クズィク:Кузык
ボリス、Н.
生年月日 1958.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年6月、大統領補佐官(外国との軍事技術協力問題担当)就任。98年2月、大統領府の機構の改善措置に関する大統領令に基づき、大統領府の一連の部局の改革が実施され、いくつかの部が廃止されると共に大統領府職員が大幅に削減され、これに関連して同月12日大統領補佐官職から解任。


グストフ:Густов
ワジム、А.
生年月日 1948.12.26
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 ウラジーミル州アレクサンドロフ地区カリニノ村出身。モスクワ地質調査大学卒業。71〜77年ウズベク共和国採鉱・治金コンビナート現場主任、採取場部門長として、77〜78年レニングラード州生産連合の鉱山現場主任、部門長として働く。78〜86年ソ連共産党gorkom産業・運輸部門指導員、部門長。86〜91年市ソビエト執行委員会代副議長、ソ連共産党gorkom第2書記、市ソビエト議長をつとめる。91〜93年、レニングラード州ソビエト議長。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同州ソビエト解体。93年12月連邦会議代議員に当選。無所属。94年1月上院CIS問題委員会議長及び代議員資格審査委員会議長に就任。95年「北西協定」同盟会長。96年9月29日、レニングラード州知事選挙で左派勢力の支持を受けて得票率53.37%で当選し、知事に就任。上院経済政策委員会委員。98年9月18日、連邦第1副首相(国家建設問題、民族・地域・青少年政策、北方問題担当)に任命。独立国家共同体諸国との関係分野における国家政策のとりまとめ・実現問題を調整。地域・民族政策、連邦関係、地方自治の発展、予算関係、チェチェン共和国および閉鎖地方自治体の問題を含むロシア連邦構成主体の社会・経済的発展、北方地域および北方少数民族の発展・生活維持の諸問題を担当。国家青少年政策、移住政策、市民の移住・生活環境整備の諸問題、在外の同胞問題を担当。その他、独立国家共同体問題省、地域政策省、民族政策省、建設・建築・住宅政策国家委員会、青少年問題国家委員会、連邦移住局、連邦測地・地図製作局の活動を直接調整・監督。同年10月5日、政府幹部会メンバー。


クズネツォフ:Кузнецов
ウラジーミル、А.
生年月日 1927.06.25
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 無党派。大学で歴史学を専攻。61年博士候補、71年博士。代議員選出時には、北オセチア歴史・哲学・経済研究所副所長。91年7月、第5回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。議会にはほとんど登院せず、投票にも参加していない。


クズネツォフ:Кузнецов
ユーリー、П.
生年月日 1947.10.12
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月第1期国家会議代議員選挙に当選、94年1月より下院女性・家族・青年問題委員会副議長となる。教師、国際人間潜在能力研究所所長として働く。94年4月まで新聞「ジリノフスキーの言葉」編集長。ロシア自由民主党会派のメンバー。94年3月より自由民主党サンクトーペテルブルグ市組織委員会委員長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。第2期国家会議民族問題委員会副議長。代議員資格審査委員会委員。


クズネツォフ:Кузнецов
エヴゲニー、С.
生年月日 1938.12.27
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 スタヴロポリ農業大学、ソ連閣僚会議付属国民経済アカデミー卒業。60〜63年工場勤務。職長を経験。ナホトカで、63〜64年海洋漁港冷蔵庫で技師長として、64〜67年大型漁業トロール船冷凍設備修理工として働く。67〜81年スタブロポリの研究・生産連合会「エレクトロアフトマティカ」勤務。生産部門副支配人、技師長をへて83〜90年同連合会の支配人、総支配人をつとめる。90〜91年スタブロポリ市ソビエト議長。現在、スタブロポリ地方行政長官。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。「ロシアの民主的選択」のメンバー。94年1月より上院代議員資格審査委員会員。連邦会議農業政策委員会委員。95年6月30日、ブジョンノフスク事件に関連してスタヴロポリ地方行政長官を解任される。同年9月、ロシア通商代表としてアルゼンチンに赴任することがロシア対外経済関係省幹部会で決定される。


クズネツォフ:Кузнецов
アレクセイ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 93年2月よりサンクトペテルブルグ市副市長(財政問題担当)。


クズネツォフ:Кузнецов
エヴゲニー、С.
生年月日 1944.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ヴォルゴグラード州におけるロシア大統領代理人をつとめる。97年4月10日、同職解任。


クズネツォフ:Кузнецов
アナトリー、М.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ノヴゴロド州における大統領代理人をつとめる(94年1月18日解任)。


クズネツォフ:Кузнецов
ボリス、Ю.
生年月日 1935.02.18
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ペルミ州行政長官をつとめる。95年12月第2期国家会議代議員選挙で「我が家ロシア」で比例区から当選。「我が家ロシア」会派所属。下院議員転出のため96年1月6日同州行政長官解任。第2期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会メンバー。98年9月、我が家ロシア会派指導者のショーヒン氏が副首相に転出したため、同会派リーダーをつとめる。


クズネツォフ:Кузнецов
ヴィクトル、Г.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 トゥーラ州におけるロシア大統領代理人をつとめる。


クズネツォフ:Кузнецов
イワン、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年2月26日、外務省次官に就任。


クズネツォフ:Кузнецов
ゲルマン、С.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年1月、対CIS加盟諸国協力省次官に就任。同省は、98年4月30日付で廃省。権限を外務省に移管。


クズネツォフ:Кузнецов
アレクサンドル、В.
生年月日 1958.03.13
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ロシア鉱山冶金労組中央評議会人権擁護活動・法務部専門官。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。「ヤブロコ」会派所属。「ヤブロコ」中央評議会メンバー。第2期国家会議労働・社会政策委員会委員。


クズネツォフ:Кузнецов
ヴャチェスラフ、Ю.
生年月日 1956.12.27
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 「TIKO」社社長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で「我が家ロシア」から比例区繰り上げ当選。「我が家ロシア」会派所属。第2期国家会議財産・民営化・経済活動委員会委員。


クズネツォフ:Кузнецов
ミハイル、В.
生年月日 1968.08.22
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 第18寄宿学校慈善基金議長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で「ロシア自由民主党」から比例区繰り上げ当選。ロシア自由民主党会派所属。第2期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会副議長。


クズネツォフ:Кузнецов
アナトリー、Ю.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年9月、大統領保安局長に就任。


クズネツォフ:Кузнецов
ワシリー
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 「インタウゴーリ」スィクトィヴカル支店長。コミ共和国議会議員をつとめる。97年11月30日に実施されたコミ共和国大統領選挙に立候補するが、得票率9.77%で落選。


クズネツォフ:Кузнечов
ボリス、С.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年2月、ヴォロネジ州における大統領代理人に就任。


グスマン:Гусман
ユーリー、С.
生年月日 1943.08.08
性別
国籍 ユダヤ人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選、94年1月に下院地政学委員会副議長になる。医者、映画監督、映画関係者の館館長として働く。「ロシアの選択」会派のメンバー。


クゼンコフ:Кузенков
オレグ、А.
生年月日 1950.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 84年ソヴィエト商業極東大学を通信教育で卒業。80年から83年ハバロフスク市の地区漁業需要同盟商業基地の副支配人。84年から86年レストラン及びカフェー地方トラスト主任。88年から地方執行委員会商業副局長。90年ハバロフスク地方執行委員会副議長。92年から93年ハバロフスク行政商業及び食糧局長。93年9月からハバロフスク地方行政副長官、食糧委員会議長。


クセンズク:Ксензук
ウラジーミル、М.
生年月日 1947.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 60年代末財政・経済大学、モスクワ国民経済大学製造組織者学部、アメリカ合衆国ポートランド国立大学ビジネススクール卒業。64年企業「エラ」と工場「ダリプリボル」で電気組立工、配車係、計画生産部技師として働く。工具工場の先任計画技師、部長、その後沿海地方供給商業センターの部長、副局長、副支配人をつとめ、その後株式会社「エッリカ」総支配人。90年地方ソビエト議員に選ばれる。91年3月党から脱会。93年末国家会議(下院)代議員選に立候補するが、6人の候補者のうち最下位で落選。95年1月沿海地方議会に選挙連合「民主」クラブから立候補した。5人の候補者のうち第2位を占めた。選挙は投票参加率の低さのため成立しなかった。彼の収入の申告書と仕事への適格性を証明する健康診断書の提示は、投票者の共感を呼んでいる。ウラジオストク市役所財務局副局長から、97年12月7日に実施された沿海地方議会議員選挙に出馬し、当選。


クゾフ:
ワレンチン
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 沿海地方副知事をつとめる。


クタフィン:Кутафин
オレグ、Е.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年2月、大統領直属国籍問題委員会議長に就任。


クチンスキー:Кучинский
ニコライ、В.
生年月日 1950.01.01
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 80年極東国立大学法学部卒業。中等学校卒業後、ウラジオストック造船工場で取付工として働く。68〜70年ソ連軍勤務。復員後、同工場に戻る。80年ウラジオストック市ペルヴォマイスキー地区裁判所で裁判官として働き始める。87年からウラジオストック市レーニンスキー地区裁判所議長として働く。93年ウラジオストック市行政長官の職に立候補する。94年沿海地方議会に立候補する。三人の候補者のうち最下位で落選。投票には選挙民の約11パーセントが参加。