フョードロフ:Федоров
А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 副大統領報道官をつとめる。


フョードロフ:Федоров
ワレリー、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年12月、内務次官に就任。内相官房長官・内務省人事総局長などもつとめる。


フョードロフ:Федоров
スヴャトスラフ、Н.
生年月日 1927.08.08
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 52年から53年ロストフ州ヴェシェンスカヤ村眼科医。53年から55年ルスワ市民病院眼科部長。57年ヘルムホルツ眼科疾患研究所チェボクサリ外科診療所長。67年から74年モスクワ口腔大学眼科部長。アルハンゲリスク医科大学、モスクワ歯科医科大学で眼病講座主任。74年から80年モスクワ実験・臨床眼外科研究所(病院併設)所長。80年から86年モスクワ顕微眼科外科手術研究所所長。86年7月部門間科学技術コンプレクス「顕微眼科手術」総支配人。89年から91年ソヴィエト人民代議員。90年10月からソ連慈善・健康基金議長。勤労者自治党議長。ロシアビジネス円卓参加者。ロシア共和国大統領候補に推薦される。93年12月の第1期国家会議代議員選挙で比例代表区から立候補したが所属の「ロシア民主改革運動」が5%以上得票できなかったので落選。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、選挙団体「勤労者自治党」の推薦を受け、チュワシ共和国チェボクサルイ選挙区(1人区)から立候補し、当選。「人民に権力を」会派所属。第2期国家会議健康保護委員会委員。96年6月16日実施の連邦大統領選挙に出馬するが、0.92%の得票率で落選。


フョードロフ:Федоров
ワレンチン、П.
生年月日 1939.0101
性別
国籍 ロシア人
学歴 不明
考察 元サハリン州知事。ロシア工業家・企業家同盟副総裁を経て、97年1月14日に実施されたサハ(ヤクーチヤ)共和国議会で3分の2の票を獲得して同国の新首相に選出される。98年8月、年金生活入り。


フョードロフ:Федоров
イワン
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ウリチスキー地区行政府第1副長官。97年12月7日に実施されたハバロフスク地方議会代議員選挙に立候補し、得票率31.52%で当選。


フョードロフ:Федоров
ニコライ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 株式会社「ナホトカ貿易海港」の主任技師をつとめ、後に自由経済地区「ナホトカ」行政委員会内で、シベリア鉄道の復興を最優先方針のひとつとする輸送プログラムの責任者として活動。98年1月、自由経済地区「ナホトカ」行政委員会議長に就任。


ブラヴィノフ:Булавинов
ワジム、Е.
生年月日 1963.03.20
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。ニージニイノヴゴロド州弁護士会弁護士として働く。「12月12日連合」グループのメンバー。国家会議国際問題委員会委員。


ブラヴリョフ:Буравлев
コンスタンチン、Э.
生年月日 1957.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年1月25日、モスクワ市第1行政副長官(経済改革担当)に就任。95年4月、ロシア財務省次官に任命される。96年10月より国防産業省次官・大臣官房長官をつとめる。


ブラギン:Брагин
ヴャチェスラフ、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 文化省次官を努める。


ブラギンスキー:Брагинский
アレクサンドル、П.
生年月日 1948.09.12
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。「12月12日連合」共同議長。小選挙区から選出される。科学アカデミー準会員、副首相、モスクワ市社会・政策局長として働く。国家会議教育・文化・科学委員会委員。


ブラゴヴォリン:Благоволин
セルゲイ、Е.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 博士
考察 世界経済・国際関係研究所副所長。94年4月26日、大統領評議会員に就任。95年3月20日、新設された「公共ロシア・テレビ(ОРТ)」社長に就任。「公共ロシア・テレビ」分析センター所長。97年12月7日、ロシア公共テレビ社長に再選される。


ブラチェンコ:Бураченко
ワレリー、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 政府官房運輸・建設・通信総局長をつとめる。同総局は97年4月8日付首相命令で、住宅・公共施設・建設・産業基盤改革総局に改編される。


ブラチシチェフ:Братищев
イーゴリ、М.
生年月日 1938.07.12
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 93年12月、第1期国家会議代議員に選出され、94年1月より下院連邦問題・地域政策委員会副議長をつとめる。小選挙区から選出される。教授、ロストフ国立交通路大学主任教授として働く。94年1月下院議長選挙時の票数集計委員会議長。ロシア連邦共産党会派のメンバー。95年12月第2期国家会議代議員選挙でロストフ州ベーラヤ・カリトワ選挙区から当選。第2期国家会議連邦問題・地域政策委員会委員。96年1月16〜31日票数集計委員会議長。


ブラトゥヒン:Братухин
アナトリー、Г.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦国防分野産業委員会副議長をつとめる。93年10月、同委員会が国防分野産業国家委員会になり、副議長に就任。96年5月、同国家委員会は国防産業省に改組される。


プラトーノフ:Платонов
ウラジーミル、М.
生年月日 1954.01.01
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 モスクワ生まれ。妻と2人の子供。83年パトリス・ルムンバ友好大学卒業(法律学専攻)。72〜75年フルニチェフ機械製作工場で働く。83年から6年間検察機関で働く。91〜94年、法律関係の私的業務に就く。モスクワ市人民代議員。94年からモスクワ市議会議長。ロシアの選択会派を代表する。第2期ロシア上院議員。96年2月、上院憲法・司法問題委員会議長に就任。98年1月14日、モスクワ市議会(ドゥーマ)議長再選。同年6月10日、上院副議長に就任。同年7月1日、モスクワ市議会議長再選。


フラトコフ:Фрадков
ミハイル、Е.
生年月日 1950.09.01
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 モスクワ市生まれ。妻と2男。72年モスクワ機械工具政策大学及び81年海外貿易アカデミー卒業。73年より対外経済関係省に勤務。85〜91年、ソ連経済関係国家委員会及びソ連対外経済関係省の主要部局で第1副局長までつとめる。その後、UNOにおけるロシア連邦常駐代表部の上級補佐官、GATTにおけるロシア代表などジュネーブの国際機関のロシア代表として働く。92年10月、対外経済関係省次官に就任。93年10月から同省第1次官。97年3月26日、新設の対外経済関係・貿易省大臣代行に任命される。同年4月8日付首相命令でロシア連邦と諸外国間の貿易・経済及び科学・技術協力における政府間委員会ロシア側議長(米国、フランス、フィンランド、ポーランド担当)に任命される。同年4月16日、同省大臣に正式就任。98年3月23日、大統領令第281号により、ロシア連邦憲法第83及び117条に従って、連邦政府の総辞職及び新政府組閣まで政府閣僚は職務を引き続き遂行することを決定。


プラトフ:Платов
ウラジーミル、И.
生年月日 1946.10.23
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年12月、連邦下院議員選挙と同時に行われた州知事選で、ベージェツク市長から左派ブロックの推薦を受けて当選し、トヴェリ州知事に就任。第2期ロシア上院議員。第2期連邦会議社会政策問題委員会委員。


ブラベルマン:
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 国有財産省第1次官をつとめる。


フラムチェンコフ:Храмченков
ユーリー、П.
生年月日 1932.04.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 中/高卒
考察 専門学校を卒業後、技師となり、少年の職業教育にあたる。71年入党。代議員選出時には、工場の技師。90年離党。91年7月、第5回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。93年9月まで共和国会議社会政策委員会小委員会議長。


フランク:Франк
セルゲイ、О.
生年月日 1960.08.13
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 ノヴォシビルスク市出身。妻と息子1人。83年ネヴェリスコイ提督記念極東高等海事技術学校、95年極東国立大学卒。81〜89年、極東高等海事技術学校コムソモール書記、副校長をつとめる。89〜91年、極東海運局(株式会社FESCOの前身)対外経済関係部長、91〜93年、極東海運局経済担当副局長、93〜95年、株式会社「極東海運(FESCO)」副社長。95〜96年、連邦運輸省海運局副局長、96〜98年運輸次官及び第1次官を経て、98年3月2日付大統領令により、連邦運輸相に任命。98年3月23日、大統領令第281号により閣僚総辞職、ロシア連邦憲法第83及び117条に従って、連邦政府の総辞職及び新政府組閣まで政府閣僚は職務を引き続き遂行することを決定。同年4月30日付で運輸相再任。同年8月再び内閣総辞職で同相代行となるが、同年9月25日、運輸相再任。


プリエフ:Плиев
ルスラン、С.
生年月日 1942.11.05
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 バキンスク高等士官学校卒業。ザカフカジエ、ドイツ、チェコスロヴァキア、ウズベキスタン、アフガニスタン、ウクライナで従軍。95年10月、イングーシ共和国議会議長に就任。第2期ロシア上院議員。第2期連邦会議連邦問題・連邦条約・地域政策委員会委員。


プリスタフキン:Приставкин
アナトリー、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年1月12日、大統領直属特赦問題委員会議長に就任。


フリステンコ:Флистенко
ヴィクトル、Б.
生年月日 1957.08.28
性別
国籍 不明
学歴 博士候補
考察 妻と子供3人。趣味は写真とビデオ撮影。チェリャビンスク工科大学卒業(専門はエンジニア・エコノミスト)。79年大学修了後同大学研究室長として勤務し、83〜90年、上級講師、助教授をつとめる。90年チェリャビンスク市ソヴィエト代議員に選出され、常任委員会を率いる。91年チェリャビンスク州行政府副長官に任命され、州行政府経済委員会、国有財産管理州委員会で指導者をつとめる。94年国有財産管理州委員会第1副議長。96年の大統領選挙では、エリツィンの代理人をつとめる。97年3〜6月、チェリャビンスク州における大統領代理人。ウラル中部のチェリャビンスク州政府で長く勤務した経験を買われ、97年7月1日、財務省次官に任命。予算間関係(連邦予算と地域予算の関係)及び地域支援基金からの地方交付金の配分を担当。公開型株式会社「カマ自動車工場(カマズ)」と「マグニトゴルスク冶金コンビナート」理事会メンバー。運動「我が家ロシア」政治評議会メンバー、チェリャビンスク州代表。98年4月28日財務省次官を解任され、副首相に任命。チェリャビンスク州在任時代の行政手腕を買われ、副首相として財政・経済、地域財政政策、国際金融組織連絡、歳入確保、予算編成関係省庁監督担当。同年5月より政府幹部会のメンバー。同年6月、チュバイスの後任として国際金融経済組織協力担当省庁間議長に就任。同年8月の内閣総辞職を受けて副首相代行となるが、同年9月28日、同職解任。同年10月28日、財務省第1次官に任命。


フリチョフ:Хрычев
ヴィタリー、В.
生年月日 1949.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 75年プリモルスキー農業大学を卒業。機械技師の資格を持つ。75年から76年沿海州ボグスラフスキーソフホーズ工場長。76年から80年ハバロフスク市「ダリギプロボドゥホーズ」研究所で働く。ボーリング設備修理班長、調査工学の機械化部上級技術者、調査工学の機械化部開発班長。80年から87年ソヴィエト共産党ハバロフスク地方委員会農業部指導員。87年から92年ハバロフスク地方執行委員会労働部副部長、部長。92年ハバロフスク地方行政労働委員会議長に任命。


フリトネンコフ:Хритненков
ドミトリー、К.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 プスコフ州におけるロシア大統領代理人をつとめる。


ブリノフ:Блинов
アナトリー、К.
生年月日 1948.01.10
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 大学卒業後、中学校・高校の校長を務める。


フリペリ:Хрипель
ゲンナディー、Т.
生年月日 1949.04.12
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ヴォログダ州人民代議員ソビエト議長をつとめる。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同州ソビエト解体。94年3月、新州議会の立法議会議長に選出されるが、95年9月同職辞任。96年2月に再び立法議会議長に選出される。第2期ロシア上院議員。98年4月15日、同州立法議会議長に再選。


プリホチコ:Приходько
ヴィクトル、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 91年8月29日、リャザン州人民代議員ソビエト議長に就任。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同州ソビエト解体。


プリホチコ:Приходько
ワレリー、Н.
生年月日 1951.01.01
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 地区病院医師長。カヴァレロフスキー市オリギンスキー地区選管区。94年10月沿海地方議会代議員に選出される。97年6月、沿海地方知事決定第181号により、同地方行政府保険局長に任命される。


プリホチコ:Приходько
セルゲイ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 外務省第2欧州総局次長代行を経て、97年4月9日、大統領補佐官(国際問題担当)に任命される。


プリマコフ:Примаков
エヴゲニー、М.
生年月日 1929.10.29
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 キエフ生まれ。官吏の子息。ソ連国家褒賞受賞。先妻との間に娘1人。現在の妻とは再婚。タチヤナ夫人はピョートル・プレシャコフ元航空工業相の妻だった人物で、ロシア民間航空業界の最有力者の1人。義理の息子アレクサンドル・プレシャコフは航空会社「トランスアエロ」社長。モスクワ東洋学大学卒、ロモノソフ記念モスクワ国立大学大学院修了。経済学博士で、教授の資格を持つ。英語、グルジア語、アラブ系言語に堪能。ソ連時代にソ連アジア・太平洋経済協力委員会議長、ソ連・イラク友好協会理事、ソ連平和擁護委員会副議長、ソ英「円卓会議」共同議長なども努める。「アラビア諸国と植民地主義」、「エジプト:ナセル大統領時代」(共著)、その他の著書がある。56年からソ連閣僚会議付属ラジオテレビ国家委員会のラジオ放送記者、編集責任者、副編集長、同委員会編集局服編集長。59〜91年ソ連共産党員。62年〜70年プラウダ紙の評論員、編集次長、中東特派員。70年からIMEMO副所長、77年から同東洋学研究所長、85年からIMEMO所長。88年ソ連科学アカデミー幹部会員を経て、91年からロシア科学アカデミー会員。86〜89年党中央委候補、89年党中央委委員。89〜90年党政治局員候補。27回党大会、28回党大会、19回党協議会に代表として参加。89年ソ連人民代議員に選出(92年1月まで)。最高会議および同幹部会委員。89〜90年、ソ連最高会議連邦会議議長、90年3月ソ連邦大統領会議メンバー。91年9〜11月、ソ連国家保安委員会(KGB)第1副議長兼第1総局長。同年11〜12月、ソ連中央情報局長官。同年12月ロシア連邦対外情報機関(現対外情報局)長官に任命(96年1月解任)。96年1月9日、コズィレフの後任として外相就任。同年7月25日設立されたロシア連邦国防評議会メンバーになる。同年8月、安全保障評議会常任メンバーとして承認される。98年3月23日、大統領令第281号により、ロシア連邦憲法第83及び117条に従って、連邦政府の総辞職及び新政府組閣まで政府閣僚は職務を引き続き遂行することを決定。同年4月28日外相再任。同年8月23日付大統領令により、内閣総辞職、外相代行となる。下院による2度にわたるチェルノムィルジン首相候補承認否決の後、9月10日、チェルノムィルジン首相代行が首相指名を辞退し、プリマコフが首相候補として指名される。翌11日、下院は同氏の首相就任を賛成3


プリャムヒン:Прямухин
ウラジーミル、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 93年1月27日、大統領府長官秘書官長就任(94年7月28日解任)。95年9月、大統領府長官秘書長が辞任し、その後をうけて秘書長代行に就任。


ブリュハノフ:Брюханов
アレクサンドル、Г.
生年月日 1948.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 国営テレビラジオ会社「ウラジオストク」関係者。97年12月7日に実施された沿海地方議会代議員選挙に立候補し、当選。


ブリンニコフ:Блинников
セルゲイ、П.
生年月日 1945.05.05
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 ペトロザヴォツク国立大学、レニングラード党高等学校、ソ連邦閣僚会議府国民経済アカデミー卒業。64年からペトロザヴォツク市道路部門作業長、67〜69年自動車道路技師、69〜70年生産連合会技師、70〜80年生産企業コンビナート作業長、職長、技師長、支配人として働く。80〜85年レーニン地区執行委員会副議長、議長、85〜89年カレリア共和国共同住宅経営大臣、企業(ПСМО)総支配人をつとめる。現在、カレリア共和国首相。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。無所属。連邦会議予算委員会委員。


ブリンニコフ:Блинников
ヴィクトル、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年1月まで連邦特許・商標委員会第1副議長をつとめる。


ブルイギン:Булыгин
ヴィクトル、В.
生年月日 1932.06.21
性別
国籍 ロシア人
学歴 不明
考察 集団農場で働き、海軍軍役を終えた後入党。地方の党委員会で書記をつとめる傍ら、集団農場長として働く。10年間raikom第1書記をつとめ、地方執行委員会第1副議長および企業長を歴任。91年7月、第5回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。


フルィストゥン:Хлыстун
ヴィクトル、Н.
生年月日 1946.03.19
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 カザフ共和国コクチェタフ州ドミトリエフカ村で生まれる。63年からコンビナートの、64年からソフホーズの組立工として働く。モスクワ土地開発技師大学を卒業後の70〜90年、同大学に残り助手を振り出しに学術活動担当副学長までつとめる。農業問題専門家。経済学博士と教授の資格を持つ。農業科学アカデミー通信会員。90年ロシア共和国国家農業改革委員会議長に任命。91年11月ロシア連邦農業相(後に農業・食糧相)に任命。92年1月より農村の社会的発展に関する政府委員会議長。93年12月の選挙で連邦会議代議員に当選。連邦会議農業政策委員会委員。94年1月20日の大統領令により同相再任されたが、93年12月議会選挙で下院に進出した農業党が、個人農の創出を持論とするフルィストゥンへの批判を強めたことから、エリツィン政権の議会対策の一貫として同年10月27日解任。96年5月14日、情勢の変化を受け、改めて農業・食糧相に任命される。97年4月8日付首相命令でロシア連邦と諸外国間の貿易・経済及び科学・技術協力における政府間委員会ロシア側議長(モンゴル、オーストラリア、ニュージーランド担当)に任命される。同年5月19日、連邦副首相(農工コンプレクス担当)に就任。98年3月23日、大統領令第281号により、ロシア連邦憲法第83及び117条に従って、連邦政府の総辞職及び新政府組閣まで政府閣僚は職務を引き続き遂行することを決定。