ファデーエフ:Фадеев
ゲンナディー、М.
生年月日 1937.04.10
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 大学で鉄道専門技術を学び、技術者として鉄道業務に就く。64年から党員。東シベリア鉄道で幹部職を歴任し、その他ソ連の主要鉄道企業の企業長を経験。88〜92年までソ連邦副鉄道相。国家官僚としての特権をうけることを拒否する立場を貫いた。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議代議員当選。92年1月20日初代ロシア連邦鉄道相(96年8月解任)。


ファテーエフ:Фатеев
ワレリー、П.
生年月日 1946.06.02
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 91年10月11日、スモレンスク州行政長官に就任(93年5月12日解任)。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。93〜94年ロシア連邦経済次官。95年1月、ロシア連邦国有財産管理国家委員会副議長。連邦会議安全保障・国防問題委員会委員。「ロシアの民主的選択」のメンバー。69年から様々な企業で働く。技師として働き始め、企業支配人になる。国有財産管理国家委員会は、97年10月、国有財産省に改組される。


ファデネフ:Фаденев
アレクサンドル、М.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年6月、トムスク州における大統領代理人に就任。


ファフルトディノフ:Фахрутдинов
ヴァキフ、Ш.
生年月日 1952.11.18
性別
国籍 タルタル人
学歴 中/高卒
考察 医療専門学校を卒業後、医療関係の職に従事。コムソモールでも働く。その後、企業に勤務し、企業内での初級党組織の活動に加わったが、89年離党。92年4月、第6回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。


ファラレーエフ:Фалалеев
セルゲイ、Н.
生年月日 1959.01.16
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 第1期連邦会議代議員秘書。95年12月第2期国家会議代議員選挙にロシア連邦共産党より比例区当選。ロシア連邦共産党会派所属。第2期国家会議連邦問題・地域政策委員会委員。


ファルフッジノフ:Фархутдинов
イーゴリ、П.
生年月日 1950.04.16
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 91年〜95年4月、ユジノサハリンスク市長をつとめる。95年4月24日、サハリン州知事に任命される。我が家ロシアの地方支部指導者。第2期ロシア上院議員。第2期連邦会議予算、財政・外貨・金融規制、通貨発行、税政、関税規制委員会委員。96年10月20日、サハリン州知事選挙が行われ、チェルノムイルジン首相の積極的支持を受け、39.45%の得票率で再選される。サハリン州沿岸の石油、ガス資源をロシアと諸外国の共同開発を積極的に推進し、連邦からの援助金の増額や日本、韓国など近隣諸国との経済関係樹立を求める政策を打ち出す。


ファレエフ:Фалеев
ミハイル、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年11月、緊急事態省次官に就任。


ブイコフ:Быков
アンドレイ、П.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年1月24日、保安省次官に就任。94年2月4日、連邦防諜機関(後に防諜局)副長官に就任。95年4月、防諜局が保安局となり、副長官になる。


ブイコフ:Быков
ワレリー、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年2月、産業省次官に就任。


プィシヌィ:Пышный
アナトリー、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年3月18日、政府付属領空利用・航空運行管理委員会議長に就任。


ブィストリャンツェフ:Быстрянцев
ミハイル、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ペルミ州人民代議員ソビエト議長をつとめる。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同州ソビエト解体。


ブイストロフ:Быстров
セルゲイ、Н.
生年月日 1937.07.21
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。農学者、スタブヴロポリ農業研究所科学・生産連合部局長として働く。ロシア農業党会派のメンバー。国家会議農業問題委員会委員。


ブィチコフ:Бычков
エヴゲニー、М.
生年月日 1934.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 財務省貴重鉱物・貴重鉱石委員会議長を経て、93年4月27日、連邦同議長に就任。後に、同委員会は国家委員会に昇格。96年2月金銭上の詐欺行為のため刑事起訴され、同2月21日、大統領及び政府の指示の遂行における「規律違反」を理由に同委員会議長職解任。


ブィチコフ:Бычков
アンドレイ、И.
生年月日 1947.02.16
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 コストロマ州議会(ドゥーマ)議長。ロシア上院議員。第2期連邦会議予算、財政・外貨・金融規制、通貨発行、税政、関税規制委員会委員。


フィニコ:Финько
オレグ、А.
生年月日 1941.05.23
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 モスクワ生まれ。娘が1人いる。ロシア作家同盟会員。66年極東国立大学卒業後モスクワ法科大学で学び、教授の称号を持つ。15歳から建設労働者として働く。その後、61年からウラジヴォストクの新聞記者として働く。「法律新聞」編集長。ロシア自由民主党員。93年12月選挙で第1期国家会議代議員に選出される。ロシア自由民主党会派のメンバー。94年1月より第1期国家会議情報政策・通信委員会副議長をつとめる。96年1月、同委員会議長に就任。95年12月第2期国家会議代議員選挙でロシア自由民主党より比例区から当選。ロシア自由民主党会派所属。第2期国家会議情報性索・通信委員会議長。


フィラトフ:Филатов
セルゲイ、А.
生年月日 1936.07.10
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 モスクワ生まれ。64年モスクワ・エネルギー大卒後、電気技師として「カマとツチ」冶金工場などに勤務。66〜68年まで専門技術者としてキューバに派遣される。帰国後、研究機関に入り要職につき、や全連邦冶金機械製作研究所など国内外の様々な企業や研究機関で研究職に携わる。専門分野で数多くの論文を発表。85年には経済改革問題に関するセミナーを主催する。90年に共和国会議の代議員に選ばれた後、ロシア最高会議の常勤となり、90年離党。90年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。91年最高会議幹部会書記に任命されるが、第5回人代大でロシア最高会議の第1副議長に選出され、91年10月29日就任(93年1月28日解任)、共和国会議を辞任。91年8月の騒乱では、議会内の代議員による防衛軍の主導者であった。93年1月7日、大統領府長官に就任(96年1月13日辞任)。93年12月の選挙で国家会議代議員に選出されたが、94年1月4日、中央選挙管理委員会決定により、議員資格失効。94年2月17日、大統領直属人事政策評議会共同議長、同年4月7日、大統領直属専門家分析評議会議長に就任(96年2月解任)。同年6月10日、「社会的合意に関する条約」実現のための調整員会議長、同年11月23日より大統領府情報局長。「エリツィン支援全ロシア運動」調整評議会議長。


フィラトフ:Филатов
アナトリー、В.
生年月日 1935.05.28
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 株式会社「ノリリスク・ニッケル」社長。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。連邦会議予算委員会委員。ロシア工学アカデミー会員。57年からノリリスク治金コンビナート勤務。溶鉱夫として働きはじめ、コンビナート総支配人になる。


フィラトフ:Филатов
アレクサンドル、В.
生年月日 1967.07.16
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で第1期国家会議代議員に当選。レジャーセンター「ソコル」副支配人として働く。ロシア自由民主党「影の内閣」総務部長。ロシア自由民主党会派所属。第1期国家会議国際問題委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙でロシア自由民主党より比例区当選。第2期国家会議地政学委員会委員。ロシア自由民主党会派所属。


フィラトフ:Филатов
アレクサンドル
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年1月17日、ケメロヴォ州立法議会議長に選出される。


フィラレーエフ:Филалеев
ユーリー、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦化学・石油精製工業委員会第1副議長を務める。同委員会は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって、産業省に統合され、廃止。


フィリシン:Филисин
Г
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 90年7月〜91年2月、ロシア副首相兼経済国家委員会議長をつとめる。


フィリシン:Фильшин
ミハイル、В.
生年月日 1955.08.31
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 モスクワ鉄道トゥーラ機関区労組委員会議長。ロシア連邦共産党中央委員会メンバー。95年12月第2期国家会議代議員選挙にロシア連邦共産党より比例区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。第2期国家会議社会団体・宗教組織問題委員会委員。


フィリッポフ:Филиппов
ピョートル、С.
生年月日 1945.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 最高会議議会内会派「改革連合」指導者。93年3月2日、大統領府社会・経済分析センター所長に就任。94年3月4日より大統領府情報保障局長(同年5月31日解任)。共和党共同議長。


フィリッポフ:Филиппов
パーヴェル、Д
生年月日 1950.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 73年グプキン(名称)モスクワ石油化学及びガス工業大学を卒業。80年ハバロフスク国民経済大学を卒業。経済学修士。75年ハバロフスク市オルジョニキッゼ(名称)工場で働き始める。5級オペレーター、高架橋管理人、工場設備管理人、合理化及び発明活動技術者主任、労働及び賃金組織組合長。91年から92年ハバロフスク地方執行委員会民有化及び財産私有化委員会議長。92年からハバロフスク地方行政国有財産管理委員会議長。92年から94年地方行政副長官、ハバロフスク地方国有財産管理委員会議長。94年からハバロフスク市長。政治的意見は中道主義。


フィリッポフ:Филиппов
ウラジーミル、М.
生年月日 1951.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 民族友好大学学長を経て、98年9月30日、普通・専門教育相に任命。


プィリニョフ:Пыльнев
ヴィタリー、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 国有財産管理国家委員会副議長をつとめる。同国家委員会は、97年10月、国有財産省に改組される。


フィリペンコ:Филипенко
アレクサンドル、В.
生年月日 1950.05.31
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 67年からペトロザボツク工場勤務。73〜77年橋建設列車の技師として働く。77〜82年okruzhkom指導員、建設課長。82〜83年自治管区執行委員会第1副議長。83〜88年raikomやokruzhkom第1書記、書記をつとめる。89年3月〜91年自治管区執行委員会議長。91年12月ハントィ・マンシイ自治管区行政長官に任命される。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。連邦会議北方問題・少数民族問題委員会委員。96年10月27日、ハントィ・マンシイ自治管区知事選挙で再選。


フィリモーノフ:Филимонов
レオニード、И.
生年月日 1935.07.22
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 東石油外社社長。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。連邦会議予算委員会委員。59年から連合「サハリン石油」勤務。ボーリング作業員助手から現場主任になる。63〜71年石油関連企業「サボ」、「サハリン石油」の技師長、部長として働く。71〜87年「サハリン石油」、「バシ石油」、「トムスク石油」の技師長から局長、部長をへて「ニージニヴァルトヴォ石油・ガス」総支配人になる。87〜91年ソ連邦ガス産業第1副相、石油産業第1副相、石油・ガス産業相をへて、閣僚会議府燃料・エネルギー国家委員会副議長をつとめる。


フィリモーノフ:Филимонов
ワジム、Д.
生年月日 1931.01.14
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 ロシア連邦共産党員。93年12月選挙で第1期国家会議代議員に当選。教授の称号を持つ。トムスク国立大学刑法講座主任教授として働く。ロシア連邦共産党会派のメンバー。国家会議安全保障委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙でロシア連邦共産党より比例区当選。


フィリモーノフ:Филимонов
ボリス、К.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 93年1月18日、連邦林業機関副長官就任。96年1月18日、同機関第1副長官に昇任。


フィリモーノフ:Филимонов
ワレンチン、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年2月より連邦新聞委員会副議長をつとめる。同委員会は、96年8月15日付大統領令によって、国家委員会に名称変更される。


フィリモーノフ:Филимонов
ヴャチェスラフ、Е.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年8月20日、大統領令により連邦国有単一企業「プロムエクスポルト」社長に任命。ロシア連邦軍の構成から処分される兵器・武器およびそれらへの補充品・予備部品ならびに弾薬の国外での売却に関する仕事の組織手続きおよび輸出業務の実施に責任を負う職員の人員構成をロシア連邦国防省と調整する。


フィレンコフ:Филенков
ワレリー、П.
生年月日 1944.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 69年ハバロフスク工業大学を卒業。機械技師の資格を持つ。78年ハバロフスク党高等学校を卒業。大学を卒業後、ハバロフスク市部門間テクノロジービューローの上級技師、上級技術者として働く。70年から73年ハバロフスク市の研究所「ダリアエロプロエクト」の上級技術者、グループ長。73年から76年ハバロフスク市全ソ連レーニン共産主義青年同盟鉄道地区コムソモール組織部長、第2書記、同raikom第1書記。78年から81年ソヴィエト共産党ハバロフスク地区raikom工業、運輸部長。81年から84年同人民管理委員会議長。84年から89年共産党ハバロフスクraikom第2書記。89年から91年ハバロフスク地区執行委員会議長。91年から96年ハバロフスク地区行政長官。96年2月からハバロフスク地方行政出版及び情報局長。


フヴァトコフ:Хватков
ニコライ、П.
生年月日 1948.05.05
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 ゴーリキー州(現ニージニーノヴゴロド州)ボル地区ネクリュドヴォ出身。74年ゴーリキー建設技師大学、77年ゴーリキー高等党学校、97年全ロシア金融・経済大学(通信制)卒業。66年からゴーリキー・フェルト生産合同で工員としてつとめる。68〜75年、ソ連コムソモールボル市委員会組織部長及び第1書記、77〜79年ソ連共産党ボル市委員会組織部長、79〜87年共産党ゴーリキー州委員会組織・党活動部指導員、第1書記補佐官、副部長などを歴任。91年ゴーリキー州人民代議員ソヴィエト議長補佐官兼議長事務局長、91〜93年ニージニーノヴゴロド青年コンツェルン「AMK」総支配人第1代理、副会長、93年12月〜98年3月、ボル商業銀行頭取、98年3月よりニージニーノヴゴロド州議会議員。98年4月からはキリエンコ首相代行書記局長をつとめ、98年5月8日、政府官房長官・国務相(閣僚)に任命される。同年7月、上院における連邦政府代理人に就任。同年8月28日、政府官房長官解任。


プーシキナ:Пушкина
タマーラ、А.
生年月日 1952.04.17
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 大卒後、織物関係の企業で働く。80年以降党員。84〜89年主任技師。89年専門学校で教鞭をとる。党委員会員なども経験する。90年代議員選挙に出馬したが、途中で立候補を取り下げる。同年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。93年9月まで共和国会議社会政策委員会書記。


ブートフ:Бутов
ワレリー、П.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ロシア大統領代理人(沿海地方)をつとめる。94年1月、同職解任。


ブートフ:Бутов
ウラジーミル
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年12月1日に実施されたネネツ自治管区行政長官選挙に出馬し、同月13日の決選投票で現職を破って当選。


ブーニチ:Бунич
パーヴェル、Г.
生年月日 1929.10.25
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 モスクワ生まれ。妻と息子1人。52年モスクワ大学卒業、55年モスクワ経済大学院修了。経済学博士、教授の資格をもつ。ロシア科学アカデミー準会員。55〜71年、財政研究所で要職を歴任。71〜75年、ソ連科学アカデミー極東科学センター幹部会員。76〜90年、モスクワ経済大学学部長。90年政府付属国民経済アカデミー第1副学長。89年から91年12月までソ連邦人民代議員大会最高会議代議員。最高会議経済改革問題委員会委員。90年から93年までロシア連邦人民代議員大会代議員。90年7月から91年8月までソビエト共産党中央委員会委員。91年から国際改革・経済発展協会共同議長。91年までソ連共産党員(90〜91年党中央委員)。92年から借地人・企業家同盟議長。93年9月から「民主イニシアチブ」党議長。93年12月、比例代表区から第1期国家会議代議員に選出され、94年1月より下院財産・民営化・経済活動委員会副議長になる。94年1月から95年10月まで「ロシアの選択」会派所属。10月4日より無会派。96年1月19日、下院同委員会議長に任命される。95年12月第2期国家会議代議員選挙でモスクワ市ウニヴェルシテツキー(大学)選挙区から当選。96年1月から「我が家ロシア」会派に所属。


ブーニン:Бунин
イワン、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年8月8日、大統領府「法律関係資料」出版所総支配人に就任。


フェイギン:Фейгин
マルク、З.
生年月日 1971.06.03
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 94年1月4日、国家会議代議員に選出(補欠)。ロシア連帯者クラブサマラ市支部長として働く。「ロシアの選択」会派のメンバー。国家会議地方自治委員会委員。


フェティソフ:Фетисов
セルゲイ、Н.
生年月日 1960.07.17
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 医科大学を卒業後、病院で働き、87〜89年病院の部長をつとめる。88年入党。病院の従業員組織の代表に選出される。コムソモールraikom委員。92年4月、第6回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。


フェドゥロワ:Федулова
アレフチナ、В.
生年月日 1940.04.14
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 モスクワ州エレクトロスターリ市生まれ。63年クルプスカヤ(名称)モスクワ州教育大学化学・生物学部を卒業し、後にソ連共産党中央委員会付属社会科学大学を修了。中等学校の生物学と化学の教師を経てコムソモール活動専従となり、68年エレクトロスターリ市委員会書記、後にモスクワ州委員会書記。71年全ソ・ピオネール組織中央評議会議長。71〜84年コムソモール中央委員会書記。81〜84年ソ連共産党中央監査委員。90〜91年4月ソ連共産党中央委員。84年からソ連平和擁護委員会責任書記。87〜91年ソ連女性委員会第1副議長、91〜92年同委員会議長。90年ロシア共和国人民代議員選挙でシャフライに敗れる。92年1月からロシア女性同盟議長。93年12月の選挙で国家会議代議員に当選。94年1月から国家会議副議長。選挙運動「ロシアの女性」代表者評議会メンバー。63〜91年ソ連共産党員(81〜86年中央監査委員、90〜91年中央委員)。95年12月の第2期下院選挙に「ロシアの女性」から出馬、落選。夫と息子が1人。


フェドセーエフ:Федосеев
イワン、В.
生年月日 1941.11.07
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 91年8月まで党員。大卒後、ソ連邦国家安全保障委員会に勤務。92年12月、第7回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。


フェドセーエフ:Федосеев
アナトリー、М.
生年月日 1947.04.03
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。連邦会議憲法・司法問題委員会副議長に就任。民主憲法党(人民の自由党)のメンバー。67年から企業の運転手。71〜75年ペルミ州弁護士会の弁護士として働く。75〜93年コミ・ペルミャク自治管区内生産連合会勤務。法律顧問として働き始め、副総支配人になる。またペルミ州弁護司会の弁護士、特殊法律相談所長としても働く。96年11月17日に実施されたコミ・ペルミャク自治管区行政長官選挙に立候補したが、落選。


フェドソフ:Федосов
ニコライ、Я.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年4月、チェチェン共和国における連邦行政権力機関地域局副局長。96年2月、チェチェン共和国におけるロシア政府全権代表(ロシア副首相級)に就任。同年11月、同職解任。


フェドトフ:Федотов
ミハイル、А.
生年月日 1949.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ロシア知的財産機関総局長を経て、92年12月23日、新聞情報相に就任。98年1月までユネスコ常駐代表をつとめる。


フェドトフ:Федотов
アレクサンドル、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年11月、チュワシ共和国副首相に就任。


フォナリョワ:Фонарева
ナタリア、Е.
生年月日 1957.01.01
性別
国籍 不明
学歴 博士候補
考察 モスクワ出身。プレハノフ記念モスクワ国民経済大学及びロシア国家勤務アカデミー法学部修了。80年代末までソ連商業省全連邦景気・需要研究所、89〜91年、閣僚会議付属経済改革委員会に勤務。93年1月から独占禁止政策・新経済機構支援国家委員会(連邦省と同等の地位)副議長をつとめる。同委員会は、97年3月17日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって独占禁止政策国家委員会に再編される。同年8月28日、同国家委員会議長に就任。同国家委員会は、98年9月22日付大統領令第1142号により廃止。


フォノトフ:Фонотов
アンドレイ、Г.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 科学・技術政策省第1次官をつとめる。


フォミチェフ:Фомичев
イユーリ、П.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年11月14日、ロシア中央選挙管理委員会副議長に就任。