マスハドフ:Масхадов
アスラン、А.
生年月日 1951.01.01
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 カザフスタン生まれ。妻と1男1女。トビリシ砲兵学校とレニングラード軍大学を卒業。72年、砲兵学校卒業後、軍管区に配属になり、小隊長になる。81年軍大学卒業。ハンガリー駐留軍に配属され、そこで最初は大隊長、次に連隊長。その後、沿バルト軍管区で連隊長になり、その後、同軍管区で師団のミサイル・砲兵部隊長に任命される。90年1月のビリニュス事件(ソ連軍が、ソ連からの独立を求めるリトアニア市民の行動を武力で弾圧し、多数の死傷者を出した事件)の際、ビリニュスにいた。92年ロシア軍を除隊になり、チェチェン独立派の武装集団に加わり、参謀総長第1代理になる。除隊時の階級は大佐。94年から独立派参謀長。94年6月から95年1月までグロズヌイの大統領官邸の防衛を指揮。95年8〜10月、ロシアとの交渉にチェチェン独立派代表団の軍事代表として参加。96年8月、レベジ・ロシア安全保障評議会書記(当時)との交渉でチェチェン代表団の団長。96年10月〜97年1月の選挙戦開始までチェチェン連立政府首相兼共和国国防相。ロシア側との和平交渉で重要な役割を果たし、(当時のレベジ書記と)ハサビュルト協定に調印した。96年11月23日、チェルノムイルジン・ロシア首相とロシア連邦とチェチェン共和国の相互関係の原則に関する協定に調印。97年1月27日に実施されたチェチェン共和国大統領選挙で、59.3%の得票率で当選。しかし、ロシア連邦会議(上院)の活動には不参加を表明。同年2月12日、大統領就任。共和国首相及び軍最高司令官兼任。同月、大統領直属共和国最高評議会を編成し、新政府閣僚の候補者検討にあたる。98年7月23日、同氏に対する暗殺未遂事件が首都グロズヌイで発生。しかし、軽い負傷を負っただけで難を逃れる。


マスリー:Маслий
ボリス、П.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年10月、林業・製紙・木材加工産業国家委員会副議長に就任。同委員会は、97年3月17日付大統領令によって、経済省へ機能を移管し、廃止される。同年11月、経済省次官に就任。


マスリュコフ:Маслюков
ユーリー、Д.
生年月日 1937.09.30
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 タジク共和国レニナバード市で労働者の家庭に生まれる。父親は大祖国戦争で戦死。妻と息子1人。科学技術の最新の成果に関心を持ち、また歴史文学を収集。62年レニングラード機械大学及びレニングラード市の高等砲兵技術学校を卒業。62〜67年ソ連国防工業省イジェフスク技術研究所で技師、上級技師、次いで副部長、67〜70年同研究所主任技師兼研究活動担当副所長。70〜74年ソ連国防工業省イジェフスク機械製作工場第1支部主任技師兼副支部長。74〜79年ソ連国防工業省技術総局長。79〜82年ソ連国防工業次官。82〜85年ソ連国家計画委員会(ゴスプラン)第1副議長。85〜88年ソ連副首相。88〜91年ソ連第1副首相兼ゴスプラン議長。91年ソ連副首相兼国家軍事産業委員会議長。ソ連閣僚会議北極・南極問題委員会議長。90〜91年ソ連大統領評議会メンバー。66〜91年ソ連共産党員(86〜91年中央委員、88〜89年政治局員候補、89〜91年政治局員)。95年12月株式会社「ユグトランスインヴェスト」社長の時にロシア連邦共産党から比例区で第2期下院に選出され、96年1月19日、国家会議経済政策委員会議長に就任。ロシア連邦共産党会派所属。98年7月23日、産業・貿易相に任命。共産党からロシア内閣に入閣下のは、トゥレーエフ氏(96年8月〜97年7月CIS諸国協力相)に次いで2人目。また、下院議員と政府閣僚の兼務不可の問題については、議会の夏休みのため中断し、議員兼務のまま入閣。同氏の入閣問題は、共産党が党大会で決定した共産党員の入閣反対の立場に反するものとして、離党問題が取り沙汰されたが、同氏は離党の意志はないと表明。同年8月23日付大統領令により、内閣総辞職、産業・貿易相代行になるが、同年9月3日、同職辞任。同年9月11日付大統領令により、第1副首相(経済、軍事工業コンプレクス担当)に任命。経済改革、経済発展、社会・経済発展プログラムの作成および実現、経済安全保障の諸問題を調整。防衛部門の問題を含む産業政策問題、構造・投資政策問題を担当。対外経済関係、軍事技術協力、貿易発展の諸問題を担当。独占禁止政策、自然独占体の活動の調整、中小企業活動支援の諸問題を担当。財政管理、制度改革、有価証券市場、財政・金融の健全化、企業破産の諸問題を担当。資金調達、融資、通過・外貨の流通、輸出管理における業務上の問題を担当。世界銀行グループの諸機関、国際通貨基金、欧州


マスリュコフ:Маслюков
レオニード、М.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年9月、林業・製紙・木材加工産業国家委員会副議長に就任。同委員会は、97年3月17日付大統領令によって、経済省へ機能を移管し、廃止される。


マズル:Мазур
ウラジーミル、Б.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦地質学・地下資源利用委員会副議長を務める。同委員会は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって、天然資源省及び環境保護国家委員会に統合され、廃止。


マズル:Мазур
アレクサンドル、А.
生年月日 1950.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 商業銀行「ペトロフスキー」法務部長。95年12月国家会議代議員選挙で、選挙団体「ヤブロコ」の推薦を受け、サンクトペテルブルグ市ユジヌイ(南部)選挙区から当選。「ヤブロコ」会派所属。第2期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会メンバー。


マスロフ:Маслов
ニコライ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 副大統領補佐官をつとめる。


マスロフ:Маслов
アレクサンドル、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年1月28日、大統領直属連邦法律情報委員会副議長に就任。同年3月11日より大統領国法総局副局長・同総局国家行政法と国際法部長。


マスロフ:Маслов
パーヴェル、Т.
生年月日 1946.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年1月、内務省第1次官及び治安軍参謀総長に就任。中将。98年3月23日、チェルルノムィルジン首相と内閣総辞職を決定する大統領令が出され、解任されたクリコフの後を受けて、内相の職務の一時的遂行を委ねられるが、同30日、ステパシン前法相の内相代行就任によって解任。98年5月、内務省第1次官及び国内軍参謀長の職を解かれ、内務省次官兼国内軍総司令官に任命。


マスロフスキー:Масловский
ウラジーミル、К.
生年月日 1943.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 株式会社「プリモルネフテプロドゥクト(沿海地方石油製品)」社長。97年12月7日に実施された沿海地方議会代議員選挙に立候補し、当選。98年5月、沿海地方議会に初めて誕生した議員連合「沿海地方の復興」(構成員23名)の代表に選出。


マチャショフ:Матяшов
ピョートル、И.
生年月日 1942.01.03
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。地区行政第1副長官、地区農業局長として働く。「新地域政策」グループのメンバー。国家会議活動組織委員会委員。


マチュショフ:Матюшов
ゲンナディー、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 運輸省次官をつとめる。


マチュニン:Матюнин
ヴィクトル、Г.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 体育・観光国家委員会第1副議長を務める。


マチュヒン:Матюхин
ウラジーミル、Г.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦政府通信・情報機関副長官を務める。


マテロフ:Матеров
イワン、С.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 経済省次官、同第1次官を経て、93年7月より第1対外経済関係省次官。95年10月、経済省第1次官再任。


マトヴィエンコ:Матвиенко
ワレンチナ、И.
生年月日 1949.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ソ連最高会議幹部会メンバー、マルタ大使、外務省連邦構成主体・議会・社会政治団体連絡総局長、ギリシャ大使などを経て、98年9月24日、ロシア初の女性副首相(社会問題担当)に任命。社会政策、労働関係、社会保険、社会的保証・特典・給付制度、国民の貧困層の社会的保護、年金保障の諸問題を調整。普通・職業教育、保健、文化、体育、観光の諸問題を担当。ロシア連邦政府と労組団体、社会運動団体、宗教団体、マスコミの連携を確保。ロシア社会・労働関係調整3者委員会の諸問題を担当。また、労働・社会発展省、保健省、普通・職業教育省、文化省、映画国家委員会、新聞国家委員会、体育・観光国家委員会、連邦公文書局、連邦テレビ・ラジオ局、年金基金、社会保険基金、連邦強制医療保険基金の活動を直接調整・監督。同年10月5日、政府幹部会メンバー。


マトヴェーエフ:Матвеев
ユーリー、Ф.
生年月日 1943.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 コムソモリスク-ナ-アムーレ工業大学を通信教育で卒業。機械技師の資格を持つ。82年ハバロフスク高等党学校を卒業。68年から73年コムソモリスク-ナ-アムーレ市の工場「アムルスターリ」の主要機械技師部で、仕上げ班長、設計技師として働く。73年から76年工場「アムルスターリ」の全ソ連レーニン共産主義青年同盟の委員会書記。76年から89年党の仕事に就く。ソヴィエト共産党コムソモリスク-ナ-アムーレ市委員会の指導員、工業運輸部長、書記、第2書記。89年から91年コムソモリスク-ナ-アムーレ市執行委員会議長。91年からハバロフスク地方行政副長官、エネルギー産業及び住宅公益事業管理委員会議長。93年3月からハバロフスク地方行政第1副長官、エネルギー産業及び住宅公益事業管理委員会議長。


マトチキン:Маточкин
ユーリー、С.
生年月日 1931.10.18
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 レニングラード高等海軍国境警備隊学校、カリーニングラード漁獲・漁業技術大学卒業。教授の称号を持つ。55〜60年ソ連閣僚会議直属KGB国境区域勤務。60〜73年カリーニングラード生産連合会の漁船船長として働く。73〜77年漁業コルホーズ長をつとめる。77〜91年労働指導者および漁業専門家技能向上専門学校学長。91年10月からカリニングラード州行政長官をつとめる。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。無所属。連邦会議国際問題委員会委員。96年10月20日に実施されたカリーニングラード州行政長官選挙で、40%の得票をしたが、落選。


マナエンコフ:Манаенков
ユーリー、А.
生年月日 1936.08.02
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 集団農場で働き、後に58〜62年地方の農業新聞の編集の仕事に携わる。60年以降党員。raikomなどで働き、大学を卒業した後、集団・国営農場の主任技術者としてつとめる。raikom、obkomで要職をつとめ、アフガニスタンにも派遣される。84年obkom第1書記。86〜91年党中央委員。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。


マナニコフ:Мананников
アレクセイ、П.
生年月日 1956.01.18
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 ノボシビルスク国立大学卒業。78〜82年ノボシビルスク国立大学経済学部講師として働いた後、モスクワ経営大学大学院経済学講座に学ぶ。82〜85年ソビエト国家および社会の体制を中傷した罪で禁固に服する。86〜88年西シベリア鉄道勤務。89〜90年シベリア情報通信社編集長をつとめる。90年からロシア共和国(ソ連)人民代議員。経済改革問題委員会委員およびロシア連邦最高会議独占禁止法小委員会議長をつとめる。93年12月、連邦会議代議員に選出される。上院代議員資格審査委員会員。連邦会議国際問題委員会副議長。


マナロフ:Манаров
ムサ、Х.
生年月日 1951.03.22
性別
国籍 その他
学歴 大学卒
考察 大学で航空学を専攻し、企業で宇宙飛行士インストラクターとして働く。ミールの飛行事業に積極的役割を果たした。78年宇宙飛行士のリストに加えられる。80年以降党員。87〜88年ミール軌道ステーションの366日という記録達成に関与。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。


マナンニコフ:Мананников
ウラジーミル、Н.
生年月日 1947.04.13
性別
国籍 ロシア人
学歴 中/高卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。ロシア連邦大統領直属立法委員会委員として働く。「ロシアの選択」会派のメンバー。国家会議予算・税金・銀行・財政委員会委員。


マニャーキン:Манякин
セルゲイ、И.
生年月日 1923.11.07
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 ソ連人民代議員。61年から90年までソ連共産党中央委員。87年から89年までソ連人民統制委員会議長。61年から87年までオムスク州共産党委員会第1書記。その後年金生活者。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、選挙ブロック「人民に権力を」の推薦を受け、オムスク州ボリシェレーチエ選挙区から当選。議員グループ「人民に権力を」所属。ロシア連邦共産党メンバー。第2期国家会議経済政策委員会メンバー。


マニロフ:Манилов
ワレリー、Л.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 安全保障評議会副書記を務める(96年9月解任)。大将。


マネジェフ:Манежев
セルゲイ、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 98年6月、政府官房国際協力総局長に再任。


マノシキン:Маношкин
ボリス、А.
生年月日 1947.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 70年代初頭党学校(在ウラジオッストック)を卒業。82年極東国立大学法学部を通信教育で卒業。64年ノボシビルスク州木材調達公団製材部門の労働者として働く。その後アルタイ地方で伐採夫として働く。66〜68年ソ連軍勤務。復員後、カムチャッカ海洋汽船会社で水夫として働く。党学校卒業後沿海地方にとどまり、地区新聞で農業・産業部長として働き始める。74年からカワレリョフ地区のソフホーズに勤務。部長、労働委員会議長、党委員会専従書記。82年ヤコヴレフ人民裁判所の人民裁判官に選出される。同裁判所議長に承認される。87年からナホトカ市人民裁判所議長。


マノヒン:Манохин
アナトリー、Н.
生年月日 1947.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年1月までノヴォシビルスク州におけるロシア大統領代理人をつとめる。


マハシェフ:Махашев
カズベク
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 チェチェン共和国内相を経て、98年1月、同共和国副首相(武力省庁担当)に就任。


マハノフ:Маханов
ウラジーミル、И.
生年月日 1960.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 中/高卒
考察 高卒後、コムソモールに招聘され、工場で働く。78〜80年軍役につく。80年より炭鉱労働者。85年入党。86年専門学校を卒業、技師となる。初級党組織でも書記として活動し、地方労働者会議のメンバーもつとめる。市ソビエト代議員経験もある。90年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。


マハラッゼ:Махарадзе
マイサルト、Н.
生年月日 1943.06.20
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 60年からマスコミ関連の仕事に就く。91〜92年出版情報相代理、92年〜93年ノーボスチ通信社会長、兼副首相。92年12月29日、業務管理担当副首相を解任。92年12月、バイカル湖に関する政府特別委員会議長。


マフムトフ:Махмутов
アミル、Г.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 タタールスタン共和国民族会議副議長。


マムスロフ:Мамсуров
タイムラズ
生年月日 1955.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 北オセチア共和国プラボベレジュヌイ地区の行政長を経て、98年2月10日、北オセチア共和国議会で共和国首相として承認される。


マムダエフ:Мамудаев
ヤラギ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 93年5月17日、代行・第1副首相からチェチェン共和国首相に就任(議会が承認、大統領は不承認)。


マメドフ:Мамедов
ゲオルギー、Э.
生年月日 1947.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 91年12月31日、外務省次官に就任。


マメドフ:Мамедов
ノヴルズ、А.
生年月日 1958.01.01
性別
国籍 アゼルバイジャン人
学歴 大学卒
考察 中等学校を卒業後、電気技師として働く。モスクワの第54職業技術学校を卒業。極東で軍務につく。79年ハバロフスク工業大学の経営管理部の仕事に就く。87年ハバロフスク工業大学経済学部を卒業。2年間、地方漁業要求会議及びプリモルゾーラタの供給機構で働く。89年、ハバロフスク市の、後に社会生活の機能の施設の建設、改築及び運営を専門とする株式会社「ALI」に改組された建設協同組合「クルス」を創設し、指揮を執る。この団体では800名以上が働いている。マーメドフは、ハバロフスク市デモとも成功した企業家のひとりである。95年12月ロシア連邦連邦会議下院に立候補する。総計で15.289票を集め、18人の候補のうち8番目になる。政治的意見は中道主義者。彼は、「ロシアが極東を失いたくないのなら、直ちにそちらへ顔を向けるべきだ。まず始めに極東経済の構造改革のために、資本を分配し、この地域を「商業最恵国待遇地域」として認め、税金を下げることが不可欠だ。」と考えている。


マラーホフ:Малахов
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ヴォルゴグラード州人民代議員ソビエト副議長をつとめる。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同州ソビエト解体。


マラハトキナ:Малахаткина
ナタリヤ、Д.
生年月日 1949.04.06
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。ロシア独立労働組合連盟副議長として働く。「ロシアの女性」会派の副議長。国家会議代議員資格審査委員会秘書長。国家会議健康保護委員会委員。