コスチン:Костин
ゲオルギー、В.
生年月日 1934.08.09
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 ロシア技術アカデミー会員。21世紀のロシア経済モデル構想の作成者。ロシア宇宙機関副局長を経て、95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。ロシア連邦共産党所属。96年1月19日、国家会議軍民転換・ハイテク技術委員会議長に就任。議会内では96年1月17日より議員グループ「人民に権力を」所属。それ以前はロシア連邦共産党会派所属。


コスチン:Костин
ヴィクトル、Ф.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 環境・天然資源保護省次官を努める。


コスティリン:Костырин
ウラジーミル、А.
生年月日 1949.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 73年ハバロフスク自動車道路建設中等専門学校を卒業。79年にはハバロフスク工業大学を通信教育で卒業。73年サハリンスク地域ユジノ-クリル市保線区長、主任技師。74年から80年ハバロフスク市第4住宅局長。80年からハバロフスク市中央地区住宅トラスト長、地方日常サービス局主任技師。90年ハバロフスク市鉄道地区ソヴィエト議員に選出。93年から鉄道地区第1行政副長官。96年9月からハバロフスク市鉄道地区行政長官代理。


ゴステフ:Гостев
ルスラン、Г.
生年月日 1945.11.03
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 93年12月選挙で第1期国家会議代議員に当選。教師、大学教授として働く。ロシア連邦共産党会派のメンバー。党中央委員会メンバー。党ヴォロネジ州委員会第1書記。第1期国家会議健康保護委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙でロシア連邦共産党の推薦を受けてヴォロネジ州レヴォベレジヌイ(左岸)選挙区から当選。第2期国家会議観光・スポーツ委員会委員。


コステュチェンコ:Костюченко
ニコライ、К.
生年月日 1938
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 中等学校を卒業後、ハバロフスク機械技術学校を卒業、同様にノヴォシビルスク水上輸送技術者大学を卒業。機械技師の資格を持つ。59年からハバロフスク造船工場で働く。職の発展段階を過ごす。仕上げ工、技術専門家、作業場長。79年極東で最大の万能ケーブル工場の工場長になる。92年に同工場は株式会社「アムールケーブル」になる。株主会議はコステュチェンコを株式会社の総支配人に承認する。ロシアにおける複雑な経済状況に置いて、株式会社「アムールケーブル」は利益を上げてきた。工場の設備の60%以上がヨーロッパの生産によるものなので、製品の質は世界の標準に相当する。彼はハバロフスク市の工業及び建設組織支配人会議の議長もつとめている。政治的意見は中道主義。94年3月の地方議会選挙に立候補し当選。


コステリン:Костерин
エヴゲニー、А.
生年月日 1949.01.02
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で第1期国家会議代議員に当選。ロシア語教師、モルドヴィヤ共和国最高会議課長として働く。ロシア連邦共産党会派のメンバー。党中央委員会メンバー。第1期国家会議地方自治委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙で共産党から比例区で当選。院内会派では「人民に権力を」所属。96年2月1日からはロシア連邦共産党会派所属。第2期国家会議女性・家族・青年問題委員会委員。96年2月16日までは地方自治委員会委員。


コステンコ:Костенко
オレグ、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 CIS加盟諸国との経済協力国家委員会副議長をつとめる。同委員会は、94年1月10日付大統領令(第66号)により、連邦省に改組される。


コストエフ:Костоев
イサ、М.(イブラギム、Ю.)
生年月日 1942.08.08
性別
国籍 その他
学歴 大学卒
考察 大卒後、自動車整備工。化学試剤工場部長をつとめる。この他、別の大学で哲学も学ぶ。65〜74年北オセット自治共和国で地区検察局予審判事、74〜84年ロシア共和国検事総長府予審判事、84〜91年同共和国検察庁副班長をつとめる。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。91〜92年ロシア連邦総検察庁部長をつとめる。92年7月14日、イングーシ共和国におけるロシア大統領代理人(暫定)に就任(93年9月24日解任)。93年1月25日、イングーシ共和国におけるロシア最高会議全権副代表就任。同年12月、連邦会議代議員に当選し(無所属)、94年1月より上院憲法・司法問題委員会議長をつとめる。上院代議員資格審査委員会員。


コズロフ:Козлов
アレクサンドル、П.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年1月24日、大統領府監督局副局長、同年11月15日、ロシア政府官房連邦地域相互協力総局長に就任。同総局はその後政府官房連邦構成主体・連邦会議(上院)関係相互協力総局に再編され、局長に就任。98年6月、同職及び政府官房副長官から解任。


コズロフ:Козлов
ヴィクトル、М.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 統計国家委員会副議長をつとめる。


コズロフ:Козлов
アンドレイ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年7月、ロシア中央銀行副総裁に就任。98年10月16日、ロシア下院が中央銀行理事就任を承認。


コズロフ:Козлов
ワリテル、В.
生年月日 1937.06.25
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 60年極東工業大学卒業。専攻は機械技師。62年まで国立地区発電所でタービン運転係交替要員、当直技師として働く。その後、スーチャンスキーの発電所で交替長、先任熟練工、タービン係副長として、ウラジオストックの熱併給発電所でタービン係副長、副技師長、技師長として働く。79年パルチザンスク発電所支配人に任命される。83年沿海地方発電所支配人に任命される。89年ソ連人民代議員に選出される。94年候補者6人から沿海地方議会代議員に当選。投票参加者の27.6%の票を集める。選挙者はクラスノアルメイスキー地区とポジャルスキー地区の住人。これらの地区でナズドラチェンコは沿海地方における平均以上に高い人気がある。93年選挙では自由民主党はロシア連邦共産党や「ロシアの選択」より2.5倍人気があった。しかし、95年12月には共産党が立場を強めた。


コズロフ:Козлов
ゲンナディー、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 科学・技術政策省次官を経て、96年9月11日、科学技術国家委員会第1副議長に任命される。同委員会は、97年3月17日付大統領令によって、科学技術省に再編される。


コズロフ:Козлов
ウラジーミル、П.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 国家公文書保管機関(後に連邦公文書局)副長官を経て、96年12月から同局長官。


コズロフ:Козлов
アレクサンドル、С.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 大統領府医療・厚生施設局長を務める。


コズロフ:Козлов
ゲンナディー、П.
生年月日 1938.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 ハバロフスク鉄道運輸技術者大学卒業。専門は建築技師。設計研究所「ダリギプロトランス」で設計者として働く。65年に「ダリタランスストロイ」に就職、そこであらゆる指導的職業を経験する。トラスト技師、現場監督、生産技術部長、技術主任、第22建築局長。81年からトラスト「ダリトランスストロイ」主任。このトラストはソ連運輸省の機構において建築に携わった。バイカル-アムール鉄道、ヴァーニン-ホルムスクフェリーを建設、極東鉄道の電車化に携わった。93年に同トラストは公開株式会社「ダリトランスストロイ」に転換。コズロフは総支配人に選出される。「新しい市場の条件の下では最も重要なトラストの小部門と、最も熟練した職人を維持することができる。ロシアの、極東における建設はいずれにしても始まり、これ無しには国家と地域の発展はまったく考えられない。」と考えている。


コゼラツキー:Козерадский
アナトリー、А.
生年月日 1948.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年4月、ニージニーノヴゴロド州立法議会議長に任命される。第2期ロシア上院議員。第2期連邦会議経済政策問題委員会委員。98年4月3日、同州議会議長に再任。


コセンコ:Косенко
ヴィクトル、Г.
生年月日 1945.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選するが、94年1月4日、中央選挙管理委員会決定により議員資格失効。クラスノダル地方立精神病院医長。


コソプキン:Косопкин
アレクサンドル、С.
生年月日 1957.06.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 大学で鉄道技術を学び、鉄道業務に携わる。元党員。91年離党。


コチェグラ:Кочегура
アナトリー、Т.
生年月日 1941.09.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。農業専門家、株式会社社長として働く。ロシア農業党会派のメンバー。国家会議農業問題委員会委員。


コチェルギン:Кочергин
ボリス、Д.
生年月日 1933.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 70年全ソ通信法科大学卒業。中等学校7年生終了後、工場でブリキ職人見習いとして働き始める。51〜52年ニコラエフスキー・ナ・アムール市航海学校に学ぶ。70年までカムチャッカ海洋汽船会社で働き、潜水艦の水夫から船長になる。70年ペトロパヴロフスク・カムチャッツキー市で裁判の仕事に携わり始める。市と地区の人民裁判所で裁判官をつとめる。82年から沿海地方でハンカイスキー地区裁判所議長、87年からミハイロフスキー地区で同じ職につく。


コチェロヴェツ:Кочеровец
ウラジーミル、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年2月〜96年8月、保健・医療産業省次官をつとめる。


コチュソフ:Котюсов
アレクサンドル、Н.
生年月日 1966.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 98年1月、小規模企業支援・発展国家委員会第1副議長・議長官房長官に就任。同国家委員会は、同年9月22日付大統領令第1142号により廃止。


コチョルキン:Котелкин
アレクサンドル、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 兵器・武器の輸出入に関する国有会社「ロスヴォオルジェニエ」総裁をつとめる。97年8月、同会社の連邦国有単一企業「国有会社ロスヴォオルジェニエ」への改組と関連して、総裁職解任。同年9月、対外経済関係・貿易省第1次官に就任。98年1月、同省第1次官から解任。解任理由は公式には「省の部局削減に関連するもの」とされているが、非公式データによると、ウリンソン副首相と同氏との軋轢、同氏の人事上の失敗、兵器ビジネスでの職権乱用が解任の理由。


コッソフ:Коссов
ウラジーミル、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年8月31日、経済次官に就任。


コツバ:Коцуба
アレクサンドル、С.
生年月日 1955.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 81年ハバロフスク国民経済大学を卒業。81年から84年ハバロフスク地方執行委員会財政局予算部主任監査官。84年から88年ニコラエフスク-ナ-アムーレ市執行委員会財政部長。88年ソヴィエト連邦プロムストロイバンクニコラエフスク-ナ-アムーレ支局長。90年から地方執行委員会財政局長。90年ハバロフスク地方行政財政局長に任命。


コテソーワ:Котесова
リュドミラ、С.
生年月日 1958.10.22
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 通信教育で法科大学卒業。67〜68年製図工として工場勤務。74〜76年ハバロフスク地方ソビエト執行委員会司法局顧問。76〜92年チュコト自治管区アナドゥィル法律相談所長。93年からチュコト自治管区行政府司法局長。同年12月選挙で連邦会議代議員に当選。「ロシアの民主的選択」党のメンバー。94年3月26日、上院国際問題委員会書記に就任。連邦会議会議規定・議会手続き委員会委員。


コテネフ:Котенев
アレクサンドル
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年2月27日、ロシア政府顧問(社会団体との連絡担当)就任。


コテンコフ:Котенков
アレクサンドル、А.
生年月日 1952.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年5月22日、大統領国法総局局長就任(93年12月16日解任)。92年11月11日、北オセチア・イングーシ共和国紛争地域の暫定行政府副長官、同年12月17日、同長官に就任。93年12月より連邦・民族問題国家委員会副議長をつとめ、後に民族問題・地域政策省次官。96年2月、国家会議(下院)における大統領代理人に就任。同年3月、民族問題・地域政策省が民族問題・連邦関係省に改組され、次官をつとめる(同省は、後に地域・民族政策省に改称)。同省は、98年9月22日付大統領令第1142号により廃止。


コトコフ:Котков
アナトリー、С.
生年月日 1947.06.13
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 スヴェルドロフスク州議会議員。州議会立法問題・地方自治委員会副議長。95年12月国家会議代議員選挙で、選挙ブロック「祖国の変貌」の推薦を受け、スヴェルドロフスク州ニージニー・タギル選挙区から当選。96年1月16日から議員グループ「ロシアの地域」(独立議員)所属。それ以前は「人民に権力を」会派所属。第2期国家会議地方自治問題委員会委員。ロシア民主党政策会議メンバー。


コトフ:Котов
ニコライ、С.
生年月日 1936.05.20
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。農業経済専門家、農業株式会社総支配人として働く。ロシア農業党会派のメンバー。国家会議財政・民営化・経済活動委員会委員。


コトフ:Котов
ヴィタリー、Я.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年2月、ウラジーミル州立法議会議長に選出される。


コトリャル:Котляр
ワレンチン、А.
生年月日 1959.01.22
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月より国家会議代議員となり、94年1月、下院地方自治委員会副議長に就任。ヴォロネジ州行政副長官として働く。ロシア民主党会派のメンバー。


コトリャル:Котляр
ユーリー、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦貴金属・宝石委員会第1副議長を務める。同委員会は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって廃止。


コナコフ:Конаков
ワレンチン
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 93年10月11日、モルドヴィア共和国における大統領代理人に就任。


コノヴァロフ:Коновалов
ユーリー
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年11月、ネネツ自治管区行政副長官に就任。


コノヴァロフ:Коновалов
А
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ブリャンスク州第1行政副長官をつとめる。


コノヴァロフ:Коновалов
ヴィタリー、Ф.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 原子力省第1次官を努める。


コノプリャンニク:Коноплянник
アンドレイ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 燃料・エネルギー省次官をつとめる。


コフ:Кох
アリフレド、Р.
生年月日 1961.01.01
性別
国籍 不明
学歴 博士候補
考察 東カザフスタン州(カザフスタン共和国)ズイリャノフスコエ村生まれ。レニングラード財政・経済大学卒。学究活動を経て、90〜91年レニングラード市シストロレツク地区行政委員会議長。92年よりサンクトペテルブルグ市財産管理委員会副議長。93年中央に転出し、国有財産管理国家委員会副議長を経て、95年3月、同第1副議長。96年9月13日、同委員会議長に就任。96年10月11日付大統領令によって承認された大統領直属納税・予算規律強化臨時非常委員会議長メンバー。97年3月17日、国有財産管理国家委員会議長兼任のまま連邦副首相(国有財産、民営化、税務、アルコール国家独占担当)に就任。彼の副首相の管轄事項の中で最も重要なのは国家予算の歳入部分に関する責任である。同年4月8日付首相命令でロシア連邦と諸外国間の貿易・経済及び科学・技術協力における政府間委員会ロシア側議長(オーストリア、ノルウェー、ブルガリア担当)に任命される。97年8月13日付の大統領令により副首相と国有財産管理国家委議長職を解任。同氏が担当した政府保有株式(7月下旬と5月5日にそれぞれ実施された通信持ち株会社「スビャジインベスト」と非鉄最大手「ノリリスクニッケル」)の公開入札で公開入札で不正が指摘され、経済界の反発を招いていることに同氏が責任をとった模様。解任後は経済界に転じる。同年10月、モスクワ市検察庁は、刑事事件を提起。(93年12月、株式会社「エクシコン」から国有財産管理委員会によって購入された21戸の住宅が重大な法律違反を伴って無償で配分された。違法な取引を隠蔽するために、それらの住宅の所有者(一部の者は住宅条件を改善する必要が全くなかった)は、同社との間で架空の売買契約を交わした。同氏の住宅も同様にして入手された。)98年5月、同市検察庁は同氏を起訴。


コブイルキン:Кобылкин
ワシリー、Ф.
生年月日 1955.01.14
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ヴォロネジ州議会議員。州議会住民の社会的保護常任委員会議長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、選挙団体「ロシア連邦共産党」の推薦を受け、ヴォロネジ州プラヴォベレジヌイ(右岸)選挙区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。第2期国家会議女性・家族・青年問題委員会委員。96年2月9日までは第2期国家会議労働・社会政策委員会委員。


コプィロフ:Копылов
アレクサンドル、Т.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 93年9月まで最高会議政治的弾圧犠牲者の名誉回復担当委員会議長。


コプィロフ:Копылов
アナトリー、С.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 農業省(現農業・食糧省)次官をつとめる。


コプソフ:Копсов
アナトリー、Я.
生年月日 1942.04.06
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 イワノフエネルギー大学卒業。58〜60年発電所に電気組立工として勤務。エネルギー大学卒業後、現場主任、職長として働く。76〜78年バングラデシュ人民共和国火力発電所に職長として勤務。78〜88年カルマノフスク発電所に職長、党委員会書記、所長として働く。株式合同バシコルエネルゴ総支配人を経て、92年11月14日、バシコルスタン共和国首相に就任(94年7月19日辞任)。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。無所属。連邦会議予算委員会委員。現在、ロシア統一エネルギー株式会社「ロシヤ」局長。