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●劇作家オレグ・ボガエフについて Bogaev,Olegl


劇作家オレグ・ボガエフについて

楯岡求美

★ウラルの劇作家工房ともいえる「エカチェリンブルグ演劇大学劇作家コース」
・1990 年代前半に始まる。指導:ニコライ・コリャーダ。10 数名が在籍もしくは(正式に)卒業。“自主的に”聞きに来る人も多い。
・戯曲作品集『吹雪』(≪Метель≫),『アラベスク』(≪Арабески≫)、 などの作品集がネットで公開されている。http://www.koliada.uralinfo.ru/
・ニコライ・コリャーダ:1957 年、カザフスタン生まれ。スヴェルドロフスク演劇学校卒。俳優でもあった。のちに通信教育でモスクワのゴーリキー文学大学の散文科を卒業(1983‐89)。短編も書く。戯曲は約70 作品。代表作は『ムルリン・ムルロー』、『Роготка』など。ペレストロイカ期以降に新しい世代の劇作家としてモスクワでも多数上演されている。

★ 「アンチ・ブッカー」賞
・現在、『カラマーゾフの兄弟』賞(長編小説)、『ニェズナコムカ』賞(詩)、『三人姉妹』賞(戯曲)にわかれている。
・『三人姉妹』賞受賞作:
1996 年、イヴァン・サヴェーリエフの『辺境への旅』
1997 年、オレグ・ボガエフ『ロシア民郵(ロシア民衆郵便)』
1998 年は受賞作なし(ミハイル・クーロチキンが奨励賞)
1999 年、エヴゲニー・グリシュコヴェツ(カリーニングラード)が受賞。
(Наброски к пьесе ≪Записки русского путешественника≫ と≪Зима≫の2作品)

現在、戯曲作品の出版が困難なこともあり、戯曲の新作をなかなか読むことが出来ないことが問題になっている。『三人姉妹』賞についても、モスクワの批評家たちは、まだほとんど知られていない(つまり「誰もまだ読んでいない」)グリシュコヴェッツが受賞したことに批判的なようだが、主催者側の『独立新聞』(≪Независимая газета≫)の演劇担当記者でもある。グリゴーリー・ザスラフスキーの見解によれば、『三人姉妹』賞は新人の登竜門という位置付けのようだ。
モスクワでは、ブッカーかアンチ・ブッカーか、という(思想的な)立場の違いがかなり問題になるが、地方都市の場合、とにかく「モスクワの権威ある賞」がもらえた、という反応で、中央のメディアの関心を集めることがとくに喜ばれることに変わりはないようだ。
とりわけ、受賞をきっかけにタバコフが演じることになり、エカチェリンブルグにタバコフが来ることにもなったし、コリャーダの紹介文付きであるとはいえ、中央の演劇雑誌(『現代戯曲』誌など)に掲載されるようなになるなど注目を集める効果がある。

★作家紹介――― ウラルのアンチ・ブッカー(戯曲部門:三人姉妹賞)受賞者
オレグ・ボガエフ(Олег Богаев)

1. 履歴
1970 年生まれ。本名Богоев
1997 年アンチ・ブッカー賞受賞。

スヴェルドロフスク交通建設技術学校卒業してのち、エカチェリンブルグ・青年劇場(ТЮЗ)で照明係として働く。
1998 年エカチェリンブルグ国立演劇大学戯曲科(劇作家ニコライ・コリャーダのクラス)を卒業。大学在籍中にアンチ・ブッカー賞受賞。卒業後はコリャーダとともに教鞭もとっている。1999 年~ドイツ・シュトットガルド市Akademie Schloss Solitude の奨学生。

2. ボガエフの作品は≪Драматург≫、≪Современная драматургия≫、≪Экран и сцена≫、≪Остови≫の各誌に掲載されている。
セルビア語、ドイツ語、スウェーデン語、フランス語などに訳された。

3. 作品一覧(この項目の要約はニコライ・コリャーダのサイトから引用)
I. 『ロシア民郵』(≪Русская народная почта≫)
:『アラベスク』誌(Сборник ≪Арабески≫(http://www.koliada.uralinfo.ru/4_1.htm ZIP)。
また、『劇作家』誌(≪Драматург≫) №8, 1997 г. 掲載。
フランス語その他の版もある。
あらすじ:
妻に先立たれ、テレビも壊れてひとり取り残された年金生活者イヴァン・シードロヴィッチ・ジューコフは自分宛に手紙を書きはじめた。そしてそれを自分で受け取るのだ。こうして、彼は手紙を受け取るようになった。イギリスの女王から、南京虫から、宇宙飛行士セヴァスチヤーノフから、アドルフ・ヒットラーの隠し子から、などなど。

II. 『死せる耳』(≪Мертвые уши≫)
:『アラベスク』誌(Сборник ≪Арабески≫(http://www.koliada.uralinfo.ru/4_1.htm)
また、『現代戯曲』誌(≪Современная драматургия≫), 1998. №4.掲載
あらすじ:
ロシア文学の古典を納めた図書館が閉館になった。本は燃やされる運命にあった。
これをどうにか阻止しようと、ロシアの偉大な作家たちが蘇り、教養があまり深くはない女性の家にあらわれる…

III. 『万里の長城』(≪Великая китайская стена≫) ZIP
:『アラベスク』誌(Сборник ≪Арабески≫(http://www.koliada.uralinfo.ru/4_1.htm)
あらすじ:
劇団がテーマ。地下にある「窓」という名前の劇団はとにかくついていない。まず金がない。観客が助けを申し出るが、そのかわりさまざまな要求をする。俳優は奇妙な内容の同じ芝居ばかりを繰り返し演じている。その芝居の内容とは、国が崖から落ちてしまったが、救う方法がひとつだけある、ロシアの国境とおなじだけの長さの壁を、劇場を起点に建設することだ、というものだった…

IV. 『テレフンケン』(Телефункен) ZIP
:『アラベスク』誌(Сборник ≪Арабески≫(http://www.koliada.uralinfo.ru/4_1.htm)
あらすじ:
医者が呼ばれてきてみると、家の主がいない。あるのは「テレフンケン」マークの古いドイツ製ラジオだけだった。このラジオ「テレフンケン」こそ、医者を呼んだ張本人だった。テレフンケンは自分の「パパ・テレフンケン」が病気で、電蓄兼用ラジオである彼の妻はどうしても子供を生むことができないのだった…

V. 『だれがムッシュー・ダンテスを殺したか』(Кто убил Мсье Дантеса)ZIP
:『吹雪』誌(Сборник ≪Метель≫) (http://www.koliada.uralinfo.ru/4_2.htm)
あらすじ:
プーシキンとダンテスの子孫が現代のパリで出会った。彼らの先祖の因縁が現代までも続いている。またもや決闘が繰り返される…

VI. 『この世にこれより悲しき物語はなし…』Нет повести печальнее на свете.
・ Сергей Викотрович Кузнецов との共作
全6場の内1~3場をボガエフが担当1995-1997 年ごろに書かれたものらしい。
http://www2.ru/library/koi/ZHURNAL/KUZNECOW/powest.txtに掲載。

VII. 脚色(予定)
Куприн ≪Яма≫: エカチェリンブルグ・ドラマ劇場で1999 年度冬シーズンの上演
のため。

4. 作品紹介
『ロシア民郵』-寄る辺ない年金生活者のための笑いの部屋、一幕
(≪Русская Народная Почта≫)
・アンチ・ブッカー受賞作品(1996 年度)
・エカチェリンブルグ・ドラマ劇場(1997 年10 月初演).演出ニコライ・コリャーダ。
・オレグ・タバコフ演劇スタジオ(Московский театр-студия п/р Олега Табакава)で初演された。題名は『笑いの部屋』。演出:カーマ・ギンガス(1941 年生まれ)、主演:オレグ・タバコフ(ヴァーニカ・ジューコフ役)
・ペテルブルグ・アレクサンドリンスキー劇場でも上演。

内容
妻に先立たれ、テレビも壊れてひとり取り残された年金生活者イヴァン・シードロヴィッチ・ジューコフ。彼は家に一人閉じこもりがちになる。ふと思い立って、妻が生前に郵便局で働いていたために家にふんだんにある封筒とレターペーパーに、自分宛に手紙を書きはじめた。こうして、彼は手紙を受け取るようになった。イギリスの女王から、南京虫から、宇宙飛行士、アドルフ・ヒットラーの隠し子から、などなど。火星人や南京虫もいる。ときどき、受け取った手紙と自分が書いた返事の筆跡が同じことに気がついて、我に返り、ひどくがっかりするが、たいていの場合、彼はテーブルクロスの下やカレンダーの裏など、部屋のそこかしこから発見される「思いがけない」手紙に本気で驚き、狂喜する。彼は手紙を1通書いては眠り、彼が眠ると舞台にはイギリスの女王やレーニン、スターリンなど、彼が手紙を当てた人物が現われ、誰が一番彼ジューコフに愛されているのか、つまり誰がジューコフから彼の住むアパートの遺産相続人に指定されるのか、争う。時に取っ組み合いになる。
大晦日の日、彼は自分の誕生日と新年とをの二つを自分宛に「送られてきた」手紙を食卓に招待し、お祝いをする。実は,そこに1通のあきらかに筆跡の違う手紙があって、それはジューコフの子供たちが彼の誕生祝いに「はやくくたばってしまえ」と書きつけて送ってきたカードだ…
ジューコフが誕生祝のケーキを切ると、新たな手紙が出てくる。それは「死」からの手紙だった。いわく誕生日のお祝いに「永遠の生を贈ろう」… ジューコフは信じがたい顔をして、それを読み返す。
やがて息苦しそうにベッドに横たわるジューコフ。すべては静寂に包まれる。

コメント
・ト書きに登場人物の生活スタイルや性格の説明が多い。それも、会話調の文体が多く使われている。たとえば、ジューコフの妻が郵便局に勤めていたことなど、観客の側にはまず伝わらない情報であろう。会話のなかから彼の生活が浮き彫りに成るということもない。戯曲を読んだときと上演のみを見たときの印象はかなり違うものになるだろう。
・チェーホフの短編『ヴァーニカ』を下敷きにしている。チェーホフの作品では、両親を早くになくし、靴屋に奉公に出された9 歳の男の子が、あまりにつらい仕打ちに耐えられず、クリスマス・イヴの夜、主人たちが出払ったすきに自分を連れ戻してくれ、と唯一の肉親である祖父に手紙を書く。主人公の名前(ヴァーニカ・ジューコフ)と手紙を書くこと、書いた後で夢を見るという構成が踏襲されている。
・チェーホフの作品と比べると、戸棚からレターセットを取り出す設定や、ヴァーニカが手紙の書きはじめをとりわけ慎重に考えて書いたり、相手をじっと思い描きながら書くさまなど。また、ボガエフのジューコフにもどことなく純真なこどもっぽさがある。
・チェーホフのヴァーニカは手紙を送る側だが、ボガエフのジューコフは先に「手紙を受け取り」、彼は返事を書いている。また、チェーホフのヴァーニカは「村のおじいちゃんへ」と宛名に書いてポストに投函した後、はだしでペチカに腰掛け、彼の手紙を読んでいる祖父の夢を見る。ボガエフのジューコフは彼が手紙を書いた人々が現われる。チェーホフでは夢がつかの間の安らぎを与えるのに、ボガエフではファルスを呼ぶ。しかも、ジューコフの願いとは全く無縁で、手紙を受け取った人物たちが騒ぐ場面とジューコフが手紙を書いたり受け取ったりするシーンは、互いにまったくなんの関連性もない。
そのため、上演の際に、その手紙の受け取りたちのコメディー・シーンに必然性を持たせることが難しい。劇評でも概ね不要だと指摘されることが多い。
・ボガエフの送られてくる手紙が自分の筆跡であることにときどき気づいては怒って手紙を破ったりもする。唯一はっきりと筆跡が異なる手紙はジューコフの息子たちからの冷たい手紙だけである。「現実-幻想-夢」という三重のある種単純な構造だともいえるが、後半のト書きには筆跡についての言及がなくなる。例えば「死」からくる手紙は、筆跡がわからず、異世界(異質な現実)が存在する可能性も残している。
・上演するよりも、読むことに適した要素の多い戯曲かもしれない。しかし、場面ごとの構成は非常に上演に適している。ジューコフの孤独感など演出によってさまざまな表現が可能であろう。

Ⅱ 『死せる耳、もしくはトイレット・ペーパー最新事情』二幕喜劇
(≪Мертвые уши, или новейшая история туалетной бумаги≫)
内容コメディー(2幕15 景)
エーラ・ニコラエヴナにはいつもおかしな出来事が付きまとう。彼女はそもそも、ひどく目立つ存在だ。その2、3メートルもあるかのような、あまりにも大柄な体を養うために、たくさんの量を食べなければならない、そしてそれが家計をひどく圧迫するという悩みを抱えている。ある日、いつものように鍋を抱えてスープを食べていると、作家だという見なれぬ人物が突然訪れる。彼女は愛読している三流の恋愛小説しか小説と言うものを知らなかったため、それを書いた作家ススレンコだと勘違いするが、やってきた作家は、自分はアントン・チェーホ
フだと名乗る。いわく、偉大なる作家と言うものは、不死であり、作品とともに永遠の命を得る。とろころが、この地区では図書館の利用者がいなくなり、閉鎖されることになってしまった。所蔵本は、火にくべられてしまうか、もっと運が悪いと、ツルゲーネフ氏のようにトイレに流されてしまう。どうにか自分の本を救おうと、インテリを探したが、ようやく見つかったのが、彼女なのだ、という。彼女はおなかを空かせたチェーホフにスープを食べさせるが、彼が住みつくことを断ると、チェーホフはその場から跡形もなく消える。翌日には、ゴーゴリ、その次にはトルストイがやってきて、彼女が本を救ってくれると聞いてやって来た、という。
彼女はそれぞれに食事を与えるが、彼らが勝手なことを言うので、追い払う。あくる日、彼女が買い物から帰ると教科書に載っていた肖像画そっくりのプーシキンが部屋に立っていた。さすがの彼女もプーシキンの詩は暗誦できるほどだが、肝心のプーシキンはすっかり弱りきってしまって、口も聞けない。熱があるらしい。ベッドに寝かせて看病しながら話しかけるが、とうとうプーシキンが息絶えたようになってしまう。驚いた彼女は決心して図書館の本を引き取ることにした。
この4 人の本を引き取れるだけ引き取ったおかげで、家の中は埃だらけの本で埋まってしまう。作家たちはそれぞれの好物(プーシキンは甘いもの、ゴーゴリはプロスタクヴァーシャ、トルストイは豆のスープ、チェーホフはニシン)を食べつづけ、とうとうエーラの家の食料を食べ尽くすにいたる。世間の本の扱いが悪いので、作家たちはすっかり体調を壊してもいる。
表紙をもがれたゴーゴリは鼻に包帯をしているというように。それに、トルストイはいつもいびきをかき、チェーホフは眠りながら哀しみにひたりながら寝言を言い、ゴーゴリは鼻を鳴らし、プーシキンは目を明けたまま眠っている。
エーラは「大作家を養う」などという「文化的な課題」に関わることに困難を覚え、助けてくれるようにインテリ層に当てて手紙を書き、飛行機に折って小窓から飛ばす。エーラはどうにかして本の引き取り手を探そうとするが、もはや版が古すぎて関心を示す人がいない。チェーホフは以前、彼らの図書館で司書として働いていた女性に望みを繋ぐが、エーラに招かれた彼女はただただ愚痴をこぼして、本には関心を示さない。希書収集家も初版ではないから、と断り、さらに「本物の」作家たちが現われたのに驚いて逃げ出してしまう。4人の作家はエーラ以外にはなぜか一切話しかけない。
ある晩には、ダンテスがやってきてプーシキンを撃つが、エーラの機転でプーシキンは事無きをえる。しかし、銃撃音を聞いて民警が二人やってくる。二人は本を見て、題名を平気で≪Мертвые уши≫ (本来はдуши)と読み間違えてしまうような状態。エーラは精神異常だと決め付けられる。
いよいよ経済的に追い詰められたエーラを助けるべく、4 人の作家はエーラの名前でこの窮状を救って欲しいと訴えるエッセーを共同執筆し、新聞社に投稿する。その記事を読んだ作家ススレンコが興味を示してエーラを訪ねてくるが、エーラはかつて熱中していた彼の作品の内容を思い出せないし、大作家たちが彼の作品を酷評した、と言って怒らせてしまう。そしてほんとうに作家たちが姿をあらわすと驚いて逃げ出す。誰かが呼んだ救急車でエーラは病院に送り込まれてしまう。
残された作家たちはひとりずつ姿を消し、残された本の山はばらばらとページがめくれる音とともに次第に膨張していく。轟音がして、本の山が燃えだす。部屋は炎にのみこまれていく。
窓の外には黒い雪、もしかしたらそれは、活字かもしれない。炎の中で青銅の騎士が跳ね、外套が空っぽの袖を振り、幼年時代‐少年時代‐青年時代が互いに寄り添いながらたたずみ、燃え上がるかもめが窓にぶつかる…

コメント
・この作品も上演するよりも、読むことに適した要素の多い戯曲かもしれない。とくにラストシーンのロシア文学へのオマージュは舞台よりも(アニメを含めた)映像化に向いているかもしれない。しかし、映像処理も効果的なものにするのはかなり難しいと思われる。個々の会話は非常に滑らかで、楽しい。作家とエーラとのすれ違う会話が笑いを誘う。
・この作品でも,ト書きが非常に特徴的である。『ロシア民郵』と異なり、ト書きが状況をすべて説明してしまうことはない。逆に状況説明ではない分、とくに冒頭のト書きではエーラという人について、まるで「読者」に知り合いのことを話しかけるような文体が採られている。
・エーラ・ニコラエヴナ:「エーラ」=時代、「ニコラエヴナ」=ニコライⅠ世、Ⅱ世時代のという意味があるのか?(ニコライⅠ世時代:プーシキン、ゴーゴリ/ニコライⅡ世時代トルストイ・チェーホフ)
・チェーホフは皮肉っぽく、ゴーゴリは冗談混じりで、トルストイは民衆的な、もしくは宗教的な表現が多い。プーシキンは喋らない。ところどころ、有名な言いまわしのパロディーか、直接的な言及がある。Ex. トルストイ:Что такое секс ?
・いまどき文学(古典)に愛情を感じるのは「病院送り」になるような異様なことなのかも
知れない… 最後に本が燃えだすのは、ブルガーコフの「原稿は燃えない」の逆をイメージ
している。

5.ボガエフ作品の特徴
・軽妙な会話。
・ト書きが「読者」に話しかけるような親しみやすい文体で書かれている。
・多彩な手法。作品ごとに書くスタイルが異なっているようである。アイディアやウイットに富んでいるが、まだ多少、習作と言う感じで、劇的な構成が弱い。上演の成功は演出の力量次第かと思われる。
・社会的なテーマを扱いながら深刻にならず、あくまで軽やかさや楽しさが前面に出ている。