ホメンコ:Хоменко
アレクサンドル、И.
生年月日 1949.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 株式会社「プリモルスキー・サハル」社長。97年12月7日に実施された沿海地方議会代議員選挙に立候補し、当選。


ポモロフ:Поморов
アレクサンドル、А.
生年月日 1931.05.22
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 54年ソ連共産党員。55年トムスク州企業生産管理技師、部隊内コムソモール委書記。56年トムスク市コムソモール委第1秘書60トムスク州シベリア科学コンビナート工場作業所長。有限会社「トムスク・プラスチック工場」社長。ロシア共産党中央委員会メンバー。90年から91年までソビエト共産党トムスク州会議第一秘書。90年7月から91年8月までソビエト共産党中央委員会メンバー。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。第2期国家会議軍民転換・ハイテク技術委員会副議長。


ポリヴァノフ:Поливанов
ウラジーミル、П.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 93年10月からアムール州行政長官代行をつとめ、同年12月18日、同州行政長官に就任。


ポリコフスキ−:Политковский
アレクサンドル、В.
生年月日 1953.09.15
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 大学でジャーナリズムを専攻し、卒業後、テレビ局で特派員として働く。人気番組Vzglyad(View)の鋭いレポーターぶりが評判。81〜90年党員。代議員選出時には、青少年向けテレビ番組の特派員をつとめていた。ソ連テレビ・ラジオ国家委員会員。91年7月、第5回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。


ボリシャコフ:Большаков
ボリス、Т.
生年月日 1950.04.26
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 技師として国防関係の工場で働く。軍役後、大学に入り、在学中に入党。コムソモールraikom第1書記をつとめた後、KGBの高等教育機関で教育を受け、KGB幹部職までつとめる。90年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。93年9月まで最高会議国防・安全保障問題委員会副議長。


ボリシャコフ:Большаков
エヴゲニー、А.
生年月日 1949.10.23
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 サハリン州南クリール地区(北方領土)で出生。1973年極東大学通信教育部に入学。大卒後、法律家として働く。技師、株式会社の総支配人として働く。93年12月選挙(比例代表区)で第1期国家会議代議員に当選。ロシア自由民主党派のメンバー。国家会議財産・民営化・経済活動委員会委員。95年12月17日下院選挙(比例代表区)で当選。第2期国家会議天然資源・自然利用委員会副議長。


ボリシャコフ:Большаков
ワジム、И.
生年月日 1930.07.17
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。ロシア自由民主党社会学グループ顧問として働く。ロシア自由民主党派のメンバー。国家会議情報政策・通信委員会委員。


ボリシャコフ:Большаков
アレクセイ、А.
生年月日 1939.12.17
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 プスコフ州生まれ。妻と息子2人。62年レニングラード通信・電気工学大卒後、レニングラードの企業で働き、後に科学生産合同「遠距離通信」総裁。軍需畑を歩み、78〜88年には「ダーリナヤ・スヴャージ」社総裁。88〜91年レニングラード市ソビエト執行委員会第1副議長及びレニングラード計画委員会議長。91年レニングラード・モスクワ間の高速鉄道建設株式会社「高速鉄道(VSM)」総裁就任。94年11月9日、連邦副首相(CIS問題担当)に選出される。95年10月、ロシア・リトアニア貿易経済・科学技術・人道・文化協力政府間委員会のロシア側議長及びロシアとラトビアの同様の政府間委員会のロシア側議長に任命される。96年4月、ベラルーシ・ロシア連合失効委員会副議長。同年8月15日、第1副首相(産業・運輸・通信・天然資源利用問題を担当し、事実上全ての部門別省を監督。また政府業務委員会の議長となり、首相不在時の閣議で議長を務める第1副首相のトップ)になる。ロシア政府政令No.1051(96.9.9)により政府業務委員会議長に任命される。97年3月17日、連邦第1副首相解任。


ボリシャコフ:Большаков
ウラジーミル
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 大統領府国籍問題部副部長をつとめる。


ボリシャコフ:Большаков
ワシリー
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年12月、タタールスタン共和国国家評議会議長に就任。


ボリセンコ:Борисенко
ニコライ、И.
生年月日 1949.07.25
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 株式会社「ヴィブロプリボル」ビューロー長。95年12月国家会議代議員選挙で、選挙団体「ロシア連邦共産党」の推薦を受け、ロストフ州タガンログ選挙区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。党中央委員会メンバー。第2期国家会議地方自治問題委員会委員。


ボリソフ:Борисов
テンギス、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 博士
考察 92年11月30日、政府付属特殊任務水中作業実施委員会議長に就任。海軍大佐。工学博士。


ポリチカ:Поличка
ニーナ、П.
生年月日 1950.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 71年キーロフ国立教育大学数学科を卒業。小学校教師、キーロフ工業大学高等数学講座の講師として働く。79年ハバロフスクに移り、人民経済大学の講師として働き始める。80年公開審査に合格、物理、数学の修士になり、ハバロフスク国立教育大学講座長として働く。93年から極東教育発展センター総裁。「わが国は改革の段階にあり、そこから引き出される全ての結果と共にある。しかし、私は改革の結果がすばらしいものになると信じている。」と考えている。政治的意見は中道主義。


ポリャコフ:Поляков
アンドレイ、А.
生年月日 1951.10.16
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 モスクワ生まれ。イワノヴォ繊維大学卒業。技師として働き始め、ヴォスクレセンスクの繊維工場の要職に就く。79年から工場内の共産党組織の書記。81年、主任技師から責任者になる。85年ラメンスコエの企業長をつとめる。90年ラメンスコエ市議会議長、同年12月からモスクワ州ソヴィエト副議長。後にモスクワ州人民代議員ソビエト議長を経験。モスクワ州第1行政副長官もつとめる。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同州ソビエト解体。95年12月第2期国家会議代議員選挙で「我が家ロシア」で比例区から当選。96年1月19日、第2期国家会議地方自治問題委員会議長に就任。「我が家はロシア」会派所属。


ポリャコフ:Поляков
アレクサンドル、Л.
生年月日 1947.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 74年極東国立大学法学史学部卒業。中等学校卒業後、建設企業合同体の労働者、コンビナートの機械技師、ウラジオストックおよびナホトカの税関監査官として働く。74年ナホトカ市国立公証人役場で先任公証人の職に就く。75年アヌチンスク地区人民裁判所人民裁判官として選出される。82年シコトフスキー地区人民裁判所議長に任命される。


ポリャコフ:Поляков
ヴャチェスラフ、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 通信省郵便通信総局長を経て、95年10月、連邦郵便機関長官をつとめる。96年2月21日、社会的給付金の支給の遅れに責任がある公職者に行政責任を問うことを定めた大統領令に基づいて解任。


ポリャコフ:Поляков
ニコライ、И.
生年月日 1948.07.18
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 集団分担農場「ペールヴォエ・マーヤ」議長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、選挙団体「ロシア農業党」の推薦を受けて、マリーエル共和国マリー選挙区から当選。ロシア農業党会派所属所属。第2期国家会議農業問題委員会委員。


ポリャコフ:Поляков
ユーリー、А.
生年月日 1936.08.10
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 カリーニン地区コルホーズ「オクチャブリ」議長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、選挙ブロック「人民に権力を」の推薦を受け、クラスノダール地方プリクバン選挙区から当選。「人民に権力を」会派所属。第2期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会メンバー。


ポリャジン:Порядин
アレクセイ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 環境保護・天然資源省第1次官をつとめる。


ポルエクトワ:Полуэктова
タチヤーナ、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 カリニングラード州におけるロシア大統領代理人をつとめる。97年7月解任。


ボルシチョフ:Борщев
ワレリー、В.
生年月日 1943.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で第1期国家会議代議員に当選。モスクワ市ソヴィエト良心の自由・信仰・慈悲・慈善問題常任委員会委員長として働く。「ヤブロコ」会派のメンバー。第1期社会団体・宗教組織問題委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙でモスクワ市ペロヴォ選挙区から当選。第2期国家会議社会団体・宗教組織問題委員会副議長。


ボルジュク:Борзюк
ウラジーミル、М.
生年月日 1952.09.02
性別
国籍 ロシア人
学歴 中/高卒
考察 93年12月国家会議代議員に選出される。ロシア自由民主党オリョール州地域組織指導者をつとめるが、94年4月6日離党。国家会議国家会議環境委員会委員。


ボルジュジャ:Бордюжа
ニコライ、Н.
生年月日 1949.10.20
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 オリョール市出身。大将。72年ペルミ高等指揮官工兵学校を卒業。91年まで軍隊と国家保安機関で軍務、91年5月より連邦大統領直属連邦政府通信・情報局人事局第1副局長、92年6月から連邦国境警備軍副司令官、95年5月から連邦国境警備局副長官をつとめる。98年1月26日付大統領令により、ロシア連邦国境警備局長官・警備軍司令官に任命。同年3月3日、安全保障評議会メンバーに任命される。同年9月14日付大統領令により、同評議会書記に任命。


ボルジン:Болдин
В
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 通信省次官をつとめる。


ポルタフツェフ:Полтавцев
セルゲイ、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 建設省次官をつとめる。同省は、97年3月17日付大統領令によって、住宅・建設政策国家委員会に再編される。同年8月、同委員会副議長に就任。同委員会は、98年4月30日付で廃止され、新設の土地政策・建設・住宅公共事業省に吸収される。


ボルドィレフ:Болдырев
ユーリー、Ю.
生年月日 1960.05.29
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 レニングラード電気技術大学、レニングラード金融経済大学卒業。83〜89年中央学術研究所技師として働く。89〜92年ソ連邦人民代議員、ソ連邦最高会議議員をつとめる。90年ロシア最高会議議長直属最高調整諮問評議会メンバー。92年2月からロシア政府顧問。92〜93年ロシア国家指導員長、ロシア連邦大統領府監督局長。現在、経済・政治研究センター研究員(モスクワ市)。「ヤブリンスキー連合」発起人の一人。93年11月ヤヴリンスキー、ルキン両氏と「ヤヴリンスキー・ボルドィレフ・ルキン」連合を結成するも、よく2月の選挙の前に早くも同連合を離脱。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。連邦会議予算委員会委員。当選時の職業はモスクワの経済研究センター「エピツェントル」研究員。


ポルドニコフ:Полдников
ユーリー、И.
生年月日 1947.04.18
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 アストラハン州議会代議員。第1期国家会議代議員補佐。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。第2期国家会議社会団体・宗教組織問題委員会委員。96年2月21日より代議員資格審査委員会委員。


ポルトノフ:Портнов
ユーリー、М.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年3月15日、連邦青年・体育政策・観光委員会議長に就任。同年7月2日、同職解任。


ポルトラーニン:Полторанин
ミハイル、Н.
生年月日 1939.11.22
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 カザフ共和国東カザフスタン州レニノゴルスク市生まれ。66年カザフ国立大学、70年ソ連共産党中央委員会付属アルマアタ高等党学校卒業。58年シベリアのブラーツク水力発電所建設現場でコンクリート工、58〜61年ソ連軍で兵役、66〜68年地方新聞編集活動。70〜75年「カザックスタン・プラウダ」の記者、その後編集活動。75〜86年「プラウダ」紙のカザックスタン特派員。86〜88年「モスコフスカヤ・プラウダ」の編集者。87〜91年ソ連ジャーナリスト同盟理事会書記、86〜90年モスクワ市ジャーナリスト組織理事会議長。88〜89年ノ−ボスチ通信社論説員。89〜92年1月ソ連人民代議員。90〜92年出版・通信相。92年2月〜11月副首相(新聞情報担当)。93年12月の選挙で国家会議代議員に選出される。92年12月〜94年1月、ロシア連邦情報センター長(第1副首相級)を経て、国家会議情報政策・通信委員会議長。大統領直属旧ソ連中央権力機関・管理機関の文書およびソ連共産党の文書の機密扱いの解除担当委員会議長をつとめる。94年1月連邦情報センター所長解任。「ロシアの選択」会派のメンバー。レスリング・グレコローマンスタイルの「スポーツマスター」の資格を持つ。妻と2人の息子。


ポルパノフ:Полупанов
ミハイル
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年7月5日まで住民社会保護省次官をつとめる。


ポルヤノフ:Полуянов
ニコライ、А.
生年月日 1952.07.14
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 91年12月、コミ・ペルミャク自治管区行政長官に任命される。ロシア上院議員。第2期連邦会議予算、財政・外貨・金融規制、通貨発行、税政、関税規制委員会委員。96年11月17日に実施されたコミ・ペルミャク自治管区行政長官選挙で約70%の得票率で再選される。


ポルルィエワ:
ジャハン
生年月日 1960.01.01
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 アシガバート出身。82年モスクワ国立大学法学部卒。93〜95年、シャフライ副首相の顧問をつとめ、その後、イタル・タス通信勤務、ネムツォフ副首相の顧問を歴任し、97年から大統領演説原稿準備担当。98年5月16日、首相秘書局長に任命。同年9月、大統領府副長官に任命。大統領演説準備担当者グループを指導。


ポレヴァノフ:Полеванов
ウラジーミル、П.
生年月日 1949.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 地質学専攻。金属探査企業「アムールゲオロギア」総裁。93年夏、アムール州行政長官就任。同長官在任中、州議会の活動停止を命令、同命令はその後最高裁判所が違憲と判定。94年11月15日より連邦副首相、同日チュバイスの後任として国有財産管理国家委員会議長に就任。「国家資産の運用を重視」と発言。95年1月24日、アルミニウムと石油関連工業の再国有化を提唱し、不人気の責任を取る形で更迭された。95年5月、社会政治運動「新ロシア」リーダーに就任。同年6月、ロシア大統領監督局副局長の員数削減に伴い、同副局長のポストから解任。


ポレジャエフ:Полежаев
レオニード、К.
生年月日 1940.11.30
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 65〜66年企業合同建設組立局勤務。66〜72年州水道局技師長、州農業局副局長として働く。72〜76年企業合同支配人をつとめる。76〜83年イルトィシ・カラガンダ建設現場責任者として働く。83〜87年州執行委員会代副議長。87〜91年公団「オムスクヴォドストロイ」長、オムスク州計画経済局長、市執行委員会議長。オムスク州行政長官。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。連邦会議国際問題・連邦条約・地域政策委員会委員。95年12月、下院選挙と同時に実施された行政長官選挙で再選される。第2期連邦会議社会政策問題委員会委員。


ポレノフ:Поленов
フョードル、Д.
生年月日 1929.06.21
性別
国籍 ロシア人
学歴 中/高卒
考察 著名な芸術家V.F.ポレノフの孫。父親はスターリン時代の圧制の犠牲者。専門学校を51年に卒業後、ソ連海軍に従軍し、海軍大佐まで昇進する。その後、V.F.ポレノフ国立博物館長に就任。永年にわたってオカ川の環境保護に尽力し、オカ川保護委員会の議長をつとめる。ソ連作家組合員。著作も多数ある。90年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。92年1月文芸国家褒賞授与委員会員になる。93年9月まで共和国会議文化委員会議長。


ボロヴィク:Боровик
アブラム、З.
生年月日 1932.01.01
性別
国籍 ユダヤ人
学歴 大学卒
考察 56年ハバロフスク鉄道運輸技師大学卒業。専攻は交通路機械技師。極東鉄道ルジノ駅で車輪作業班長として、その後補助作業班長として働く。57年ルジノ駅技術部先任技師に任命される。66年から現在までウッスリースク駅冷凍車庫長として働く。沿海地方の大企業のもっとも尊敬される指導者のひとり。冷凍車庫の様々な機関で働き実績をあげた。これまで社会環境に大きな注目を払ってきたし、現在も注目している。彼の仕事は絶えず「故意に創られた困難を奇跡的に乗り越えることだった」、そして「国家が個人を保護するとき、個人は自由である」と彼は考える。


ボロヴォイ:Боровой
コンスタンチン、Н.
生年月日 1948.06.30
性別
国籍 不明
学歴 博士候補
考察 モスクワ生まれ。現在の妻とは再婚。娘2人。孫もいる。趣味は読書(文学)、スポーツ。著書に「自由の代償」がある。モスクワ鉄道運輸技術大学及びモスクワ国立大学力学・数学部卒業。大学院修了後、モスクワの様々な大学で教鞭を取る。助教授の資格を持つ。87年からビジネスに従事。90年からロシア商品・原料取引所会長兼総支配人を務める。91年9月〜12月ソ連大統領直属企業活動評議会メンバー、91年12月から全ソ国営テレビ・ラジオ放送会社社長経済顧問、92年から取引所会議総裁、92年3月からロシア連邦大統領直属企業活動評議会メンバー。ロシア・ナショナル銀行会長兼総支配人。92年5月から経済自由党党首。ロシアビジネス円卓会議に参加。93年夏から「オスタンキノ」テレビ(第1チャンネル)で政治家とのインタビューを担当。95年からボロヴォイ信託会社社長。95年12月選挙でモスクワ市トゥーシノ選挙区から第2期ロシア下院議員選出。議会内では無所属。第2期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会メンバー。96年2月2日、国家会議チェチェン捕虜解放委員会議長に就任。ロシア連邦大統領に推薦される。


ボローシン:
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 大統領府副長官をつとめる。


ホロシロフ:Хорошилов
パーヴェル、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年5月、連邦文化財保全機関長官に就任。同機関は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって廃止。97年2月、文化省次官となる。


ボロジン:Бородин
ヴィクトル、И.
生年月日 1950.10.24
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。技師、スタヴロポリ地方ゲオルギエフスク市およびゲオルギエフスク地区行政長官として働く。「12月12日自由民主同盟」グループのメンバー。国家会議地方自治委員会委員。


ボロジン:Бородин
パーヴェル、П.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 93年4月6日、大統領府社会生産総局第1副総局長に就任。大統領総務局長。社会生産総局は96年時点で存在が確認されず、廃止されたものとみられる。


ポロシン:Полосин
ヴャチェスラフ、С.
生年月日 1956.06.26
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 78年大卒後、映画専門学校で教授法の専門家として働く。80年退職してロシア正教会に奉仕する。モスクワのロシア正教会神学校で2年間学び、83年に卒業して神父となる。モスクワ大司教出版部のアドバイザーとして働き、88年より教会の司祭となる。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。93年9月まで最高会議良心の自由・信教・慈悲・慈善委員会議長。


ポロスコフ:Полозков
セルゲイ、А.
生年月日 1959.03.17
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 84年大卒後、1級ソフトウェア技師として連邦船舶機械建設研究所のスタッフとなる。89年ソ連最高会議選挙に出馬するが、途中棄権。91年7月、第5回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。93年9月まで最高会議人民代議員ソビエト活動問題・自治拡大委員会小委員会議長。


ポロゾワ:Полозова
ナタリヤ、И.
生年月日 1946.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 全ロ歴史・文化記念碑保存協会沿海地方支部評議会幹部会議長。97年12月7日に実施された沿海地方議会代議員選挙に立候補し、当選。


ボロダエフ:Бородаев
ワレリー、В.
生年月日 1951.10.17
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年6月、アストラハン州議会議長に就任。第2期ロシア上院議員。第2期連邦会議予算、財政・外貨・金融規制、通貨発行、税政、関税規制委員会委員。


ボロドゥリン:Бородулин
ユーリー
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年1月、サマラ州における大統領代理人に就任。


ボロトフ:Болотов
ヴィクトル、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 93年1月18日、教育省第1次官に就任。96年9月より新設の普通・専門教育省次官。


ポロンスキー:Полонский
アレクサンドル、Л.
生年月日 1952.01.01
性別
国籍 ユダヤ人
学歴 大学卒
考察 バクー経済大学を卒業。経済専門家の資格を持つ。バクーで、ジャーナリストとして働く。87年2月からハバロフスクに住み、働く。テレビ局、新聞局で働く。88年ハバロフスク地方国家テレビ局及びラジオ局の広告代理店の支配人。ジャーナリストの分野でロシア作家同盟賞受賞。政治的意見は、民主主義に近い。「ロシアの改革は進んでいるが、非常に遅く、しかも悪く進んでいる。このような運動が希望を持ちうるとしても、全ては80年たってもこのままであろう。」と考えている。


ボンダレフ:Бондарев
グリゴリー、С.
生年月日 1946.05.29
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 最高会議議会内会派「ロシア共和党-ロシア社会民主党」コーディネーター。93年12月選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。技師、ロシア連邦大統領直属立法委員会秘書として働く。ヤブリンスキー連合派のメンバー。国家会議立法・司法改革委員会委員。


ボンダレフ:Бондарев
アナトリー、К.
生年月日 1947.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年10月、連邦航空局副長官に就任。


ボンダレンコ:Бондаренко
アナトリー、И.
生年月日 1936
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 コムソモリスク・ナ・アムーレ航空機合同労働組合議長。94年3月にハバロフスク地方議会選挙に立候補し当選。97年12月7日に実施されたハバロフスク地方議会選挙に立候補し、得票率52.65%で再選。