スラブ研究センターニュース 季刊 2003 年夏号 No. 94

ウクライナを目指す者達

藤森信吉(センター)
別荘でポーズを取るティモシェンコ

筆者がウクライナの地域研究を志してから約10年が経過した。その間、日本の諸学会におけるウクライナ人気は、残念ながら低いままである。しかし、ウクライナは、現職クチマ大統領が毎年のように提供する政治スキャンダルによって、論文テーマに事欠くことがない地域なのである。多くの研究材料が手付かずのまま山積しており、十人並な筆者にも充分な活躍の場が残されている。「地域研究者は研究対象に愛情を持たなければならない」という地域研究者の心得からいえば、筆者はクチマ・ファンであると公言することに何ら吝かではない。実は筆者はクチマと2度握手したこともある。同様の理由で、ユリア・ティモシェンコのファンでもある。筆者が現在傾注している天然ガス輸入問題を語る上で、ユリア・ティモシェンコは欠かせないアクターであるからだ。彼女のUESU社は90年半ばウクライナが輸入する天然ガスの1/3を支配し、オリガーキーの一つに数えられていた。しかし、美貌でも有名なティモシェンコのファンを名乗るのは相当勇気がいることである。筆者の学問観のみならず、異性観も疑われかねないからだ。まずはティモシェンコの公式ホーム・ページを見て欲しい。(URL http://www. tymoshenko.com.ua/ukr/photo/5/ )ウェブ広しといえども、これだけ自分の写真をホームページに掲載している政治家はいまい。ただ、肝心の画像ファイルが巨大で、ネット環境が劣悪なウクライナ有権者には閲覧困難である。彼女のホームページは誰を対象としているか、大いに疑問が残るところではある。それはさておき、この「美貌政治家」は旧ソ連内でも特異な存在らしく、ロシア紙では必ず写真付きで取り上げられるし、また、遠くトルクメニスタンにおいても、ニヤゾフ大統領が天然ガス交渉に訪れたティモシェンコに感動したというエピソードは良く知られている(しかしニヤゾフは何ら譲歩しなかったが)。

ティモシェンコ訪問を大歓迎するニヤゾフ

ところで、我が国の一般のウクライナ観はどのようなものだろうか。おそらく「美女の宝庫」であろう。この日本人のウクライナ観に筆者が初めて気付いたのは、98年長野冬季五輪でIBMが全国紙の広告にエレーナ・リアシェンコ(フィギュアスケート)を大々的に起用したときであった。海外に目を移すと、なんと35年前に、ビートルズが名曲 Back in the USSRの中で、ウクライナ女性の美しさを称えている(同時にモスクワ女性の美しさも称えているが・・・)。ウクライナ本国でも、このようなウクライナ観が共有されている。キエフで白タクに乗ると、運転手から毎回のようにウクライナの印象を聞かれる。「美女が多い」と回答すると、どの運転手も、我が意を得たとばかりに大きく頷くのである。因みにウクライナ男性の話題は宜しくない。一度、運転手に現在イタリア・セリエAで大活躍中のA.シェフチェンコ(元ディナモ・キエフ)の話題を振ったことがあるが、延々とスールキス(ディナモ・キエフのオーナー)の悪行の数々を聞かされるハメになった。同様にブブカ(棒高跳び)の話題はドネツク・クランの悪口に直結してしまう。


アエロフロート便の人間模様

地域研究者にとって、対象国への定期的な調査旅行も欠かせない心得の一つである。ウクライナ入国ヴィザ取得が簡易になった2000年以来、筆者は懐事情を省みず毎年、調査のためウクライナを訪問している。モスクワ・キエフ間が有名なツポレフ154であることを我慢すれば、道中苦痛なこともなく、その日のうちにキエフに到着できる。途中、モスクワで5時間ほどのトランジットがあるのだが、そこでウクライナを目指す日本人と毎回のように出会う。彼らは、堅気のサラリーマン、30代独身男性、ロシア語・ウクライナ語ができず、そしてウクライナ人彼女に用事が有る、という共通点を持っている。

2002年冬に出会ったA氏は、メル友募集サイトで知り合ったドニプロペトロフスク市の「彼女」と2度目のオフミーティングを果たすべく、ようやくもらった休みでウクライナに渡航すると語ってくれた。ここで余計な説明が入る。海外メル友募集サイトは多くあるが、男性心理につけ込んだスキャマー(Scammer)と呼ばれる詐欺師が多数存在する。スキャマーは、美しい顔写真とそれらしい個人情報をサイトにアップし、欧米日本のメル友を引き寄せ、そしてメール交換の過程で情にほだされた外国人から小金をせしめるのである。家族の事業失敗、弟の交通事故、入院、妹の学費等の身の上の困窮を訴え、数百ドルから時には数千ドル程度の外貨を送金させ、そして連絡を途絶する。おそらく定職になっているのであろうか、常習者が多く、スキャマー・リストを掲げて警戒を呼びかけるサイトがあるくらいである。スキャマーの存在と並んでメール交換の障害となるのが、言語の壁である。この場合、機械翻訳(翻訳ソフト)の力を借りることになる。日本語-英語-ロシア語という手順を踏めば、母語以外できない者同士の相互理解が可能となる。もっとも、翻訳を2度かけることになるので、詩的な愛情伝達は困難である。このため、一方が結婚の意思をほのめかして熱を上げているのに、他方は全く無頓着という喜(悲)劇のような出来事がよく起こる。日本に呼び寄せる時点でも、「お友達」と「結婚を前提」が一致せず、領事館で立ち往生している状況に筆者も出くわしたことがある。上記のA氏も、結婚を意識しているようで、「そろそろ覚悟しておけと言ってある」とのこと。因みに、ネット上の翻訳サービスを利用して、「覚悟しておけ」を、ロシア語に訳すと Быть определить となる。果たしてプロポーズの意に受け取ってもらえただろうか。

2001年冬、キエフまで道中を供にしたB氏は、マスコミ勤務で、外国人パブ(通称「外パブ」)で通い詰めたウクライナ女性(通称「お気に入り、オキニ」)と結婚するため、披露宴と法的手続きをかねて彼女の故郷ポルタヴァ(キエフから100km以東の地方都市)を訪問する途上であった。初めてのウクライナ旅が一人で大変不安そうであった。披露宴ではロシア語挨拶をしなければならない、と見せてくれたロシア語の祝辞文は、誰が代筆してくれたのか、格調高い文体であったが、全文カタカナがふられていた。ここでも説明が入る。わが国の外パブで働くウクライナ女性は少なくない。そもそも、日本に労働ヴィザで入国するウクライナ女性は、ヴィザ上はダンサーであり、接客業に就くことを禁止されているのだが、実際には、ダンサー名目の接客業であることがほとんどであり、その過程で顧客との結婚に至ることが多々ある。彼女達は、どのようにして日本に渡るのであろうか。まずウクライナの現地プロモーターが、ほぼウクライナ全土から募集し、日本側プロモーターと刷り合わせて日本ヴィザ申請にかけられる。日本ヴィザが降りれば、一人あたり1,000ドルが現地プロモーターの成功報酬となると言われている。渡航費、日本での住居・生活費は全て招聘元が負担しなければならず、ウクライナ女性を接客業として雇用するには多額のコストがかかる。そのため、飲食店の経営者にとっては、固定客(通称「鴨」)の確保が至上命令となる。彼女達にどのようなノルマが課されているかは不明であるが、歩合給が相当部分を占めているはずである。ドネツクから来るウクライナ女性は多いが、彼女達にスタハーノフ運動のようなノルマ制はどのように響くのであろうか。

余談だが、筆者は昨年冬、狸穴の「なか卯」で、ドネツクのプロモーターと知りあったことがある。元来、ドネツクは、炭鉱夫向けのプロモーター業が発達しており、訪日して六本木の外パブ経営者と商談していたのであろう。30代半ばと思しきプロモーター氏は「本当は、理系技術者の人材派遣もやりたいのだがヴィザがまず下りない」「全土にプロモーター網がある」と語ってくれたが、ダンサー話はしてくれなかった。日本語ができない割に日本食が好きなプロモーター氏に頼まれて私が注文したのは肉うどんとみそ汁と漬物であった。彼は大変感謝し「ドネツクに来た際は是非連絡をくれ」と名刺をくれたが、今のところ、ドネツク版わらしべ長者になれる機会は巡って来ない。