをはじめにおことわりしたい。

モスクワ大学では歴史学部長カルポフ教授に面会し学部の概要を聞いたのち、具体的教育体制についてはロシア 19 世紀末 ~ 20 世紀初頭史講座のザハーロヴァ教授にお聞きした。 ザハーロヴァ教授は 1951 年にモスクワ大学歴史学部入学、大学院を修了後すぐにスタッフとして迎えられ、68 年助教授、84 年教授になり、現在にいたるまでほぼ半世紀を歴史学部で過ごしてこられた、いわば同学部の生き字引的存在である。

その他にはモスクワ大学外国語学部カラツーバ助教授、ロシア科学アカデミーロシア史研究所のズィリャーノフ博士に面会し、また、たまたまモスクワに滞在していたロシア南部の地方都市、クラスノダールにあるクバン大学哲学・歴史・社会学・国際関係学部のラトゥシュニャーク助教授から同大学における教育体制について話をうかがった。 さらに教育という点で共通点をもつという理由で、ボリショイ劇場 (バレエ) の団員のほとんどが出身校とする、モスクワ・バレエ・アカデミーのボンダレンコ教授にそのレッスンを見せてもらった。 この点については私の私的ホームページをご覧いただけると幸いである(1)

モスクワ大学はいうまでもなくロシアを代表する大学であり、1775 年、ロシアの博物学者ロモノーソフによって設立された。

現在は 28 の学部、11 の研究所、19 の研究センターを擁するロシア随一の研究および教育機関である。 そのうち人文社会系の学部は、歴史学部、文学学部、哲学学部、経済学部、法学部、ジャーナリスト学部、心理学部、アジア・アフリカ学部、社会学部、外国語各部、国家機構学部、芸術学部、教育学部であり、その他関連施設としてビジネススクールがある。

モスクワ大学歴史学部ザハーロヴァ教授

モスクワ大学の特徴のひとつはその規模の巨大さであるが、その中でも注目に値するのはスタッフの豊富さである。 たとえば日本の文学部にあたる学部の教授人数だけをとってみると以下のようになる。 歴史学部 70 人、文学学部 81 人、外国語学部 15 人、哲学学部 62 人、社会学部 18 人、心理学部 53 人、アジア・アフリカ学部 37 人(2)。 助教授および講師の人数は正確には調べがつかなかったが、ザハーロヴァ教授の講座では現在教授 6 人、助教授 5 人、講師 8 人という比率なので、ここから類推すると教員全体の数はおよそ教授数 × 3 となる。 ちなみに 1 学年の学生定員は歴史 150 人、文学 190 人、哲学 130 人、心理学 105 人、社会学 135 人である。 この 5 学部について考えると、1 学年定員 710 人にたいし教員数は約 880 となり、岡山大学文学部では 1 学年定員約 180 人にたいし教員が 85 人であるから、モスクワ大学には夜間部 (歴史学部のその定員は 50 人) があることを考慮にいれても、スタッフの人数的な充実度は歴然としている(3)

次に歴史学部の教育体制について述べる。 学部は 5 年制でありその後 3 年制の大学院 (アスピラントゥーラ) がある。

授業は国家で規定された教育科目にそってカリキュラムが組まれている。 具体的には一般教養科目が 1800 時間 (日本流にいうと 60 単位) で、内訳は外国語 800 時間、体育 408 時間、自然科学が 300 時間であり、その他ロシア史、文化学、政治学、法学、心理学、教育学、ロシア語、社会学、哲学、経済学の中から選択し必要単位を揃える。 専門科目は 5346 時間で、日本流にいうと約 180 単位である。

学年制をとっており、専門科目として 1 年生は考古学の基礎、民族学の基礎、古代史、19 世紀までのロシア史、西欧芸術史、ロシア芸術史および哲学を、2 年生は中世史、19 世紀から 1917 年革命までのロシア史、哲学史、経済理論および歴史学数量研究法を、3 年生は近代史とソ連史、史料学を、4 年生は欧米現代史、南西スラヴ史、史学史、歴史学における計量方法論を講議およびゼミナールで学ぶ。 5 年生は卒業論文を作成する。 その他に歴史学部では実習科目が必修であり、つぎの 5 つの中からおおよそ 1 年につき 1 つずつ履修する。 古文献学および民俗学、古文書館での研究、博物館実習 (以上それぞれ 4 週間)、教育実習 (5 週間)、卒論指導 (12 週間)。 また、学生は 3 年時に以下の 13 の講座に分属し、専門を深める。 19 世紀以前のロシア史、19 世紀から 20 世紀初頭のロシア史、20 世紀の祖国史、史料学、社会運動および政治政党史、古代史、中世史、欧米近現代史、南西スラヴ史、民族学、古文献学、ロシア芸術史、芸術史。 各講座には 1 人ないし 2 人の秘書がおり、教員のスケジュール管理や学生への事務的指導をおこなっている。 このような教育体制はクバン大学でもほぼ同様であり、豊富なスタッフを擁することによってロシア史および世界史全般について十分な教育がうけられるようになっており、また、「実習」 が必修となっていることからもわかるように、歴史学部の学生は全員が博物館での学芸員や教員として働く能力と資格を身につけて卒業する。

ソ連崩壊後の変化で一番大きい点は、マルクス・レーニン主義関係の教育、研究がなくなったことである。 しかしソ連時代にマルクス・レーニン主義研究をおこなっていたソ連共産党史講座は 「社会運動および政治政党史講座」 とその名称を変更してスタッフを含めそのまま残った。 ただし思想としての史的唯物論については哲学史という科目で現在も研究・教育は継続している。 また外国人学生が減少したことも変化である。 その主な理由は旧ソ連圏からの留学生がいなくなったこと、文書館を利用する権利を得るためにモスクワ大学の学生になる必要がなくなったことである。 肯定的な変化としては、大学に入る前に英語あるいはさらに他の外国語をマスターしている優秀な学生が現れはじめたことである。 彼らは欧米の研究動向にも習熟しており、当然ながらマルクス・レーニン主義にとらわれることなく自由な発想をもっているという。 実際、ザハーロヴァ教授のもとでは従来の博士論文に匹敵する質をもつ修士論文が複数生まれている。 また、以前になかった新しい授業科目としては、コンピューターを用いた数量的技法による歴史分析法や亡命ロシア人の歴史がある。

歴史学部以外の変化としては、大学は国立の形態を維持しつつソ連崩壊後に独立採算制をとりいれ (強いられ ?)、法人としてモスクワ大学憲章 (1998 年) をつくったことで経済的にも法的にも独立性、自律性を強めるようになったこと、国際的な交流をめざす人材を育成するために外国語学部が 94 年に設立されたこと、哲学部で宗教学が肯定的に教えられるようになったこと、社会学部で政治学が教えられるようになったことなどが挙げられる。

試験は原則としてすべて口述である。 追試は一回のみ可能で、それにも不合格の場合には特別委員会が開かれる。 留年は 1 年のみ可能であるが、その場合には授業料が有料となる。 また 1 学年から 4 学年までは、毎年外国史およびロシア史について 1 本ずつ論文を作成する。 卒業時には国家試験を受け、それに合格すると 「外国語の知識をもつ歴史学の専門家」 を名乗ることができ、その分野の教職免許と学芸員資格を得る。 卒業後の進路は、ソ連崩壊後に (主に私立の) 高等教育機関が増加したのでそこの教職に就くものが多い。 専門を生かした進路としては他にジャーナリスト、テレビやラジオのコメンテーター、博物館の学芸員などがあり、その他銀行員やビジネスマンになる者もいる。 大学院の定員は約 25 人で、そのうち 10 人くらいがモスクワ大学歴史学部出身である。

以上述べたように、モスクワ大学歴史学部の特徴としては、教員と学生の比率の点で日本よりはるかに豊富なスタッフがおり、授業科目が国家規定にもとづき決定され、それを実行にうつすことができる体制が整っていること、歴史学部を卒業するとその専門を生かした資格 (教員、学芸員) がとれるようになっていること、試験は原則としてすべて口述であることである。 また、大学財政は国庫負担であり授業料は原則無料であるが、独立採算性の要素をもつようになってから定員の一部で (150 人中 12 人) 有料の学生をとるようになったこと、自律的法人として大学憲章を定めるようになったことなどは、日本の国立大学の法人化にあたって参考にすることができるように思われる。 「ロシアの大学教育の特徴は何ですか」 と尋ねると、「ロシアでは学派が重要な意味をもっている」 と聞き取りをした全員が答えたのが印象的であった。 よく知られているように、ロシアの大学関係者が教育の話題をすると、カンディダートを何人、博士を何人育てたかという点に話がいきつく。 これによって教育者としての評価がなされるのである。 バレエ学校には教師間でさらに熾烈な争いがあり、学校内の一角に教師ごとの 「教え子コーナー」 があり、国際コンクールの入賞者や世界の主要な劇場のプリンシパル、プリマ、ソリストをどれだけ育てたかが写真ととも一目瞭然にわかるようになっている。

今回の出張ではモスクワ大学歴史学部の基本的な教育制度の理解が目標であった。 しかし、総合大学としての他学部との関連、法人としての財政上の問題、新設の外国語学部の教育システム、アメリカ的教育システムを導入し、ロシアの大学改革の先進的存在として知られるロシア人文学大学の教育制度など、ロシアの大学教育の現状について残された問題は多い。 これらについてさらなる調査をおこなうことは、これからの日本の大学における人文学教育の向上に資するところが大きいと考える。


(1)

http://www2s.biglobe.ne.jp/~dunyan/backstage.html

(2)

これらの数字は以下の本より 1997 年時点の現員で計算した。 Профессора и доктора наук МГУ им. М.В. Ломоносова. Библиографический словарь. 1997. М., 1998.

(3)

参考までに、クバン大学の歴史学講座教員構成は以下のとおりである。 古代中世史講座: 教授 4、助教授 2、講師 4、助手 2; 近現代史および国際関係論講座: 教授 3、助教授 5、講師 5、助手 5; 革命前ロシア史講座: 教授 1、助教授 6、講師 4、助手 2; ロシア現代史講座: 教授 2、助教授 6、講師 4。 その他、各講座には 2 人の秘書がいる。

同大学は 1990 年代はじめに歴史学部の中に哲学、社会学および国際関係の 3 学科が新設され、哲学・歴史・社会学・国際関係学部と名称変更した。 学生数は哲学、社会学、国際関係学を含み 1 学年 65 人 (うち 15 人は有料定員) であり、それらの講座の教員数を考えると、モスクワ大学と同様に 1 学年定員を上回る教員スタッフを擁している。 ロシアの大学の歴史学部は 5 年制であるが、クバン大学では西欧のように 4 年制を基本とする方向へ制度改革中であり、4 年間で卒業すると学士 (バカラヴル=バッチェラー)、現行のように 5 年間学ぶと修士 (マギストル=マスター) の学位を与える計画という。