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ドストエフスキーのいる現代ロシア文学


望月哲男

目次


はじめに

I ドストエフスキー受容の諸相――評論と文学研究から
1. 評論の事例から
2. 文学研究の事例から
II ドストエフスキー文学の現代的展開
1. ドストエフスキー・テーマの変奏
a)現代の地下室人:Iu.マムレーエフ『ある個人主義者の手帳』(1986)
b)ポスト全体主義の地下室:V.マカーニン『アンダーグラウンドあるいは現代の英雄』(1998)
c)宗教と生命のテーマ:Ch.アイトマートフ『処刑台』(1986)
d)ロシア論の文体:D.ガルコフスキー『果てしない袋小路』(1995/1997)
2. ドストエフスキー論のある現代文学
a)反ユダヤ主義批判:F.ゴーレンシテイン『ドストエフスキー論争』(1990)
b)イデオロギー批判の反転:Iu.クワルディン『戦場はドストエフスキー』(1996)
c)文学の呪縛:V.ピエツフ『新モスクワ哲学』(1989)
d)寸鉄詩的批判:D.プリゴフ「文学と芸術の諸法則」;V.シャラーモフ「赤十字」
3. 加工されるイメージ
a)ナンセンス小説風ドストエフスキー:V.ナルビコワ『第一人物の場と第二人物の場』(1989)
b)ジャンキー・ノヴェル風ドストエフスキー:A.ヴィトゥフノフスカヤ『ロシア文学最後の金貸しの老婆』(1996)
c)ヴァーチャル・リアリティ版ドストエフスキー:V.ペレーヴィン『チャパーエフとプストタ』(1996)
d)テキスト自壊型ドストエフスキー:V.ソローキン『ドストエフスキー・トリップ』(1997);『青脂』
(1999)


むすび


はじめに


 本稿のテーマは、19世紀文学の現代的な意味や応用可能性という問題と関係する。筆者の目的は、今日のロシア文学作品中で19世紀作家ドストエフスキー(1821-1881)に関連するモチーフが利用されているケースをいくつか取り上げ、大まかな類型に分けながら、それぞれの場合にドストエフスキー・イメージが果たしている役割や意味を考えることである。筆者はこの作業がドストエフスキー文学の理解の拡大に役立つと同時に、現代ロシア人の自己表現の特徴を考える材料ともなると考えるが、それは次のようなことを根拠としている。
 現代ロシアの文学作品には、ドストエフスキーとその文学への直接・間接の言及を含むものが少なからずみられる。ドストエフスキー作品の主題、状況設定、人物像などの明示的・暗示的応用、ドストエフスキーを意識した作中論議、文体や表現手法面での模倣やパロディ、などといったものである。
 このような要素がそれぞれの作品中で果たしている役割はまちまちである。すなわちドストエフスキーに関連した部分が、作品の主題設定や構成の本質的部分に関わっていると思われる場合がある一方で、この作家への言及が唐突で不自然な印象を与える場合もある。
またそれぞれの作家の言及から推測されるドストエフスキー解釈の姿勢にも、対象を総合的に捉えようとする生真面目なものから、一面に偏った恣意的なもの、あるいは明らかに揶揄や遊戯を目指しているものまで、様々なものがある。すなわち古典を受容し応用する動機や姿勢の個別差が、そこに自然に反映されているのであって、ドストエフスキーへの言及が必ずしも彼への積極的関心から生じているわけではない。
 しかしそのような個別的差異があるからこそかえってわれわれは、現代作家の自己表現においてドストエフスキーがもっている特殊な意味を意識することになる。そもそも古典の応用という行為は、現代文化の自己認識と密接に連動した行為である。現代作家の個人的文化史地図というものを想定するならば、そこでは古典作家の位置づけが相対的に地図の作者の位置を指し示すことになろう。古典作家に触れる手つきが、そのまま現代人の自意識の表現なのだ。ただし人は漠然と古典を自作に利用したりはしない。自己表現の題材は、意識的にせよ無意識にせよ、選ばれている。文化論の表面にしばしば登場する歴史上の人物や事項は、過去を介しての現在認識というフィードバック作業にとって、有意義でかつ無視できない要素を供えているとみなすのが妥当だろう。文体模写やパロディの対象選択にもまったく同じことが言える。ドストエフスキーのイメージが現代文学に頻出するとするならば、現代の文学的自己表現にとってこの作家がそれだけ広い応用可能性を持つことを意味する。くりかえしになるが、この選択には必ずしも対象への積極的関与は前提とされない。共感や理解のみではなく、反感や揶揄、これみよがしの蔑視を含んだ言及の中にも、われわれは一定の対象への強迫的なこだわりを感じとり、文化の下意識のようなものを読みとるのではないだろうか。ソ連文化論におけるスターリンの神話的地位を思い起こせば足りよう。
 実際ドストエフスキーの名前は、一連の定型化したイメージ群と強く結びついている。表層にあるのは、例えば彼の数奇な人生のエピソード群(流刑、病気、賭博、外国流浪・・・・・・)、作品中のユニークな人物や事物のイメージ(例えば「斧」「老婆」「白痴」といった語はドストエフスキー連想語である)、奇怪な事件と普遍的人間論や社会論を組み合わせた物語構成、濃密な文体が生み出す非日常的な時間・空間感覚、といったものである。そしてその背後には、ある独特な文化論のパラダイムが開けている。その中心をなす系列が、ロシアと西欧(あるいはアジア)、ロシア人とユダヤ人(あるいはドイツ人、ムスリム・・・・・・)、ロシア正教とカトリシズム(あるいはプロテスタンティズム)、キリスト教的な自由論と科学的決定論等々といった、ロシア的なものを一方に据えた対比や択一のパラダイムである。
またエゴイズムと博愛衝動、劣等感と優越感、ショーヴィニズムと民族融和思想といった対立概念の処理の手続きも、矛盾物の対話的共存とも、詭弁的な意味の転倒や組み替えとも見なせるような、独自の論理に従っている。
 このような問題のパラダイムや論理自体は、ある程度ロシア近代に普遍的なものであったにも関わらず、しばしば象徴的にこの作家の名前と結びつき、「ドストエフスキー的問題」「ドストエフスキー的論理」とさえ見なされている。ドストエフスキーの名前はこうした観念連想をともなった、いわばロシア文化論上のビッグ・ネームなので、ロシア作家が彼の名や文章にナイーヴで偶然的な態度で言及することは、想像しがたい。ドストエフスキーの主題を自己流に展開し直したり、彼の作品のパロディを書いたりするとき、作家たちはドストエフスキー作品が一種代表的な形で表現しているロシア文学の特殊な社会的機能や、この作者の民族観・人間観を含めた全体について、なんらかの態度を表明しているとみて、あながち間違いではないだろう。
 没後120年の間に、ドストエフスキーは何度かロシア文化論の熱い話題となってきた。
前世紀末にはウラジーミル・ソロヴィヨフ、ワシーリー・ローザノフ、ドミートリー・メレシコフスキー、アキーム・ヴォルインスキー、レフ・シェストフらが、ドストエフスキーの宗教観や審美・倫理観を論ずることで、時代精神を表現しようとした。1920年代後半には、彼の名前はプチ・ブルジョアジー式の歪んだ人間観と結びつけられ、批判や風刺の素材となった。70年代には、再発見されたミハイル・バフチンの理論が、ドストエフスキーにおけるイデオロギーと創作原理の位置関係を逆転して見せ、彼の名はポリフォニックなタイプの思想表現の代名詞となった。この時代にはまた、ソ連 国内のネオ・スラブ主義や新土地主義といった思潮との関連で、ドストエフスキーの思想が語られ直すようにもなった。そしてこの世紀末、ドストエフスキーはソ連後の新しい思想文脈で、あらた
めて文化意識の表現媒体となったようにみえる。例えば90年代半ばに発足した二大文学賞のひとつでロシア資本による「アンチ・ブッカー賞」が、96年以降その長編小説部門を「カラマーゾフの兄弟賞」と名づけるようになったのも、(トルストイその他を差し置いて)この作家をロシア的小説家の代表として名指すという、文化意識の選択的表現なのである。そうだとすれば、文学作品中のドストエフスキー・イメージを拾い集める作業は、現代ロシア文化論のフィールド・ワークとしての意味をも持つだろう――これが筆者の仮説である。

I 現代ドストエフスキー受容の諸相――評論と文学研究から

 ドストエフスキーの登場する文学作品を具体的にみる前に、ドストエフスキーがどのよ
うな意味で現代文芸の関心対象となるのかという背景的問題を、90年代の文芸評論と文
学研究を材料に、例示的に検討してみたい。

1.評論の事例から
 資料のひとつは、雑誌『ズナーミャ』1990年7号所収の「ドストエフスキーと21世紀前夜」と題する誌上対談1。これは政治思想家・ドストエフスキー研究家で、ゴルバチョフ時代に大統領顧問も勤めたユーリー・カリャーキンの同名の著書2を記念したものである。
ちなみにカリャーキンの本はソ連後期を通じて書かれてきた論文を集めたもので、中心主題のひとつがドストエフスキーを通じてみたスターリニズムおよびテロリズムの問題。人間の自己欺瞞はどこに発生するか、目的は行為を正当化するか、倫理的な価値は何によって保証されるかといった一連の問いが、ドストエフスキーを介してマルクス主義から形而上学へと「転向」したこの著者の立場から検討されている。文学を倫理学・政治学の書として読み抜いたカリャーキンの論考をまくらにしたこの誌上対談は、ドストエフスキーに対するかなり多様な受容や評価のあり方を垣間みせてくれる。
例えばイーゴリ・ヴィノグラードフにとって、ドストエフスキーの意義は(トルストイと同じく)近代における信仰喪失が生む諸問題を先鋭に描いたところにある。ソ連という非宗教社会の経験を経た今日のロシア人は、あらためて善・良心・名誉・慈悲といった人間的な価値を、宗教によらず保つことができるかという問いの前にたたされている。この点でドストエフスキー文学は、ロシア社会にきわめてアクチュアルな意味を持つというのである。
 『悪霊』の研究者リュドミラ・サラスキナは、社会主義革命を含む20世紀政治史に対するドストエフスキーの予見性を強調している。ロシアの革命家たちは何者だったか?『悪霊』で戯画化されたような悪魔的犯罪者や陰謀家だったのか、それとも高潔な者たちだったのか?――そう彼女は問う。マクシム・ゴーリキーの『勤労者への呼びかけ』(1917.11.10)を引用しながら彼女が主張するところによれば、レーニン派は『悪霊』のモデルとなったネチャーエフ・グループの意図したところと同じく、陰謀的手段で革命を遂行し、労働者階級を貶め、大量虐殺や不当逮捕を遂行した。ドストエフスキーはこの歴史の歩みを正確に予見していたのである。
 レニングラード封鎖史に強い関心を持つ作家アレシ・アダモーヴィチにとって、ドストエフスキーは苦悩や残酷さへの態度という視角から人間性の深奥を描き出そうとした作家である。革命と大戦を通じて想像を絶する歴史の暗黒を経験してきたロシア人の心は、苦悩に関するドストエフスキー的認識の中に、復活への方途を学ぶことができるだろうというのである。
 一方でドストエフスキーの限界性を、現代にとって警戒すべき問題として指摘する立場もある。
 アレクシス・クリモフにとって、ドストエフスキーはひたすら人間性の破壊的・消極的な側面を探求した作家であった。屈辱に快楽を見出し、自ら破滅を選択するような「地下室の精神」の持ち主は、自己救済の道を自分で閉ざしている。そうしたドストエフスキーの文学は、現代人に救いをもたらさないというのだ。
 ミハイル・ヴォリケンシテインやカレン・ステパニャンは、ドストエフスキーからそれぞれ大きな歴史的教訓を引き出しつつ、彼のイデオロギー性を批判している。前者によれば、ドストエフスキーは普遍人類的博愛の理念を説く一方で、自らはナショナリストで排外主義者であるという矛盾から抜け出られなかった。また後者は、ドストエフスキーが身内と余所者の論理に強くとらわれていたことを指摘する。スラブ対非スラブ、ロシア正教対イスラム(カトリック・・・・・・)といった相互排除の論理の中で、侵略が救済と、革命が解放と呼びかえられ、戦いが永遠に回避されないメカニズムが継承される。ドストエフスキーはこうした意味で、現代にも共通するナショナリズムの病を明示してくれる反面教師
なのである。
 現代のドストエフスキー受容のあり方自体を批評する、メタ・文学論的言説もここには含まれている。
 文芸学者ヴャチェスラフ・イワノフは、ドストエフスキーをイデオロギー的評価から解放し、文学として捉え直すことを提唱している。彼によれば、そもそもロシア文学は、哲学、法的規範論、現代史論といったような、文学以外のジャンルの役割を担いすぎてきた。
ドフトエフスキーにはもちろん哲学者や宗教家の素養があったが、彼の真骨頂はあくまでも文学作品を描いたところにあるというのだ。こうした批判は、もちろんフォルマリストやバフチンの文学観に通じると同時に、ワレリー・ポドロガ、ミハイル・ヤンポリスキーら現代の「余白の哲学」派による、ロシアにおける文学言説の権威主義的機能への批判とも共通している。
 またドミートリー・ウルノフは現代の定型化された、通俗的ドストエフスキー解釈が、実は無知や思いこみに立脚した虚像であることを、いくつかの例をあげて指摘している。
彼によればドストエフスキーは「われわれとはちがうばかりか、時にはまったく反対のことを言っている」のである。
 ドストエフスキーへの現代的関心の一端を伺わせるこのような議論は、多かれ少なかれペレストロイカ以降の思想環境の変化と連動している。例えば、カリャーキンのソ連期の著作においてはスターリン批判やジダーノフ批判の文脈で行われていたドストエフスキーの政治観の祖述が、今日では革命とソ連史全体の批判を背景としているが、これは政治思想上の環境変化が文学論に反映した例である。
 ただし現代的ドストエフスキー受容の特徴は、そうした部分をみるだけでは把握できない(スターリン批判であれ革命批判であれ、文学に政治的メッセージを読む関心のあり方としては変わりがないとも言える)。今日のドストエフスキー受容の特徴は、規範的で教科書的な解釈の枠が失われ、様々な枠組み、態度、方法による多元的なドストエフスキー理解が文化論の場に持ち込まれるという、その状況自体にあるのだ。

2.文学研究の事例から
文芸学におけるドストエフスキー論のジャンルでも、以下に例示するような複数のアプローチによる研究が同時に展開されている。
 a)テキストをめぐる環境整備:旧正字法とコンコーダンス
 ドストエフスキーの定本を目指したソ連科学アカデミーによる30巻全集が1990年に完結したが、ソ連崩壊後これに対抗する形で、1917年までの(ドストエフスキー時代の)旧正字法による『ドストエフスキー全集定本』がペトロザヴォツク大学のウラジーミル・ザハーロフの編集で出版されはじめた3。文学作品はそもそもそれが書かれたときの言語で存在すべきであり、文学の受容も文学論もそれを前提とすべきである、というのが編者の率直な主張であるが、これも一面で文化規範の揺れが生んだ新しい文芸意識の所産と言えるかも知れない。ザハーロフはまたドストエフスキーの全作品コンコーダンスも公開している4。
 b)歴史の中のドストエフスキー像:アルヒーフ、帝政、物語
 ドストエフスキーの伝記研究家イーゴリ・ヴォルギンは『ロシアに生まれて:資料にみるドストエフスキーと同時代人』(1991)5で、ドストエフスキーの家系と関連人物からなる物語を、中世の大リトワ公国から1840年代にかけての大きなスパンで記述している。
また『権力のメタモルフォーゼ:18-19世紀におけるロシア皇帝暗殺の試み』(1994)6では、1849年のペトラシェフスキー事件を主な接点に、皇帝対インテリゲンツィアの対抗図式の中にドストエフスキーを位置づけようとしている。前出のリュドミラ・サラスキナも、ペトラシェフスキー事件の関連人物(特にニコライ・スペシネフ)および小説『悪霊』に描かれた1860年代の政治的人物(特にセルゲイ・ネチャーエフ)を中心素材として、ロシア政治史の中における人間ドストエフスキーを描き出そうとしている(『悪霊:警告の小説』(1990)、『ドストエフスキー:デーモンたちの超克』(1996)7)。
ヴォルギンとサラスキナの見解はある点で対立しているが、共通するのはアーカイヴ資料や外国のドストエフスキー研究を積極的に利用する態度、帝政ロシアとは何だったかという関心、そしてドストエフスキー史を物語として成立させようという伝記作者としての野心である。彼らの仕事はある意味で、ペレストロイカ以降の「歴史の復権」運動や、ロシア人の精神的ルーツ探しのムードと連動している。
 c)キリスト教の視点
 先述のザハーロフや文芸評論家カレン・ステパニャン、若い世代のタチアーナ・カサトキナなどが中心となって、ドストエフスキー文学とキリスト教文化(福音書、ロシア正教、イコン等々)の研究が盛んに行われている。ザハーロフ編『18-20世紀ロシア文学における福音書テキスト』(1994,1998)、ステパニャン編『20世紀末のドストエフスキー』(1996)、カサトキナ『ドストエフスキーの性格学』(1996)、A.ストリジョフ編『ドストエフスキーと正教』(1997)などがその例である8。この問題に関する関心や考察態度も様々で、例えばストリジョフの本に収録されたウラジーミル・マリャーギンの論文9は、ドストエフスキーが信仰の必要性を正しく説きながら、正教の具体相(例えば長老制度や修道生活)の認識においても、また理念の解釈においても誤りをおかしているという、かつてのコンスタンチン・レオンチェフのドストエフスキー批判を追認する内容である(ただし彼はこれをドストエフスキーの問題というよりは、19世紀宗教精神の弛緩の故と捉えている)。一方カサトキナは、例えばドストエフスキーの主要長編のエピローグを、それぞれの主題に捧げられたシンボリックな宗教画(「言葉のイコン」)と見なすというような、宗教論の芸術手法論への展開を試みている10。ミハイル・バフチンのポリフォニー文学論とキリスト教思想の関係に関する関心も潜在的に高い。
いずれにせよこの領域での議論はソ連時代を通じてないがしろにされてきたものであり、ロシアの読者・研究者は今あらためて革命前の議論を継続する位置に立ったのである。
d)新しい文化学の応用:精神分析、受容理論、エロスフロイト的精神分析学の方法をロシア精神文化史に応用するイーゴリ・スミルノフは、ドストエフスキーの時代のリアリズム文学を、エディプス・コンプレクスの問題に捧げられた文学と性格づけている。すなわち父(世代)と子(世代)の葛藤への様々な対応の形が、文学としてモデル化されているというのだ。社会的なテーマ設定としては、エディプス・コンプレクスの文学は、ニヒリズム文学と反ニヒリズム文学に類型化される。前者が宗教・国家・家庭といった権威の生成システムを否定するのに対し、後者はそれらを共同体の条件として擁護するのだ。しかるにドストエフスキーの文学は第三のカテゴリーを形成すると、スミルノフは考える。『悪霊』にみられるように、彼はニヒリストの論理を破産に追い込むと同時に、社会秩序の代弁者をも戯画化してしまう。彼の文学は、社会モデルの自己批判、文学の自己批判を含んだ「ポスト文学」だというのがスミルノフの論旨である(『プシホディアフロノロギカ:ロマン主義から現代までのロシア文学の精神史』199411)。
少しちがったスタンスの「心理詩学」をかかげるエフィーム・エトキンドは、文学を人間の合理的部分と非合理な部分の関係論として捉え、虚偽の持つ表現性と真実の訥弁性という背理のレベルで、ドストエフスキーの小説『白痴』を読解している(『<内的人間>と外的言語』199812)。これらもまたソ連文芸の公式路線から排除されてきた方法のドストエフスキーへの応用である。
 文化学者ヴァレリー・ポドロガやミハイル・ヤンポリスキーは、読書を身体的コミュニケーションと捉える現代的受容理論の立場から、ドストエフスキー作品を性格づけている。
彼らによればドストエフスキーの作品では、主人公たちの身体と精神のバランスが壊れているうえに、個別的な身体の輪郭も曖昧で、あたかも主人公たちが集合的に一定の精神状態を表現しているかのようである。そこには読者が日常的な身体感覚で追体験できるような三次元空間の代わりに、複数の時間帯が混在し、存在と非存在、瞬間と永遠が接するような時空間(ミハイル・バフチンのいう「ソブイチエ=共存・事件」空間)が開けている。
 読者の作業は特殊な叙述のリズムに沿って、この境界の世界を体感していくことである(V.ポドロガ「皮膚のない人間」1994、M.ヤンポリスキー「痙攣する身体:ゴーゴリとドストエフスキー」199613)。これも新しいアプローチの応用であると同時に、ようやく自国で全面的に展開されようとしているバフチン理論への、多少屈折した応援演説のようにみえる。
 最後に言及するG.レヴィントンは、ドストエフスキー文学の民衆フォークロア的要素に注意を促している。彼によればドストエフスキーとフォークロアの研究は、従来宗教歌や伝説といった「上品な」ジャンルに限られていて、より大衆的で下品なジャンル(エロチシズム、スカトロジーを含む諺やチャストゥーシカの類)にはおよんでいない。しかしこのジャンルは文化研究の重要な領域であり、記述文学への影響も無視できない。M.バフチンのいうカーニヴァル文学のジャンルも、これと深い関係を持っているのであって、ドストエフスキーのそうした側面もより研究されるべきなのである(G.レヴィントン「ド
ストエフスキーとフォークロアの<下品な>ジャンル」199614)。彼のこの論には、1975年にドストエフスキー記念館での会議で報告して公式筋の酷評を受けたものという自注がついているが、ここにも規範の崩壊のしるしを読みとることができる。
 作家の創作の生理的部分に着目するこうした視点との関連で、ドストエフスキーの病的で好色な側面の記述を含む同時代人の回想の類が出版されていることもつけ加えておきたい15。また自殺に関する思想史という一般的文脈のなかで、ドストエフスキーの自殺観を整理したG.チハルチシヴィリの仕事も、広い意味での彼の文化史的意味の再評価といえ
るだろう16。


 社会評論と文学研究の両世界に取材した以上のサンプルは、網羅的というにはほど遠いが、現代版ドストエフスキー受容の「愉快な雑居性」(バフチン)を伺うには十分であろう。
こうした雰囲気がそのまま、文学作品における様々な「ドストエフスキー・ゲーム」の背
景となっているのである。


II ドストエフスキー文学の現代的展開


 以下ドストエフスキー・イメージの応用を含む現代文学の実例を観察するに際して、主として作者の姿勢に応じて対象を3つのグループに分ける。すなわち、ドストエフスキーのテーマの積極的展開を含むもの、ドストエフスキー批判やドストエフスキー論自体を文学化したもの、文体模写やパロディを主な動機としたもの、の3グループである。これらのカテゴリーは必ずしも相互排除的ではなく、むしろ大まかなアクセントの差にすぎないが、実際の検討には便利な作業枠を提供すると思う。
 分析に際しては、何かの一般原則に照らして個別ケースを検討するのではなく、作家個々の論理を推測する作業を重視した。すなわちそれぞれの「引用者」がドストエフスキーに見いだしている応用可能性や問題性とは何か、彼はドストエフスキーの何を取り何を捨てたか、ドストエフスキー・イメージは彼の作品に何をもたらしているか、といった問いが本論の中心関心である。それらを集積してドストエフスキー(あるいは19世紀文学)の現代的意味といった一般論に展開する作業は、課題として残されている。
 なお対象の選択原理は体系的であるよりは経験的であり、「現代」という概念の枠も明確にしていない。ただし本論の作業は、主としてソ連後の文芸に関するこの数年間の共同研究を背景にしているので、資料もおおよそペレストロイカ以降の作品が選ばれている。その結果、広義の現代ドストエフスキー・イメージ論に欠かせないヴェネディクト・エロフェーエフ、アレクサンドル・ソルジェニーツィン、サーシャ・ソコロフなどのソ連末期の作品が大半漏れ落ちているが、それらを補完して論の枠を広げていくことも、近い将来の課題としたい。


1.ドストエフスキー・テーマの変奏
 ドストエフスキーに特徴的なテーマを現代風に展開した作品をまず検討したい。例示されるのは、地下室人のテーマ、宗教および生命のテーマ、ロシア論のテーマである。
 a)現代の地下室人:Iu.マムレーエフ『ある個人主義者の手帳』(1986)17
ドストエフスキーの男性主人公の一定型として、『地下室の手記』(1864)の主人公を代表例とする、いわゆる「地下室人」のタイプがある。一種の幻滅したロマンチストで、知性や想像力に恵まれながら、現実への適応性や生活意欲を欠き、世間から孤立した生活をしている。彼の存在は様々な意味で宙ぶらりんである。近代文明人の不幸な自意識を身につけた彼は、ルソー的な自然人の理想に従えないと同時に、契約社会における経済的人間(技術的人間・政治的人間)のあり方にも反発する。伝統的信仰生活をとうに逸脱しながら、自然科学や功利主義的社会論の説く人間観には違和感を覚える。世間のエリートやたくましい生活者を鈍感な俗物と軽蔑しながら、彼らに羨望に近いものを覚えている。
 地下室人は、その言説もアイロニーに満ちている。すなわち自意識の前提となる自己の特権化・彼我の差異化の意志(私は彼らとは違う、私は独立独歩だ・・・・・・)と、自意識自体の対話的本性の認識(私は誰かを意識した発話の中で自己を発見する、私は常に内なる発話者、聞き手、対象といった複数の私に分裂する)とが、彼の発言の中で葛藤を起こしている。彼らの多くは、近代的人間の不合理な運命――理想に照らした自己の不完全さを認識する知性を持ちながら、その不完全性を克服する能力を持たない状態――を、個人的な屈辱と感じている。このようないくつかの要因から、地下室人の発言は、他者を斬る刀でまず自らが傷つくような自虐性を持っている。
 地下室人は思想的な人間であり、彼の思索は彼一個の運命を越えた、普遍的な問題としての広がりを持つ(逆に言えば、彼の思想は彼個人の運命の改善に対して無力である)。ドストエフスキーの作品では、地下室人はしばしば聖なる女性、子供、キリスト的人間といった反対イメージとのペアで現れる。
 しかし地下室人の属性をこのような形で網羅的に名指すことは、おそらく不可能である。地下室人は文字通り近代社会に対する下部や外部からの反省的視点を人格化したものとして、尽きせぬ文化論上の可能性を持っているからだ。したがってこのアイロニカルな形象の中に何を見いだすかということが、それぞれの時代や個人の自己表現となりうる。ちなみにドストエフスキー自身は、このようなタイプを19世紀ロシア知識人のうちに実在する、両面価値を持った人間像ととらえていた。彼は小説の中でその批判者としての機能を利用する一方で、こうした偏った人格の精神的な調和の回復をテーマとして意識していた。一方ドストエフスキーの「残酷な才能」、「病的人間観」を批判したニコライ・ミハイロフ
スキーやマクシム・ゴーリキーは、これを近代ブルジョア社会の病理を背負った、作者自身の精神の表象として論じた。さらに、たとえば今世紀のフロイト派は地下室人のルサンチマンの心理的メカニズムに、実存主義者は存在と意識の乖離に、ミハイル・バフチンは彼らの発話の対話的構造に、それぞれ注目したのである。
 現代ロシア文学におけるこのタイプのヴァリエーションとして、まずユーリー・マムレーエフ(1931-)の小説の主人公を観察してみたい。
 亡命作家マムレーエフは、人間の奇怪な想像力、とりわけ死・暴力・狂気といったものへの両義的な関心を突き詰めて描写する点で、ゴーゴリ風の怪異談やドストエフスキーのゴシック・ロマンス的側面を受け継ぐ表現者と見なされている。たとえば亡命先のアメリカでのデビュー作『地獄の空』(1980)には、死んでいく人間の魂の状態をのぞき込もうとして次々と殺人を犯す人物が登場する。インド哲学やオカルティズムを背景とした生命輪廻のイメージと、個々の存在の局面を脱し得ない人間の認識の限界性との落差が、彼の小説をグロテスクな悲喜劇にしている。世間から孤立して一種の哲学的実験空間に入り込んでいく彼の主人公たちは、総じて「地下室人」の仲間だといえよう。
 短編『ある個人主義者の手帳』は、文体までドストエフスキーを連想させるものである。
主人公の手帳の冒頭は、次のような『地下室の手記』風文体で始まる。

 やはり私はいやらしい奴だ。そしてなおさらいやらしいことに、そう書きながら満足している。つまりろくでなしの、ボケ老人の、耳を引っ張るぐらいじゃ足りないのと、さんざん自分の悪口を言いながら、それでも愛しているのだ! しかもその愛し方といったら! この世のものとは思えぬような愛し方なのだ。P.117

 彼が世間から孤立している動機も、ドストエフスキーの地下室人の「良識人」批判を忍
ばせる。 

 
 断っておくが、この世で私が一番我慢できないのは、地上の人間の90パーセントを占めている凡人たちだ。誓って言うが、どんな殺人者だろうと変質者だろうとアルコール中毒だろうと、平凡人に較べれば、ましで高尚な存在なのだ・・・・・・。殺人者なら、例えば心に後悔の念やら恐怖やらを抱えていて、額には感覚の高ぶりから汗を浮かべていたりするものだが、凡人の場合にはそんなものの影さえない。凡人はただの喋る機械であり、精神性がなく、病的に鈍感で、しかもそれが良識人の証明と見なされているのだ。P.119

 この人物のもう一つの特徴をなすのは、ドストエフスキーの別種の地下室人――『白痴』のイッポリートや掌編『宣告』の主人公など自殺志願者たち――に通じる、死への恐怖と死すべき人間の運命に感じる屈辱感である。
 私は自分自身病的に、震えがくるほどに死を恐れており、自分がやがて膿みただれて死にゆく身であること、たとえ理論上といえども、いつ何時死ぬかもしれぬ身であることに対して、造物主自らわが身の前に跪いて謝ってもらわねばと感じているものである。P.125
 ドストエフスキーの主人公が、娼婦や貧しい孤児といった「聖なる弱者」や「聖なる子供」を相手に経験することになる他者との限定的交流実験を、この「個人主義者」は若い女性を相手に行う。彼は「適度に悪魔的で、詩的で、夢遊病を患っていた」「きわめてハイレベルの処女」と結婚してアパートに閉じこもり、人々への嫌悪、死への恐怖、性の快楽を強制的に共有することによって、一種逃避的な「他者との融合」を試みるのである。以下は死のイメージと性衝動(タナトスとエロス)が耽美的な結合を見せている例である。


 「絡み合うんだ、絡み合うんだ」私は彼女の耳にわめいた。性交時の高まりゆく叫び声の中で、私は彼女に人生のすべてを垣間みさせた。死を運命づけられた脆い生、まるで精液のように、一時高揚し、甘い肉の快楽にしがみつきながら、ついには落下して無に帰してしまう、忌まわしい老人のような生の姿を。私は彼女に理解させようとした。肉欲の汗は死の前の汗であり、性交の果ての疲弊した姿は、人生の終わりのシンボルであって、人生とはまさに射精と同じように、忌まわしくもいとおしいもの、速やかな破滅を約束されたものであると。P.124


 しかし自己の主観的世界感覚を相手と共有しようとするこの強引な試みは、相手が別個の主観の持ち主であるという当然な理由によって、簡単に破綻してしまう。こうした展開において、この小説はきわめて「哲学的」な図式性を持っている。


 自分の外に自分を見ることが私には実に快かったが、同時にその自分の「自我」の塊を食べてしまいたい、自分の体に取り込みたいとも思うのであった。しかしその時、われわれの関係のドラマの最後の一幕が始まった。つまり彼女を自分の中に取り込み、自分のものにしようとすればするほど、私はなにかしら自分には貫き通せぬほど硬いもの、他人の精神の核のようなものに突き当たってしまうことに気がついたのだった。
それはなにやら敵意をもった、弾力のある「非私」であり、私はそれにはねのけられて自分の中へと退散したのであった。P.127


 マムレーエフの脆き独裁者・個人主義者の精神は、この後一直線に内向し、病的になっていく。『白痴』のイッポリートや『カラマーゾフの兄弟』のイワンに現れたような、悪魔的な分身が彼の元を訪れ、唯我論の思想を説き始める。さらに彼は、死への恐怖とは裏腹の、死に対するただならぬ興味に惹かれて、墓地を訪れて暮らすようになっていく。次のような描写は、三文文士の墓地での幻想体験を描いたドストエフスキーの短編「ボボーク」や、注15にあげたオポチーニンの回想にあるドストエフスキーの口述の物語(墓地に通って若い女性の死体に口づけする役人の話)を連想させる。

 墓穴に至るまでの比類なく神秘的な埋葬行進の道を、私はなにか病的なまでに親しい自分の道のように感じた。それはこの世と死後の世界のどこか中間にあって、魂はもう離れようとしているが、まだ離れきってはいないのだ。魂はこの世の夢や叫びや泣き声や幻と別れ切れていない。そしてこの世が今別れの時にあたって、何か別の、非現実的な意味をもちはじめたのだ。(中略)
 死体が穴の側に置かれると私は何よりも真っ先にその顔をのぞき込もうと勤めた。
すると時として、荘厳な劇的なものとは反対に、心の中に笑い上戸の愚者のような力がわき起こってきた。突然死人の顔に唾を吐きかけたくなったり、死者が今にも起きあがって、駆けてくるのではというようなばかげた予感がしたりした。私はそんなとき目をじっと閉じて、また開いてみた。ひょっとして本当に駆け出したら?(中略)
 私は故人の冷たく固まった容貌をじっと見つめた。もしもずっと、気が狂うほど長い間その顔を見つめていたら、きっとその動かぬ悪夢のような、死んだ仮面をはぎ取って、その背後に生の秘密を、自分自身の秘密を見出すことができるように思えたのだ。
(中略)
 エクスタシーも何度か経験した。つまりぼうっとして正体を失った私が、もはや自分の世界の仕切りを越えて、みんなを突き飛ばしながらもぐり込んで、死者たちとキスをしようとするのだ。そんなとき一人の老人が私にオーバーシューズを落としてくれた。P.138-139

 マムレーエフの作品は、鈍感な良識人への反発、死すべき運命への屈辱感、唯我主義的感性といった主人公の心理的造形、エロスとタナトスの結び付け方といった諸点で、ドストエフスキーの世界に近いところが多い。奇人の手記を局外者が読むという物語枠の設定も、19世紀好みである。
 ただし両者の地下室人の位置づけは、いささか食い違っている。
 ドストエフスキーの地下室人は、アイロニカルな個性として自己完結する以前に、一定の社会的機能を背負っている。すなわち高邁な理想を失い、功利主義的な原理に沿って浅薄に固まりかけている近代社会の「良識」に、疑問を投げかける機能である。彼は積極的な属性を何一つ持たないが故に、自己を笑いながら他者をも笑うことのできる批判的な道化である。先述のようにドストエフスキーの小説は、この両義的機能を持った道化を、聖なる女性・子供・キリストといったイメージを媒介として積極的な人格として完成させる、という構想の中で理解することができる。
 一方マムレーエフの地下室人は、そうした社会的な機能をはぎ取られた、いわば純粋な地下生活の実践者である。彼は世の良識人を鈍感と批判するが、それは彼の死への感受性や独自の美学を、彼らが理解しないからにすぎない。たとえばイッポリートやスタヴローギン、イワン・カラマーゾフといったしたたかな「神の摂理の批判者」たちにさえドストエフスキーが与えた留保や疑念――もしかしたら自分の知覚を越えたところで何かの調和原理が働いているかもしれないという形で、彼らの批判を認識論的に相対化してしまう疑念――が、マムレーエフの主人公には与えられていない。同様にこの主人公には、結局人格としての他者から隔絶している。ラスコーリニコフに対するソーニャのように、地下室
人の主観的物語を別の論理で読み解いてしまうような他者との接触が、彼には恐怖なのだ。
この物語を怪談として読むなら、一つの山場は、自我の拡大幻想の餌として利用した妻がもう一つの自我の主体だと、彼が気づくシーンであろう。
 マムレーエフの描く地下室人の世界はいわば純粋な荒廃であり、ドストエフスキーとの比較を媒介にすることで、その本質が鮮明に浮かび上がってくる。それは共同体、母性原理といった、個を結んで集団となす概念が全く効力を失った世界での、肥大した不安を抱えた自我のイメージである。


 b)V.S.マカーニン『アンダーグラウンドあるいは現代の英雄』(1998)18
 ドストエフスキーの地下室人は内省の人であるばかりか行為の人でもあり、何かの事件を契機にその思想と人生への態度を試みられる。たとえば『罪と罰』のラスコーリニコフは、殺人を犯すことで複雑な問題群に直面する。すなわち、いわゆる凡人と非凡人に関する彼の思想は正しかったか否か、その論理に基づいて行った行為は適切であったか否かといった、犯行の正当性をめぐる一連の問題と並行して、親族や警察といった他者に犯行を隠すべきか告白すべきか、犯罪者に正常なコミュニケーションは可能かといった、発話行為をめぐる倫理や心理の問題が発生するのである。
 題名もドストエフスキー(およびレールモントフ)の作品を連想させるウラジーミル・マカーニン(1937-)の小説『アンダーグラウンドあるいは現代の英雄』の主人公は、ソ連全体主義社会の地下世界出身者だが、彼の経験はそうしたラスコーリニコフ的問題の現代版というべきものを含んでいる。
 主人公は90年代モスクワの地下室人――すなわちソ連期からのアングラ作家で、ソ連後の時代にも出版して世に出ることをかたくなに否む54歳の男性である。かつて出版社訪問をしながら、ついに121回目に掲載を拒絶されたとき、彼は手元の原稿をすべてピローグの包み紙に提供してしまった。現在の彼はもっぱら頭の中で創作するばかりで、彼がどんなタイプの作家なのかは、読者には不明である。
 現代の地下室人は経済的問題にさらされていて、この人物も妻子と別れたまま、タイプライター一つを抱えて巨大なアパートの留守宅を時限付き管理人として転々と住み暮らすという、綱渡り生活を強いられている。その環境の中で、彼は廊下を歩き回って他人のドアの向こう側を推測したり、夜中に女性を訪問したりといった、ドストエフスキーの地下室人にはない生態をも身につけているのである。
 この人物の「地下生活」の意味は揺らいでいる。本来主人公にとって、アンダーグラウンドとはソ連後期の良心的知識人が強いられたライフスタイルもしくは精神態度の一つであり、しかもソ連社会に必須な構成要素でさえあった。個人が超自我と下意識を必要とするように、社会も公的部分とアングラ的部分を必要とするという論理である。しかしそのような意識は、社会の変動と無縁ではいられない。次のような内省は、ソ連後の非体制派知識人にとっての自己正当化の複雑さを反映している。


私の人生は失敗ではないと知り、信じたかった。そして何か特別の目的と至上の配慮によって、いま(現在このロシアで)私のような人間が、評価も名声も得ることなく、しかもテキストを生産する力を持って生きていることが必要とされているのだと、信じる必要があったのだ。アンダーグラウンド。言葉無しで生きてみること。他の連中はそうして生きている。沈黙者として生きることがリスクかリスクでないか――それが問題だった。そして私は最初の一人だった。私は自分の無名性を敗北ではなく、引き分けでもなく、勝利として受け止めた。私の自我がテキストを凌駕したのだと。
 そしてゴルバチョフ改革の後でアングラの連中が地下のあちこちから飛び出してきて、まるで急に我に返ったように昼の光の中での名声をひっつかみ、奪い取ろうとし始めたとき(そしてその名声の奴隷となり、過去の傷痍軍人のようなものとなっていったとき)、私は私のまま残った。私にはなにも埋め合わせるべきものはなかった。次々と本を出したり、何かの地位を占めたり、雑誌の編集をしたりするのは、ただの誘惑であり、そして次には俗悪な振る舞いとなった。書かざる私の「私」は、それ自身の人生を獲得した。拒絶の瞬間に神が私に多くのものを恵み、そのままでいるすべを与えてくれたのだ。3:136


 主人公の言う「沈黙」や「拒絶」の意味を読みとるのは意外に難しい。メディアを支配する<全体主義的公式文化>対自由で主体的な<地下文化>というソ連時代の対立構造が崩れ、非体制的であることの自明の意味も失われた。主人公の仲間たちはいまやあらためて、出版か沈黙か、文化の表面に出るか地下にとどまるかの選択を迫られている。そしてすでに社会主義時代に作品発表の努力を放棄したこの人物は、ペレストロイカの時代にもその姿勢を貫こうとしているように見える。彼が抱えているタイプライターは、あたかも禁煙者にとってのパイプのように、何を放棄したかを示す記号なのである。その選択の根拠が、ここではあたかも倫理的なもの、良心の問題(俗悪さの拒否)であるかのように語られているのだが、なぜ作家や編集者の地位に納まることが限定的に俗悪さのみを意味することになるのかは、じつは経験的にしか説明されていない。彼の選択は柔軟で主体的なものというよりは、むしろ定型的で受動的なものにさえ見える。つまり沈黙や無名性という概念が、すべてを超越する精神の純粋さを示す指標として、この人物の選択を支配しているようなのだ。従って彼の選択を社会倫理的に説明するだけでなく、心理的なレベルで説明することも大いに可能であろう。たとえば彼のうちには、官憲の暴力で精神障害を被った弟との関係や、何度も出版を拒否する編集者たちとのつきあいなどから生じた一連のトラウマがあり、それがいわば地下室症候群とでも言うべき症状に結びついたあげく、あらゆる社会的・積極的選択の意味をその都度覆してしまうのだ、というように。いずれにせ
よ彼の行動は、彼の意識的な説明からだけでは理解できない。彼は地下室的な生活を選んでいるというよりは、むしろ選ばされている。彼の倫理的な議論はドストエフスキーの主人公の皮肉な饒舌の前では奇妙なほどナイーヴであるが、にもかかわらず両主人公は、彼らの存在の客観的様態とその主観的(主体的)動機付けとの間の乖離という点で、共通性を持っている。
 これが小説の前提である。
 物語のプロセスで、この地下室人も否応なく現実の他者世界との関係を強いられる。その関係の中心をなすのが、二つの殺人事件である。主人公はコーカサス・マフィアとのトラブルから、偶然に相手の一人を殺し、次にはソ連期からの国家保安部のスパイを、計画的に暗殺するのである。ラスコーリニコフの場合と同じく、殺人は主人公に、責任の所在、罪意識への対応、他者への態度といった一連の問題を投げかける。そしておもしろいことに、この文学的人物は、そうした問いをドストエフスキーの小説のコンテクストで受け止めるのである。
「殺人を犯すと、人は殺人自体にとらわれるのではなく、本や映画やテレビで殺人について読んだり見たりしてきたすべてのことにとらわれるようになるものだ」(1-92)と主人公は考える。とりわけ文学は、経験の意味を判断する媒介物として、非常な影響力を彼に発揮する。たとえば「殺すなかれ」という命題は、(『山上の垂訓』などではなく)ドストエフスキー文学を通じてロシア精神を呪縛していると、彼は述懐する。

 私は「殺すな」について考えてきた。テーマは(時代で言えば)もちろん19世紀のこと・・・・・・それから、文学の(文学による)警告のこと・・・・・・それからかのフョードル・ミハイロヴィチ(ドストエフスキー:訳者)のこと――この人物抜きではどうしようもない。本当の道徳思想の香りが漂ってくるのは、どうしてもこのあたりしかない。そしてドストエフスキーのいわゆる「殺人者は自らを滅ぼす」という思想は、ほとんど絶対命題のようなものになっている。古典でありカノンなのだ(ロシア人にとっての文学は、いまだに巨大な自己暗示である)。「殺人を犯すなかれ」という立派な、根本的な教訓――例えばドストエフスキーの小説は、いまだにわれわれにとって生きている。しかしそれはすでに思想として、エネルギッシュに表現された芸術的抽象概念として生きているのだ。過去の天才的な言葉(そして当時としては無条件に先見的な言葉)の中に、すでに来るべきタブーが見えかくれしている。1:101
 ロシア文学はこのように強力な倫理的呪縛力を持つ「一大ウイルス」であり、ドストエフスキーの作品はその代表である。しかし同時に、彼の論理によれば、文学ウイルスのメッセージは時代ごとに変化する。たとえばドストエフスキーから20年ほどさかのぼったプーシキンの時代には、殺人(決闘)は名誉を守る手段として文化的に正当化されていたのだ。タブーは一定ではない。だから主人公は、文学同士を対立させることで、罪意識を回避することさえできる。


 背中を刺されてベンチに坐っているカフカス人の姿は、相変わらず私の目に映っていた。それは当たり前だ。しかしそのベンチも血痕も、それ自体は呵責を促す物ではなかった。ましては殺人への呵責を。これは計画殺人ではなくむしろ決闘であり、われわれはともにナイフを抜いたからだ。しかも相手のほうが先に私を殴り、斬ってきた(及び発砲した)のだから。つまり私は正当に勝ったのだ。だから時がたってどんなことを言われようとかまわない。あるいはたとえいわゆるロシア文学が、今まさに私の耳元でなにを叫び、わめこうと。だがいったいロシア文学はなにを叫ぶのだろう。
例えば19世紀のどちらの半分の声で叫ぶのか。決闘好きの前半世紀か、それとも懺悔好きの後半世紀か。まさにそんな風に私は問題に対して反対からの問題を投げかけ、時間を分割することで自分を正当化した。1:101-102


 当然ながら、文学と実人生の非同一性という自明の命題も、彼の遁辞のネタとなる。


 ドストエフスキーも言葉でわれわれを説得しただけだ。だがF.M.(ドストエフスキー:訳者)が最後の言葉を発して自己の勝利を誇示したとき、すぐさま明らかになったのは、彼が説得した相手は誰か関係ない人間で、私ではなかったということだ。つまり単に内部で、自分のテキストの領域で、読んでいる私を説得しただけだ。テキストの中でということは、私の「我」の中ではないのだから。1:102


 しかしこの主人公は、論理とも倫理とも違う心理的な面で、苦しい状態に追いつめられていく。すなわちまたもやラスコーリニコフと同じように、すべてを沈黙のうちに隠し通すという至上命題と、告白への衝動との間で引き裂かれるのである。

 それはわがプロットの展開をめぐる小さな、しかし大事な心理的発見であった。つまり私を(私の心を)いま圧迫しているものは、良心というよりは喋らないでいるという状態なのだと、ふとそう思ったのである。その通り、いまの私を苦しめるのは良心の呵責ではない(それは概して弱い)。沈黙していることが苦しいのだ。目の前に一枚の紙もなく、一人の聞き手もいないことが。(中略)そんな風に考えながら私は寝込んだ。何か心が知らせたのだろうか。当面私には謎だった。考えが及ばないのだ。そんなおしゃべりな、危険なやり方でも、この私を言葉へと回帰させたいという心のメッセージなのか。もし目の前に聾で唖の女がいたら、私はもうとっくに相手に話し、懺悔していただろう。3:75

 こうして主人公は皮肉な状態に陥っていく。すなわち地下室人の反対陣営である世の管理者たち(刑事や精神科医)が、罠にかけたり薬物を用いたりして彼の言葉を要求するのに対し、彼自身が告白の相手に選ぼうとした同じアンダーグラウンドの弱者たちは、彼の言葉を受け入れる用意がない。木賃宿暮らしの女性フルート奏者ナータ(この人物はドストエフスキーの聖なる女性=弱者を連想させる)は、精神薄弱気味で長い話を理解する能
力がないし、顔見知りの若い娼婦は、あまりにも屈託がなくてとりつく島がない。「ラスコーリニコフとソーニャの関係のようなものは、薬にするほどもないのだ。だから彼女のうち明け話を聞いたり、彼女に向かってうち明けたりするなんてことは、考えることさえできない。それはまるで一緒に寝ながらソ連の宇宙飛行士のマーチを歌うのと同じくらい場違いなのだ」(1:104)――そう主人公は考える。この後彼は精神と肉体をやみ、死の瀬戸際までいくのだが、いわば倫理問題において19世紀文学を相対化しようとした彼が、この問題では現実によって自らの文学性を笑われることになるのである。
 この小説は結局、沈黙者として生きようとした地下室人が、現実的経験を文学的レベルで解釈・消化し、乗り越えようとしたあげく、他者とのコミュニケーションの喪失に足をすくわれるという、皮肉なテーマ構造を持つ。最後に彼は、同じく無名作家の友人や精神障害を持つアングラ画家の弟との交流の中で、再び言葉への信頼を取り戻すのだが、地下室人のコミュニケーション体験をめぐるこの物語は、マムレーエフのものよりも読者の受容に向けて開かれた印象を与える。それは作者が地下室人を悲劇化することなく、文学と社会状況の両面から彼を相対化し、その弱さや矛盾、道化的側面を描くことに成功しているからである。


 c)宗教と生命のテーマ: Ch.T.アイトマートフ『処刑台』(1986)19
ドストエフスキーの小説は、特殊個人的な問題と普遍人類的な問題とをダイナミックに関係づける点で、悲劇や哲学的対話のジャンルとの類縁性が指摘されてきた。これはすなわち、主人公一個の限られた経験のうちに、生命や人類の未来といった大規模な問いにふさわしい時空間が開けていることを意味するが、ドストエフスキー文学のそうした側面を
意識した現代作品も散見される。
 上述のマカーニンも、中編『抜け穴』(1991)20の中で、ドストエフスキーの言葉のシンボリックな使用により、一種運命的な選択の場を小説中に導入していた。すなわち、この近未来アンチ・ユートピア小説の主人公が不思議な抜け穴を通って訪れる地下世界のホールで、たまたま「未来への姿勢」という意識調査が行われているのだが、そこでは絶望した人々が投げ捨てるアンケート用紙が、主人公の目の前に堆くたまっていく。主人公はそれを、「未来への入場券の返却」というメッセージと受け止めるのだが、これはむろん『カラマーゾフの兄弟』のイワンが、幼児の苦しみのような不条理を前提とした未来の調和を拒絶する態度表明として用いた表現の応用である。
このような大きな問いに開かれた小説構成を持ち味とする現代作家の一人が、チンギス・アイトマートフ(1928-)である。86年に出版された長編『処刑台』は、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』中の「大審問官」の章や、ミハイル・ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』などの系列に属す、キリストの試練物語の変奏という要素を持っている。
 この小説には三組の主役たちがいる。中央アジアのモユンクムィ・ステップを流浪するオオカミの家族、ジャーナリストを目指す元神学生のアヴジイ、キルギスの熱心な牧羊家ボストンの一家である。このうち第二のアヴジイの物語が、ドストエフスキーのテーマと深く関わっている。ソ連末期の神学生アヴジイは、教会のキリスト教がもつ社会的な意味に疑問を覚え、ジャーナリストとして直接世の悪と戦おうとする。彼は中央アジアとバルトを結ぶ麻薬密輸団の存在を知り、大麻採取グループに潜入するが、道中自前のキリスト教を振りかざして説教するために、半殺しの目にあってしまう。書き上げたルポルタージュも結局握りつぶされた彼は、女性環境学者と結婚しようと再度赴いた中央アジアで、食肉生産ノルマ補填のため野生カモシカを大量捕獲するグループに雇われたあげく、再度リンチを受けて十字架刑のような死に方をする。
 麻薬、宗教、環境破壊などソ連期の禁忌テーマを積極的に盛り込んだ点で、ペレストロイカ期の告発文学の先鋒と見なされたこの小説には、イエス・キリストのエピソード以外にも、ドストエフスキーの小説を下敷きにしたと思える要素が多い。
 たとえば教会の教条主義を批判するアヴジイの論理には、主体的人間の視点から伝統的な神のイメージを修正しようとする意図が見えるが、ここにはイワン・カラマーゾフ流のヒューマニズムに立脚した摂理批判(弱者の苦悩は将来の世界調和によってはあがなわれないという思想)、およびラスコーリニコフや『悪霊』のキリーロフのいわゆる「人神」思想(人間がその神的資質によって神に成り代わるという思想)の反映を見いだすことができる(もちろん今世紀の建神主義等も媒介項として考えられる)。地上の人間の知的能力が発展するにつれて神の概念も発展すべきであると考える彼は、伝統的な民族・民衆の宗教がすでに役割を終えたと感じ取り、現代社会の需要に合致した神の理念を備えた、現代の宗教を追求する必要があると主張するのである。

 私たち自身から生じているものを天上の力のせいにしてはいけません――そう主人公は神父の一人に語りかける。――もしも被造物である私たちが、善の力と悪の力という両極の力を同時に身に備えることを神が避け得たとするならば、神は何のために私たちをこれほど不完全なものとして作る必要があったのでしょうか。私たちをかくも疑心と欠点だらけの者、神ご自身に対するにさえ狡知をもってするような者に、作る必要がどこにあったのか。あなた様は教理が絶対的なものであり、世界と私たちの精神の本質がそこに最終的に把捉されていると、断固主張されています。しかしそれは不合理です。果たしてキリスト教2000年の歴史において、私たちはほとんど聖書以前の時代に述べられた事柄に、一言も付け加えることができなかったというのでしょうか。あなたは真理を独占するために戦っておられる。しかしそれは控えめにみても自己欺瞞です。なぜならたとえ神の教えだろうと、真理を究極まで認識し尽くしたといえる教えなどあり得ないからです。もしそうだとしたら、そんなものは死んだ教えではありませんか。P.81


 この神学生は、宗教的新思想のほかにキリスト幻想にもとりつかれていて、麻薬団や密猟団での奇怪な体験のプロセスに、イエスの放浪とゴルゴダのイメージがつきまとう。実際、作中には彼の幻想の形で、ブルガーコフの小説を連想させるピラトとイエスの最後の対話シーンが登場するが、そこにはドストエフスキーが描いた中世の異端審問官と復活したキリストの対面シーンも、潜在イメージとして包含されている。ただし沈黙を通すドストエフスキーのイエスと違って、アイトマートフのイエスは雄弁に自らの思想を語る。しかも彼の説く神のイメージには、主人公自身の抱く理性的人間神の要素が混入している。つまりアイトマートフのキリストは、主人公の思想を別の側から代弁しているのだ。


 創造主は私たちに理性というこの世で最高の恵みを授けられた。そして理性によって生きる自由を与えられた。この神の恵みをいかに使うか――そこに人間の歴史の眼目があるのです。総督よ、まさかあなたは人間の存在の意味が自己の精神をみずから完成させることにあるということを否定なさりはすまい。それ以上の目的は世にないのですから。輝かしい精神の完成に向かって、一日一日と無限の階段を上っていくこと――そこにこそ理性的存在の美しさがあるのです。(中略)
 神の御心は、いつかある日あたかも青天の霹靂のように神の子が復活し、諸国民に裁きを下すために天から下ってくるということではありません。目的は全く同じでも、事情は正反対なのです。この私が、つまりこの町を通ってゴルゴダに至るまでの距離しか余命のないこの私が、復活再臨するというのではなく、あなた方人間たちが、キリストのうちで、気高き正義のうちで、生きるために来臨する、つまりあなた方が、この先数え切れぬほどの世代の果てに、私の元へやってくるのです。そしてそれが私の再臨となる。言い換えれば、私は人々のうちにあって自らの苦悩を通じて自らの元へ戻る。つまり人々のうちで人々の元へと戻るのです。P.150-151


 この小説のイエスは、神と人とを連続したカテゴリーとしてとらえている。彼によれば「総体としての人類は地上における神の似姿」なのだ。
 一方この幻想の対話の相手であるピラトの発言も、同じくドストエフスキーの大審問官の思想を想起させる。主体性を欠いた弱い存在である人類は、自由で自発的な愛の原理によって生きるよりも、奇跡、神秘、権威によって支配されることを望んでいると、大審問官は説くが、次のような箇所はそうした思想のパラフレーズと見なせるだろう。


 確かにおまえの洞察は鋭い。だが、おまえはあまりにも思い上がっていはしまいか。広場の群衆の卑しい本性を忘れ、人間の信仰に強い期待をかけすぎてはいまいか。おまえはもうじき市壁の外でこのことを思い知らされるだろう。(中略)カエサル無しには世界は成り立たず、ある者の支配と他の者の服従は存在かなわぬ。故におまえが思いついた別の秩序を新しい歴史として押しつけようとつとめても無駄である。カエサルにはカエサルの神々がいる――カエサルは連綿と続く「明日」の永遠性の中で一定の境界を失い、空気のようにすべての者に平等に属するような、おまえの抽象的な神、明日という神を認めない。なぜなら平等に与えることのできるものはすべて、何でもないか、価値がないか、下らないものに決まっているからだ。(中略)おまえがどんな予言をしようと、おまえの努力は無駄である。権力によって治められる世界はほかの形を取り得ないのだから。世界はより強い者が権力を握るという従来のあり方を今後もとり続けるであろう。今後も強者が世界を支配するであろう。P.153-154


 未来に向けた人類の成長・完成の思想を説くイエスと、現在の秩序の論理を擁護するピラトの対立の構図は、アヴジイの物語だけでなく小説全体の構想の雛形となっている。オオカミの家族の物語でも、牧羊家ボストンの物語でも、個のイニシアティヴによる生命の積極的展開や競争的共存の思想が、権力のもとでの保身や異分子排除の論理と対立し、敗れていくのである。それがソ連末期の現実だと作者は言いたいようだ。
 近代ロシア文学の記憶は、いわば福音書的なモチーフを現代の物語に応用する際の媒介イメージを提供している。牧羊家ボストンの人物像がトルストイの小説から農村派文学にまで現れる「誠実な農民」のイメージに連なっているとすれば、アヴジイはドストエフスキーのムイシキン公爵からヴェネディクト・エロフェーエフやサーシャ・ソコロフらの主人公たちに通じる、「聖なる愚者」、「弱き義人」のイメージと重なっている。この後者――聖愚――のイメージの中に、アイトマートフはドストエフスキー的キリスト教のヒューマニズム的側面とキリスト崇拝の要素を選択的に取り入れた。だからアヴジイの物語は、たとえばゾシマ長老を欠いたアリョーシャ・カラマーゾフの話といったものを連想させる。
ただしマムレーエフの場合と同様、テーマの類似はその処理の差を際だたせている。アイトマートフ版ドストエフスキーが与える違和感は、主人公たちがすでにある思想を持った(あるいはプログラミングされた)信念の人として登場することである。あたかもオオカミの母親が(人間語で言うところの)母性本能・種族維持本能を脳神経に組み込まれて、それに反する行動ができないのと同じように、アイトマートフの人間たちも、信念に矛盾する行動ができない。ドストエフスキーの小説を開かれたものとしていた、思想の不完結性、人間と思想の関係の決定不能性、およびそれ故のダイナミズムが払拭され、かわりにある信念の人の冒険が悲劇的な色調で描かれる。小説は一面で思想による現実の批判、他
面で思想の諸側面の展開という機能を果たしているが、思想自体の正当性や整合性が試みられる機会は欠落している。1990年の『カッサンドラの烙印』で、アイトマートフは新しい進化の方向選択の理念(賢明なる優生学)を唱道して敗北する「宇宙修道士」の物語を書いたが、思想のニュアンスの差にも関わらず、そこでも一つの思想の悲劇的絶対化が行われているのである。
 アイトマートフは、小説ジャンルに近代以前の叙事詩の要素を持ち込むのを持ち味とした作家である。『一世紀より長い一日』(1980)のような作品では、リアリズム小説的な要素と叙事詩的要素との対抗が、近代的なものと伝統的なもの、ソ連的なものと民族的なものといった対立を表現する装置として、見事に機能している。たとえばカザフの物語詩やそのバリエーション(記憶を奪われた捕虜マンクールトのエレジーなど)が現代社会の事件や状況(宇宙開発基地に先祖の墓地を奪われた民族の状況など)と拮抗する、神話的空間をなしていた。『処刑台』では民族のエポスに代わって、福音書やドストエフスキーの小説のモチーフが物語の神話的ベースとして利用されているのだが、それは作品を重層化する機能を十分に果たしていないようにみえる。それはおそらく作者が古典を作品に取り込む過程で、対象の多義的な陰影を省略し、自分の思想に引きつけたいくつかの単純なメッセージに還元してしまったからである。その結果ドストエフスキーのモチーフも、作品の神話素と言うよりは、むしろ書き割りのようなものと化してしまったのである。


 d)ロシア論の文体:D.ガルコフスキー『果てしない袋小路』(1995/1997)21
 ミハイル・バフチンはドストエフスキーの主人公の言葉の分析に際して、文が直接の指示内容以外に含んでいる発話者の意識に関するメッセージに、とりわけ注目している。たとえば「隠された論争や対話」と彼が呼ぶ種類の言表においては、表面に言及されない他人の言葉を相手にした葛藤が、ほのめかしや留保を含んだ、屈折した表情を発言に与えている。そのような言葉は、いわば想像上の他者の問いや糾弾を先取りしたうえでの、応答や釈明なのである。これは前出の地下室人タイプの発話にとりわけ顕著な特徴であるが、時としてナレーションの言葉にも、あるいはドストエフスキー自身による評論の言葉にも、類似の兆候を見いだすことができる。
 バフチンはこのような現象を、人間の意識と思想の対話的性格に関するドストエフスキーの認識に帰している。彼の考えによれば、ドストエフスキーの主人公は社会的なタイプや心理学的性格の観点からは定義しきれない、世界と自分をみる視点や意識として設計されている。この意識は自己認識に向けて無限の運動を行う。すなわちそれは外部世界との相互作用を通じて自己を知ろうとしながら、自分に対する外部からの定義を裏切ろうとする。そして同時に自分が自らに与えた定義やイメージまで、常に相対化してしまうのである。「自己」とは既存のものでなく、こうした運動の中で絶えず新しく認識し直されていく、非完結の存在なのだ。
 このことはドストエフスキーの思想の扱いにも直接関係する。バフチンによれば万人共通の意識のあり方を前提として単一の普遍的な真理を求めるたぐいの形而上学を、ドストエフスキーは否定した。彼が思想の名で意味するものは、特定の意識の視野に写った真実、およびそれらの相互関係の叙述である。すなわち思想とは、意識同士の相互主観的、対話的な関係の中で発せられる問いと応答からなっていて、そこには個人の肉声の調子や彼の他者への顧慮のあり方が、すべて含まれている。そして意識が完結しないものである以上思想も完結しない。自己について無限の発話が可能であるように、思想についても最終的な定義は存在しないのである。22
 思想家ドミートリー・ガルコフスキー(1960-)は、このようなバフチンのドストエフスキー解釈をきわめて積極的に受け取りながら、それをドストエフスキーの個人的特徴と言うよりは、もっと一般的な文脈でとらえ直そうとしている。すなわち彼は上記のようなドストエフスキー風の思想表現のあり方を、ロシア人によるロシア論の必然的な形式と考えるのである。
 彼の『果てしない袋小路』は、その風変わりな形式の故に思想的エッセイとも文芸評論とも特異な小説とも読める作品だが、そこで彼はドストエフスキー、ワシーリー・ローザノフ、ウラジーミル・ナボコフを中心主題としたユニークなロシア文化論を展開している。
ただしそれは、ロシアにおけるロシア文化論の特殊な意味、論者の心理、適切な議論形式のあり方等々、ロシア文化論というジャンルの背景・方法・意味・機能に関する様々な考察や思考実験を含んでいる点で、メタ・ロシア文化論と呼ぶべきものである。
 ガルコフスキーの論理では、ロシア文化にはそもそも合理的な自己表現はふさわしくない。ロシア人はまず民族の中心的神話を持たず、また文化の輪郭や境界も曖昧である。しかもロシアでは言語(ロシア語)自体が、論理性や哲学的機能を欠いている。

 ロシア語。ロシア語がどの程度まで哲学システムの構築材料となるか。答は簡単。ゼロ程度だ。ロシア語とは根本的に「非哲学」言語だ。ロシア語は虚の言葉だ。ロシア語は絶えず分裂し、「両義的になり」、一つの形から別の形へととりとめもなく流れ込み、虚のイメージを与えるのだ。G.1-222
 「発せられた思想は嘘となる」はすでに碑銘ものの金言である。ところでこの真理の私家版として「ロシア語で発せられた思想は不合理である」と言ってもいいであろう。なぜなら本来合理的な思想でも、ロシア人の口に上ると不合理なニュアンスを帯びてしまうのだから。G.1-224


 さらにロシア人の精神が、中心に空虚を抱え込んでいる。


 ロシア精神は本来おとなしく黙しがちで、不定型な精神である。それは完全な空虚、虚ろな穴だ。そもそもロシア自体が不毛なのだ・・・・・・。
 しかし――とガルコフスキーは自分の命題をドストエフスキー風の逆説で展開する。
――その空虚さが恐るべき感受性を生み、認知された素材を驚くべき、信じがたいほどの明察の光で照らし出すことができるのだ。G.1-229


 「ロシア人は自分を完全な本物ではないと思っている」(G.2-14)とガルコフスキーは書くが、それならば自らの精神の曖昧さや虚ろさを自覚したロシア人が、曖昧なロシア語を用いて、曖昧なロシアを語るには、果たしてどのような態度が可能か。ガルコフスキーによればその見本がこの書の主題であるローザノフおよびドストエフスキーの方法なのである。
 「ローザノフは一生涯柔らかな空虚の中で、ロシア文化の壁の在処を手探りしていた」という詩人マンデリシタムの言葉を受けて、ガルコフスキーは書いている。

 柔らかな空虚の中で堅い基盤を求めて手探りしている思想家の像――これはすでにシンボルの域を超えている。これはローザノフの本質であり、ひいてはローザノフ自身に対する必須の態度でもあるのだ。G.2-5

 ローザノフの態度とは、具体的にはこの20世紀初期の思想家の作品を貫くアフォリズム文体を示す。すなわち「蜂蜜」のように不定型なロシアという素材を、小さな断片に分けてアフォリズム的に描写し、さらにそれぞれのアフォリズムに必要な注釈、逸脱、変奏を加えていく手法であった。
 作者にとって論理的に一貫し、自足したロシア論は、すでにロシア論ではない。曖昧なものを曖昧にとらえて破綻しない方法、あるいは最初から自己矛盾や破綻をプログラムしたローザノフの方法こそが、ロシアへの言語的対応として模範とするにふさわしい。そして絶えず留保、補足、例証や反証を必要とするアフォリズムの迷路に入り込んでいく中で、ロシア人はロシアのみか自分自身をも表現することができるというのである。
 限界性を自在さと読み替えるようなこうした独特な評価を、作者はローザノフのほかにドストエフスキーにも与えている。


 ドストエフスキーとローザノフ――彼らはおそらく唯一自由なロシアの思想家たちである。まさにその自由さの代償として、彼らの思考は民族的なイデエによって厳しく規定されていたのだ。すなわち彼らを通してルーシ(ロシアの古称:訳者)が自己現したのである。G.1-241
 ドストエフスキーはいまだ自国の哲学をもたない国に生まれた哲学者である。ただしその国には自前の文学があった。だからドストエフスキーは自分の哲学を小説の形で表現した。これは悲劇であると同時に幸福でもある。というのも、このユニークな場合には、内部の精神世界とその言語表現との間に分裂が生まれなかったからである。
ドストエフスキーは自由で、その哲学の才能はロシア文学の広い懐の中で展開された。
ドストエフスキーの口を借りて、ロシア的なタイプの考え方が自己表現した。すなわち発作的でとぎれとぎれでありながら、同時にしつこくていつまでも言い訳したりつけ加えたりといったタイプの考え方である。G.1-240


 ガルコフスキーはドストエフスキー流の人間論やロシア論の本質的特徴を捉えているだけでなく、そうしたものを自己流に利用・応用している。きまじめながらポストモダン派の世代に属す彼は、すでに(たとえばソルジェニーツィンのように)ロシアの「実体」や「精神」そのものを、直接に論ずる姿勢を貫くことができない。一つにはすでにロシア論やロシアイメージの膨大な集積が目の前にあり、言われるべきことは言い尽くされているからである。また一つには、ロシア人たる自己がロシア人を対象化して語ることの限界(自己言及のアイロニー)を自覚させられているからである。彼はこうした限定された立場を意識し、許された範囲のゲームを行おうとしている。それはロシア論の集積のうえにある現代の自己の立場から、ロシア論自体について語ること、具体的には様々なロシア論の視点や文体を比較検討し、自分の声に乗せてその可能性を試してみることである。メタ・ロシア論は、彼が選んだ方法と言うよりも、彼に強いられたフィールドなのである。
 実際彼は一見自前の断定的な口調の中に複数の他者の文体を取り込みながら、対象を対象自身の言葉で語ってみせる。またあるところでは、文体自体が議論の内容を模倣している。次の文章は、ロシア人の地下室人的側面を、地下室人的な言葉で語っている例である。


 ロシア文化には沈黙の才はあるが、物事を伏せておく才はない。ロシア人は適当なときに話を止めるすべを知らず、全部話してしまおうとし始めるのだ。この次第は『地下室の手記』に見事に描写されている。(中略)途中で話を止めるすべを知らぬロシア人は、いったん喋りはじめると最後までいってしまい、そしてその言葉の洪水が、ついにはへとへとになって自壊するまで続くのである。(中略)これは全て罪悪感の具体的発露である。それも自己に向けられた罪悪感、つまり単なる弁明でなく弁解であっ、それが例の『内部に終点を持たぬ発話』、何でも口から出してしまう発話の原因となり、それが「退化」と呼ぶべきか、弁明の破壊的な力を自己自身に伝える作業となり、いわば弁明の内に閉じこもることとなって、それが恐らく、少なくとも他人の意識にとっては、人格の消滅となる(これは思想的模倣の一種である)。ロシア人の『自己』の不幸な性格がここから理解できる。弁解するとき、ロシア人は常に自分の世界のもっとも弱い、病んだ部分を取りあげる。しかも自分が考えていることをではなく、他人が(恐らく)自分について考えているであろうことを話題にする。それもその『他人』にそう思ってほしくないがためなのである。(中略)自我という回転する漏斗が、自己弁明の空虚が、絶えずロシア人を吸い込んできたのだ。G.2-5


 ここでは、自虐とも自己陶酔ともみえるロシア人の際限ない弁明衝動の説明が、空虚を動力として回転し続ける漏斗のような、果てしない文体をまとっている。このような形式と内容の対応は、実は文体だけでなくこの作品のコンセプト全体についてもいえる。『果てしない袋小路』(本稿でG.2 と呼んだもの)は、本来この作者がローザノフらを論じた同名の評論(本稿のG.1)への注釈書という体裁をとっている。ただしもとの評論(『コンチネント』誌所収)は書物としての『果てしない袋小路』には収録されていないので、大半の読者は目に見えぬ評論への言及と向かい合うことになる。しかもこの注釈書は、量にしてもとの評論(雑誌版で90ページ弱)の十数倍にもふくれあがっていて、約700ページ、949項の注を盛った百科事典の一巻のような形をしているのだ。注は内容的にももとのテキストを逸脱して広がり、注への注、さらにその注という風に分岐している。そしてこの密林のような総体の中には、ロシア思想論・文化論だけではなく、作者とその地下室人のような父親との関係を中心とした、インチームなロシア人の自己の物語までが展開されているのである。
 この特異な<注・小説>は、その形式自体がいくつもの点で現代ロシア人たる作者の自意識を表現している。すなわちそれは求心力の不在(まとまりのなさ)、非論理性、形式感覚の喪失、自虐性と自己顕示の混在、そうした矛盾のただ中にある独特の美的快楽や陶酔、等々といった点で、筆者の意識するロシア人の性格を表現している。そして同時に自己言及の逆接性、思考の非完結性、形而上学の不可能性といった、現代哲学の認識をも模倣している。作者の論理を敷衍すれば、おそらくロシアは近代に遅れてきた分だけ近代を早く脱したという、ポストモダン派の言説に近づいていくだろう。ドストエフスキーは、非合理や無秩序といったマイナス価値を自在さというプラス価値に変質させるような、ロシア近代の知恵の代表例として、この作家の自己表現の中心部分に取り込まれているのである。


2.ドストエフスキー論のある現代文学
 ドストエフスキーへの批判は評価と同じほど長い歴史を持つもので、論点も少なくない。
ツルゲーネフやストラーホフなど個人的関わりがあった者たちがほのめかしていた人格的問題(猜疑心、名誉心、予言者気取り、果ては性的嗜好の偏り等々)、ミハイロフスキー、レオンチエフ、ゴーリキーなどがいろいろな角度から指摘した彼の文学の倫理・思想上の問題点(プチ・ブルジョア的価値観、宗教上の修正主義、人間観のグロテスクな偏向等々)、最初の評価者ベリンスキーからナボコフまでがしばしば指摘してきた、創作作法の欠点(冗長さ、バランスの悪さ、大衆文学的通俗性等々)といったものが、代表的論点として例示される。
 ジャーナリストでもあったドストエフスキーには、もちろんそのイデオロギーや政治的立場への批判もついて回る。実際彼の民族主義的偏見もしくはショーヴィニズム(反ユダヤ、反ポーランド、反イスラム、反ドイツ・・・・・・)の要素をどのように批判するか、あるいはどのような手続きで理解するかという議論は、学界でも時としてうねりのような高まりを見せる。
 90年代ロシアでも、このようなドストエフスキーの問題点、とりわけ反ユダヤ主義の
側面を取り上げ、ドストエフスキーに関する議論を文学化した作品が発表されている。以
下現代の文学的ドストエフスキー批判の展開ぶりを検討してみたい。


a)反ユダヤ主義批判: F.ゴーレンシテイン『ドストエフスキー論争』(1990)23
フリードリヒ・ゴーレンシテイン(1932-)の戯曲『ドストエフスキー論争』は、実は1973年に書かれていた作品で、ペレストロイカ後のソ連で初めて出版されたものである。
作者は粛正された父を持つユダヤ系の映画脚本家・小説家。『惑星ソラリス』(A.タルコフスキー)『愛の奴隷』(N.ミハルコフ)等の脚本を手がけ、79年に非公式文集『メトローポリ』の出版に参加した後、亡命している。
 『ドストエフスキー論争』は、エデムスキーといういかにもユダヤ人らしい姓を持った文学研究者が書いた「ドストエフスキーの無神論」という問題論文の採否をめぐって、作家同盟の編集部で行われる議論を戯曲化したもの。配役にもせりふ回しにも、上演用の配慮がなされているとはいえない、いわゆる「読むための戯曲」のように感じられる。
 論争の参加者は、主人公の文学研究者以外に編集者、作家、学者など十数名におよび、思想傾向も、反スターリニズムの農村派シンパサイザー、反ユダヤ主義のナショナリスト、その逆の反ロシア主義者など、多彩である。作品の所々に暗示されている事柄から判断して、出来事は執筆と同時期、すなわち70年代初期を背景にしているようだ。この時代、ドストエフスキーを含めた革命前文学の研究・評価において、すでにスターリン時代のような露骨なイデオロギー的規制は弱まっていて、様々な解釈基準や方法論の導入が可能になりつつあった。しかしそれだけに、古典の解釈が個々人の思想的な立場の表現としての意味合いを強く持ち、19世紀作家の評価をめぐって、イデオロギー上の「アヴァンチュリスト」対保守主義者が対立するという場面も、珍しくはなかった。先にふれたようにドストエフスキーはこの時期、一種の文化的復古主義やロシア民族主義のムードにも影響されて、比較的によく読まれ、生誕150周年を一つの契機として新しい科学アカデミー版の全集も編まれ始めていた。しかしそれゆえに個々の解釈の持つ論争的意味も大きく、たとえば「西側の」「ブルジョア式心理学」や「構造主義」といった文学研究の方法に対する態度、あるいはこの作家の宗教観、社会主義観、民族意識といったイデオロギー的要素の扱い方が、論者の自己主張の指標となっていた。――それがこの作品の大まかな背景状況である。
 論文の著者エデムスキーは、ドストエフスキーを良心的ロシア知識人のモデルとして、あるいは19世紀ロシア作家の代表者として崇拝する風潮に反対する、ドストエフスキー批判者の立場から立論している。

 今日ではドストエフスキーの体が、偉大なる19世紀ロシア文学の全身を隠してしまっている。19世紀文学を自分に取り込むのでも、冠のようにその頂を飾るのでもなく、まさに影のように覆い隠しているのだ。トルストイも彼の陰に隠れてしまったし、プーシキンはなおさらだ。チェーホフだけが一見意外なことに、かろうじて影から逃れ、彼と並び立っている。(中略)それどころか最悪なことに、19世紀ロシア文学のすべてが、今日ではドストエフスキーの視点から、ドストエフスキーを介して理解されているのだ。これはわが国でも外国でも同様である。P.19


 こうした意見とそれをめぐる議論の詳しい検討は省略するが、エデムスキーのドストエフスキー批判の主な論点と論理の骨子のみを列挙すれば、おおむね以下のような矛盾をはらんだ多彩なリストになる。

ア)
男性原理批判:ドストエフスキーは男性原理中心の作家で、女性原理を理解していない。両性の原理の尊重から「愛」のモチーフが生まれるのに対して、単性原理は「自由」の概念を絶対化する。ドストエフスキーは自由を人間存在の最重要問題とし、自由との関連で犯罪のテーマを作品の中心に据えた。自由追求の志向が、(信仰=自発的自由の委託につながらず)「不死がなければすべては許されている」というイワン・カラマーゾフの思想につながるとき、20世紀的な殺人の肯定が帰結される。
イ) 宗教上の修正主義批判:ドストエフスキーは宗教の解釈に科学的な論理や方法を持ち込んでいる。神によって生きる代わりに、神を解釈しようとしている。従ってアインシュタインやフロイトとは通じ合うが、本来の宗教的神秘からは外れている。
ウ) キリスト解釈批判:ドストエフスキーはイエス・キリストの個性には共感したが、キリストの教えには従おうとしなかった。総じて彼の教義論は浅薄である。
エ) 民族的宗教の批判:ドストエフスキーにおいてはキリスト教観がロシア民族論と結びつき、自国民の属性や使命を説明する原理として用いられている。彼にとって世界とはロシアであり、人間の苦悩とはロシア人の苦悩である。『山上の垂訓』の普遍人類的な意味が恣意的に読み替えられている。
オ) ジャーナリスト的側面の批判:民族主義のイデオローグであったドストエフスキーが真価を発揮したのは、小説家としてよりもジャーナリストとしてであった。
カ) 仏教的要素(!)批判:ドストエフスキーがキリスト・イメージの表象として描いた『白痴』のムイシキン公爵は、実はキリストに似ていない。キリストにとって人間的なものがすべて無縁でないのに対し、ムイシキンは人間的なものからの自由(解脱?)を求めている。
キ) 革命批判の批判:ドストエフスキーは革命勢力の批判にも失敗している。『悪霊』に書かれているのは、国家と革命勢力の戦いではなく、民族主義的無神論と社会主義的無神論という、二つの革命勢力の争いである。
ク) 女性観批判:女性はドストエフスキーにとって総合的人格ではなく、情欲か憐憫
かのいずれかを喚起する偏った存在としてイメージされている。そこに生ずる愛
には、破滅が約束されている。
ケ) 20世紀への反面教師性:ドストエフスキーは神なくして生まれてきた。そこに
彼の現代性があり、20世紀の精神が彼に惹かれている根拠がある。ドストエフ
スキーの誘惑は、現代の精神病の一つである。


 このような一連の批判と、それをめぐる議論の後、この異端の文学研究者の労作に出
版不可の判定が下される。戯曲の最後に作者は、怒れるエデムスキーの呪詛のような言
葉を付け加えている。


 (西欧によってさんざん見当違いにもてはやされたあげく:訳者)ドストエフスキーは全世界的な予言者、新時代の意識のイデオローグとして戻ってきた。それはどんな精神の実験にもころりと参ってしまうような、半アジア人の若年層には、きわめて危険なイデオローグである。皆に共通する指導的理念を信じない者は、自分の手で理念を量産するようになる。そして自分の手で作るものだから、自分ではそれが尊重できない。何の神秘もない、ただの作り物だからだ。ドストエフスキーは生の理念も死の理念も尊重しなかったし、本当に身近に感じていた「ロシア」の理念のような本物の理念でさえ、尊重していなかった。彼はそれを形而上学的に理解しただけなのだ。(中略)20世紀は科学の世紀であるばかりか、意外なことに民族主義の世紀であった。
科学と民族主義という前代未聞の組み合わせのせいで、文化は成熟した力を失い、解体された。一貫した進歩の道を奪われた文化は、誘惑に負けやすい。とりわけ悲惨な時代における危険な誘惑の一つは、苦悩を通じて幸福を得ようという誘惑である。それこそが、とりわけ「世界的」小説群を書いていた時期の、ドストエフスキーの創作精神の眼目だった。(中略)ドストエフスキーは20世紀文化の支配者である精神分析学の「ブーム」によって持ち上げられた。ゴーゴリやツルゲーネフに学ぶより、ドストエフスキーの方が楽だし、まねもしやすい。彼の思想に誘惑されるのはおもしろく、また自尊心も満足させてくれる。みんな完全な人間ではないから。ドストエフスキーとは、多くのものを得ながらただ一つのもの、神聖なるものを失った文化の頂点をなす存在である。その失われたものとは、保守的で、ダイナミズムや流動性に欠け、反逆者の視点から見れば滑稽なものでさえあるのだが・・・・・しかしそうしたものを欠いた文化は、遅かれ早かれ自滅を約束されているのだ。P.50


 エデムスキーの議論には、先に瞥見した90年代のドストエフスキー論議につながる観点も含まれている。たとえば宗教の危機の時代の作家としての彼の現代的な意味、そのキリスト観とキリスト教観の正当性、民族主義的側面への関心など。しかしそうした問題を論ずるエデムスキーの態度は、学問的な公平さや冷静さを離れて、きわめて断定的・主観的・択一的であるし、論点同士の整合性にも怪しいところがある。彼の論点のすべてを備えた(そしてそれ以外の積極的資質を欠いた)個人としての作家を想像するのはいささか難しい。あたかも彼にとってドストエフスキーは、単なる研究対象の域を遙かに越えた、一種の強迫観念として存在しているかのようだ。同じことは彼の説を擁護したり批判した
りする他の登場人物たちについてもいえる。ドストエフスキーは人々の思想的な格闘の場に、一つの人格としてではなく、悪魔もしくは神のごときものとして君臨しているかのようである。
 ゴーレンシテインの作品は、ドストエフスキー論を媒介として、ソ連ユダヤ人という「内側にいる外部者」の目が、70年代ソ連知識階層の思想的雰囲気に感じた違和感や危機感をも表現している。そして同時に、こうした対立の様相自体が隠蔽された心理的閉塞状態の中で、古典作家の定型イメージがグロテスクに肥大していく様も、そこに反映されているのである。


b)イデオロギー批判の反転:Iu.クワルディン『戦場はドストエフスキー』(1996)24
 ユーリー・クワルディン(1946-)の小説『戦場はドストエフスキー』の設定には、ゴーレンシテインの戯曲との共通点が多い。すなわちここでも文学者同士の議論が描かれ、そこでドストエフスキー批判が展開される。ただしゴーレンシテインの議論が多人数での討論会であったのに対し、ここで行われるのは二人の主人公の間のダイアローグである。それも一因して、議論は文学論や思想論のレベルを逸脱した、より個人的、人間的な要素を含んで広がっていく。
 議論の主体の設定にも、皮肉なひねりが感じられる。ドストエフスキー批判者の役を務めるのは、この作品でもユダヤ人学者なのだが、ただし彼は青年時代からエリートコースを歩んでアカデミー会員の地位に上り詰めた学会の大立て者である。これに対してドストエフスキーの専門研究者として彼の擁護役に回るのが、ソ連後の学界で路頭に迷いかけている無名のロシア人学者なのだ。あたかもフェミニズムやポストコロニアル思想が支配するアメリカ文学界のような強者と弱者の逆転現象が、ロシアでも起こっているかのようである。
 舞台はアカデミー会員の文学者ダヴィドソンが住む大きなフラット。現代の経済危機で収入の道を絶たれたある研究所の学者エゴーロフが、この学界の権威を訪れ、研究助成金申請の推薦者となってくれるよう依頼する。現代文芸学理論の用語を散りばめた滑稽な文学談議を通じて、エゴーロフはこの大学者の関心を得ることに成功するかに見えるが、本題に入ったところでひとつの難題が持ち上がる。すなわち彼の研究テーマが「ドストエフスキーの予言性」であるのに対して、ユダヤ人のダヴィドソンは大のドストエフスキー嫌いなのである。
 ダヴィドソンのドストエフスキー批判は、先に見たゴーレンシテインの主人公の論点と幾分重なりながら、きわめて感情的反発をも含む形で、多岐にわたって展開されている。
 彼によれば、ドストエフスキーはまず自らの思想を客観視する冷静さやユーモアを欠いた真面目人間で、たとえばキリスト神人説に傾倒するあまり、キリストを文学上の人物として検討するゆとりを持たなかった。それが彼の文学を浅いものにしている。またドストエフスキーは作家というよりも、国家に無益な政策提言をするようなジャーナリストであった。彼は人間の行動の動機を美しくカモフラージュしてくれるイデオロギーの魅力にとりつかれ、「スポンジのようにイデオロギーに浸っていた」(p.20)。さらにドストエフスキーは収入のために書くプロレタリア作家であり、その様な文学の横行は国家の貧困を反映している。その調和や節度を欠いた書きぶりも、原稿料への打算と精神的アンバランスのしからしむるところで、「チェーホフの手で編集したいくらい」(p.23)である。またドストエフスキーにとって女性とは単なる性愛の対象に過ぎなかった・・・・・・。
 取り留めもなく羅列されるこのような批判の後に、ついに核心にあたるものが登場する。ダヴィドソンの議論の矛先は、ドストエフスキーの反ユダヤ主義に向けられているのである。

『ヴレーミャ』『エポーハ』という雑誌や『グラジダニン』という新聞で、ドストエフスキーは西欧派とスラブ派の中間に陣を張ろうとした。つまり今の言葉で言えば、中間派(ツェントリスト)を目指したのだ。(中略)そもそも、スラブ派と西欧派の論争は結局のところ、今でも同じだが、ユダヤ人への態度という明々白々な問題に帰着するのだ。(中略)ユダヤ人への態度は、キリスト教的とは言わないまでも、せめて寛容なものでなくてはならないということを、ドストエフスキーは理性では理解していた。しかしもちろん実際には第一カテゴリーの人間すなわち極右スラブ派に同調し、ユダヤ人を憎んだのだ。P.30


 ドストエフスキーの書簡集を開きながら、彼はこの作家がユダヤ人を「ジュー」と呼び、ユダヤ人がロシアのジャーナリズム、思想、経済界に勢力を張って「国家の中の国家」を形成し、社会主義運動を広め、非ユダヤ人への陰謀をたくらんでいることへの警戒を表明した箇所を引用してみせる。この意味で彼にとってのドストエフスキーは特殊な存在ではなく、ロシア民族主義の矛盾した心理構造を代表する存在に過ぎない。


 偉大なるロシア人は偉大なるユダヤ人から書物(聖書)を借用し、それに馴染み、自分のものとしてしまった。そしてその後、ユダヤ人をジューと呼んで呪うようになったのだ! 興味深い変わり身ではないかね! またこれはどうだ――共産主義を考え出したのはユダヤ人(マルクス:訳者)だ。そしてロシアがこの思いつきを実行した。
すると結論として、共産主義者はユダヤ人崇拝者ということになるな?――それじゃ、スターリンの反ユダヤ政策はどこからきたのだ? 謎だろう? 哀れなユダヤ人から思想だけ取り上げておいて、その民族を呪うんだからな! P.31-32

 ダヴィドソンによれば、ドストエフスキーは登場人物をマリオネットのように操りながら、ひたすらこうした自らの思想をモノローグ的に述べただけであり、ミハイル・バフチンの言うポリフォニー文学という定義は、まったく見当はずれなのである。


 バフチンの定義なんて忘れなさい・・・・・・バフチンはドストエフスキーをちっとも分かっていない。ポリフォニーはチェーホフのもので、ドストエフスキーはモノローグ作家だ!・・・・・・彼の登場人物は人間じゃなくて操り人形だ。ドストエフスキーが彼らの後ろで糸をひき、今度はこの人形、次はあの人形と、作者の思想を伝えさせているのだ。
 (中略)声たちのざわめきはやがてひとつの声、作者の声にまとまっていく。そうなるともう文学的仕掛けなど糞くらえで、作品を新聞記事のように読むしかない。そこですべてがはっきりする。ドストエフスキーは新聞記事として読むべきなのだ。例えば今の『文学新聞』のようにね。まったくドストエフスキーと同じで、文学を除けばすべてについて書いてあるから。P.35-36


 クワルディンの主人公のドストエフスキー批判は、ゴーレンシテインのものに劣らず矛盾に満ちている。彼にとってドストエフスキーの文学は、まじめなイデオロギーの表現であると同時にポストモダニズム的なゲームであり、執筆狂の書き流しかと思えば原稿料をねらっての水増し文である。
 さて、こうした多面的で一貫性を欠いたドストエフスキー批判が、この作品でどのような意味を持っているのかは、あくまでも判然としない。例えば貧しい家に私生児として生まれながら「生来の怠惰の故に」偶然文学の道に紛れ込んだエゴーロフという毛並みの悪い文学者が、俗っぽさをむき出しにしながら「ドストエフスキーを愛せるのは、自ら苦しんでいる者だけなのだ」と独白する様子は、それなりにダヴィドソンの怪気炎と拮抗している様に見える。エゴーロフの態度の根底にあるのは、きわめて素朴故に否定しがたい、作家の言葉に対する絶対の信頼感である。

エゴーロフはみんなが互いに寛容な態度をとり、軽率な過ちや侮辱を許し合い、他人の良い面のみを見いだして、それを会話でも強調するような、そんなことを望んでいたのだ。ドストエフスキーはなんとすばらしい人間だったことか。なぜダヴィッドソンはそれを理解しようとしないのか。ドストエフスキーはどの作品でも、人間に対する善良な態度について、キリスト教的な態度について語っている。その際、彼がもっとも大事にしたのは道徳の問題であった。道徳性だけが、彼の重要な関心事であった。
彼が常に<肯定>と<否定>を、善と悪を対決させていたのも、そうした例を通じて、善の優位を導くためであった。もしもドストエフスキーの作品のこうした面に気づかないとしたら、人生のことも何一つ気づかず、理解しないということになるだろう。
P.45


 一方で作中に紹介されるダヴィドソンの出自も、彼の思想を相対化してしまう意味あいを持っている。このアカデミー会員は、実は20年代からの古参党幹部の息子であった。
彼は幼時からエリートコースを歩みながら、スターリン時代には社会主義リアリズムを、ペレストロイカ期にはモダニズムやポストモダニズムを論じることで、常に学会の指導者の地位を保ち続けてきた、ソ連的変身術の達人なのである。おまけにこの人物は(彼の論じるドストエフスキーのごとく)性欲の権化のような人物で、定例の曜日に美人学生を自宅に招いて、あやしげな指導をしている(ちょうどこの日がその曜日で、主人公たちの談話は、女子学生の訪問で中断されるのである)。
 この奇怪な物語は、あたかもドストエフスキーの短編『いやなはなし』(1862)のような、やるせない結末を迎える。ダヴィドソンは結局エゴーロフの研究を基金に推薦することを拒絶するのだが、それに代えて別の提案をする。すなわちドストエフスキーの代わりに自分ダヴィドソンを研究対象とするならば、相手に月額1500ドルの助成金を保証しよう、ただしその見返りとして、自分に助成金の20パーセントをよこせと持ちかけるのである。こうしてドストエフスキー嫌いの毛並みの良い俗物と、ドストエフスキー好きの毛並みの悪い俗物とが、経済的なベースで手を握り、物語は大団円を迎える。つまりこの小説では、ドストエフスキーの反ユダヤ主義への批判が、いつの間にかユダヤ人学者の俗物性への批
判と入れ替わっているのである。
 ゴーレンシテインとクワルディンの作品は、ドストエフスキー評価という窓口から、この20年間におけるロシア文学世界の変化を垣間見させてくれる。すなわち前者の作品でドストエフスキーをめぐる言説がはらんでいたイデオロギー的緊張が、後者においてはすっかり失われている。親ドストエフスキーも反ドストエフスキーも含めて、ここでは全ての言説の真の動機は個人的嗜好や利害である。ユダヤ人としての視点も、個人が隠蔽したり強調したりできる、選択的立場であるかのようだ。そうした意味で、ここでもあらゆる発言は自己言及的であり、対象を性格づけると同時に発話者自身を描写している。打算的で節操のない好色漢としてのドストエフスキー像は、じつは論者であるダヴィドソンの
自己の投影なのである。

c)文学の呪縛: V.ピエツフ『新モスクワ哲学』(1989)25
 前出のマカーニンの小説『アンダーグラウンド・・・・・・』には、殺人という行為が文学作品の記憶を介して初めて理解されるという、一種の事実とフィクションの転倒関係がほのめかされていた。こうしたことを、個人的経験論でも文学一般論でもなく、ロシア文学とロシア人読者の間の特殊な関係に帰す立場がある。文学作品の社会的な機能――世界の情報を伝え、空間や時間の観念を均一化し、宗教・思想・科学などを流布し、歴史や現実の事件の解釈を提供し、人々の行為に影響を与える、といった働き――は、本来小説(ノヴェラ)の本質に組み込まれていたものだが、近代ロシアの政治・社会状況の中で、文学のそうした側面がとりわけ涵養された。すなわちロシア文学は、人々に世界を教え、行動規範を説く教師のように、ロシア社会に君臨してきたというのである。
この種の事柄は心情的なイメージを背負っているので、真実性を論じることは意外に難しい。しかし現実として、たとえば言論の自由が抑圧されていた19世紀ロシア(あるいは20世紀ソ連)では、かろうじて文学が社会問題を表現し思想を語る媒体として機能していた、というようなロシア文学史の記述を、多くの人は抵抗なく受け入れてきた。これに逆の評価を与えれば、ロシアには事実の代わりに言葉や観念が、現実の代わりに文学があったという、ミハイル・エプシテイン流のロシア=シミュレーション社会論となる。ドストエフスキーの文学は、しばしばその種の議論の強力な例証として言及されてきた。
 ヴャチェスラフ・ピエツフ(1946-)は、小説『新モスクワ哲学』において、このような疑似現実体験の生産装置としてのロシア文学論、とりわけドストエフスキー論を、物語の輪郭として配置するという、風変わりな実験をしている。以下はこの小説の序文である。

 驚くべきことだが、ロシアの人間はずいぶん昔から母国の言葉の支配下に、あるいはくびきの下におかれてきた。例えばオランダ人はキェルケゴールを百年もの間読まずに放っておいたし、フランス人にとってのスタンダールも、死ぬまではお呼びではなかった。ところがわが国では、サラトフ県の何とかいう坊主の息子上がりの教師(19世紀作家・思想家チェルヌィシェフスキー:訳者)が、国民の将来のためには(板に打ちつけた:訳者)釘のうえで眠る方法を修得したらいい、といったことを書くと、もう国民の半数が釘のうえで寝はじめる始末なのだ。文学の言葉へのそうした服従的態度は二重の意味で驚くべきである。なぜなら、子供か狂人ででもない限りみんなよく知っているように、そうした言葉自体の陰に隠れているのは、単に生命のない現実の反映、模型に過ぎないからである。いや模型ならまだましなほうだ。悪くすると人々はひょいと腰を下ろしてありとあらゆるデタラメ話を作り出す。そしてその人生ごっこに我を忘れ、実在したこともない男や女に、前代未聞の行動をさせ、おまけにそのデタラメを実話だとふれこんで、罪もない何百万の人々を事実上誤った道に誘い込む。しかもその際、何か超人的な特権が自分にあるかのようにふるまうのだ。というのも、よく「彼は考え込んだ」とか「彼の頭にこんな考えが浮かんだ」などと書いてあるが、ある人間がどんなことを考え込んだか、どんな考えが彼の頭に浮かんだかなんてことが、いったい誰に用があるっていうんだろう!
 またあるとき本を開いてみると、実際こんなことが書いてある。「七月のはじめ、途方もなく暑い時分の夕暮れ時、一人の青年が借家人から又借りしているS横町の小部屋から通りに出て、なんとなく思いきりわるそうにのろのろと、K橋のほうに足を向けた・・・・・・」(『罪と罰』冒頭:訳者)これを読むと、つい考えてしまうだろう。そもそも、暑い七月も、青年が小部屋から出ていった夕暮れ時も、S横町も、青年自身も、何も存在せず、これはただある作家が自らの悪夢から逃れ、さらにはバタつきパンの一片を手に入れようとして、考え出したことなのだと。いやもし仮に、例えば暑い七月はあった、恐らくはS横町もあった、そして住人から又借りされた小部屋もあったとしても、この青年なるものは影もかたちもなかったのだ。いや百歩譲って、この青年が存在したとしても、彼は決して夕刻にアパートの敷地を出て決められた場所に向かうことはなかった。いやもし仮に向かったとしても、「何となく思いきり悪そうに」ではなくて、反対にドイツ風の足どりで出かけたのだし、それも小部屋からでも、夕刻でも、七月のはじめでもなく、きっとイズマイロフスキー連隊のアパートから九月三〇日の早朝に出かけたんだと。
 一番面白いのは、なぜかこの種の洞察が原寸大の大きさで得られることはなく、われわれはあたかもかつて先祖たちが最後の審判の日を信じていたように、無条件で文学を信じている、ということだ。あるいはこの文化現象は、わが国の文学が福音書的文学だからということで説明されるかもしれない。しかし一面では別様の原因も考えられる。つまり書いてあることがそのまま起こったのだと。つまり本当に暑い七月があって、夕刻も、青年もそのままで、まさに彼が「思いきり悪そうに」敷地を出ていっ
たのだ。たとえそれが前世紀の六〇年代ではなかったとしても、前前世紀の四〇年代とか、あるいはボリス・ゴドゥノフの時代とか、はたまた二年前だとか。なぜならば人類はかくも長いあいだ、豊かでかつ多様な形で生存してきたのだから、たとえ文学者がどんな突飛な、悪夢のようなシチュエーションを考え出そうとしても、人間が実際に一度も経験したことがないことなど考えつくことはできないのだ。如何なる幻想もやがては現実となり、如何なる原因もそれなりの結果に結びつき、如何なる子音と母音の組み合わせも、必ずや人類のいずれかの言葉で何事かを意味するものとなる。
ことほど左様に、如何なる芸術的な思いつきも必ずや現実のシチュエーションや出来事と呼応したあげく、ついには現実の出来事と受け止められる定めなのである。問題はまさに、すべてが実在したというその点にある。エヴゲーニー・オネーギンとタチアーナ・ラーリナも、アカーキー・アカーキエヴィチと彼の不運な外套も、レビャートキン大尉とその突飛な詩句も、かの頑固一徹居士も――確かにこういう連中は、実は別の名前を持ち、別の状況におかれて、住む時代も場所も別だったのだが、そんなことは相対的に無意味である。大事なのは別のこと、つまりむしろ文学こそがいわば生活の根っこ、もしくは生活そのものであって、ただちょっと水平方向にずらしてあるだけだということなのだ。だからこそ、わが国では実生活の向かう方向に文学が向かうということも、また反面で、文学が向かう方向に実生活が向かうということも、はたまた実生活に沿って文学が書かれるばかりでなく、ある点でいえば文学に沿って実生活が営まれているということも、さらに文学の精神的呪縛力が強いあまりに、きわめて良識的な人間さえ、ある種のロマンチックなケースにおいては、ふと「アリョーシャ・カラマーゾフならそんなことはしなかっただろう」などと考えかねないことも、どれもこれも決して少しも驚くべきことではないのである。だからある種のロマンチックなケースでわれわれがつい神聖なるトルストイ、ドストエフスキー、チェーホフの作品を参照するとしても、そこに恥じるべきことはなにもない。なぜなら彼らはフィクションではなくて、ほぼ作品のまま現実に存在したロシア生活の司祭、つまり見習うべき手本に従って苦悩し、思考した存在だからである。つまりすべて現実だったということが大切なのだ。例えば次のような一節は、いかにも比類なくおぞましいものに見える。「老婆は叫び声をあげたが、しかしそれもごく弱々しい声であり、かろうじて両手を頭のほうにあげたかとおもうと、そのままへなへなと床にしりもちをついた。・・・・・・倒したコップの水のように血がほとばしり、体は仰向けに倒れた。・・・・・・彼女はもう事切れていた。目は飛び出さんばかりにむき出され、額から顔全体がしわくちゃで、痙攣に歪んでいた。・・・・・・頭蓋骨は粉々になり、少し脇にずれている・・・・・・」
(『罪と罰』老婆殺害の場面:訳者)しかしこのようなシーンが、まったくこの描写通りのディテールをともなって、実際に何度も繰り返されてきたばかりか、つい最近もまたぞろ繰り返されたのである。確かにこの最近のケースはこれほど残虐ではなかった。被害者の老婆は現代の素材とスタイルの暗いまだら縞のコートを着て、耳あてのついた滑稽な毛の帽子を被り、「さらば青春」の名でお馴染みのゴムとフェルトのオーバーシューズをはいて、ポクロフスキー並木道の取っつきにあるベンチに、目を閉じて腹に両手をあてた恰好でちょこんと座っていた。なんといっても二〇世紀最後の四半期の風俗が、古典的なシーンをも甘く修正したのである。P.54-55


 文学と現実の関係をめぐるこの饒舌な序文は、いわば引き延ばされた逆説、文章として展開された反語法である。すなわちロシア文学の現実支配力の暴露・告発に始まり、文学のリアリティ構築のメカニズム分析、ロシアにおける文学の「福音書」的性格の指摘へと進んだ議論が、最後には文学とは「ちょっと水平方向にずらされた(=シンボライズされた)」実生活であり、文学と現実は連動するのであって、人が文学に沿って行動したり、文学に書かれたことが実現したりするのは当然であるという、文学の現実支配力の肯定に終わっているのである。
 告発者が弁護人と裁判官をかねたような、この見せかけの文学批判においては、ガルコフスキーの作品に似て、内容とスタイルが一致している。すなわち文学の呪縛力を論ずる言説が、いかにも文学的観念連想の世界に閉じこめられた人のような、果てしない袋小路風の文体をまとっているのだ。
 この序文と小説本体との関係もアイロニカルである。物語はある共同住宅を舞台とした失踪・殺人事件を、二人の主人公がアームチェア・デテクティヴ風に推理・捜査するというもので、この序文の議論とも、小説のタイトルが意味する新しいモスクワの哲学とも、とりわけ関連した印象はない。従って小説におけるこの序文の位置づけは、ローレンス・スターンやニコライ・ゴーゴリ風の真面目くさった冗談、人を煙に巻くためのペダントリー、物語を遅延させるための遠回りといったものとの類推で理解される。つまりこの序文のうちで作品の物語部分にとって必要なメッセージは、最後の数行に書かれたある老婆の死という事件に尽きていて、それ以前の部分(ロシア文学の呪縛力への驚きに始まって、『罪と罰』の老婆殺しのシーンに至る部分)は、「ある老婆の死」という発端のシチュエーション
を導くための回りくどい「枕詞」なのである。
 ちなみにこの小説は序文ばかりか後書きめいたものも備えていて、そこにまた物語本体に場所を譲っていた前書きの議論の尻尾のごときものが顔を出す。そしてそれはもう、完全な文学肯定・文学賛歌となっている。


 (主人公ベロツヴェートフの:訳注)考えは次の点に落ちついた。つまり人類精神の発展プロセスにおいて、文学は遺伝子にも比すべき重要な意義を担ってきた。なぜならば文学とは人類の精神的経験が集約されたものであり、その意味で人類という理性的な存在の遺伝子コードに付加された本質的な書き込みなのである。だから文学がなければ人間は本当の意味で人間にはなり得ない。つまり先祖の血とともに世代から世代へと受け継がれていくものがあると同時に、書物によってのみ受け継がれていくものもあるのだ。まさにこの結果として、人々は文学を顧慮しながら生きるべく義務づけられている。ちょうどキリスト教徒が「我らが父」を顧慮するように・・・・・・。P.124

 

 つまりこの小説は一種の枠物語で、ここに引用した頭と尻尾の部分は、本文とは別次元
の「小説ジャンルに関するメタ・言説」として切り離して考えることができる。そしてそのことは逆の可能性をも示唆している。つまり序文と末尾に分担された、いかにも屈折した文学批判/文学賛美こそが、この作品の本体すなわち「新モスクワ哲学」であって、探偵気取りの人物たちの経験を書いたストーリー部分は、他の何かと代替も可能な、イラストレーションに当たるのかもしれない。本当の主人公は文学――というわけである。
 いずれにせよわれわれに興味深いのは、ロシアにおける文学の心理的・倫理的呪縛力や文学と現実の相似性というテーマが、マカーニンの場合と同様に、ここでもドストエフスキー文学(とりわけ『罪と罰』)を素材として展開されていることである。順序としてはピエツフの作品が10年ほど早いので、ピエツフ――マカーニンという影響関係も考えられなくはない。しかし問題はおそらく個人的な影響関係ではなく、すでに長いことロシア人一般に共有されているドストエフスキー・イメージのステロタイプであろう。少なくともシンボリズムの時代には形成されていたと思われる紋切り型イメージによれば、たとえばラスコーリニコフは思想とプライドのために罪を犯すインテリ、彼に殺される老婆は卑俗な現実原則の代弁者、ポルフィーリーは人間を知悉した心理分析家、マルメラードフは寄る辺のない酔いどれ・・・・・・ということになる。あらゆるステロタイプと同様に、これらはオリジナルの人物像の一面をわかりやすく切り取っているせいで、非常に強固なイメージとして人々の心に染みついている。そしてドストエフスキー自身には、こうしたイメージ群を駆使して近代ロシア社会の葛藤を描いたリアリスト、ロシアの進むべき道の探求者、さらにロシアの未来を文学的に洞察した予言者、といったイメージが与えられるのである。
 このような紋切り型の人間群像は、簡単に実生活のシチュエーションに適用することができる。従って文学と現実の相似性、文学の現実への影響力といったテーマの展開にドストエフスキーを利用するのは、きわめて自然なことだ。この作家はつまり、そうした議論に好適な、できあいのコンテクストを丸ごと提供してくれるのである。これを逆からみれば、ドストエフスキーをネタに文学と現実の関係を語るということ自体が、とうに紋切り型であり、新しいインパクトを与えにくいということにもなる。
 おそらくこの作品の作者は(後に言及するパロディ作者たちと同様)そのような事情を十分ふまえたうえで、あえて「ちょっと水平方向にずらした」言及の遊びを行っている。
それがこの序文の、循環論法めいた奇妙な論理構成であり、最後に登場する被害者の老婆の滑稽な現代風の服装なのである。


d)寸鉄詩風批判:ドミートリー・プリゴフ「文学と芸術の諸法則」(『D.プリゴフ:
1975-1989 の作品集』1997)26ヴァルラーム・シャラーモフ「赤十字」(『コルィマ物語』1959)27


 ステロタイプの集積の頂点に形成されるのが神話であるが、主としてシンボリズム時代の思想家たちが作り上げた神話的なドストエフスキー像――たとえば天上の原理と地上の原理の和解を求めて苦悩する思想の巨人のイメージ――は、そのまま現代の文脈に移されると違和感をもたらす。前出のユーリー・カリャーキンの書物『ドストエフスキーと21世紀前夜』にも、そのような感慨をもたらすドストエフスキー像の巨大化・神秘化作用が働いているようだ。また一方でそのような神話を真っ向から批判する議論――たとえば先に見たゴーレンシテインやクワルディンの主人公たちの議論――にも、ともすると文学のメッセージを逆方向に単純化し、別の極端なイメージ(「ショーヴィニズムの権化」「悪趣味なジャーナリスト」等々)を生産するきらいがある。こうしたケースで認識のバランス回復に役立つものの一つは、寸鉄詩やアネクドート等の、軽やかなからかいやユーモアをベースにした批判である。
 詩人ドミートリー・プリゴフ( 1940-)の作品にその例がある。


レールモントフは人生に苦しむあまり
人生を愛する力がなかった
シェストフは書物に苦しむあまり
書物を嫌う力がなかった
ドストエフスキーは神に苦しむあまり
愛するすべを知らなかった
俺は国家のことに苦しみながら
真面目に愛そうとしてきた
ただ俺がとびきり苦しむものだから
誰も俺を愛そうとしない(プリゴフp.106)

           *****


ドストエフスキーはプーシキンをたたえて言った
「飛んでいけ、小鳥よ、あの地平線めがけて
その後どうするかは、私が教えよう
二人で楽しく流刑地で暮らすため」


プーシキンは答える。「近寄るな、畜生め!
詩人は自由なもの! 恥辱とは無縁さ!
君のような退屈な苦悩などまっぴらだ!
は高木美菜子訳、ヴァルラーム・シャラーモフ『極北コルイマ物語』(朝日新聞社、1999)を利用した。
詩人は神がお好みの場所に、憩わせてくれるのさ!」(プリゴフp.107)

 前者では苦悩と愛のアイロニーという文脈でドストエフスキーの苦悩者ぶりがからかわれ、後者では散文作家ドストエフスキーの地上的・政治的な精神が、自由な詩人の立場から批判されている。もちろん「苦悩する地上人」も「自由な詩人」も、ともにステロタイプにすぎない。ただこのコンセプチュアリズムの詩人は、紋切り型の概念同士を単純にぶつけることによって、ある意味でゴーレンシテイン風の批判よりも効果的なイメージ転換を成し遂げている。それはおそらく紋切り型イメージから深刻さを払いのける手つきの背後に、自分自身をも笑っている道化的詩人の姿が見えるからである。
 これとは全く違う意味ではあるが、次のようなヴァルラーム・シャラーモフ(1907-82)
の寸鉄言も、長々しい議論に劣らぬ批判力を発揮している。


 ドストエフスキーは『死の家の記録』で、大きな子供のようにふるまう人びと、芝居に夢中になり、怒りを見せずに子供のように言い争う不幸な人びとのふるまいに感動している。ドストエフスキーは本物のやくざ世界の人間に会ったこともなければ、知り合ったこともないのだ。このやくざ世界を描くとなれば、ドストエフスキーは同情の言葉など使わないはずだ。(シャラーモフp.14)


 17年をソ連のラーゲリで過ごしたこの作家はおそらく、19世紀にシベリアの監獄で4年間を過ごしたドストエフスキーを批判することに、とりわけ関心があるわけではない。
ただ彼は自らの体験を語るに際して、ドストエフスキーの描く民衆像は参考にならないと言っているだけだ。そしてそれが、流刑地で本当のナロード(人民)を発見したと感じたドストエフスキーの陥ったロマンチックな錯誤を、端的に暴く結果になっている。つまり神話の向こう側にあるドストエフスキーの人間像に迫っているのである。


3.加工されるイメージ
最後に扱うのは、意識的な加工や改変を施されたドストエフスキー・イメージを含む文学作品である。つまり広義の文体模写やパロディの手法によって生み出された、もう一人のドストエフスキー、新しい『罪と罰』、似て非なるドストエフスキー風文体といった、一連の「もじり」が、作品の中で大小さまざまな役割を果たしているケースである。
 パロディの意味や効果は、作家自身の構想や技量に応じてまちまちである。しかしドストエフスキー自身が先輩作家ゴーゴリをモデルに行ったような文体模写やパロディは、先行文学を批判的に受容する手続きとして、あるいは文化的権威や時代のモードに対する自己主張の方法として、普遍的かつきわめて有効なものである。したがってパロディ文学の出来栄えは、古典文学の現代的な意味やインパクトを伺ううえでも、現代作家の文化的自
意識をみるうえでも、大切なポイントであろう。
 ここに言及する例は4点だけであるが、もじりの姿勢や方法において皆異なっている。
それぞれを仮に名付ければ、a)ナンセンス小説版、b)ジャンキー・ノヴェル風、c)バーチャル・リアリティ版、d)テキスト自壊型ドストエフスキー、といったところである。それぞれの作家の決して一義的でないドストエフスキー観を見分けるために、以下では主として次のような点に注目したい。すなわち、1)それぞれの文体模写の動機付けは何か、2)それは作品にどのような効果を及ぼしているか、3)それぞれの作家はドストエフスキーの文体のどのような側面に関心を持っているか、4)ドストエフスキーの文学はロシア文化のどのような側面を表象するものとして受け止められているか。
 なお模写もパロディも、直接的には文章自体を対象としている。すなわちその出来栄えは、作家の発想や構想自体の質もさることながら、改編された文章がオリジナルの文章の記憶との対比において醸し出す、既視感、違和感、不気味な驚きといった効果に帰す部分がきわめて大きい。従って以下の言及においても、必要に応じて関連テキストを付す。


a) ナンセンス小説風ドストエフスキー:V.ナルビコワ『第一人物の場と第二人物の場』
(1989)28
 最初の作品は名前遊びの例。個人にまつわる情報やイメージを究極に圧縮した記号が固有名詞である。夏目漱石は明治期の知識人であり、開化時代の余計者を描き、神経を病み・・・・・・といった無数の情報の集合だが、一言で表現するなら「夏目漱石」というに尽きる。この圧縮された情報記号の一部を改変すると、名前のパロディあるいは名前の仮面(八目漱石、夏目宝石・・・・・・)が生まれる。名前の仮面は瞬時に多重の効果をもたらす。すなわちオリジナルのイメージを喚起しつつ、そのイメージを何らかの方向に向けて換骨奪胎し、同時に作品のコンテクストを多元化する。すなわち言葉遊び、下世話なユーモア、権威の嘲弄、現実風刺といったものを広く許容する、開放的な非日常空間(バフチン的に言えばカーニヴァル的な世界)を生み出すのである。
 ドストエフスキー自身この手のことが好きで、実在の人物に似た名前の考案(シチェドロダーロフ←シチェドリン、カラマーゾフ←カラコーゾフ)、イニシャルや語尾だけによるモデルのほのめかし(――ボフ氏=ドブロリューボフ、批評家B=ベリンスキー)、地口的な固有名詞の言い換え(雑誌『ゴーロス(声)』→『ヴォーロス(毛)』)といった、フォークロアや子供の言葉遊びにも似た固有名詞の遊戯を、小説でも評論でも試みている。ある種の場合には、これは相手に直接言及することをはばかるという礼儀上の、あるいは政治的な身振りであったが、大半は相手に対する悪意の間接的な表現であった。
 ドストエフスキー自身もこの手の遊戯のネタになった。たとえば前出のサラスキナによれば、1920年代末のソ連で、二人組のユーモア作家イリヤー・イリフとエヴゲーニー・ペトロフが、「F.トルストエフスキー」というペンネームで『千一の昼、もしくは新シェヘラザード』と題する40ほどのエッセイを書き、プチブル的俗物や旧体制の残滓を攻撃してみせた。また二人はこれと前後して、ドストエフスキーの主人公をもじった人物が登場する、悪趣味なユーモア物語を書いていた。
 ドストエフスキーはなにかとこの手のプリミティヴなゲームに縁があったのである。
 ドストエフスキーとトルストイという19世紀文学の二大巨匠の仮面を風変わりな恋愛小説の主人公たちに与えたのが、ヴァレリヤ・ナルビコワ(1958-)である。ドドストエフスキーとトエスチルストイという奇抜な名の主人公たちが登場する彼女の小説『第一人物の場と第二人物の場』(1989)は、次のように始まっている。


これは不合理(イラショナル)だね。
でも私の名前イッラよ。
<r>の字が二つ入っているのかい。
イッラはイッラよ。
君に敬意を表してイラショナルっていうときも大文字で書きたい気分だね。
時計はシンメトリーで十時十分だった。酔っ払いが橇の刃で引き裂かれて死んだので、シャベルをもった子どもたちがその埋葬をしているところ。近所のアパートではロッシーニの『シンデレラ』をかけていた。
あなた本当にそんな年?――イッラが聞いた――ドドストエフスキーなんて苗字、なんだか先史時代みたいね。
名前のほうで呼んでくれてもかまわないよ。
どんな名前?
彼は言った。
そんな名前なら呼ばない方がましだわ
車庫はエレベーターでできているが、それは・・・・・・だから。電車道を最終電車が通過し、それから汽車が走っていく。
汽車が走ってる――イッラが窓をさす。
よくあることさ――ドドストエフスキーが答える。
汽車だわ――彼女は繰り返す。そして列車が完全に通り過ぎるまで、彼女はその怪物を見つめていた。
なぜだか汽車がいるのよね――彼女は三度目に言う。
彼女が寝かせてくれと言うので、彼は枕をもってきてやり、彼女がベッド全体を占領した。そして彼もベッド全体を占領した。
わたしたち友だちなのに――彼女は当惑する。P.9


こうして知り合い、同棲するようになった二人のもとに、ドドストエフスキーの友人トエスチルストイが訪ねてきて、そのまま住み着いてしまう。やがてヒロイン・イッラとトエスチルストイの間にも恋愛関係が生じ、部屋組と台所組に分かれた奇妙な共同生活が始まる。


 彼らは二つのカップルに別れた。イッラとドドストエフスキーが部屋に、イッラとトエスチルストイが台所に。つまり彼らは結局四人というわけだ。けれども台所に集まってみると、また三人になってしまう。P.35

 イッラにとって恋人ナンバーワンはあくまでもドドストエフスキーで、トエスチルストイは二番手なのだが、不思議な経緯で彼女はトエスチルストイの方と結婚してしまうので、一番手と二番手の間の心理的テリトリー関係が微妙になる。これが小説の変わったタイトルの由来である。この意外なほどに古めかしい面を持つ心理的葛藤は、結局作品の最後近くまで続くのだが、作者はそれまでの過程で固有名詞を使ったナンセンス風言葉遊びを十分楽しんでいる。


 イッラはドドストエフスキーを愛していない振りをし、ドドストエフスキーはイッラを愛していない振りをし、イッラはトエスチルストイを愛している振りをし、トエスチルストイは気分が悪い振りをし、イッラは上機嫌の振りをし、ドドストエフスキーは気分が良くても悪い振りをし、仕舞いには周囲の雰囲気に関わらぬ一定のポーズができあがっていった。P.42


 ある部分では、ドドストエフスキーの名はさらに縮められてドド(Dodo)となり、トエスチルストイはT.e.と略称されるが、後者はロシア語のト・エスチすなわち「つまり/端的に言えば」の略号と同一になる。
 この家庭内三角関係の果てに、ドドストエフスキーがトエスチルストイを殺害し、追われる身となった彼とイッラはかろうじて空中に飛び上がって難を逃れる、という展開になる。クライマックスの殺害シーンは、次のようなシュール・レアリスティクなどたばた劇風の描写を与えられている。


 トエスチルストイはすぐに帰ってきた。彼はそのまま台所に入って、そこから聞いた「彼女はここにいたのか?」
「彼女はここにいた。それが?」ドドストエフスキーは言った。トエスチルストイは台所を出てトイレに向かった。ドドストエフスキーはそれに気がついて、行く手を遮った。トエスチルストイは膀胱も胃袋もいっぱいだったので、ゆっくりと動いていた。二人がぶつかったとき、ドドストエフスキーは相手の喉をつかもうとしたが、トエスチルストイはすばやく身を丸めた。彼の背筋は非常に強く、ドドストエフスキーはどうしてもその丸まった体を開けなかった。そこで彼は球になった体を風呂場まで転がしていって、片足で押さえつけながらバスタブに水を溜めた。水がたまって彼がその中にトエスチルストイを投げ込むと、相手はすぐに水中で体を伸ばした。今にもイッラが戻ってくるかと心配だったので、ドドストエフスキーは一刻も早く済ませてしまいたかった。トエスチルストイは水中では球になれなかったので、ドドストエフスキーにとってもう処理は難しくなかった。彼が相手の首を締めると、トエスチルストイは「はなせ、馬鹿野郎」と言い、ドドストエフスキーは「馬鹿野郎はお前だ」と言い、トエスチルストイは何も言い返さず、そこでドドストエフスキーはもう自分が相手を窒息死させたことを知った。彼は相手の体をきわめて慎重に解体したが、それは膀胱を傷つけたくなかったからだ。内臓が尿にまみれることを警戒したのだが、どうやらイッラの帰宅前に全部片づけて、ビニール袋にしまうことができた。彼が鍋を火にかけたとき、イッラがドアベルをならした。台所に入ってくると彼女は鍋の蓋をあけてたずねた。「これ何?」はじめ彼女はそれが若鶏だと思ったのだが、しかしじっと見たあげくそれがなんだか理解した。「なんであなたハリネズミを殺したの?」「食べるのさ」彼は答える。「どうして? 食べ物がないって言うの? マカロニならいっぱいあるでしょう」「こいつは珍味なのさ」ドドストエフスキーは言った。二人は煮こごりを食べた。たいそうおいしかったが、ドドストエフスキーにはどうしても少し尿の臭いがするような気がした。もちろんそんなはずはないのだが。P.61-62(テキストA参照)


 ちなみにこのシーンは、ロシア版ナンセンス文学の代表者ダニール・ハルムスの、次のようなロシア文学者遊びを連想させる。

ゴーゴリ: (袖から舞台へと倒れ込み、そのままじっとしている)
プーシキン: (登場してゴーゴリの体に躓いて転ぶ)くそ!いやはや、ゴーゴリに躓いた!
ゴーゴリ: (立ち上がって)なんてことだ!おちおち休んでもいられない(歩き出してプーシキンに躓いて転ぶ)いやはや、プーシキンに躓くなんて!
プーシキン: (立ち上がって)一分間も休めやしない!(歩き出してゴーゴリに躓い
て転ぶ)くそ!あれ、またゴーゴリか!(以下同様なことが4回繰り返される)30


 ナルビコワの作品におけるオリジナル人物とパロディの関係は、少し複雑である。男性主人公たちが19世紀作家たちを連想させる要素は、名前以外にあまり多くない。強いて言えば両者とも書物の蒐集家で、はっきりした趣味傾向を持っている。ドドストエフスキーにはファンタジーや宗教的なものへの関心が、トエスチルストイにはエロチシズムや即物的な世界への関心が優勢であるように見える。たとえばドドストエフスキーが旧約聖書と新約聖書の比較論を展開するのに対し、トエスチルストイは、女性の胸は成人男性の掌に収まるのをよしとする、といった俗物的な意見を披瀝する。これは霊的作家ドストエフスキー対地上的作家トルストイというシンボリストの観念と、どこか関連しているように見える。
 モデルとパロディが思想レベルで重なり合うのは、ドドストエフスキーが福音書批判をするところである。


つまり仮に努力すれば、「盗むなかれ」、「殺すなかれ」、「親を愛せ」、「みだりに姦淫するな」、という教えは守ることができる。しかしどんなにがんばっても、結局隣人を自らのごとく愛するのは無理なのだ。P.50


 地上的人間にとっての隣人愛の困難さの認識は、空想的社会主義の博愛の理念に惹かれていた1840年代のロマンチックなドストエフスキーと、60年以降の宗教的ドストエフスキーを隔てるポイントの一つである。もちろんこれは、ナルビコワが下世話に展開しているテーマとも関連している。つまりこの作品によれば、隣人どころか同居人を愛することが大問題なのだ。
 しかしこの種の類似要素がオリジナルとパロディを近づけるわけではないし、かといって両者を対立させるわけでもない。両者の共通点も差異も、テキストの大部分を占めるグロテスクやナンセンスの雰囲気に飲み込まれてしまっている。総じてこの作品の構成原理は、一致・調和でも反対・対立でもなく、無関係なものの共存である。つまり意外なイメージ結合、語と語、文と文の間の論理的・心理的関係の不在、言葉と行為の裏腹さといった、アンバランスな関係性の生むエネルギーが、作品を支配しているのである。ドドストエフスキーやトエスチルストイという名前自体の中でも、オリジナル・イメージへの連想と単なる軽薄な音の遊び、意味と無意味が戦っているのであって、作者は主人公たちが確固たるイメージを獲得しようとするたびに、軽やかな言葉遊びでそれを突き崩していく。たとえばイッラがドドストエフスキーという名前を「先史時代みたい」というのは、おそらく単に「~以前」を示すロシア語の接頭辞「ド」が二つも入っているからにすぎない。
 古典作家の名前遊びがここで果たしている役割の一つは、ある古い恋愛物語のパターンを現代風に再利用しようとする作家の姿勢を、シンボリックに表示することである。実際、第一の人物(恋人・夫)と第二の人物(その友人)が一人の女性をめぐって対立するという設定は、ヨーロッパ文芸(小説、演劇その他)の月並みテーマであり、『白痴』や『アンナ・カレーニナ』の作者たちも、このジャンルのロシアでの代表者に混じっている(この意味で二人のオリジナル作家の選択は、偶然とは思えない)。このいわば永遠の(=手垢にまみれた)題材を改めて作品に用いるには、ジャンルの伝統を意識したうえでの大いなる自己主張が必要とされるだろう(さもないと作品は安価なテレビドラマ風の反復になってしまう)。つまり現代版三角関係小説には、古典の思い切ったリメイクやパロディの意識が必要とされるのである。
 ナルビコワはいくつかの点でこれを行っている。彼女はまず女性自身の論理や欲望を、物語に大幅に導入した。女性は単なる愛情の対象ではなく、自ら選択し、恋愛ゲームを作っていく主人公である。作者はさらに物語を首都のアパートの一室に封じ込め、愛のテーマを食事や排泄の話題と等価の、ほとんど生理現象のようなものに変貌させた。そして同時に19世紀小説が内包していた倫理的・心理的テーマ設定――トルストイにおける愛と貞節、性愛と母性愛の対立といった問題設定、ドストエフスキーにおける嫉妬や他者の欲望の模倣、エゴイズムと自己犠牲の論理の対立といったテーマ群――を、きわめて希薄なものにしてしまった。マルキ・ド・サドの名前が作中で言及されるのも、恋愛をセンチメンタリズムから解放し、快楽と哲学の問題として扱おうという意志表示に見える。ジャンルの内部改造と言うべきこの一連の手続きの中に、ナンセンスな言葉遊びや名前の仮面の遊びも混じっている。つまりナスターシャ・フィリッポヴナやアンナ・カレーニナの軽薄な複製づくりに、それも一役買っているのだ。
 従って、冒頭にでてくるイッラの名前がイラショナル(=不合理・ナンセンス)な小説構成を暗示するのと同じことを、主人公たちの名前も行っているとみるのが当然かもしれない。つまりこれは「ドストエフスキー以前」の小説のようなプリミティヴな迫力を持って、トルストイ的テーマを「端的に要約してしまう(=ト・エスチ)」ような、身も蓋もない恋愛小説なのである。


b)ジャンキー・ノヴェル風ドストエフスキー:ヴィトゥフノフスカヤ『ロシア文学最後
の金貸しの老婆』(1996)31


 ナルビコワ風の日常性の中のナンセンスを遙かに逸脱して、幻想もしくは妄想の世界に導入されたドストエフスキー――アリーナ・ヴィトゥフノフスカヤ(1973-)の小説『ロシア文学最後の金貸しの老婆』(1996)は、そのようなものを連想させる。
 舞台は「全世界中国」の毛沢東に支配された「分離モスクワ」。独裁政権のもとで堕胎が禁じられ、文学が死に、魚が絶滅させられている(魚は即物的に殺されるばかりか、イデオロギー的にも有害物と見なされ、魚という語の使用も犯罪である)。
 主な登場人物は、地下室人タイプの猫背の技師、彼が非合法に飼っているロシア文学に造詣の深い片目の小魚、それに技師の母親である。論理的に再話しにくいこの物語を、ドストエフスキー・イメージを手がかりにたどると、おおむね以下のようになる(ドストエフスキーを中心とした主な文学的連想を【】中に指摘する。なおこの作品のグラフィックな印字面についてテキストB-1を参照)。
 独裁体制下のモスクワに住む技師が、反国家的意志の象徴のような小魚を瓶に入れて飼育し、相手の好物である羊チーズ、毛髪、トルストイ全集第3巻を与えている。【地下室人的な孤独な思想営為の比喩か?】彼は魚を「ロシア文学の唯一の貯蔵庫」「わが秘密の花嫁」「ロシア・マゾヒズムの内縁の妻」などと名付けている。
 ある時彼の母親がトイレに隠された秘密の瓶を発見、自らの頭髪をそり落として餌として与える。するとひょうきんな片目の小魚が、「おまえはロシア文学最後の金貸しの老婆だ」と言う。【『罪と罰』風のテーマ設定への暗示】
 やがて息子の身を案じた母親が、瓶を壁に投げて魚を殺害しようとすると、息子が反発する。


 「あんたは俺の母親じゃない。独裁者の禿頭の走狗だ。あんたを殺してやる、殺してやる!そして金も奪ってやる。それが俺の罰だ。つまり心の浄さで身を立てることができないのだ。不自由で、しかも抵抗しようとしない俺は、汚れた、卑劣な人間だ(これは無意味な客観論だが、たとえ自分を正当化できたところで、下劣なことに変わりはない)。だから俺は実際の行動においても下劣な人間になってやる。一目瞭然、どんな哲学も不要なように」
 そして彼は母親を斧で惨殺した。P.14-15【ラスコーリニコフとは逆方向の、しかし同じく自尊心と劣等感の葛藤を含んだ犯罪。ラスコーリニコフの老婆殺しのイメージ
に重なる斧による惨殺】


 すると意外にも死にゆく母親の頭に、波打つ長い黒髪が生えてくる。瀕死の母親は、ロシア文学と、殺された魚たちと、いずれ息子を通じて実現されるべき反中国革命の名において、自分の髪を将来に備えて保存せよと命じる。
 その後彼女は変身する。


そう彼女は言った。
そして顔を変えた。
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー登場。
ただし体は女で、髪は長い巻き毛。P.16【ドストエフスキー本人の出現。『分身』の
モチーフ応用?】


 息子は母の遺志を受け止め、罪意識に陥る代わりに革命への使命感をはぐくむ。
 一方、この技師の物語を離れて、アメリカの学者ジークムント・フォード【精神医学者フロイトを連想させる名前】の視点から、ロシアにおける「中国のくびき」のマゾヒスティックな心理構造が分析される。それによれば本物の中国人はすでに大半が死に絶えており、ドイツの精神病院で治療中の、わずか二名を残すのみである。従ってモスクワを支配している中国人とは、中国人の振りをするロシア人か、もしくは架空の存在にすぎない。つまり毛沢東の独裁政権下に苦しむモスクワというのは、ロシア人自身による自虐的な演出なのである。
 物語の最後の方で、この仮説に落ちが付く。実はドイツの精神病院でヒトラーとエヴァ・ブラウンを装っていた二人の中国人というのが、公的には死んだと思われていた毛沢東と主人公の技師自身の父親で、二人はモスクワを裏から操りながら、権力意識を満たしていたというのである。
 この荒唐無稽な筋を背景に、さらにいくつかドストエフスキー・イメージの展開がみられる。
 母親殺しの後、主人公は自らの子を宿した女ナスチャと結婚することになるが、彼には相手と交わった記憶がない。【ナスチャ=ナスターシャは、『白痴』のヒロインをと同名である。彼女にはドストエフスキーの聖痴愚(ユロージヴァヤ)に似た行動や感情表現の特異性が感じられる】主人公は妻に欲望を感じぬまま、かつて「わが秘密の花嫁」と名付けたペットの魚のことを思い浮かべつつ、彼女を抱く。やがて妻は口から魚の子供を生む。【この一連の経緯は、魚にたとえられることのあるイエス・キリストの誕生物語を連想させる】
 物語の少し先で、読者は主人公が殺した母の体に宿ったドストエフスキーが、実は生きていることを知らされる。このドストエフスキーは、身体損傷と他人に成り代わった罪、ホモセクシュアリズム宣伝の罪、魚を飼育した罪により、300年の刑期を得て入獄していたのである。自分の知らぬ間に身代わりとなって母親殺しや魚飼育の罪をかぶった形になっているこの存在に対して、主人公は深い劣等感を覚える。


 彼は天才なのに俺は悪人。
 彼は英雄なのに俺は自分のヒロイズムを実証するために革命を待っているような人間だ。(中略)彼にしてやられた後では、俺はもう自分の使命に値しない。俺は我が身一個の確立を考える人間に成り下がってしまった。つまり使命を通じて自分を確立しようとしたんだ。P.40

 しかしドストエフスキーを意識した内省の中で、賛美と劣等感が、批判や攻撃へと転換されていく。


 あいつは卑劣なやくざものだ。まれにみる人非人だ。
 第一あいつは性転換したいという動機から、俺のママの体を自分の体に変えてしまった(つまり一種のホモセクシュアリズムか、それに類した強迫的なものがそこにあったのだ)。
 第二にあいつは金がほしくて俺の所へ来た。117ルーブリが必要だったのだ。もちろん俺だって、ただでくれてやろうという気はなかった。だが人間の苦しみを黙ってみてはいられない。俺はほだされやすい人間で、そこを見抜かれたのだ。
 上告して死刑に変えてもらうという手だって、あいつは事前に計算済みだった。つまり高潔さのかけらもない、天才的にずるがしこい人間なのだ。(中略)
 金が必要だったのはカード賭博をやるためだ。どうしても直らない病気なのさ。【ドストエフスキーの賭博癖への言及】(中略)
 ところでロシア文学は救うに値するだろうか?P.41(テキストB-2参照)


 主人公とドストエフスキーの対決は、ドストエフスキー文学の遍在的テーマである子と父の葛藤を思い起こさせる。『未成年』に典型的に現れる父親コンプレクスの諸相――父親の偉大さへのあこがれと劣等感、父の崇高さの背後に隠れた卑俗さ、狡猾さや性的だらしなさへの反発、母親や異性をめぐるライバル意識など――が、ここに正確になぞられている。
 一方、もう一人の「父親」像、すなわちドイツの精神病院にいるモスクワ政治の黒幕は、同じドストエフスキーの「大審問官」を彷彿とさせる。主人公はこの人物の内に、人民の恐怖感を利用したヴァーチャルな独裁の論理を発見するのである。


 そして彼はすべてを理解した。狂気は去り、父の裏切りも、様々な幻覚も理解した。
この幻覚に自分は一生だまされてきたのだし、国民もその巨大な妄想の犠牲になったのだ。
 そうして主人のいない奴隷制、独裁者のいない独裁政治が成立していった。人々は幻を信じて苦しみながら死に絶えていき、すべてが嘘になったのだ。P.51

 アメリカ人のジークムント・フォードが最後の中国人を殺害するのと同時に、主人公は
父たちによる虚の独裁幻想からさめるのだが、しかし同時に自分の認識を表現・伝達する言葉の不在を感じて、実存のアイロニーや孤立の感覚に陥っていく。彼は結局思想的な自殺を果たすことになる。

そこで技師は死を望んだ。なぜならすべては良きものだったのに、誰もそれを知らなかったから。そして皆が苦しんでいたから。P.52【『悪霊』のキリーロフ等に似た、先覚者としての自殺モチーフ】


 作品全体の結末も憂鬱なもので、支配者を突然失った人々は、自由の不安や空虚さを感じて、再び隷属の相手を求めるのである。


 そのとき彼らは自分のために作り出した。毛沢東と奴隷制を、国家と恐怖を、隷従の倒錯した魅力と抗議が弾圧されるときの微妙な喜びを。彼らはそのとき自分用に作り出した。マクロ・セックスとマクロ・ポリティクスを、ロシア文学の起源とその終焉を、魚のシンボルと魚の絶滅を、全世界の祈りと猫背の技師についての恐ろしいお話を。P.55


 自身麻薬所持や販売容疑で90年代に2度逮捕・投獄されたことがあるヴィトゥフノフスカヤの作品には、まるで麻薬常用者の夢のように説明しがたいところがある。魚・毛髪・文学全集といった意外な組み合わせ、殺された老婆がドストエフスキーに、若妻が母親に変身するような予測のつかない展開、随所にでてくる魚のイメージの多義性――これらはおそらく夢のシンボル学の類を媒介にして読みとられるべき謎であろう。
 ただしわれわれのテーマであるドストエフスキーも、決してこの種の不合理な世界と無縁ではない。夢見を信じ、また様々な幻覚、持病のてんかん時の離人感覚や法悦感覚、根拠のない罪障感といったものを味わっていた彼は、現実原則と違う夢の論理を認めて、『白痴』などの作品に応用している。従ってこの面でもこの作者とドストエフスキーの親和性のようなものを想定することができる。
接的な関係が想定される。とりわけここにみられるエディプス・コンプレクスのモチーフの多元的展開、すなわち個人・家族のレベルから国家レベルに至るまで、権威に対する反抗と隷属願望という背反的心理を人間行動の中に暴いていく視点は、まさにドストエフスキーのものである。
 すなわちこの奇妙な小説には、テーマの骨格の部分にも、イメージ選択や結合の原理にも、ドストエフスキー的なものが横溢している。ただしそれら個々の要素が有機的に結びついて一つの物語を作るのではなく、むしろあらゆる物語原則の虚構性、政治的作為性が強調される結果になっている。その意味で作品に遍在する「ロシア文学復活」のメッセージは、アイロニカルなものとして受け止めるべきだろう。

 技師は我に返って目を開き、その時が来たのを知った。どんな代価が支払われたのか考えもしなかったが、使命が成就したことを理解したのだ。
「毛をくれ!」無声映画の行進曲と機関車の汽笛のような音を通して、小魚が叫んだ。
 なぜなら、まるで死をひさぐ売春婦のような、不作法なロシア文学が復活したので、映画もその他の芸術も、すべて耳と口を失ってしまったからだ。P.48-49

 所々に<pusto>(空虚/ナンセンスだ)という言葉を配したこの自己言及的な小説、文学的文学破壊作品は、片目の魚とロシア文学最後の金貸しの老婆が哄笑し合うシーンで終わっている。

 c)ヴァーチャル・リアリティ版ドストエフスキー:V.ペレーヴィン『チャパーエフとプストタ』(1996)32
 ヴィクトル・ペレーヴィン(1964-)は、サイエンス・フィクションの世界から出てきた作家で、複数の時空間や複数の主観の関係をアレンジしながら、哲学的ファンタジーと風刺や文明論が一緒になったような小説を書いてきた。
 彼の長編『チャパーエフとプストタ』も、同じく多重のテーマ構成をしている。そこで作者は、革命期と90年代のロシアに暮らす二つの別個の自我を持った精神分裂病患者という主人公像を設定し、ロシアが20世紀の始めと終わりに経験した破壊や混乱の諸相を、この人物の経験として並行的に描いた。そのような設定によって、人間主体の危うさや現実と夢の相対性に関する哲学的・宗教的思考実験と、ロシア・ソ連文明論とを、一つの物語の中で合体させたのである。なおこの作品の主人公名ピョートル・プストタも固有名詞遊びの例で、名のピョートルはペテルブルグの建設者でロシア西欧化改革の主導者である大帝からソ連版アネクドート(チャアパーエフ・アネクドート)の主人公まで、多重の連想を含む。姓のプストタは「空虚」「無」「ナンセンス」の意味で、仏教や実存哲学を含む作品のテーマ構成を暗示すると同時に、荒唐無稽なファンタジー小説としてのジャンル意識を宣言している。
 コピーライター的なセンスに長けたペレーヴィンは、両時代ロシアの同一性と差異を効果的に表出するために、様々な小道具や仕掛けを用いている。すなわちレーニンからアーノルド・シュワルツェネッガーにいたる人気者の名前、内戦から93年のロシア議会ビル砲撃にいたる歴史的事件、文学キャバレー、テレビドラマ、歌などの風俗、仏教思想、西洋哲学、精神分析学、アネクドートなど現象の説明原理、といったものである。作者はこれらを巧みに利用しながら、二つのロシアのいずれをも「本当の現実」として絶対化せず、すべてが書き割りであるかのような仮想現実感を生むことに成功している。おそらく作者によれば、実体がない故に何にでもなり得る空虚――それがロシアなのだ。
 ドストエフスキー・イメージは、1918年冬のモスクワのシーンに登場する。主人公の過去の半身であるペテルブルグの詩人プストタは、非常時委員会(Ch.K.)に追われてやってきたモスクワで旧友と再会するが、この友人もまた非常時委員会の手先だったとわかって、相手を殺害してしまう。この後主人公は殺した友人になりすまして文芸キャバレーに教宣活動に行き、さらにチャパーエフ(同じくアネクドートの主人公名を借りた遊び)と名乗る赤軍将校にスカウトされて、中央アジアに遠征することになるのだが、この経緯のいくつかのシーンに『罪と罰』のモチーフが応用されている。
 一つは友人殺しのシーン。アパートの一室で銃を持った相手をかろうじて絞殺した主人公は、ラスコーリニコフの殺人を追体験しているような錯覚に陥る。


 彼( 主人公が殺す友人フォン・エルネン:訳者)が静かになっても、私は長い間その喉を放すのをためらっていた。両手はほとんど言うことを聞かない。きちんと息をするために、私は呼吸の練習をはじめた。これは変な効果を及ぼした。軽いヒステリーが起こったのだ。私は突然、この光景を脇から見始めた。つまり誰かさんが死んだばかりの友人の体にまたがって、ヨギのラマチャラカが『イシス』に紹介した呼吸法で一所懸命に呼吸している図だ。私は立ち上がった。するとすぐに、自分がたったいま殺人を犯したのだという認識が襲いかかってきた。
 もちろん権力を信用しきれない人間がすべてそうするように、私はいつもリボルバーを携帯していて、二日前にも平気で使用したばかりであったが、しかしこの現場は何かしら独特な感じで、いわば暗黒のドストエフスキー的雰囲気といったものが漂っていた。空っぽの部屋、英国の外套でくるまれた死体、敵のいる世界へのドア、そしてひょっとしたらすでに暇な連中が、そのドアめがけて歩いてくるところかもしれない・・・・・・。私は意志の力でそうした考えを追い払った。ドストエフスキー的な雰囲気なるものは、もちろんこの死体にも弾丸の貫通痕のついたドアにもあるわけではなく、私自身の内に、自分のものでないような後悔の念があれこれ形を変えていくのに驚いている私の意識の中にあるのだ。
 階段に面したドアを少し開けて、私は何秒間か耳を澄ませた。なにも聞こえなかった。なに、仮にピストルを何発かぶっ放したって、誰の注意も惹かないだろう――私はそう思った。4:33


 これはインテリによる殺人行為が自動的にラスコーリニコフの老婆殺しを想起させるという、おなじみの観念連想の応用である。人気の絶えたアパートの部屋、階段の足音に耳を澄ますといった細部のシンボリックな利用もなされている。だがもっと興味深いのは、出来事が文学的連想を呼び覚ますと同時に、文学の記憶が出来事の認識枠を作るというピエツフやマカーニン流の理解が、ここでも確認されていることである。さかのぼって付け加えれば、ラスコーリニコフの犯罪自体が、すでにシーザー、ナポレオン、バルザックの主人公などに関する文化的記憶をふまえた行為だったのである。
 なおこの後で主人公が友人の所持品を物色するシーン、また少し先でチャパーエフが唐突に主人公の部屋に出現するシーンも、ラスコーリニコフの物語へのアリュージョンを含んでいる。後者の場合には、犯人の正体を見抜いたポルフィーリー予審判事や地主スヴィドリガイロフの役を、赤軍将校チャパーエフが演じているのである。
 次のシーンでは、ドストエフスキー作品のイメージに、より手の込んだ細工が施されて
いる。主人公が二人のバルチック艦隊の水兵を従えて教宣活動に赴いた<オルゴール式タバコ入れ>という退廃的な文芸キャバレーには、ワレリー・ブリューソフ、アレクセイ・トルストイ等当時の文人がいて、「エゴ・へそ派ポストリアリズム劇」といった、未来派をもじったような出し物が演じられている。ここでの会話から、主人公自身が『レビャート
キン大尉の詩』『我の王国の歌』といった、ドストエフスキーを連想させる詩集の作者だと
いうことも明らかになる。そしてこのキャバレーの演目の一つが、同じく『罪と罰』をも
じった小悲劇『ラスコーリニコフとマルメラードフ』というものである。
それはおおむね次のように描写されている。
 マルメラードフィ(ママ)という名札のそばに立ち止まった俳優が、ゆっくりと片手をあげて歌うような調子で語りだした。
 「私はマルメラードフ。ここだけのはなしだが/私にはもう行くべき所がない/この世を長いことさまよった/前途に灯は見えなかった/その目つきからすると/あなたにも虐げられた民衆は無縁ではないご様子/ひとつ乾杯といきますか。お注ぎしましょう」
 「いやいらない」
 斧をもった俳優が同じく歌うように、ただし低音で答える。話しながら彼は片手をあげて、それをマルメラードフの方に突き出す。相手は急いで自分に一杯注ぐと、酒をマスクの穴にこぼし、先を続けた。
 「お好きなように。あなたに乾杯。こうしてみると/あなたのお顔は謎めいた栄光に満ちている/美しい口は笑みをたたえて黙したまま/額は青白く、両手は血まみれ/でも私にはもうないのです/じっと動かぬ面の皮の背後に/傲慢な力で空虚の花を開かせ/神に似たものにならんとする理由が/おわかりですか?」
 「たぶん」
 「さて、そんな理由もないとすると、おわかりでしょうが/毎朝、雪に血を滴らせるような/斧でうなじを殴られるような、そんな気がするのですよ。わかりますか/それが、若いお方」
 「わかります」
 「心を見たいとは思いません/そこは靴の中のように真っ暗でしょうから/まるで狭くて寒い物置に/女たちの死体が入っているみたいに。怖いでしょう?」
 「はあ。何が言いたいんですか?話の主旨は」
 「いきなり主旨ですか」
 「すぐに言うんです」
 「でも、まずリキュールを一杯どうですか?」
 「あなたはまるで床屋みたいにうんざりさせる人だ。ぼくはいきますよ」
 「若い方、おこっちゃあいけません」
 「無意味な話をしているのがいやなんです/それとも説明する気になったんですか?/何が言いたいんですか?」
 「斧を売って下さい・・・・・・」(中略)
 「・・・・・・なんだって?なぜ?」
 「仕事用です/存在の一側面のシンボルというやつで/もしご自分も使うなら、別のを盗んだらいかがです/盗んだやつの方が都合がいいでしょう?」
 「ふーん・・・・・・なんのことかな?/ひょっとしてあなた、あそこにいたんですか?あの衝立の陰に、そうでしょう?」
 「それはちょっと軽率ですね/斧をもってはいらっしゃるが。でも若い人はいつも/本質も原因も有限のものの中に見ようとする/笑ったり愛したりと単純なことが好きで/肩に下げたわっかを優しくいじっている/いくら欲しいですか?」
 「ひとつ聞きますが/あなたにとってこれがなんになるのです?」
 「最初から言っているでしょう/力、希望、グラーリ、エグレゴール/永遠/輝き/月の満ち欠け/刃/若さ・・・・・・斧を下さい」
 「ぼくには分からない。でもどうぞ」
 「ほうほう・・・・・・光っていますな、まるで岩間の火のように/おいくらです?」
 「お好きに」
 「高いですか?」
 「10か・・・・・・15か・・・・・・えい、泥棒め/だがどうも問題はその/金じゃない。何かが変わってしまう・・・・・・もう/まるで倒れかかってくるようだ・・・・・・もうつかまってしまった・・・・・・そして風が/裂けた心に冷たく吹き付ける/あなたは誰だ?ぼくの神か、仮面をつけて!/あなたの目はふたつの黄色い星のようだ/なんて愚劣なんだ!仮面をとれ!」
 マルメラードフは長い恐ろしいポーズを決める。
 「仮面をとれ!」
 ・・・・・・マルメラードフはぱっと仮面をとる。それと同時に仮面にくっついていたキトーンが体から外れて、レースのパンタロンにブラジャーを着けた女性の姿が現れる。
 女性はネズミ編みのお下げがついた銀髪のカツラをかぶっている。
「ひゃあ・・・・・・婆さんだ・・・・・・しかも僕は素手だ」
 ほとんど聞き取れぬような声でそう言うと、ラスコーリニコフは底高の靴をはいた高さから床に崩れ落ちる。
 次に起こったことは私(主人公=訳注)を青ざめさせた。舞台には二人のバイオリン弾きが駆け上がって、狂ったようにジプシー音楽風のモチーフを演奏し始めた(またブロークか、と私は思った)。一方女マルメラードフは倒れたラスコーリニコフの体に自分のキトーンを投げかけ、その胸にひょいとまたがると、レースの服の尻をむやみにくねくね動かしながら、相手の首を絞めにかかったのだ。
 一瞬私はこの出来事がとんでもない陰謀の所産で、居合わせた全員が私の方を見ているような気がした。(中略)
 ラスコーリニコフを絞め殺すと、カツラの女は舞台の端に駆け寄り、二人のバイオリニストが奏でる狂ったような調べに合わせて、むき出しの足を天井に振り上げ、斧を振りながら踊り出した。この芝居の間じっと立ちつくしていた四人の黒マントが、キトーンにくるまれたラスコーリニコフの体を抱えると、舞台の外に運んでいく。『ハムレット』の剽窃だなという考えが、ふとひらめいた。あの芝居の最後にも、死んだ王子を運ぶ役の4人の隊長というのが出てくるのだ。おかしなことにそう考えると私はすぐに正気づいた。これは自分への陰謀ではないと理解したのだ。だいたいがこんなことを急に仕組むなんて誰にもできまい。これはありふれた、神秘的挑発というやつだ。4:38-40(テキストC参照)

 ある種の軽みと抑制を持ったペレーヴィンの文章は、状況を明晰に伝えていて、時間や空間の表現にも人間内面の描写にも、曖昧なところがない。その限りで彼はリアリストである。しかしこの単純でリアルな作中劇は、込み入った役割を果たしている。
 まずこの仮面劇は、文芸キャバレーの空間全体とともに、革命直後のロシアを覆っていた文化的混沌の一側面を表現している。退廃・爛熟と実験や文化革新が同居しているようなこの空間は、街路を横行する田舎出の兵士たちの世界と鋭く対立しており、その緊張が作品の奥行きを生んでいる。
 次にこのシーンは、主人公自身が感じ取るように、彼が直前に犯した殺人行為をシンボリックに再現している。主人公は劇中のラスコーリニコフである。ただし彼の立場は、ここでも夢の文法を思わせる置換、転倒、変身といった手法によって、変奏されている。意味作用の中心はマルメラードフの遂げる一連の変身で、この未来を失った行き場のない酔漢が、ラスコーリニコフを追いつめて武器を奪う脅迫者となり、最後に金貸しの老婆に変身して彼を殺す。弱者から強者へのこの変身は、社会論的に見ればルンペン・プロレタリアートが搾取者や権力者に成り代わる構図で、ブルガーコフの『犬の心臓』におけるプロレタリア革命の戯画とも共通したところがある。一方ラスコーリニコフ/プストタの立場に即していえば、これはナイーヴなインテリが、状況から裏切られる図といえるだろう。と
りわけ最後の、殺人者と被害者の立場の逆転は、理論家の行為不能性を意味し、現実原則への挑戦が実は現実逃避にすぎないというメッセージとも受け取れるが、これはドストエフスキー作品の理解としても正当であろう。ドストエフスキー自身、ラスコーリニコフの夢の中に、殺しても死なない老婆の哄笑を描いているし、また前出のヴィトゥフノフスカヤも同じイメージを用いている。理想主義をうち砕く現実原則のシンボルとしての「死なない老婆」のイメージ、いわばロシア文学の悪夢が、主人公の出口なき状況のシンボルとしてここに導入されているのである。
 このような意味作用と同時に、この作中劇のシーンは、小説の構造モデルとしての機能も果たしている。この機能は二つのレベルで展開されている。第一のレベルでは、劇中の「変身」という現象自体が意味を持つ。マルメラードフの変身は、主人公と状況の関係変化を意味する以前に、主人公のアイデンティティの揺らぎ自体を模倣していると考えることができる。逃亡詩人から政治将校へと行き当たりばったりに変化する彼の社会的アイデンティティの怪しさが一方にあり、他方には20世紀の両端にまたがった彼の個人的アイデンティティの本質的な亀裂がある。彼の生活は余儀なき変身と新しい自己発見の連続である。そして主人公以外にも、チャパーエフをはじめとした登場人物の多くが、正体不明なのだ。変身するマルメラードフ像は、この先作品中で展開される特殊な「人格」概念へのイントロダクションなのである。
 また別のレベルで、このシーンにおける舞台と客席の関係が、小説の構造モデルを提供している。主人公はある意味で典型的な観劇をする。つまり最初は心理的距離と非常な違和感を持ってこの舞台を眺め、やがて舞台上に自分の行為への当てこすりを見いだして、現実のことのように戦慄し、後にそれが劇にすぎないと確信して安心する。いわばこの不安定な人物は、架空世界を相対化することで、かろうじて現実の現実性を納得することができた。しかしこの後の展開は、この認識自体が一時的なものでしかないことを証明してしまう。つまりやがて出現するチャパーエフは、ヨガの秘法や老荘的な空の論理を駆使して、現実世界を幻想的なものにしてしまうし、夢として現れる主人公のもう一つの自我が、さらにすべてを相対化してしまうからである。マルメラードフの劇は、寄る辺ない主人公に確かな現実を提供するとみせて、実はこの無限の現実否定プロセスの基本モデルを経験
させているのである。
 人格の相対性と現実の相対性という二重の不確実性の表象として、『分身』の作者ドストエフスキーのイメージを利用することは、非常に適切な選択と思える。
 様々なジャンルの作品から必要なだけのイメージや情報を拾い上げて自作にちりばめることに長けたペレーヴィンは、ドストエフスキーに対しても同じことをしている。ラスコーリニコフの物語から殺人後の知覚のモデルパターン、および加害者と犠牲者、弱者と強者、現実と虚構の相対性に関する潜在的メッセージをくみ取る一方で、彼は罪意識をはじめとしてドストエフスキーの主人公の心中に生ずる様々な出来事を無視している。殺人は作品の第2章以降の主人公に、何のトラウマも残さないのである。しかしこのような割り切り方が、逆にオリジナルのある一面を自在に展開し、利用することを可能にしているといえるだろう。ドストエフスキーはこの作家にとって、いくらでも展開可能な矛盾、逆説、不安を豊かに備えた、魅力的な加工材料の一つなのである。
 ちなみにペレーヴィンの近作『ジェネレーションP』(1999)では、ロシア的理念の唱道者としてのドストエフスキー・イメージが、アネクドートのような形で利用されている。
ロシアのイメージ・コピーを作れという注文に窮したコピーライターが、こっくりさんの道具でドストエフスキーの霊を呼び出すのだが、自動筆記具はあたかも多方向に同一の力で引っ張られているかのように、ふるえる線を記すのみ。主人公はこれに失望しながら、しかしロシアの理念はきわめて先験的なものだから、これが唯一可能な表現法かもしれないと考えて納得するのである。33これもまた本人不在のまま一つの方向にデフォルメされた、秀逸なドストエフスキー・イメージと言えるだろう。

 d)文体模倣と自壊:V.ソローキン『ドストエフスキー・トリップ』(1997)34『青脂』(1999)35
 ウラジーミル・ソローキン(1955-)の場合、他者の作品に対する態度はさらに独特である。
他の作家の主題、人物像、事件、状況設定等々を借用して自分の構想に役立てるという作業は、彼には本質的なことではない。彼にとって大事なのは、そうした要素を盛る器としての、他者の文体を利用することである。いろいろな文章のリズム、スピード、質感、語彙といったものを、彼は絵画的にと言えるほど巧妙に模倣することができる。そればかりでなく、それぞれの文体が持つ潜在的な可能性をとらえたうえで、オリジナルとは別の方向に発展させたり、性質の異なった文体同士を隣接させて新しい効果を生み出したりといった加工作業も、彼の本領である。自前の文体を持たず、文化とも社会とも距離をおいた、外部の観察者のような関係を保とうとするコンセプチュアリストとしての意志が、この種の作業を支えている。いわばソローキンの文体とは、他者の文体を利用する手つきの
ことである。
 小説『ノルマ』(1994)において、彼は社会主義リアリズム小説風、ソ連のスローガン風、形容詞活用辞典風、イワン・ブーニン風、猥歌風・・・・・・といった多様な文体による小作品群をグラフィックな効果付きで配列し、20世紀ロシア文字文化の展示館のような空間を作ってみせた。一方『ロマン』(1994)では、19世紀長編小説風の流麗で息の長い文体で書きあげた恋愛物語を、ある種の経文やラップの歌詞のような単文の羅列によるスプラッタ小説に変貌させ、物語文学の終焉を表現した36。いずれの場合にも彼は、小説の物語的内容と形式の組み合わせを、自在に変化させている。このような作業の裏に推測される心理は、二律背反的なものである。すなわち文学作品を単なる「記号で覆われた紙」もしくは「死んだ世界」と呼ぶようなポストモダニスト的シニシズムと、文体の調合に美的快楽
を覚える職人的な嗜好、いわば文学の権威剥奪や脱神話化のパトスと文学へのマニアック
な愛情とが、彼の内に同居しているのである。
 文体模写をベースにしたソローキンの創作には明白な傾向があって、それが彼の作品を反社会的なものにしている。それはつまり、良識が文学の外に排除しようとするもの――暴力、差別、拷問、排泄趣味(スカトロジー)、加虐趣味(サディズム)、被虐趣味(マゾヒズム)、死体愛玩(ネクロフィリア)等々――を多様に表現しようとする志向である。正統的で上品な文学の下部に穴をうがって、卑猥語や差別表現に満ちた下品なポルノグラフィーを埋め込むような作業に、彼は大きな情熱を傾ける。もちろんここには正統派文学の規範的人間観を批判してマージナルなものを復権しようとする、アングラ文学の一般的意志が反映しているが、しかしそれがすべてではない。むしろそこには、精神と身体の下部構造にてらして、倫理の彼岸に生の充足感を得るような、作者自身の心理傾向が反映されている。これは彼の文学を、一方でマムレーエフ的な地下室人の世界に近づけ、他方でラブレー風の豊穣な無秩序世界に似せている。彼の創作はある意味で、そのような反社会的欲求に表現を与え、不安解消や快楽充足の役を引き受けてくれる、慰安装置でもある。
 作品への態度と同じく、読者への彼の態度も単純ではない。ソローキンにとって文学とは基本的に作家の創作行為に尽きるものであって、何らかの読者を想定して、彼らのために書かれるものではない。つまり作家にとって読者は存在しないし、従って文学行為に社会的な意味での倫理規範はいらない。しかし(一見詭弁的ではあるが)作者の創作行為とは別個に、作品と読者の関係が存在する。しかもそれはきわめて一方的な関係である。すなわち文学作品は、あたかも読む者の意識下の世界に働きかけながら、特定のリアリティ感覚や論理を強引に押しつけるような、「全体主義的暴力装置」だというのである。もちろん読者側のマゾヒズムを前提にすれば、文学は読者にとっても願望充足装置ということになる。いずれにせよ彼は(作者にとっての)文学行為の目的と(読者に対する)文学の作用とを、全く切り離して考えている。そしてここにもまた、19世紀以降のリアリズム文芸における作者=読者関係の単純さに対する一般的な反省と、この作家特有の願望充足装置としての文学観とが入り交じっているのである。
 従ってソローキンが文学を麻薬にたとえるとき、その麻薬の効果・作用として少なくとも3レベルの意味の可能性が含まれている。すなわち、1)テキストの加工や調合作業が作家に与える美的快楽、2)創作行為が提供する反社会的願望充足の快楽、3)作品が読者を支配し操縦してしまう催眠術的作用、である。
 戯曲『ドストエフスキー・トリップ』において、ソローキンは『白痴』を素材に文学の麻薬性というテーマに取り組んでいるが、その作業はまさに上記の複数のレベルにわたって展開されている。そこではまず小説の読者が文字通り文学世界に入り込み、主人公たちの心理的コンプレクスや潜在的願望を狂ったように演じてみせる。【上記1のテキスト加工の快楽、および3の催眠術的読者操縦作用の描出】そしてその恍惚夢(トリップ)の果てに彼らは自己制御力を失い、意識下に隠されていた自らの心理的外傷(トラウマ)を告白し始める。
【3の作用の強調】そしてこの文体とテーマ上の遊びの上に、古典をどたばた喜劇や下品なポルノグラフィーに変貌させる快楽【上記2の願望充足作用】に酔う作者の姿が二重写しになっているのである。
 この作品を読む(観る)者は、まず比喩の実体化という約束事を受入れなければならない。つまりこの作品世界では、文学作品が本として読まれるのではなく、クスリとして売られているのである。
 地味な作りの部屋の中、七人の薬物中毒の男女が苛立ちながらバイニンを待っている--そんなシーンで舞台が始まる。だがすぐに明らかになるのは、彼らの必要としているのが通常の薬物ではなく、文学作品だということである。
 所在ないままに交わされる会話によると、この世界ではセリーヌ、クロソウスキ、ベケットといったのが強くてハイなクスリで、フロベール、モーパッサン、スタンダールなどが口直しに使われる弱いやつらしい。ジュネーヴにはカフカ、ジョイスで始めてトーマス・マンやトルストイで抜けるコースもあるらしいが、トルストイはどうもボーヴォワール顔負けのひどい代物のようだ・・・・・・。
 そこへようやく作家の名前のついた瓶をたくさん抱えたバイニンが到着、一連のやりとりの後、彼らに七人で集団トリップできるドストエフスキーを薦める。こうして一同が錠剤を含んで始まるのがドストエフスキー・トリップである。
 現れるのは『白痴』のナスターシャ・フィリッポヴナの家での夜会場面。男女の「演ずる」ナスターシャ、ムィシキン公爵、ガーニャ、その妹ワルワーラ、レーベジェフ、イッポリートが、原作のシーン割りを無視して集っている(トーツキー、エパンチン将軍などは省略されている)。ナスターシャが公爵の忠告でガーニャの求婚を断り、続いて十万ルーブリの現金を持ったラゴージンが登場。やがて貧乏公爵ムイシキンが大金持ちになることが明らかになり、ナスターシャをめぐる馴染みの三角関係が現出する。ナスターシャはラゴージンの女たることを選び、ことのついでに十万ルーブリを暖炉に捨ててガーニャに手でつかみ出せと命ずる・・・・・・。


ナスターシャ:じゃあ、お聞きなさい、ガーニャ。最後にもう一度お前さんの性根を見てみたいの。三カ月も私を苦しめてくれたんだから、今度はこちらの番よ。この包みが見える?十万ルーブリ入ってるわ。これを今この暖炉に、火の中に投げ込むの!
そうして全体に火が回ったら、すぐに暖炉に手を突っ込みなさい。ただし手袋はしないで、むき出しの手でね。そうして火の中から包みを引っぱり出してごらん!見事取り出せたらあんたのものよ!十万そっくりね!みんなが証人だわ、この包みはあんたのものだって。私はあんたの性根をとっくり見せてもらうわ。あんたが私の金を取ろうと火の中に手を突っ込むのを見物しながらね!もし手をつっこまなけりゃ、そのまま燃えてしまうのよ。他の人は手を出しちゃ駄目!私のお金なんだからね!私のお金だろう、ロゴージン?
 ロゴージン:ああ、お前さんのだ!お前さんのだぜ、女王様!
ナスターシャ:そう、じゃあみんなどいとくれ。邪魔はなし。レーベジェフ、火を
ちゃんと起こして!
 レーベジェフ:ナスターシャ・フィリッポヴナ、手が動きませんよ。
ナスターシャは暖炉の火掻き棒をつかみ、中のおきをかき立てたててから、包みを投
げ込んだ。
 イッポリート:この女を縛るんだ!やめさせろ!
 ヴァーリャ:だめ、だめ、だめ!ガーリャ、はやく!
 レーベジェフ:(ナスターシャの前に跪く)ご主人様!女王様!全能の女神様!十万ですよ、十万!わたしに暖炉へ入れと命令して下さい。丸ごと入って見せましょう、この白髪頭をそっくり突っ込みましょう!足なえの病弱な妻がいて、子供は十三人――それもみんな孤児で、先週父親を葬ったばっかしで、腹を減らしているんですよ!
(暖炉に入ろうとする)
 ナスターシャ:(レーベジェフを足で蹴りつけて)おどき!ガーニャ、何を突っ立ってるの?恥ずかしがってる場合じゃないわ!手を突っ込みなさい!運をつかむのよ!
ガーニャは火のついた包みを呆然と見ている。(後略)p.25-26

 ソローキンの文体模写は5段階ほどに分かれているが、上に引用した部分までのところは、登場人物やシーンの多少の省略をのぞいて『白痴』の文体と内容をほとんど忠実になぞっており、ドストエフスキー特有の集合場面の雰囲気も再現されている。
 次の短い段階では、文体はそのままだが、発言者のメッセージがパターン化し、滑稽な要素が増幅される。この段階の最後には、すでに対話が独白の羅列へと変化している。

イッポリート:あの女を縛ってくれ、お願いだ、縛り付けてくれ!
ヴァーリャ:私もう死ぬわ!ああ、何で私たちがこんな目に!
レーベジェフ:手を出せ、手を突っ込むんだ、口ばっかりのろくでなし!燃えちまう、燃えちまう!
ガーニャ:ああ、いや、いや、いや!
ナスターシャ:燃えてる!燃えてる!燃えてる!
ロゴージン:好きだ!愛してるぜ、女王様!
イッポリート:死だ!死だ!
ヴァーリャ:兄さんを助けてあげて!助けてあげて!
レーベジェフ:この私なら歯でくわえてつかみだしましょう。跪いて、泥の中でも這いましょう。
ムイシキン公爵:ああ、なんて不幸な人たちなんだ!
レーベジェフ:跪いて!泥の中を!イモ虫のように這ってやる!
ナスターシャ:燃えてる!ぜんぶ燃えてる!ぜんぶ燃えてる!(中略)
イッポリート:みんな平気なんですね、ぼくがじきに死んでも!残酷な、冷たい人
たちだ!本当に死期が近いんですよ!2週間と言われたんです!
ナスターシャ:全部燃えるがいい!世界中の金が燃えてしまえばいい!ルーブリもドルもフランもマルクも円もシェリングも、みんな燃えるがいい!
ロゴージン:好きだ、お前が好きだ!お前の中には、世界中の女たちがいる!俺は彼女たちを感じる!俺は彼女たちを知っている!俺は彼女たちが欲しい!
 ヴァーリャ:妹の愛!純粋な、神聖な、妹の愛!それは無私の愛!売ることも買うこともできぬ愛!この世の何よりも貴重な愛!永遠の、果てしない愛!
 公爵:苦悩と痛み!世界の痛み!これこそわれわれを救ってくれるものだ!ほら、聞こえるでしょう、孤児や貧しき者の痛みが!虐げられ、辱められた者たちの痛みが!
p.27-28


各人物が物語の文脈を離れて夢を語り始める次の段階では、反復、列序、漸層といったレトリック効果が最大級に高まり、同時に卑猥語の類も混入する。各人の発言は、意味が単純化される一方で長くくどくなり、全体にヒステリックでグロテスクなイメージが誇張される。

 ガーニャ:俺は大変な金を稼いでやる!百万の百万倍、十億の十億倍稼いでやる!
 ナスターシャ:お金を全部焼いてやる!金庫も銀行も全部!世界中の造幣局も全部!
 ガーニャ:エヴェレストの頂上に城を建てるんだ!氷と雲しかないところに!世界中で一番高価な城だ!基礎はプラチナ!壁はダイヤモンドとエメラルド!屋根は金とルビー!毎朝俺は軟玉のテラスに出て、眼下の人々に宝石をばらまいてやるんだ!下の連中は宝石を拾いながら叫ぶだろう。「栄えあれ、ガーニャ・イヴォルギン、世界一の大金持ち!」
 ロゴージン:俺は世界中の女が欲しい!俺は女たちを感じる!一人一人を知って、愛している!俺はみんなをはらませなければならない!それが俺の人生の目的だ!俺の神々しいペニスが闇の中で光っている!俺の精液は、溶岩のように煮えたぎっている!世界中の女の分があるぞ!女を連れてこい!全員はらませてやる!全員だ!全員だ!
 ナスターシャ:私は素晴らしい完璧な自動車を作るわ!鋼鉄の巨人のように地球上を闊歩して、放火して回るの!走っていっては火をつけるの!自分で運転するのよ!町も村も燃やしてやる!森も野原も!川も山も!
 公爵:ぼくの肉体には3265150 本の神経がある!その1本1本にバイオリンの弦を結ばせるんだ!その3265150 本のバイオリンの弦がぼくの体から四方八方に伸びていく!そして3265150 本のバイオリンの弓を持った3265150 人の孤児たちが、ぼくの弦をこするんだ!ああ、それこそが世界の痛みだ!それが苦悩の音楽だ!ああ、子どもたちの痩せた腕!ああ、ぴんと張ったぼくの神経!すべての孤児と不遇な者たち、すべて虐げられ辱められた者たちよ、ぼくの体で演奏するがいい!そしてみんなの痛みを、ぼくの痛みとするがいい!
 ヴァーリャ:私は「妹の愛」という名の素敵な飛行船を空に浮かべるわ!銀色で透き通っていて、空気みたいに軽くてダイヤモンドみたいに硬いの!その飛行船に乗って、下劣で醜悪な地上から空へと飛んで、全世界に向かって叫ぶの。「愛すべき妹たち!汚れなき妹たち!無私の妹の愛を失わない妹たち!ここにおいでなさい!あなた達を悪の世から善と光の世に連れて行くから!」すると妹たちは船の下に集まる。私が銀の梯子を下ろしてあげると、みんな上ってくるの!
 レーベジェフ:私は巨大な鋼鉄の豚になる!前足はもぐらの足!もっぱら地面の下に住み、夜中だけ地上に這いあがっては、世の不浄なものをむさぼるのだ!地中に一大トンネル網を作る。夜にはゴミ箱のゴミを喰い、下水を飲む!すると私の鋼鉄の皮膚の下に、重たい鉛の脂身がたまるだろう!そしてただ舌だけが、人間の、優しい、ピンクの、湿った舌のまま残るだろう!昼間は、不浄物を消化しながら、舌べろだけを地上に突き出して、伯爵や公爵、侯爵や男爵の靴底を舐めるんだ!
 イッポリート:ぼくは死を出し抜いてやる!世界最良の医師たちを雇って、新しいぼくを作らせるんだ!新しい、永遠のイッポリートを!それは巨大なプロジェクトになるだろう!28 人のアカデミー会員・ノーベル賞受賞者が指導する165 の研究所がこれに従事するのだ!ぼくの朽ちゆく肉体に残された2週間という時間で、彼らは新たなる永遠のイッポリート・テレンチエフの身体を準備するんだ!素材はもっとも丈夫で耐久性のあるものだ!太陽のように輝く身体ができる!強くて若い身体ができる!
その身体からは四方八方に歓喜とオプチミズムの光が流れる!そしてぼくの古い肉体が死の苦しみにのたうっているとき、世界最高の神経外科医がぼくの掛け替えのない脳を古い体から抜き取って、新しい体にはめ込むのだ!するとぼくは立ち上がり、強い新しい腕でイッポリート・テレンチエフの古い肉体をつかみ、笑いながら死の婆さんの口に放り込んでやるのだ!そして死の黄色の歯がぼくの古い肉体を噛みはじめたら、若い、永遠のぼくは、笑いながら死の目のない顔に唾を吐きかけてやる!あはあは笑いながら唾を吐きかけてやるんだ!p.29-31(テキストD参照)

 各自が狂ったように演じてみせるこの願望夢は、やがてファルスから悪夢へと変わる。
宝石が底をついたガーニャは城のダイヤの壁を取り崩す羽目になり、ワルワーラの『妹の愛』号は世の妹たちの重みでタラップが壊れてしまう。レーベジェフは放射性廃棄物に悩まされ、イッポリートの人造の肉体からは筋肉が剥離していく。ナスターシャもナパームの不足と放射器の故障に見舞われ、ラゴージンはヨーロッパの女性の半数と関係したところでインポテンツになる。公爵は孤児たちがでたらめにかきむしる弦の音に苛まれる。
 この部分(引用略)では漸降(デグラデーション)の修辞が用いられ、再び文が単純化していく。
 の混乱のあげく、皆は役柄を捨てて自身の心的トラウマの記憶を語り始める。通学の電車で性的いたずらをされた少年、猟犬を死なせて父親に裸の尻を打たれた少年、隣人の男色シーンを目撃した少女、ポリオの後遺症の脚を笑われた少年、瀕死の祖父の体をもてあそび続けた少女、母親との近親相姦にふけった少年、ナチス包囲下の町で死人の尻の肉を集めてカツレツとして売っていた双子の兄弟・・・・・・。この部分はすでにドストエフスキーのテキストを完全に逸脱して、社会主義リアリズム風ポルノグラフィーとでもいうべき別の文体世界になっている。
 この回想の後、一同はすっかり虚脱状態に陥ってばたばたと倒れていく、という展開になるのだが、このような計算された枠組みの中で、ソローキンはドストエフスキーの文体が本質的に備えているある特異な機能を誇張的に再現している。それは一種の言葉の魔術的作用――感情、思想、欲望を表出する言葉が、いつしか話者のコントロールを逸脱してそれ自体の論理で発展していき、ついには話者のアイデンティティを狂わせてしまう作用――を描出する機能である。ドストエフスキー文学の呪縛力は、作者の思想とかリアリストとしての才能とかにあるのではなく、このような文体自体の麻薬的作用にある――そうソローキンは言っているようだ。そしてそのような手続きを介して、彼は自分とは別の次元にいるはずの読者(麻薬中毒者)の姿をも、作品の中に描き出したのである。

 ソローキンのもう一つの作品『青脂』では、荒唐無稽な動機付けによって作中に組み込まれたエピソードとして、ドストエフスキーのパロディが登場する。
 2068年のシベリア。核の冬を経た後らしい荒涼とした世界で、ロシア政府派遣の諸民族混成学術チームが、青脂(goluboe salo=水色の脂身)と呼ばれる<ゼロ・エントロピー物質>を開発している。青脂はこの世界のエネルギー開発に不可欠な物質らしいが、自然状態では存在せず、なぜかロシア有名作家たちのクローン(複製人間)が文学作品を執筆した後、その体内に蓄積されるのを採取するしかない。つまりチームの仕事は、何年かがかりで開発してきた7体のクローン作家たち(ドストエフスキー2号、アフマートワ2号、プラトーノフ3号、チェーホフ3号、ナボコフ7号、パステルナーク1号、トルストイ4号:号数は世代を示す)に、好適な環境で執筆を促し、青脂を蓄積させることなのである。
 この後ストーリーは、20世紀と21世紀の両方にまたがる青脂をめぐっての一大スペクタクルに発展するのだが、本論にとって大事なのは、上記のような設定によって、作者がロシア作家たちのパロディを存分に展開する動機付けがなされているということである。
ただしこのパロディ・ゲームには一つの制約がある。すなわちクローン作家の出来栄えは完璧ではなく、作家ごとに精度のムラがあるということである。たとえばトルストイ4号は73%、ナボコフ7号は89%という風に。従ってここに導入されるのは、完璧なパロディではなく、各個体の精度に応じた不完全なパロディということになる。
 このような前提で導入されるドストエフスキー2号の作品は以下のように始まる。


ドストエフスキー2著
『レシェートフスキー伯爵』


 七月も末のある日の真昼の二時過ぎ、とほうもなく雨模様が続き、夏らしくなく冷え冷えした頃合、道中の泥でさんざんに汚れた幌馬車が、一対の見てくれの悪い馬に曳かれてA橋を駆け抜け、G通りの三階建ての灰色の家の車寄せの脇にとまったが、その様子は全体がとほうもなくどうもあんまりで、そのニワトリのコトバときたらニワトリのコトバときたらもうまったく良からざるものだった。
 馬車からは二人のがっしりとした体躯の紳士が出てきたが、その服装はしかしもはや夏服でもなく、しかもペテルブルグ風でもなかった。一人はステパン・イリッチ・コストマーロフ、特殊任務を課された政府のさる局の参議官で、短い羊革の外套を着込み、もう死んではいるがとほうもなく長い黄色と黒のまだらヘビで腰のところを締めていたが、もう一人の、若死にした将軍の裕福な遺産相続人でそれゆえ定職をもたないセルゲイ・セルゲーヴィチ・ヴォスクレセンスキーの体には、広場で演技しているヴェネツィアのアルルカン風の細いまだら絹が巻き付けられていて、あの頃彼は自分のを見せつける光栄を得たのだが、彼女ときたらもうまったく下劣な売女であった。
 その姿を一目見ただけでこちらがなにやら突然に圧倒され感動させられてしまい、胸が締めつけられて訳もなく涙が流れ出してくるようなタイプの人がいるものだが、それはもし人間にある性向がある場合にはひどく残念なことになるが、それがどんな性向なのかはご自分で考えてみて欲しいわけで、まったくこの役立たずが。
 ちょうどその様な印象をコストマーロフとヴォスクレセンスキーはその出現によって数少ない通行人たちに与えた。二人の平民、つまり学生と初老の女性ははっと立ち止まったが、それはまるで地面に打ち込まれた柱、柱、柱、柱です、柱みたいで、そう一里塚みたいで、興奮を隠し切れぬ様でこの驚くべき二人連れが玄関につくところまでずっと目で追っていた。この三階建ての家はドミートリー・アレクサンドロヴィチ・レシェートフスキーの持ち物で、よく火曜日ごとにあるいは木曜日ごとに、まるでミツバチが巣に通うように、そうまさにすばしこい働き者のミツバチが、新しい巧みに加工された巣に通うように、といっても蜂の巣には様々な構造のものがあって、丸太くり貫き型、お家型、立木くり貫き型、さらに土ミツバチまでいるのでございますが、そんな風にペテルブルグの社交界人士はこの家に引き寄せられあそばすわけです。しかしこの日は水曜日であったため、この訪問者を出迎えたのは金モールの刺繍をしたお仕着せの玄関番ではなく、びっこのコサック、ミーシカで、これは伯爵の忠実な伝令兵としてともにトルコ遠征を経験し、伯爵のサンチョ・パンサまがいの存在となったのであるが、しかしこれは全くの破局であり、彼のおかれた立場は想像しがたいもので、その地位からいって腹蔵のない側近、あるいは単にいやらしい人間、つまりロシア語でいう卑劣漢となるべき必然性はまったくなかった。P.32-33(テキストE参照)


 ソローキンによるドストエフスキーの文体のもじり具合は、このテキストを『罪と罰』や『白痴』の冒頭と比較するとわかる。すなわちドストエフスキー特有の語彙や言い回し(3回使われる「とほうもなく」、「A橋を駆け抜け、G通りの・・・・・・」、「夏服でもなく、しかもペテルブルグ風でもなかった」)、特徴的な構文(「七月も末のある日の真昼の二時過ぎ・・・・・・」「二人の紳士が・・・・・・、一人は・・・・・・、もう一人の・・・・・・」)が、ここで巧みに借用されている。また三段落の「その姿を一目見ただけで・・・・・・」の文における関係代名詞節の用法、最終段落の「この三階建ての家は・・・・・・」という文脈を逸脱する比喩の長たらしさも、ゴーゴリの影響下にあった初期ドストエフスキー風である。そしてその一方で、(クローンの不完全さに動機づけられた)無意味な繰り返し、舌足らず、意味不明の言葉、文の結構の乱れといったものが描き込まれている(「もう死んではいるがとほうもなく長い黄色と黒のまだらヘビ」、「柱、柱、柱、柱です」、「といっても蜂の巣には様々な構造のものがあって・・・・・・」等々)。
 もちろん文体のもじりと並行して大きな枠組みレベルでのパロディが進行しているわけで、二人の異なったタイプの男性が女性問題を抱えている貴族の屋敷を訪れるという設定は、『白痴』そのものである。『白痴』の模倣はこの後しばらく継続され、またもやナスターシャ・フィリッポヴナの夜会を連想させるような、衆人の中で高慢な女性にやりこめられる男たちの話が描かれるのだが、しかしエピソードの最後はきわめてユニークである。つまり結末の見えない口論を続ける男女の前に、突然二人のドイツ人技師が奇妙な機械を伴って現れ、さらにガリバー物語のリリパット族のような小さな人間が登場する。そして一同に向かって「さあ、体を縫い合わせて一緒になりましょう」と呼びかけるのである。
しばしのためらいの後、主人公の伯爵は二名の男女とともに「縫い合わされる」ことを選び、三人で暮らすためにスイスへと去っていく。
 これはむろんギリシャ悲劇の収束装置であるデウス・エクス・マキーナ(機械仕掛けの神)のソローキン版であるが、同時にドストエフスキーの葛藤処理・場面転換法をも戯画的に模倣している。すなわちこの機械は、ナスターシャ・フィリッポヴナのもとへ大金を持って駆けつけ、状況を一変してしまうラゴージンや、貧乏公爵から急に金持ちの遺産相続者に変身するムイシキンの代役でもあるのだ。さらに付け加えれば、世間を離れて三人で暮らす夢自体も、ドストエフスキーの模倣である。
 ソローキンもペレーヴィンと同じくドストエフスキーの内で自らに必要な側面を選択的に利用している。彼の場合その側面とは、われわれが文体という名前で呼んできたもの、すなわち言語表現の形式面に現れた作者の思想や世界感覚である。しかし文体模写やパロディという言葉の響き以上に、ソローキンの加工はドストエフスキーの登場人物の奇妙な情熱や、彼らの言葉と思想がはらむ生産的な矛盾や葛藤を、インパクトのある形で表現する結果になっている。そしてそこに、ソローキンという作家自身の文学に対するアンビヴァレントな感情も映し出されている。これはおそらく、メディアこそメッセージであり、文体こそ作家の思想の本質であるという、古い逆説の一つの証明であろう。

 以上この章で検討した文体模写の諸例は、いわゆるポストモダニズム的インター・テクスチュアリティの認識に裏付けられている。つまり、テキストはほかのテキストとの相互関係の中にのみ存在すること、独創的な文体が存在するのではなく、文体への独創的な態度が存在するのであること、すべてのテキストは作者の文学への態度を示すメタテキストでもあること、などについての認識である。こうした意味で、現代ロシア作家にとってのドストエフスキーのテキストも、無数の他者のテキストのひとつにすぎず、それに何らかの特権的な意味を与える根拠はない。
 しかし同時に彼の文学はいくつかの点で、現代的な文体模写にとって格別豊かな可能性を持つ素材となっているように観察される。まず注目すべきは、彼の創作様式が、その多面的で多義的な世界観を反映した、きわめてダイナミックなものだということである。これは彼の文学に矛盾をはらんだ多様な解釈の可能性を与え、ひいては様々な方向への応用や展開の意欲をそそる結果となっている。実際、ここに見た作家たちはそれぞれ、ドストエフスキーの文体(つまり世界把握と描写の論理)の異なった側面に注目している。たとえばペレーヴィンは何らかの破局の予感を含んだ世界の相対性の感覚――現実と幻想、舞台と客席、時間と空間等々の相対性――の表現に関心を寄せ、ソローキンはむしろドストエフスキーに独特な言葉の様態――種々な思想的・感情的要因をひとつの文学的時空に圧縮することにより、作中人物にも読者にも意想外な自己発現や自己発見を促してしまうような、彼の文体のメカニズム――に興味を示している。
 そしてその際以下の三つのことが観察される
a)作家たちは概してドストエフスキーの文体の、正反対の評価を許容するような矛盾を含む側面に関心を寄せている。いわばドストエフスキーの文学のうちもっとも問題の多い要素こそが、現代作家の文体加工にとってもっとも有意義で生産的素材なのである。
b)作家たちはドストエフスキーの文体を、単に彼個人に関わる現象としてではなく、ロシア的メンタリティの特性の表象と受け止めている。ドストエフスキーの文体模写は、いわばロシア人のロシア性(ルスコスチ)の端的な表現に利用されている。
c)多くの作家にとってドストエフスキーの文学は、ロシア社会における文学の特殊な地位を典型的に示すものである。「文学中心主義」の概念で表される諸現象――文芸が人々に現実の見方を教え、彼らの行為に影響を与え、自己表現の方法を提供し、ひいては現実に変わる疑似現実を提供する、といった作用――が、この章で見た作家たちだけではなく、ガルコフスキー、マカーニンといった多くの作家によって、ドストエフスキー文学との関連で問題にされている。彼の作品の文体模写は、いわばロシア的文学中心主義の非常に自意識的な実演行為である。


むすび


 以上、現代ロシアの文学作品におけるドストエフスキー・イメージのうち、有意味だと思われるケースを拾いあげてみた。古典作家やその作品が意味のある形で現代作品の中に登場するという現象が、あまり一般的なものとは言えない以上、ドストエフスキーが現代作家の自己表現に特殊な意味を持つという本論の仮説は、ある程度確かめられたと思う。
 本論の作業は、それぞれの作品や作家個人にとってのドストエフスキー・イメージの意味役割を検討することを中心とした。その際、各作家がドストエフスキーを全体としてどう評価しているかということよりも、どのような点に自らの創作にとっての応用可能性や生産性を見いだしているかに注目しようとした。結果として得られた図柄は、かなりの個別差を含んでいる。しかし差異を前提とした上での条件付きの一般化を行うならば、以下のことが言えそうである。
 a)ドストエフスキーと彼の作品に関しては、久しく紋切り型のイメージ群が定着している。従って現代作家がドストエフスキーを扱う場合、それが定型イメージの二次加工、三次加工であるという意識と、そのための方法論を持つことが前提となる。
 b)文学の二次的利用一般に言えることだが、しばしばオリジナルの整合的で積極的な側面よりも、矛盾や多義性をはらんだ側面の方が、利用者・加工者にとって生産的である。
そうした側面の代表例が、人格としての地下室人、現象としての人格分裂や幻想、思想としてのロシアの理念である。
 c)ドストエフスキーの文体は、今日でも魅力的な利用・加工素材である。なかでも優れた文体模写は、ガルコフスキー流のロシア論への積極的展開のケースも、ソローキン流のパロディ風デフォルメのケースも、必ず自己言及的な形式と内容の相応という側面を持つ。
 d)ドストエフスキーの創作は、ロシアにおける文学の呪縛、文学と現実の密な関係性のシンボルのように見なされている。ある者は文学による現実社会のシミュレーションや思想的実験の例として、またある者は文学の読者への感化力・影響力の例として、ドストエフスキー文学に言及している。
 e)上のすべてと関連して、ドストエフスキーへの言及は、言及する者たちのロシア作家(ロシア語作家)としての自意識と、密に関係している。マカーニン、ガルコフスキー、アイトマートフ、ピエツフ、ヴィトゥフノフスカヤ、ソローキンといったきわめて異なった作家たちが、ロシア文学やロシア語の問題、あるいはロシアの思想や文化の問題を、ドストエフスキーの人格や文学の問題と重ね合わせてイメージしている。そこには自己へのこだわりと同質の要素があり、ドストエフスキーへの言及は常に幾分か自己弁明、自己韜晦、自己嫌悪、自己賛美といった心理作用を伴っていると感じられる。
 もちろん、本論の作業は分析対象の数も分析手法も限られており、ここで得られた認識はさらに修正・補完されるべきである。またこのような認識を総合して、現代文化におけるドストエフスキーの意味、あるいはロシア社会における文学的伝統の役割といった、一般的な議論に展開していくことの必要性や意義は、論者の視野にも入っている。しかし創作が基本的に個人の作業であること、そして作家は社会的人間としての理念や生き方に沿ってではなく、作品の作者の立場から創作の題材を選択するものであることをふまえると、個々の作品から文芸一般論へ、さらに社会論へと展開するには慎重な方法論の検討が必要であろう。
 それらを今後の課題としたい。


 【付記:この文章を書いた後、筆者はここにあげたものと並べて検討すべきいくつかの文学作品に出会った。そこには1870年代の雰囲気再現にドストエフスキーのテキストを利用したボリス・アクーニンの歴史推理小説、フョードル・ミハイロフなる作者が現代モスクワを舞台に描いた『白痴』のリメイク37のほか、セルゲイ・ボルマット、ミハイル・イワノフ、エゴール・ラードフ、アレクセイ・スラポフスキー、ワレリー・ザロトゥーハ、ミハイル・シシキンなどの作品が含まれている。またトルストイやチェーホフら古典作品の続編やヴァリアントを書くブームについても、同じ枠組みの中で論じることができるだろう。従って、本稿はまだまだ大きな改訂の余地を残している。】


テキスト


А: Тоестьлстой пришел очень скоро. Он прошел прямо на кухню. Он спросил из кухни: А что,
она здесь была? . Она здесь была, а что? . Сказал Додостоевский. Тоестьлстой вышел из кухни и направился в туалет. Додостоевский увидел его и перекрыл ему путь. Тоестьлстой двигался медленно, у него был переполнен мочевой пузырь и желудок. Когда они столкнулись, Додостоевский хотел взять его за горло, но Тоестьлстой мгновенно свернулся в клубок. У него 37 Boris Akunin, Seriia <Prikliucheniia Erasta Fandorina>, Moscow <Zakharov>, 1998-2000;
Fedor Mikhailov, Idiot, Moscow <Zakharov>, 2001.
был очень сильный спинной мускул, и Додостоевский никак не мог его разжать. Тогда он покатил клубок к ванной, и пока набирал воду, держал Тоестьлстого ногой. Когда ванна наполнилась, он кинул в нее Тоестьлстого, и тот мгновенно развернулся в воде. Додостоевский опасался, что вот-вот придет Ирра, и хотел поскорее закончить. Тоестьлстой не мог свернуться в клубок в воде, и Додостоевскому было уже легче справиться с ним. Когда он сжал ему горло, Тоестьлстой сказал: Дурак. Додостоевский не отпускал его, и Тоестьлстой сказал: Пусти, дурак . и Додостоевский сказал: Сам дурак! . и Тоестьлстой не ответил, и Додостоевский увидел, что уже удушил его. И т.д. (План первого ..., 61)


B-1:


(Последняя старуха ..., 12-13)


B-2: ОН . ГЕНИЙ, А Я . ЗЛОДЕЙСТВО.
   ОН ГЕРОЙ. А Я РЕВОЛЮЦИИ ЖДУ, ЧТОБ В СВОЕМ ГЕРОИЗМЕ ОСУЩЕСТВИТЬСЯ.
   ТО ЕСТЬ УЖЕ НЕ ГЕРОИЗМ, ЧТОБ РЕВОЛЮЦИЮ СВЕРШИТЬ, ПРИЧИНОЮ НУЖЕН И КАЧЕСТВОМ НЕОТЪЕМЛЕМЫМ, А НАОБОРОТ ВСЕ... ОН ГЕНИЙ. А Я ЗЛОДЕЙСТВО.
   ТАК ОН МЕНЯ ЗАДЕЛ, ЧТО Я СТАЛ НЕДОСТОИН МИССИИ СВОЕЙ И УНИЗИЛСЯ ДО
САМОУТВЕРЖДЕНИЯ ТО ЕСТЬ ДО ТОГО ДОШЕЛ, ЧТО ЧЕРЕЗ МИССИЮ ЗАДУМАЛ САМОУТВЕРДИТЬСЯ.
(..................................................................................)
   Он же подлец и сволочь большая. Редкая сволочь.
   Во-первых, он маму мою в себя перевоплотил по причине желания смены пола. (Значит,
гомосексуализм какой-то или что-то равно преследуемое здесь было).
   Во-вторых, он за деньгами ко мне пришел. 117 рублей ему надо было.
Т   ак, ни с того, я бы ему, ясно, не дал. А горем пренебречь не могу. Чувствительный я. Это он вызнал.
   А про апелляцию и расстрел он заранее знал и просчитал все. Поэтому никакого благородства в нем не было, но хитрость гениальная. Все передачи, что я ему в тюрьму прислал, он продал,причем денег на том поимел 123 рубля, т.е. на 6 рублей больше, что говорит еще о каком-то обмане, потому что цены на продукты у нас стойкие. Много лет.
   А деньги ему нужны были . в карты играть, потому как страсть непреодолима.
   А играет он с такими же мертвецами, аферист, темнит, хитрит и все равно наверняка
проигрывает, в чем фатальность и рок очевидные. Но бессмысленно осознание их, потому как страсть непреодолима.
   За деньгами пришел. Подлец он и сволочь большая. И водка у меня из дома пропала. Значит, не так ТАМ все бесплотно. Это меня успокаивает. И от комплексов он меня враз избавил своей подлостью явственной. Все хорошо теперь.
   'Только, думаю я, стоит ли спасать Русскую Литературу?.." . так рассуждал Сутуленький
Инженерик. (Последняя старуха ..., 41-45)


C: Актер, остановившийся у таблички .Мармеладовь", медленно поднял руку и нараспев
заговорил:


-Я .- Мармеладов. Сказать по секрету,
мне уже некуда больше идти.
Долго ходил я по белому свету,
но не увидел огней впереди.
Я заключаю по вашему взгляду,
что вам не чужд угнетенный народ.
Может быть, выпьем? Налить вам?
- Не надо.


   Актер с топором отвечал так же распевно, но басом; заговорив, он поднял руку и вытянул ее в сторону Мармеладова, который, быстро налив себе рюмку и опрокинув ее в отверстие маски,продолжил:

- Как вам угодно. За вас. Ну так вот,
лик ваш исполнен таинственной славы,
рот ваш красивый с улыбкой молчит,
бледен ваш лоб и ладони кровавы.
А у меня не осталось причин,
чтоб за лица неподвижною кожей
гордою силой цвела пустота,
и выходило на Бога похоже.
Вы понимаете?
- Думаю, да...


Меня пихнул локтем Жербунов.
- Чего скажешь? . тихо спросил он.
- Рано пока, . ответил я шепотом. . Дальше смотрим.
   Жербунов уважительно кивнул. Мармеладов на сцене говорил:

- Вот. А без этого . знаете сами.
Каждое утро . как кровь на снегу.
Как топором по затылку. Представить
можете это, мой мальчик?
- Могу.

- В душу смотреть не имею желанья.
Там темнота, как внутри сапога.
Словно бы в узком холодном чулане.
мертвые женщины. Страшно?
- Ага. Что вы хотите? В чем цель разговора?
- Прямо так сразу?
- Валяйте скорей.
- Может, сначала по рюмке ликера?
- Вы надоедливы, как брадобрей.Я ухожу.
- Милый мальчик, не злитесь.
- Мне надоел наш слепой разговор.
Может быть, вы наконец объяснитесь?
Что вы хотите?
- Продайте топор...


   Я тем временем оглядывал зал. За круглыми столиками сидело по трое-четверо человек; публика была самая разношерстная, но больше всего было, как это всегда случается в истории человечества, свино-рылых спекулянтов и дорого одетых блядей. За одним столиком с Брюсовым сидел заметно потолстевший с тех пор, как я его последний раз видел, Алексей Толстой с большим бантом вместо галстука. Казалось, наросший на нем жир был выкачан из скелетоподобного Брюсова. Вместе они выглядели жутко.
   Я перевел глаза и заметил за одним из столиков странного человека в перехваченной ремнями черной гимнастерке, с закрученными вверх усами. Он был за столиком один, и вместо чайника перед ним стояла бутылка шампанского. Я решил, что это какой-то крупный большевистский начальник; не знаю, что показалось мне необычным в его волевом спокойном лице, но я несколько секунд не мог оторвать от него глаз. Он поймал мой взгляд, и я сразу же отвернулся к эстраде, где продолжался бессмысленный диалог:


- ...Что? Да зачем?
- Это мне для работы.
Символ одной из сторон бытия.
Вы, если надо, другой украдете.
Краденым правильней, думаю я?
- Так... А я думаю . что за намеки?
Вы ведь там были? За ширмою? Да?
- Знаете, вы, Родион, неглубоки,
хоть с топором. Впрочем, юность всегда
видит и суть и причину в конечном,
хочет простого . смеяться, любить,
нежно играет с петлею подплечной.
Сколько хотите?
- Позвольте спросить,
вам для чего? . Я твержу с первой фразы .
сила, надежда, Грааль, эгрегор,
вечность, сияние, лунные фазы,
лезвие, юность... Отдайте топор.
- Мне непонятно. Но впрочем, извольте.
- Вот он... Сверкает, как пламя меж скал...
Сколько вам?
- Сколько хотите.
- Довольно?
- Десять... Пятнадцать... Ну вот, обокрал.
Впрочем, я чувствую, дело не в этих
деньгах. Меняется что-то... Уже
рушится как бы... Настигло... И ветер
холодно дует в разъятой душе.
Кто вы? Мой Бог, да вы в маске стоите!
Ваши глаза . как две желтых звезды!
Как это подло! Снимите!
Мармеладов выдержал долгую и страшную паузу.

- Снимите!

   Мармеладов одним движением сорвал маску, и одновременно с его тела слетел привязанный к маске хитон, обнажив одетую в кружевные панталоны и бюстгальтер женщину в серебристом парике с мышиной косичкой.


- Боже... Старуха... А руки пусты...


   Раскольников произнес эти слова еле слышно и рухнул на пол с высоты своих котурнов.(Чапаев и Пустота, 30-33)


D: НАСТАСЬЯ ФИЛИППОВНА. Я сожгу все деньги! Все кассы и банки! Все монетные дворы мира!
   ГАНЯ. Я выстрою замок на вершине Эвереста! Там, где только льды и облака! Он будет дороже всех замков мира! Его фундамент будет из платины! Стены из бриллиантов и изумрудов! Крыша из золота и рубинов! Каждое утро я буду выходить на нефритовую террасу моего замка и бросать вниз людям драгоценные камни! И люди внизу будут ловить их и кричать: "Слава тебе, Ганя Иволгин, Самый Богатый Человек Мира!"
   РОГОЖИН. Я хочу всех женщин мира! Я чувствую их! Я знаю и люблю каждую из них! Я должен оплодотворить их всех! Это цель моей жизни! Мой божественный хуй светится в темноте! Моя сперма клокочет, как лава! Ее хватит на всех женщин мира! Подводите ко мне женщин! Я оплодотворю всех! Всех! Всех!
   НАСТАСЬЯ ФИЛИППОВНА. Я построю замечательную совершенную машину! Она, как стальной великан, будет идти по земле и сжигать! Идти и . сжигать! Я буду управлять моей машиной! Я сожгу города и деревни! Леса и поля! Реки и горы!
   КНЯЗЬ. В моем организме 3265150 нервов! Пусть к каждому из них привяжут скрипичную струну! 3265150 скрипичных струн протянутся от моего тела во все стороны света! Пусть 3265150 детей-сирот возьмут 3255150 скрипичных смычков и прикоснутся к струнам! О, эта Боль Мира! О, эта музыка страданий! О, эти худые детские руки! О, натянутые нервы мои! Играйте, играйте на
мне все сироты и обездоленные, все униженные и оскорбленные! И да будет ваша боль . моей Болью!
   ВАРЯ. Я подниму в воздух прекрасный корабль под названием "Любовь Сестры"! Он будет серебристым и прозрачным, легким, как воздух, и твердым, как алмаз! Я поднимусь на нем в небо над подлостью и мерзостью мира, я крикну на весь мир: "Любимые сестры! Невинные сестры! Сестры, в ком жива Бескорыстная Любовь Сестры! Идите ко мне! Я заберу вас из мира зла в мир
Добра и Света!" И они придут и встанут внизу! И я спущу им серебряную лестницу! И они поднимутся ко мне!
   ЛЕБЕДЕВ. Я превращусь в громадную стальную свинью! Мои передние лапы будут лапами крота! Я буду жить под землей и только ночью вылезать на поверхность, чтобы пожирать нечистоты мира! Я оплету Землю сетью подземных ходов! Ночью я буду пожирать помойки и выпивать канализации! И под моей стальной кожей будет откладываться тяжелое свинцовое сало! И только язык мой останется человеческим, нежным, розовым и влажным! Днем, переваривая нечистоты, я высуну на поверхность только язык и буду облизывать подошвы графов и князей, маркизов и баронов!
   ИППОЛИТ. Я обману смерть! Я найму лучших ученых мира, чтобы они сделали Нового Меня!
Нового, Вечного Ипполита! О, это будет грандиозная работа! Ее сделают 165 научных институтов под руководством 28 академиков . лауреатов Нобелевской премии! За две недели, которые остались моему гниющему телу, они изготовят Новое Вечное Тело Ипполита Терентьева! Оно будет создано из самых прочных и долговечных материалов! Оно будет сиять, как солнце! Оно будет сильным и молодым! От него во все стороны проистекут лучи Радости и Оптимизма! И когда мое старое тело забьется в смертельной агонии, лучшие нейрохирурги мира вынут мой Неповторимый Мозг из старого тела и поместят его в Новое! И я встану и возьму своими крепкими новыми руками старое тело Ипполита Терентьева и с хохотом брошу его в пасть старухи-смерти! И когда ее желтые зубы начнут жевать мое старое тело, я, Молодой и Вечный, буду хохотать и плевать в ее безглазую морду! Хохотать и плевать!
     ГАНЯ. Эй, людишки внизу! Ловите, ловите бриллианты и изумруды! Ловите сапфиры и рубины! О, как они сверкают в лучах восходящего солнца! Сверкают и падают вниз! А там, людишки, похожие на муравьев, суетясь, ловят их! (Кидает.) Левой рукой . бриллианты! Правой
- изумруды! Левой - бриллианты! Правой . изумруды! Ха-ха-ха! (Dostoevsky -Trip, 29-32)


Е: Достоевский-2


Граф Решетовский


     В самом конце июля в третьем часу пополудни, в чрезвычайно дождливое и не по-летнему промозглое время, забрызганная дорожной грязью коляска с накидным верхом, запряженная парою невзрачных лошадей, перекатила через А-в мост и остановилась на Г-ой улице возле подъезда серого дома в три этажа и все это было до чрезвычайности как это не совсем-с и про куриное слово про куриное слово совсем уж не хорошо.
     Из коляски вышли два солидных господина, одетых, впрочем уже не по-летнему, да и не по-петербургски: Степан Ильич Костомаров, советник госдепартамента по особым поручениям был одет в короткий овчинный тулуп, подпоясанный дохлою, но чрезвычайно длинною змеею желто-черного окраса, члены другого . богатого наследника рано умершего генерала и посему .
человека без определенных занятий Сергея Сергеевича Воскресенского были обтянуты узким пестрым шелком на манер венецианских арлекинов, дающих представления на площадях когда он имел удовольствие выказывать свое а она эта подлая тварь совсем уж.
     Бывают иные люди, один вид которых действует на нас как-то внезапно подавляюще и умиляюще, отчего грудь сжимается и беспричинные слезы выступают на глазах и это очень жалко-с если человек предрасположен а к чему это уж сами постарайтесь понять не негодная ведь.
     Такое точно впечатление на немногочисленных прохожих произвели своим появлением Костомаров и Воскресенский; двое простолюдинов, студент и пожилая дама остановились, как вкопанные в землю столбы, столбы столбы столбы-с столбы, да, верстовые столбы, и с нескрываемым волнением проводили глазами удивительную пару до самого подъезда.
Трехэтажный дом этот принадлежал графу Дмитрию Александровичу Решетовскому и был одним из тех замечательных в своем роде домов, к коим по вторникам или четвергам, как пчелы к улью, да, как проворные, хлопотливые пчелки к новому, добротно обделанному улью хотя ульи имеют
разную конструкцию есть колоды есть домики и борть и земляные ульи-с и так изволит тянуться тянется светская петербургская публика. Впрочем, так как была среда, визитеров встретил не швейцар в расшитой золотом ливрее, а хромой казак Мишка, верный ординарец графа, прошедший с ним всю турецкую кампанию и ставший для графа своеобразным Санчо Пансой, однако это полная катастрофа и нельзя же представить его положение и по положению вовсе не обязан быть подноготным кавалергардом или просто скверным человеком а по-русски .
подлецом. (Голубое сало, 32-34)


1 “Dostoevskii i kanun XXI veka,” Znamia 7 (1990), pp. 205-218.
2 Iu. F. Kariakin, Dostoevskii i kanun XXI veka, Moscow, 1989.
3 V. N. Zakharov (red.), F. M. Dostoevskii: Polnoe sobranie sochnenii (Kanonicheskie teksty),
Petrozavodsk, 1995-
4 http://www.karelia.ru/~dostoevsky/main_a.htm
5 I. L. Volgin, Roditsia v Rossii: Dostoevskii i sovremenniki (Zhizn’ v dokumentakh), Moscow,
1991.
6 I. L. Volgin, Metamorfozy vlasti: Pokusheniia na rossiiskii tron v XVIII . XIX vv., Moscow,
1994.
7 L. I. Saraskina, “Besy”: Roman-preduprezhdenie, Moscow, 1990 / L. I. Saraskina, Fedor
Dostoevskii. Odolenie demonov, Moscow, 1996.
8 V. N. Zakharov (red.), Evangel’skii tekst v russkoi literature XVIII . XX vekov, Petrozavodsk,
vypusk 1,2: 1994/1998; K. A. Stepanian (red.), Dostoevskii v kontse XX veka, Moscow, 1996; T. A.
Kasatkina, Kharakterologiia Dostoevskogo, Moscow, 1996; A. N. Strizhev (red.), F. M. Dostoevskii
i pravoslavie, Moscow, 1997.
9 Vladimir Maliagin, “Dostoevskii i tserkov’”: A. N. Strizhev (red.), F. M. Dostoevskii i
pravoslavie, pp.9-30.
10 T. I. Kasatkina, “Ob odnom svoistve epilogov piati velikikh romanov Dostoevskogo”: K. A.
Stepanian (red.), Dostoevskii v kontse XX veka, pp. 67-136.
11 I. P. Smirnov, Psikhodiakhronologika: Psikhoistoriia russkoi literatury ot romantizma do
nashikh dnei, Moscow, 1994.
12 E. G. Etkind, <Vnutrennii chelovek> i vneshniaia rech’: Ocherki psikhopoetiki russkoi literatury XVIII . XIX vv., Moscow, 1998.
13 V. Podoroga, “Chelovek bez kozhi,” Ad Mrginem 93, Moscow, 1994; M. Iampol’skii,
.Konvul’sivnoe telo: Gogol’ i Dostoevskii”: M. Iampol’skii, Demon i labirint, Moscow, 1996.
14 G. A. Levinton, “Dostoevskii i <nizkie> zhanry fol’klora”: N. A. Bogomolov (red.), Anti-mir
russkoi kul’tury: Iazyk, fol’klor, literatura, Moscow, 1996.
15 Aleksei Eissner, “Iz vospominanii o Dostoevskom,” Znamia 11 (1991); “Ustnyi rasskaz F. M.
Dostoevskogo: Iz arkhiva E. N. Opochinina,” Novyi mir 4 (1992).
16 Grigorii Chkhartishvili, “Prilozhenie: Somneniia Dostoevskogo. Neobkhodimoe ob’’iasnenie, ”
in his Pisatel’ i samoubiistvo, Moscow, 1999.
17 Iu. V. Mamleev, “Tetrad’ Individualista”: Viktor Erofeev (red.), Russkie tsvety zla, Moscow,
1997, pp.117-139. 以下引用に際しては、このテキストのページを付記する。
18 V. S. Makanin, “Andegraund, ili Geroi nashego vremeni,” Znamia 1-4 (1998). 以下引用に際し
ては、掲載紙の号数とページ数を付記する。
19 Ch. T. Aitmatov, “Plakha,” Novyi mir 6,8,9 (1986). 引用はCh. T. Aitmatov, Plakha,Frunze,
1987 のページ数を示す。引用には、佐藤祥子訳チンギス・アイトマートフ『処刑台』(群
像社、1988)を参照した。
20 V. S. Makanin, .Laz,” Novyi mir 5 (1991). 邦訳(望月試訳)V.マカーニン「抜け穴」『現代ロシア文学作品集』(北大露文&スラブ研究センター)2-3(1993,94)。
21 D. Galkovskii,“Beskonechnyi tupik,” Kontinent 81 (1995); D. Galkovskii, Beskonechnyi tupik,Moscow, 1997. 引用では前者(雑誌版エッセイ)をG.1、後者をG.2 と表現する。
22 M.バフチン(望月、鈴木訳)『ドストエフスキーの詩学』(筑摩書房、1995)第五章「ド
ストエフスキーの言葉」、第二章「ドストエフスキーの創作における主人公・・・・・・」、第三
章「ドストエフスキーのイデエ」および解説参照。
23 F. N. Gorenshtein, “Spory o Dostoevskom,” Teatr 2 (1990), pp.13-50.
24 Iurii Kuvaldin, “Pole bitvy . Dostoevskii,” Dryzhba narodov 8 (1996), pp.13-51.
25 Viacheslav P’etsukh, “Novaia moskovskaia filosofiia,” Novyi mir 1 (1989), pp.54-124.
26 D. A. Prigov, “Zakony literatury i iskusstva”: D. A. Prigov, Napisannoe s 1975 po 1989,
Moscow, 1997.
27 V. T. Shalamov, “Krasnyi krest”: V. T. Shalamov, Voskreshenie listvennitsy, Moscow, 1989. 訳
28 V. S. Narbikova, “Plan pervogo litsa. I vtorogo”: V. S. Narbikova, Izbrannoe: Shepot shuma,Paris-Moscow-New York, 1994.
29 L. Saraskina, “F. Tolstoevskii protiv F. Dostoevskogo,” Oktiabr’ 3 (1992), pp.187-197.
30 Daniil Kharms, “Pushkin i Gogol’”: Daniil Kharms, Polnoe sobranie sochnenii, Tom 2,
Sankt-Peterburg, 1997. p. 333.
31 Alina Vitukhnovskaia, Posledniaia starukha-protsentshchitsa russkoi literatury, Moscow, 1996.
32 Viktor Pelevin, “Capaev i Pustota,” Znamia 4-5 (1996). 引用の際はこの雑誌の巻数とページを付記する。
33 Viktor Pelevin, Generation “P”, Moscow, 1999. P. 180-181.
34 Vladimir Sorokin, Dostoevsky-Trip, Moscow, 1997.
35 Vladimir Sorokin, Goluboe salo, Moscow, 1999.
36 Vladimir Sorokin, Norma, Moscow, 1994 / Roman, Moscow, 1994.