イリインスカヤ:Ильинская
ワレンチナ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ラゾ地区退役軍人評議会代表。97年12月7日に実施されたハバロフスク地方議会代議員選挙にロシア連邦共産党から立候補し、47.36%の得票率で当選。


イリエンコフ:Ильенков
アレクサンドル、И.
生年月日 1937.05.13
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 大卒後、コムソモールraikom書記、次いでコムソモールobkom第2書記に選出され、コムソモールで8年間働く。後に農業大学を卒業し、家畜の専門家となる。集団農場のobkom書記として党活動を開始し、65年raikom、obkomの第1書記をつとめ、地方執行委員会議長となる。88年モスクワ公安委員会副議長に任命される。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。


イリチェフ:Ильичев
セルゲイ、Н.
生年月日 1953.01.01
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 医療機関付け医者。95年12月ハバロフスク地方議会補欠選挙に立候補し当選。


イリューシン:Илюшин
ヴィクトル、В.
生年月日 1947.06.04
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 スヴェルドロフスク州ニージニー・タギルで労働者の家庭に生まれる。ウラル工科大学(電気機械学専攻)及びソ連共産党中央委員会付属社会科学大学を卒業。妻と1男1女。スポーツはテニス。技師からコムソモール専従活動家に転身、75年からコムソモール・スヴェルドロフスク市委員会第1書記、同スヴェルドロフスク州委員会第1書記。イリューシンとエリツィンは、党中央委員会およびモスクワのgorkomで僚友であった。エリツィンがモスクワに出た後は共産党中央委員会とモスクワ市委員会でその補佐官を勤める。その後はエリツィン・ロシア最高会議議長の補佐官、事務局長を経て91〜92年エリツィン大統領の事務局長。イリューシンはエリツィンの最も身近な同僚であり、最も影響力を持つとされる。大統領の毎日のスケジュールを組んでいる。92年5月8日、大統領首席補佐官に就任。94年11月23日より95年3月まで大統領報道官兼任。96年8月15日、社会問題担当で連邦雇用局、1つの省に統合された労働・社会保護省を監督する連邦第1副首相に任命される。同8月21日、ロシア大統領首席補佐官解任。ロシア政府政令No.1051(96.9.9)により政府業務委員会副議長に任命される。96年9月25日、大統領令により、社会労働関係の調整に関する3者委員会のコーディネーターに任命される(97年4月解任)。97年3月17日、連邦第1副首相解任。


イリューヒン:Илюхин
ヴィクトル、И.
生年月日 1949.03.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 ペンザ州生まれ。妻と子供2人。サラトフ法科大学卒業。66年、木材企業勤務をはじめる。71〜72年、太平洋艦隊で兵役に就く。71〜82年、ペンザ州検察機関で要職を歴任。82〜86年、ペンザ州副検事長。86〜89年、検察機関の幹部職を歴任。91年11月から「プラウダ」の時事解説者として働く。93年7月から94年4月まで救国戦線共同議長。93年12月、第1期国家会議代議員に当選し、94年1月には下院安全保障委員会議長に就任(96年1月再任)。小選挙区から選出される。ロシア連邦共産党会派のメンバー。ロシア連邦共産党中央委員会幹部メンバー。95年12月の第2期下院選挙でペンザ州ペルヴォマイスキー選挙区から当選。98年7月8日、殺害されたロフリン将軍の後任として「軍・防衛産業・軍事科学支援」運動議長に選出。


イリユシェンコ:Ильюшенко
アレクセイ、Н.
生年月日 1957.09.23
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 ケメロヴォ州アンジェロ・スージェンスク生まれ。極東の海兵隊で兵役。79年にクラスノヤルスク大学法学部を卒業した後、クラスノヤルスク検察機関に勤務、86〜89年クラスノヤルスク地方キーロフ地区副検事。89年秋、クラスノヤルスクからモスクワのロシア最高検察庁に移され、最初は民警機関での法執行を監視する機関、次いで90年4月から民族間関係に関する法律の遂行を監視する新設の部(検事総長直属の部)で働き、92年2月から同部副部長。93年3月20日、ユーリー・ボルドィレフの後任として大統領府監督局長に就任(94年2月26日解任)。93年春から腐敗取り締まり省庁間委員会のメンバーになり、アンドレイ・マカロフ弁護士と共同で「ルツコイのトラスト契約書」に関する書類を作成。しかしこの書類は事実の裏付けがなく、その後モスクワ検察庁はルツコイ氏に対する刑事訴訟法の定める手続きを停止。94年2月エリツィンは大統領令によってイリユシェンコを検事総長代行に任命、上院立法委員会は憲法違反としてそれに抗議(憲法の規定では、検事総長の任免は上院の専管事項であり、検事総長以外の検事の任免は検事総長の専管事項)。94年3月と11月エリツィンはイリユシェンコの検事総長任命を上院に求めたが、上院はこれを拒否。94年10月末、92〜93年に発生したドイツ駐留軍内部の腐敗に関する報告書をエリツィン大統領に提出していた当時の大統領府監督局長ボルドィレフはこれに反論し、自分の後で監督局長になったイリユシェンコがセルゲイ・ステパシン連邦防諜局長官(当時)と共同してドイツ駐留軍事件の捜査を打ち切らせたと語る。95年10月検事総長代行解任。96年2月、収賄と私利私欲のために地位を悪用した容疑で逮捕される。


イリュムジノフ:Илюмжинов
キルサン、Н.
生年月日 1962.04.05
性別
国籍 カルムク人
学歴 大学卒
考察 父親は技師、母親は獣医。カルムイク自治共和国(現カルムイキア共和国)の首都エリスタで中等学校を終え、同地の工場で組立工として働く。その後モスクワ国際関係大学卒業。79〜80年工場労働者。80〜82年ソビエト軍勤務。対外経済関係の専門家になり、起業活動に意欲的に従事。89〜90年ソビエト・日本合同企業「リコーラドガ」専務。90〜93年「サン」社会長。90〜93年ロシア連邦最高会議代議員。最高会議国際問題、対外経済関係委員会委員。資格審査委員会委員。スメナ-新政策会派に所属。93年4月11日、カルムイキヤ=ハリムグ・タングチ共和国大統領に就任。12月選挙で連邦会議代議員に当選。無所属。連邦会議農業政策委員会委員。92年ロシア企業家会議所会頭。91年のソ連共産党の活動停止まで党員。95年8月14日、カルムイキヤ共和国立法議会は同大統領の任期を2000年まで延長する決定を採択したが、同大統領は翌日同共和国国民フラル(会議)の会議で、繰り上げ大統領選挙実施を発表し、同年10月15日、投票参加者の84%の支持を受け再選され(任期7年)、21日就任式が行われた。95年国際チェス連盟会長に就任。第2期連邦会議国際問題委員会委員。家族構成は妻、子供1人


イロフスキー:Иловский
ウラジーミル、С.
生年月日 1954.01.20
性別
国籍 ユダヤ人
学歴 大学卒
考察 無党派。大卒後、教師となる。91年5月ロシア最高会議議長の命により、土地改革実施期間中、ロシア共和国最高会議の改革の成功を助けるために、地方に設けられた土地改革実施・監督組織の責任者に任命される。同年7月、第5回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。


イワキン:Ивакин
ユーリー、С.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 93年9月までロシア連邦年金基金第1副総裁をつとめる。


イワニュタ:Иванюта
レオニード、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ハバロフスク地方行政副長官をつとめる。


イワネンコ:Иваненко
セルゲイ、В.
生年月日 1959.01.12
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 93年12月の選挙で第1期国家会議代議員に選出され、94年1月に下院財産・民営化・経済活動委員会副議長に就任する。政治・経済研究センター主要研究員として働く。「ヤブロコ」会派所属。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。96年1月から「ヤブロコ」副議長。96年1月16日まで工業・建設・運輸・エネルギー委員会副議長。96年1月16日から96年3月20日まで同委員会委員。96年3月20日より第2期国家会議環境委員会委員。


イワネンコ:Иваненко
アレクサンドル、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 国有財産管理国家委員会第1副議長をつとめる。96年6月25日、同職解任。


イワネンコ:Иваненко
アナトリー、И.
生年月日 1939.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 61年(在ウッスリースク)沿海地方農業大学卒業。68年沿海地方のソフホーズで畜産技師長として働く。68〜71年チェルニゴフスキー地区で畜産を指導する。じきに企業合同「スヴィノプロム」に部長として移り、その後、副合同長に任命される。75〜86年沿海地方執行委員会農業局牛乳生産・畜産諸問題部副部長として働く。87年党raikom第1書記をつとめる。90年地方執行委員会副議長として沿海地方農業経営指導に復帰する。91年沿海地方行政府農業局長に任命される。


イワノフ:Иванов
セラフィム、И.
生年月日 1932.03.18
性別
国籍 ロシア人
学歴 不明
考察 集団農場で働き、後に経理士となる。69年集団農場の責任者。74年党中央委員会の高等政治学院を卒業。地方代議員、地方執行委員会、raikomなどにも選出される。90年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。93年9月まで最高会議農村の社会的発展・農業問題・食糧委員会小委員会議長。


イワノフ:Иванов
セルゲイ、Н.
生年月日 1951.07.21
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 72年法学院を卒業。検察官として働く。国境警備隊に従軍した後、地方の検事に任命される。市ソビエト執行委員会で要職につき、82年から法学院で教職に就く。専門分野は、ソビエト選挙制度改革問題など。91年7月、第5回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。93年9月まで最高会議国防・安全保障問題委員会小委員会議長。


イワノフ:Иванов
ニコライ、В.
生年月日 1952.05.30
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議委員に当選。地区農業局長として働く。ロシア農業党会派のメンバー。国家会議経済政策委員会委員。95年10月、公務就任との関連で、下院議員権限を期限前に停止決定。


イワノフ:Иванов
ユーリー、П.
生年月日 1944.07.15
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で第1期国家会議代議員に比例区から当選。弁護士として働く。ロシア連邦共産党会派のメンバー。96年2月から農業党会派のメンバー。第1期及び第2期国家会議情報政策・通信委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。第2期国家会議立法・司法改革委員会委員。代議員資格審査委員会委員。


イワノフ:Иванов
ウラジーミル、П.
生年月日 1946.08.25
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に選出される。医師、協同組合長、ロシア自由民主党地域組織のリーダーとして働く。国家会議財産・民営化・経済活動委員会委員。国家会議代議員資格審査委員会委員。


イワノフ:Иванов
ヴィクトル、П.
生年月日 1938.03.17
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。新聞の副編集長として働く。ロシア自由民主党会派のメンバーとして働く。国家会議活動組織委員会委員。


イワノフ:Иванов
ヴィクトル、П.
生年月日 1943.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年10月より連邦化学・石油化学工業委員会議長をつとめる。同委員会は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって、産業省に統合され、廃止。


イワノフ:Иванов
キリル、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 対外経済関係省次官、ロシア国際協力開発機関第1副長官をつとめる。


イワノフ:Иванов
イーゴリ、С.
生年月日 1945.09.23
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 モスクワ市生まれ。69年モスクワ外国語教育大学卒。69〜73年、ソ連科学アカデミー世界経済・国際関係研究所初級研究員。73年ソ連外務省勤務。73〜77年、在マドリード・ソ連通商代表部上級技官。77〜83年、在スペイン・ソ連大使館一等書記官、参事官、公使。83〜89年、ソ連外務省で要職歴任。89〜91年、ソ連外務省官房長、同省幹部会メンバー。91〜94年、スペイン大使。94年9月、外務次官に就任。同年11月、同第1次官・大臣官房長官となる。98年8月23日付大統領令による内閣総辞職を受けて、同年9月11日、外相就任。同年10月、安全保障評議会メンバーに任命。同年10月5日、政府幹部会メンバー。


イワノフ:Иванов
パーヴェル、А.
生年月日 1942.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ヴォルゴグラード州行政副長官をつとめる。


イワノフ:Иванов
ボリス、П.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年1月までチタ州行政長官をつとめる。


イワノフ:Иванов
クリメント、Е.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 サハ(ヤクーチヤ)共和国最高会議議長をつとめる。


イワノフ:Иванов
イーゴリ、В.
生年月日 1937.09.13
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 北オセチア農業大学卒業。59年から71年中等学校教師、教師研修学校農業生産研究室長、全ソ連レーニン共産主義者青年会議市委員会第1書記、共産党obkom指導者、全ソ連レーニン共産主義者青年会議obkom第2書記を務める。71年から83年共産党raikom第2書記、チェルケス市委員会第1書記。83年から95年共産党カラチャイ・チェルケスobkom部長、市委員会第1書記、カラチャイ・チェルケスobkom書記、スタブロポリ運河開発局長を務める。95年6月26日、48歳でカラチャイ・チェルケス共和国人民会議議長に就任。第2期ロシア上院議員。第2期連邦会議社会政策問題委員会委員。


イワノフ:Иванов
ワシリー、В.
生年月日 1950.04.05
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 レニングラード州立法議会議長。ロシア上院議員。第2期連邦会議憲法・司法問題委員会委員。97年12月、同州議会議長から解任。


イワノフ:Иванов
イーゴリ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 トゥーラ州行政府法務局長を経て、96年10月17日、同州議会議長に就任。連邦会議メンバー。


イワノフ:Иванов
セルゲイ、Н.
生年月日 1956.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 79年トムスク工業大学卒業。79年ハバロフスク市のセルゴ=オルジョニキッゼ(名称)工場で働きはじめる。ボイラー機関士、副職長、一般問題に関する副ディレクター。90年から92年ハバロフスク市のキーロフ地区執行委員会副議長。92年2月からハバロフスク市キーロフ地区行政長官。政治的意見は中道主義者。


イワノフ:Иванов
アナトリー、П.
生年月日 1936.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学中退
考察 中等学校を卒業後、レニングラード鉄道輸送技術者大学に入学。専門は「鉄道運営」。配置によってスヴェルドロフスク鉄道に派遣される。技術者の免許を持っていたが、商品出納がかりとして働き始め、その後スヴェルドロフスク鉄道第1長官。85年から極東鉄道長官。ロシア鉄道アカデミー会員。「私は鉄道を愛している。そして、鉄道運輸の仕事全てに満足して携わってきた。私は人々に礼儀正しさと、約束を守る能力を認めている。」政治的意見は中道主義者。


イワノワ:Иванова
リュドミラ、А.
生年月日 1953.02.11
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 コストロマ教育大学、ゴーリキー党高等学校卒業。75〜80年コムソモールgorkomの指導員、書記、第1書記、82〜88年ソ連共産党gorkomの指導員、課長、88〜89年同obkom指導員をへて89〜90年同raikom書記をつとめる。90年にはサランスク市gorkom書記、90〜91年obkom政治的啓発の家副館長。92年からモルドバ共和国労働雇用省部長。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。ロシア連邦共産党員。連邦会議社会政策委員会委員。


イワノワ:Иванова
エレーナ、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 統計国家委員会副議長を務める。


イワンタエフ:Ивантаев
ピョートル、В.
生年月日 1942.01.01
性別
国籍 チュヴァシュ人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選するが、94年1月4日、中央選挙管理委員会決定により議員資格失効。チュヴァシ共和国農工コンプレクス労組委議長。


イワンチェンコ:Иванченко
レオニード、А.
生年月日 1942.06.09
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 ロストフ州生まれ。妻と娘1人。趣味は観劇と家庭菜園。ロストフ農業機械製作大学、党中央委員会社会科学アカデミー卒業。教授の称号を持つ。60年から技術・設計者として、65〜72年企業の技師として、その後党やソビエトの機関で働く。84〜86年ロストフ市執行委員会議長。86〜89年ソ連共産党ロストフobkom書記。90年からロストフ州執行委員会議長、同年3月18日からロシア連邦人民代議員大会代議員。90〜91年ロストフ州ソビエト議長。92年から株式会社総支配人。93年12月選挙で第1期連邦会議代議員に当選。ロシア連邦共産党員。連邦会議経済改革委員会委員。代議員グループ指導者。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。96年1月19日、国家会議連邦問題・地域政策委員会議長に就任。同年9月29日に実施されたロストフ州知事選挙で共産党候補として出馬したが、民主勢力候補のチュプ現知事に敗れる。


イワンチェンコ:Иванченко
アレクサンドル、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年7月9日より中央選挙管理委員会副議長をつとめる。95年3月新構成の同委員会副議長再選。96年11月14日、同委員会議長に就任。


インジノク:Индинок
イワン、И.
生年月日 1938.08.06
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 トムスク工業大学卒業。62〜81年研究・生産連合会「バストーク」の技師、実験室長、党委員会書記として働く。84〜89年ソ連共産党raikomやgorkomの第1書記、第2書記をつとめる。88〜91年ノヴォシビルスク市ソビエト執行委員会議長、同ソビエト議長。ノヴォシビルスク市行政長官を経て、93年10月5日、ノヴォシビルスク州行政長官代行、12月18日、州行政長官に就任。同年同月選挙で連邦会議代議員に当選。無所属。連邦会議連邦問題・連邦条約・地域政策委員会委員。95年12月、下院選挙と同時に実施された行政長官選挙に出馬するが、落選し、同年12月30日付けで解任。


インシャコフ:Иншаков
フョードル、Н.
生年月日 1947.06.14
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 集団農場で働き、66〜68年兵役につく。後に医科大学を卒業し、市民病院の医師となる。82年から外科部長。91年7月、第5回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。