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●イリヤ・カバコフ

 

イリヤ・カバコフ作品解説

鴻野 わか菜

<大きな歴史と小さな歴史>

 ウクライナ出身の前衛芸術家イリヤ・カバコフ(Илья Кабаков)の略歴については、すでに『イリヤ・カバコフの芸術』沼野充義編著(五柳書院 1999年)にくわしいので、ここではごく簡単にふれるにとどめたい。
カバコフは、1933年旧ソ連のドニエプロペトロフスク市に生れ、8歳のころには戦火をのがれて、一家でウズベク、タシケントを経てサマルカンドに移住した・・・この夏、疎開先へむかう列車のなかで、カバコフは見知らぬ少年に、自慢の空気銃をだましとられ、ヒステリーの発作を起こしてしまう。43年には美術学校に入学、母親とともにモスクワに移る・・・44年冬、プレゼントの抽選でラクダの毛のセーターを当て、しばらくそればかり着ていた。美術学校卒業後は、絵本の挿絵等を描きながら、公式には発表できない作品も描きため、モスクワ・コンセプチュアリズム・サークルの仲間にだけ見せる日々が続く・・・このころ、船の挿絵を手がけており、助言を仰ぐため、出版社に本物の船乗りの老人が招かれた。だが彼はカバコフの絵を一目見るなり憤慨して帰ってしまった!
60年、初めての国外旅行、85年、ベルンで海外初の美術展がひらかれる・・・しかし、ソ連に住んでいたカバコフにとって、これは「月ほど遠い出来事」であり、ベルンに行けないまま、モスクワ郊外の森で「オープニング」を祝う。2本の木の間に張ったテープをカットし、シャンパンを空けるが、時差を忘れていたため時間をまちがえてしまう。
89年、DAADから給費を受け、ベルリンに2年間滞在し、92年ニューヨーク郊外に移住、99年には、日本初の大規模な個展『シャルル・ローゼンタールの人生と創造』を開催(水戸芸術館)、昨年末の<Art News>誌では、「現存する画家ベスト10」に選ばれた。

空気銃や船乗りの老人、ラクダのセーターのエピソードはすべて、カバコフのインスタレーション『わが人生の船』の自作年譜からの引用である。そこには、ふつうなら年譜に書かない小さなエピソード――88年にフランスに行った時、料理の名前をひとつしか言えなかったので、毎日ピューレばかり食べていたとか、幼稚園にかよっていたころ、パンをねだってばかりいたので、幼稚園の先生がこの悪癖をやめさせようと、パンを皿に山盛りにしてイリヤ少年の前に置き、全部食べるまで帰してくれなかったとか、38年秋、クマのぬいぐるみがお気に入りで、「中からおがくずがこぼれているのに、私はミーシャを手放さなかった」などという、せつなくておかしい思い出にあふれている・・・ 子供のころ恐かった先生、好きだったのに壊れてしまったおもちゃ――これらは誰の人生にも共通する思い出で、観客はカバコフの作品を見るうちに自分の人生を重ね、ノスタルジーにとらわれる。これがカバコフの魔法である。
カバコフの作品は、あくまで軽やかで、時に意地悪い冗談のようでもあり、ヒューマニスティックになりすぎることはないが、いずれにせよ、個人の小さな歴史にも目をとめ記憶していこうという一貫した姿勢を感じさせる。

・ インスタレーション『計画宮殿』(98)
たとえば、インスタレーション『計画宮殿』は、旧ソ連に住む人々のプロジェクトを保存する博物館として構想された巨大な作品(皆、カバコフが作りだした架空の人物)であり、内部には、挫折・失敗した夢もふくめて、ささやかな個人的な計画や憧れが保存されている。天使の羽を背につけて心を慰める計画や、子供のころ好きだった絵本の切抜きをながめて、幸福だった幼年時代に回帰するプロジェクトなど、他愛無いだけにもの悲しい。イギリスで展示された時の展覧会案内書では、「日常の妄執の大展覧会」というシビアな言葉が使われていた・・・ 感傷的にも散文的にも受けとれるカバコフの作品の多様性は、コンセプチュアリズム的な作品と芸術家の距離感に発している。
『計画宮殿』の外観は、建設途中の『第三インターナショナル』を思わせ、実現しなかった共産主義ユートピアの<モニュメント>の観がある。
カバコフは、昨年8月7日、『イリヤ・カバコフ展 シャルル・ローゼンタールの人生と創造』のオープニング・レクチャーで、こんな体験を語った――2年前に来日した際、友人に「これから「銀の宮殿の寺」に行くよ」といわれて銀閣寺に案内された。しかし、実際に建物を前にしてどんなに頭をひねっても、銀の宮殿は現れなかった。すると友人はこう説明した――実は、この宮殿を建てたお殿様は、本当に銀の宮殿を建てたかったんだ。 しかし残念ながら、その人には 銀の宮殿を建てるほどのお金がなかった。けれど、結果としては銀の宮殿は建てられなかったけれども、歴史は、建てたいという彼の希望、意図、それだけは実際に残したんだよと。どこか『計画宮殿』に通じるエピソードである。

・ インスタレーション『けっして何も捨てなかった男』(77)
「なにかを捨てることは記憶を捨てることである」と考え、すべてのゴミをとっておく男の物語。男の部屋は、拾った場所や時間、状況を記したメモをそえた無数のゴミで埋まっている。男はただのマニアなのか、あるいは天使のような記憶者なのか・・・この男は、プラトーノフの『土台穴』や、ニコライ・フョードロフを思わせる。

・ インスタレーション『共同キッチン』(91)
ソ連の共同住宅を舞台にした作品。住人達の罵詈雑言が、紙片に書かれ、円筒形の部屋の天井から一面につるされている。書かれた個々の言葉は下品極まりないのに、無数の紙片がゆらめく全体の光景は美しく、不思議な清潔感が漂っている。散文的な日常を描いたはずのこの作品は、実は、悪も浄化される死後の世界なのかもしれない。共同住宅全盛期に生きたソ連人たちの多くは、彼岸に旅立ってしまったのだから。

・インスタレーション『母のアルバム』(88)
カバコフの母親が晩年にしたためた回想録をもとにした作品で、困難な人生を象徴する暗く狭い廊下の壁に、数10枚のアルバムが展示されている。アルバムはどのページも同じ構成で、上半分には、ソ連政府のプロパガンダ雑誌から切り抜かれた美しい写真(豊作の麦畑、清潔な病院、近代的な工場)が、下半分には、寝食にもことかいて学校の「トイレ」で暮らしたこともある、カバコフの母親の苦難に満ちた人生の手記が貼られている。この二つの「歴史」の対置はいうまでもなくアイロニカルだが、同時にここには、宣伝雑誌に描かれた「古き良き時代」に対するノスタルジーもこめられている。後世から見れば、世紀の変わり目とともに忘れ去りたい<失敗の歴史>でも、そこに生きた人たちにとっては唯一の現実だった。カバコフは決して声高に主張しないが、個人の小さな思い出を記憶しようという彼の姿勢は、ソ連を記憶しようという姿勢とももちろんパラレルである。
また、『母のアルバム』は、記号(宣伝雑誌)に実態(母親の手記)が伴わない断絶を描きだした点で、ソ連文化の特徴自体を克明にえがきだした象徴的な作品でもある。

・ インスタレーション『School No.6』(93)
テキサスの荒地に設置されたインスタレーション。ソ連時代の学校の廃墟のなかに、机、筆記用具、生徒の作品等が散乱している。カバコフには病院を扱った作品が多数あるが、チェーホフの『六号室』を連想させる題名が表すとおり、学校も病院と同様、出口のない閉鎖空間=ソ連の比喩である。カバコフはこの作品についてこう語る――「観客の方々は、私がソヴィエトの生活の歴史をお目にかけようとしていると思われたかもしれません。しかし私は、ソ連の物語を選んで作品を作っていますが、本当はこれは誰にでも共通した物語なのです。ですから、どの国の人がインスタレーションの中に入っても、その人自身の記憶を呼び起こすことでしょう。廃墟になった学校は、どの国にもあるものです」。
西側の観客の一部は、『トイレ』や『共同キッチン』などのカバコフの作品を見ると、これはロシア特有の陰惨な状況なので自分たちには無関係だと考えてしまいがちだとカバコフは嘆く。だが、これらのインスタレーションに表れる収容所的状況と、作品が喚起するノスタルジーは、おそらく現代世界全体に共通している・・・

・ インスタレーション『屋根の上で』(96)
 カバコフのこの考えは、インスタレーション『屋根の上で』にも表れている。これは、ソ連時代の典型的な家庭を再現した作品で、ソ連的な家具の置かれた質素な部屋が暗い電灯で照らされ、壁にはカバコフと妻エミリアの写真がスライドでぼんやりと映される。観客は、他人の記録を見ているうちに、だんだん「自分にもこんなことがあった」と思うようになり、自分自身の記憶をよみがえらせるのだとカバコフは言う。

・ インスタレーション『十の人物』(85~88)
  実際にインスタレーション『屋根の上で』の中に入ったある観客は、言葉に出来ない重苦しさにとらわれ、一刻も早く作品の外に出たくなったという。インスタレーション『十の人物』も、ソ連時代の共同住宅を再現した閉鎖的な空間である。『十の人物』たちは、誰もがこの現実から逃げだそうという願いにとり憑かれている。絵葉書の中の美しい世界へ隠遁しようとする男、白い壁に意識を集中し現実を忘れる男、特別な装置を作って天井をつき破り、宇宙へ飛び去った男・・・

・ インスタレーション『水がない!』(95)
小さな温室のやわらかい土の上に、「ここにバラの種を蒔いた」という札がたっている。だが芽はどこにも出ていない。土、種、温度・・・すべては整っているのに、一番肝心な水がない。カバコフ作品の重要なモチーフである閉鎖空間の悲劇(と滑稽)を扱った作品のひとつ。精神病院、温室というカバコフのモチーフは、どこかガルシンに似ている。

<消えた小人>

 ここではインスタレーションのみをとりあげたが、カバコフは今まで、絵画・アルバム・イラスト・立体等、様々なジャンルで制作してきた。今、絵画ではなく、主にインスタレーションを制作している理由について、カバコフはこう語る――ヨーロッパではモダニズムが隆盛なので、西ヨーロッパ以外から来た芸術家は、モダニズムを学ばなくてはならない。でも逆の場合、ヨーロッパの人々は、外国の作品がどのようなコンテクストから生れたかについて、あまり勉強しない。だから西ヨーロッパ以外から来た芸術家は、どうすれば自分が伝えたいものをヨーロッパの人に伝えられるか、どのような言葉を使えば聞いてもらえるかを考えなくてはならなくなる。もし、トータルインスタレーションを作れば、観客は中に入ることができる。ちょうど、招かれたお客さんのように。そして一度中に入ると、インスタレーションの磁場に囚われてしまい、もう西洋的なオリエンテーションには頼れない・・・
 また、カバコフはこうも語っている――インスタレーションを見に来た人は、よく不思議な行動をする。作品に参加したいという意欲が呼び起こされるからだ。たとえば、ゴミを扱ったインスタレーションだと、展示期間が終わるとゴミが増えているし、インスタレーションの中のソファで眠ったり、家から本を持ってきて、作品の中で読んで、置いていく観客もいる(インスタレーション『トイレ』、『わたしたちはここに住んでいる』(95))。白い小人をたくさん展示したインスタレーションでは、ニューヨークで展示した時は何もなかったが、マドリッドで展示したら、美術展の最終日、白い小人はたった10人しか残っていなかった。みんな1つずつ記念に持ち帰ってしまったんだ・・・ でもわたしは嬉しかった。トータルインスタレーションには、観客を積極的にする力があるんだ!
 カバコフの著書を読むと、カバコフがいかに観客を念頭に置いて作品を作っているか、ということがよく分かる。こうした自分の分裂した自我を茶化すかのように、予期される (?)観客の反応を制作の段階ですでに書きこんだインスタレーションもある。路上に展示された『なくした手袋のモニュメント』(96)では、道に落ちた片方の赤い手袋を中心に、その手袋に関するコメントを書いたいくつかの札が円形に立っている。若い女性は、「私もこの手袋と同じように孤独なの」と言い、男性は「昔の恋人もこんな手袋を持っていた」と述懐し、年老いた女性は、「今の人は、手袋も帽子もつけない」と怒る。このインスタレーションはリヨンの公園とブロードウェイの路上の二箇所で展示された、ニューヨークではその場にふさわしいコメントにわざわざ書き換えたという。本物の観客は、架空の観客のコメントを読みながら二重に反応することになり(一人の学生は、この作品のそばでコンサートをし、別の観客はハンマーで手袋を壊そうとした!)、作品と観客の関係についていやおうなしに考えることになるわけで、その点では『シャルル・ローゼンタールの人生と創造』に連なる作品である。
 架空の画家の回顧展として構想した美術展『シャルル・ローゼンタールの人生と創造』(99)で、カバコフは、ローゼンタールとして初期から晩年までの油彩やデッサン60余点の作品と日記を描くだけでなく、キュレーターとして彼の芸術を解説した論文・伝記も書いた。カバコフはここでローゼンタールという画家自身でもあり、同時にこの画家について深く考える批評家でもある。一人の人間における、普通の人間と芸術家への分離は、カバコフも強調するようにポストモダン的な姿勢である。モダニズムは常に強いアイデンティティを確立しようとし、いわば英雄的に新しい世界の啓示をめざすのに対して、ポストモダニズムはいつも歴史と自作の関係を意識し、自分の作品について検討し反省する複眼的な視点を持っているからである。
『ローゼンタール展』は、いわばポスト・モダンの姿勢を視覚化した大インスタレーションである。この傾向は初期作品からすでに一貫して存在していたが、こうして記念碑的な大作を制作して以後、カバコフがどんな作品を生みだすのか、これからも目が離せない。

(主要文献) *詳しい文献は先述の『イリヤ・カバコフの芸術』巻末参照

・Кабаков,И., Альбом маей матери, Paris : Flies France,1995.
・Kabakov, I., The Man Who Never Threw Anything, New York : Abrams, 1996.
・Kabakov, I., Ilya Kabakov, London : Phaidon, 1998.
・Kabakov, I., 5 Albums (1,2), Oslo : The Museum of Contemporary Art, Helsinki and the National Museum of Contemporary Art, 1994.
・Кабаков,И., Нома или московский концептуальный круг, Zurich:Cantz,1993.
・沼野充義編著『イリヤ・カバコフの芸術』(五柳書院 99年)
・イリヤ・カバコフ展『シャルル・ローゼンタールの人生と創造 カタログⅠ・Ⅱ』木下哲男、鴻野わか菜、アルフレッド・バーンバウム訳(水戸芸術館 99年)
・イリヤ・カバコフ『クローゼットのプリマコフ』(CD-ROM)鴻野わか菜訳、(エス・バイ・エス 99年)
・『ヤン・ファーブル:偶然を支配する者』シンポジウム記録(財団法人東京オペラシティ 97年)
・鈴木正美「新たなるリアリティ」『ユリイカ ソ連カルチュア・マップ 1991年5月号』(青土社 91年)
・Бобринская,Е.А., Концептуализм, М.:Галарт,1994.