平成16年度 北海道大学スラブ研究センター公開講座

「ロシアを見た日本人・日本を見たロシア人」

 
 

● 開講にあたって

記録に残るかぎり、日本人とロシア人が初めて出会ったのは17世紀末、カムチャツカ半島南端でのことでした。ロシア人として最初にカムチャツカ半島南端に 達したコサック隊長アトラソフは、先住民に囚われていた日本人漂着者デンベイをロシアの首都、サンクトペテルブルグに送りました。それ以来、多くの漂着民 がロシアに至り、ロシアにおける日本学の発展に貢献しました。18世紀末には、初めて祖国帰還に成功した大黒屋光太夫が、当時の日本にロシアについてきわ めて正確で詳細な情報をもたらしました。光太夫を送り届けたアダム・ラクスマンはロシアが日本に送った最初の使節でしたが、彼は根室で越冬しています。 19世紀に入ると、露米会社の軍艦による日本北辺の襲撃事件、その後のゴロヴニンの日本幽閉、逆にロシアに人質に取られた高田屋嘉兵衛とリコルドによるゴ ロヴニン解放のための協力など、劇的な事件が北海道を舞台に繰り広げられました。
 1855年の下田条約による日露国交樹立の後も、いわば非自発的といえる方法で日本に至ったロシア人、ロシアで暮らした日本人が相次ぎます。日本人と結 婚して革命下のロシアを離れて日本で生活した小野アンナさんは、日本のヴァイオリニストのほとんどにとって恩師です。また、ジョン・レノン夫人のヨーコ・ オノにとって小野アンナさんは伯母に当たります。ソビエト政権に反対して海外に逃れた「白系ロシア人」のなかには、北海道に暮らした人も少なくありませ ん。
1945年夏にシベリアに送られ、強制労働に従事させられた60万人の日本人抑留者のことも忘れてはなりません。6万人を超える方々が祖国に戻ることな く、シベリアで眠っています。抑留されたのは兵士だけではありません。1945年8月、カムチャツカ近海や北千島では、多くの日魯漁業社員が爆撃を被り、 抑留されました。抑留ではないが、戦後も樺太に残留された日本人が多数いらっしゃいます。
今年は日露戦争百年に当たります。2005年はソ連の対日参戦60周年です。「近くて遠い隣国」と呼ばれる日本とロシア。両国の交流を、それと意図せずに 支え、相互のイメージの形成に貢献された方々の人生に注目しながら、歴史の節目に、日露関係を改めて考えたいと、公開講座を企画しました。多くの皆様のご 参加をお待ちしています。

(スラブ研究センター)


 

● 開講日程

毎週月・金曜日 午後6時30分〜午後8時30分

日  程 講 義 題 目 講   師
第1回 5月10日(月) 国家のはざまに生きた人々−北東アジア近現代史への 一つの視点 北海道大学スラブ研究センター
  教 授       原 暉之
第2回 5月14日(金) 日本からロシアへ−漂着民ゴンザとロシアの日本学 鹿児島工業高等専門学校
  講 師        上 村 忠 昌
第3回 5月17日(月) 根室から見える日ロ関係史−ラクスマン、ゴロヴニ ン、リコルド、高田屋嘉兵衛
根室市教育委員会
  学芸員       川 上 淳
第4回 5月21日(金) オハ捕虜収容所−北樺太の日本人抑留者 釧路公立大学経済学部
  教 授  松 井 憲 明

樺太関係首長・議員協議会
事務局長  西 村 巌
第5回 5月24日(月) 戦時下の日露漁業−「国策」を担った漁船員たち 北海道大学水産学部
  名誉教授     鈴 木 旭
第6回 5月28日(金) 小野アンナの生涯−ペテルグラード、東京、スフミ 北海道大学大学院地球環境科学研究科
  教 授  小 野 有 五       
第7回 5月31日(月) 「越境者」が教えてくれたこと−ソ連に残った日本人 とコリアン 北海道大学スラブ研究センター
教 授   荒 井 信 雄