コブゾン:Кобзон
ヨシフ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 著名な歌手。97年9月14日に実施された下院議員補欠選挙に立候補し、チタ州アガ・ブリャート自治管区から当選(得票率約84%)。


コプチェフ:Коптев
ユーリー、Н.
生年月日 1940.01.01
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 モスクワ・バウマン工科大学卒業。技師。妻と2人の息子。ラヴォチキン記念科学生産合同勤務。ソ連一般機械製作省次官としてロケット・宇宙関係の一連のプロジェクトの陣頭指揮にあたる。92年2月25日、ロシア宇宙局(アゲンストヴォ)長官に就任。


コプチュグ:Коптюг
ワレンチン、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年6月5日、大統領直属国家褒賞(科学・技術分野)委員会副議長に就任。


コペイカ:Копейка
アレクサンドル、К.
生年月日 1946.09.28
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 72年入党。代議員選出時には、地方ソビエト執行委員会副議長。90年離党。同年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。93年9月まで最高会議マスコミ委員会副議長。


コペイキン:Копейкин
ミハイル、Ю.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年7月27日より政府官房経済総局長をつとめる。同総局は、98年5月15日付政府命令第526号による政府の大幅な機構改革により廃止。


コベツ:Кобец
コンスタンチン、И.
生年月日 1939.07.16
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 91年8月まで党員。56年から軍歴。参謀本部大学卒業後多くの軍管区で軍務につく。参謀本部副総長。86年装備連絡部隊第1副長官、長官。上級大将。90年人民代議員に選出。91年8月〜91年11月、国防大臣。91年8月クーデター阻止で活躍。92年2月ロシア連邦国家顧問(国防問題担当)に任命。軍総監、国防省次官。97年5月16日、14億ルーブルの収賄、職権乱用および違法な銃火器の保管の容疑で起訴され、同月18日付大統領令により国防次官解任、軍籍剥奪。


コベツ:Кобец
ヴャチェスラフ、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 マガダン州人民代議員ソビエト議長をつとめる。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同州ソビエト解体。後に同州副知事。98年9月、越権行為及び貴金属違法取引でモスクワで起訴される。同氏は詐欺行為によって、コブラン(ロシア連邦貴金属・宝石国家組織)は金採掘企業から650億ルーブル以上を受け取ることができなかった。同氏に対して、強制措置として禁則誓約書がとられる。


コベレフ:Кобелев
ヴィクトル、В.
生年月日 1943.06.15
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 93年12月の選挙で国家会議代議員に選出される。ロシア自由民主党中央委員会事務局長を務めるが、後に、94年2月16日離党。国家会議環境委員会委員。


ゴボリン:Гоболин
ボリス
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 イルクーツク市長を経て、97年7月に実施されたイルクーツク州知事選挙で、50.34%の得票率で当選。


コマロフ:Комаров
エヴゲニー、Б.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 90年、ムルマンスク州人民代議員に選出されるが、ロシア共和国人民代議員大会では代議員に落選。90〜91年、ロシア共和国北方社会・経済発展国家委員会議長をつとめる。91年11月、ムルマンスク州行政長官に任命される。第2期ロシア上院議員。第2期連邦会議北部・少数民族問題委員会委員。96年12月1日に実施されたムルマンスク州行政長官選挙の決選投票で、僅差で落選。


コマロフスキー:Комаровский
ユーリー、В.
生年月日 1952.07.18
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 ハバロフスク交通技師大学卒業。76〜90年ナリヤンマル航空運輸企業に技師、飛行部隊副隊長として勤務。90〜91年ナリヤンマル市執行委員会第1副議長をつとめる。92年12月からネネツ自治管区行政長官(96年2月、本人の依願により解任)。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。無所属。連邦会議北方問題・少数民族問題委員会委員。第2期連邦会議科学・文化・教育・保健・環境委員会委員。


コミサール:Комиссар
ミハイル、В.
生年月日 1953.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 インタファクス通信社長。97年8月14日、マクシム・ボイコの後任として、大統領府副長官に就任。国内問題・マスコミ相互関係問題を担当する。98年5月、大統領府副長官としてロシア下院、政党、運動、並びに地方自治体との関係を担当。


コムチャトフ:Комчатов
ウラジーミル、Ф.
生年月日 1942.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年1月5日、モスクワ市大統領代理人、同年3月20日より最高会議議会内会派「市民社会」メンバー。


コモフ:Комов
ニコライ、В.
生年月日 1939.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 政府付属土地改革・土地資源委員会議長を経て、93年1月18日より連邦土地資源・土地開発委員会議長。同委員会は、96年8月15日付大統領令によって、国家委員会に名称変更される。97年5月7日、同委員会議長職を解かれ、第1副議長に降格。同委員会は、98年4月30日付で廃止され、新設の土地政策・建設・住宅公共事業省に吸収される。同年7月、土地政策・建設・住宅公共事業省第1次官に就任。同省は、同年9月22日付大統領令第1142号により廃止。


コラベリシチコフ:Корабельщиков
アナトリー、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 地域政策担当大統領補佐官をつとめる。98年5月25日、同職解任。


ゴリコフ:Голиков
フェリクス
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 アストラハン州行政副長官をつとめる。


ゴリシニコフ:Голишников
アレクサンドル、М.
生年月日 1944.05.28
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 最高会議小委員会議長。63〜67年海軍従軍。70年ソ連内務省の民兵学校を卒業。法科大学に進み、地方の国内問題部局の検察官をつとめる。76年以降は自治共和国の法律顧問として働く。79年裁判官となり、82年以降は裁判所長。72〜91年党員。raikomにも選出される。91年7月、第5回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。


コリニチェンコ:Колиниченко
イワン、Е.
生年月日 1940.05.19
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 60年代半ば極東高等海洋技師学校船舶機械学部卒業。中等学校卒業後、57〜58年船舶修理工場に勤務、ウラジオストックの海運学校に学ぶ。65年から極東海洋汽船会社の船でエンジン係、機関士として働く。70年代初頭党活動に移行する。約10年間、汽船会社の党委員会を含め、様々な指導職に就いた。83年4月から極東海洋汽船会社幹部副長として働く。現在このポストの名称は幹部および株式会社「極東海洋汽船」の社会的発展を考える局の局長となっている。95年初めに沿海地方議会代議員に立候補。ウラジオストックのフルンゼンスキー地区の8人の候補者の中から選挙参加者の36.8%の票を集めて当選。投票者はかなり消極的である(94年10月選挙は選挙者の大半が欠席したため成立しなかった)。93年ロシア連邦憲法に関する投票では参加者の4分の3が受け入れた。連邦会議代議員選挙の際、ナズドラチェンコの支持率は、沿海地方全体の平均は65%であるのに対し、この選管区は約58%だった。党や選挙ブロックに投票する際、この地区の選挙者は自由民主党より「ロシアの選択」を優先し、ロシア連邦共産党は第7位に終わった。


ゴリバフ:Гольбах
アレクサンドル、В.
生年月日 1945.01.01
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 62年にウラル自動車工場で電気仕上げ工として働き始める。東軍管区で義務年限内勤務に就く。71年ジェルジンスキー(名称)アルマアタ国境学校を卒業。ロシア・フィンランド国境警備隊副隊長として働き始める。81年フルンゼ(名称)軍アカデミーを卒業。卒業後は北極地方国境独立部隊隊長、副指揮官、北西国境軍管区参謀長。94年から極東国境軍管区指揮官。軍の称号は、陸軍大将。


ゴリャチェフ:Горячев
ユーリー、Ф.
生年月日 1938.11.11
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 ウリヤノフスク農業大学、党中央委員会付属通信高等学校卒業。61年から獣医学・細菌学実験室長、61〜65年コムソモールのraikom第1書記、obkom組織者、書記をつとめる。65〜87年ソ連邦共産党raikom書記、コムソモールobkom第1書記を経て、87〜92年は州ソビエト執行委員会議長、州ソビエト議長、ソ連邦共産党obkom第1書記。92年1月9日、ウリヤノフスク州行政長官に就任。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。無所属。連邦会議科学・文化・教育問題委員会委員。第2期連邦会議科学・文化・教育・保健・環境委員会委員。96年12月22日に実施されたウリヤノフスク州行政長官選挙で再選される。


ゴリャチェフ:Горячев
ワレリー、С.
生年月日 1952.08.06
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。弁護士として働く。「ヤブリンスキー連合」会派のメンバー。国家会議立法・司法委員会委員。


ゴリャチェフ:Горячев
マルク、Л.
生年月日 1954.04.06
性別
国籍 ロシア人
学歴 中/高卒
考察 93年12月国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。講師、財閥総裁として働く。ロシア統一・合意党のメンバー。国家会議財産・民営化・経済活動委員会委員。


ゴリャチェフ:Горячев
ワレリー、М.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年1月現在、連邦通信分野自然独占調整局長官をつとめる。


ゴリャチェワ:Горячева
スヴェトラーナ、П.
生年月日 1946.06.03
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 沿海地方アヌチノ地区の労働者の家庭に生まれる。夫と息子1人。74年極東国立大学法学部卒業。大学進学前から69年までアルセニエフ市の企業で働く。74〜76年沿海地方執行委員会法務部勤務。その後、地方検察局検察官に就任、86年沿海地方自然保護地区共同検察局の長となる。87〜91年ソ連共産党員。90年3月ロシア共和国人民代議員に選出され、90年7月〜91年10月共和国最高会議副議長になる。92〜93年最高会議で大統領および政府への反対勢力を率いた。93年末ウラジオストクに戻り、95年12月まで市副検察官として働く。94年政治から去ることを再三宣言した。95年12月ロシア連邦共産党の推薦を受けて国家会議代議員に立候補し、沿海地方ウスリースク選挙区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。党中央委員会メンバー。91年プラヴダ紙「今年の人」格付け表でジリノフスキーに2ポイント遅れを取り、Н・アンドレーエフに2ポイント先んじて、8位を占めた。96年1月18日、国家会議(下院)副議長に就任。第2期下院評議会員。同年2月11日、運動「全ロシア女性同盟」を代表してロシア大統領選に立候補することを辞退。


ゴリュノフ:Горюнов
ウラジーミル、Д.
生年月日 1949.09.04
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 スポーツクラブ「ロートル」会長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で「我が家ロシア」から比例区繰り上げ当選。第2期国家会議観光・スポーツ委員会副議長。


ゴリュノフ:Горюнов
エヴゲニー、В.
生年月日 1963.01.03
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 保険医療会社「ASTER」支配人。95年12月第2期国家会議代議員選挙で「我が家ロシア」から比例区繰り上げ当選。第2期国家会議健康保護委員会委員。


コリョネチェンコ:Коленеченко
アナトリー、А.
生年月日 1934.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 ハバロフスク鉄道運輸技術者大学を卒業。大学を卒業後、カザフ鉄道で働く。極東、コムソモリスク-ナ-アムーレ市に戻り、「アムルリトマシュ」工場で働く。59年に「アムルスターリ」工場で働くようになり、そこでの16年の勤務のうち5年間は党委員会の仕事に就く。75年コムソモリスク市執行委員会副議長に任命、77年共産党ソーンネチヌイ地区委員会第1書記、82年共産党地方委員会の森林及び木材加工工業部長となる。88年からハバロフスク地方環境及び天然資源保護委員会議長。


ゴルィシェフ:Голышев
パーヴェル、А.
生年月日 1952.07.05
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 イルクーツク工業大学卒業。74〜75年アンガル石油化学コンビナート技師として、75〜76年採掘・選鉱コンビナート電気設備工として76〜77年イルクーツク林業技術中等学校講師として働く。77〜78年全ソ盲人協会イルクーツク支部技師長。81〜83地区屋外電気こんろ局長。85〜88年採金協同組合副議長。88〜94年道路建設・採金会社社長。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。無所属。94年3月26日、上院予算・財政・通貨・融資調整・通貨発行・税政策・関税調整委員会副議長に就任。


コルガノフ:Колганов
アレクサンドル、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 農業・食糧省次官を努める。


コルサコフ:Корсаков
ニコライ、Н.
生年月日 1956.10.19
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 フルニチェフ(名称)国立宇宙実験製造センター所属設計事務所「サリュート」旋盤工。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。第2期国家会議退役軍人問題委員会委員。


ゴルシェベンコ:Голшебенко
エドゥアルド
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 燃料・エネルギー省第1次官をつとめる。96年現在在職が確認されず。


ゴルシコ:Голушко
ニコライ、М.
生年月日 1937.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年6月15日、保安省第1次官・保安省参謀長就任。保安相代行、93年9月保安相を経て93年12月より連邦防諜機関長官(94年2月26日解任)。中将。


コルジャコフ:Коржаков
アレクサンドル、В.
生年月日 1950.01.31
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 モスクワ生まれ。67〜68年モスクワ電気機械工場の組立工。69〜70年ソ連軍クレムリン連帯勤務。70〜89年国家保安委員会(KGB)第9局(党・国家要人の警護担当)勤務。しばらくアフガニスタンに滞在。80年全ソ連通信制法科大学卒。85年に当時共産党モスクワ市委員会第1書記だったエリツィンの3人の身辺警護員の1人となり、それ以後エリツィンの懐刀となる。89年、「年齢と健康状態」を理由にKGBを解雇され(ソ連国家建設委員会に左遷されたエリツィンとの親密な関係が解雇の本当の理由だと考えられている)、しばらく協同組合「プラスチク」議長のボディーガードを努める。同年、共産党離党届を出し、「党費滞納」で党除名処分を受ける。エリツィンがソ連最高会議建設・建築問題委員会議長になると、協同組合をやめて議長応援室に就職。90年エリツィンがロシア最高会議議長になると、その警護責任者になる。91年からロシア連邦警備総局第1副長官および大統領警備総局長(93年12月17日から同機関長官)。95年7月より中将。大統領保安局(大統領が直接指導)局長。コルジャコフはエリツィンの入院中もその病室に出入りできる数少ない人物の1人であり、エリツィンにとって身辺警護の責任者であるばかりか政治問題に関する助言者でもあると言われている。96年6月16日のロシア大統領選挙第1回投票直後の同20日、突然解任される。97年2月9日、アレクサンドル・レベジ前下院議員が安全保障評議会書記に就任した後空席となっていたトゥーラ州選挙区(1人区)の下院補欠選挙で、26%以上の得票率で当選。同年4月下院国防委員会のメンバーとして承認。同年8月、エリツィン政権の内幕を暴く回想録「ボリス・エリツィン:夜明けから日没まで」を出版。