マリーチ:Малич
ヴャチェスラフ、М.
生年月日 1938.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 中等学校を卒業後、スターリングラード(現在のヴォルゴグラード)のトラクター工場で労働者として働き始める。62年クイブィシェフスキー工業大学を卒業。電気技師の資格を持つ。大学を卒業後、極東に配置される。ソヴェーツカヤガヴァーニ市で太平洋船団の海洋工学の仕事に就く。65年クイブィシェフスキー国営地区発電所で働く。73年から同発電所所長になる。79年ノヴォクイブィシェフスキー熱電併給火力発電所2の所長。84年「ハバロフスクエネルゴ」主任の職に就くため、極東に再び戻る。90年代はじめの部門の再組織のために、ロシア株式会社「ボストークエネルゴ」極東部長となる。この会社の課題は、極東のエネルギーシステムの能率的運用管理、特に発展の展望の問題における全ての地域エネルギー産業の活動の一致である。


マリコフ:Мальков
ニコライ、И.
生年月日 1932.12.09
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 54年以来党員。高卒後、ソ連極東で海運会社につとめる。58〜62年ソ連極東政治将校向航海学校の校長。党委員会書記を経て、64〜67年極東会場貿易港副主幹となる。企業の初級党組織書記、沿海地域kraikomなどで要職をつとめる。72年党中央委員会の高等教育機関を通信課程で卒業し、gorkom第1書記となる。86年obkom第1書記になると同時に、地方執行委員会議長にも選出され、党の役職を離れる。91年3月地方執行委員会議長を辞職し、ロシア最高会議の仕事に専念する。75〜84年ソ連最高会議幹部会員。81〜86年党中央委員候補。党大会に代表として派遣された経験もある。80〜85年ロシア共和国最高会議幹部会員。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。93年9月まで民族会議自治体・少数民族問題委員会副議長。


マリコフ:Мальков
レオニード、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年4月、軍事技術政策国家委員会副議長就任。同委員会は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって廃止。


マリコフ:Мальков
イーゴリ、О.
生年月日 1953.11.24
性別
国籍 不明
学歴 博士候補
考察 ロシア社会民主党のメンバー。第1期国家会議代議員秘書。95年12月第2期国家会議代議員選挙で「ヤブロコ」から比例区繰り上げ当選。「ヤブロコ」会派所属。第2期国家会議国際問題委員会委員。


マリツェフ:Мальцев
ボリス、А.
生年月日 1938.07.12
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 トムスク州議会(ドゥーマ)議長。ロシア上院議員。第2期連邦会議国際問題委員会委員。


マリツェフ:Мальцев
アレクサンドル、Н.
生年月日 1952.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 70年から72年ソ連軍で兵役に服す。73年ムロン市オルジョニキッゼ(名称)工場ほうろう引き工。ニージニー・ノヴゴロド市議会議員。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、ニージニー・ノヴゴロド州セルガチ選挙区から当選。農業党議員グループ所属。第2期国家会議地方自治問題委員会副議長。社会労働党社会労働党メンバー。


マリツェフ:Мальцев
ゲンナディー、В.
生年月日 1955
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 弁護士。95年12月地方議会補欠選挙に立候補し当選。 97年12月7日に実施されたハバロフスク地方議会代議員選挙に立候補し、得票率27.27%で再選。


マルィシェフ:Малышев
ニコライ、Г.
生年月日 1945.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 64年から技術者として働く。79年に博士号取得。教授。90年7月14日〜91年8月9日、ロシア閣僚会議副議長及び科学・高等教育国家委員会議長(91年7月10日同国家委員会議長再任)。91年11月科学・高等教育国家顧問。92年8月8日科学・高等教育施設問題担当大統領顧問。93年3月2日、大統領特別プログラム分析センター所長に就任。94年4月7日より大統領府大統領計画センター所長。98年2月、大統領府の機構の改善措置に関する大統領令に基づき、大統領府の一連の部局の改革が実施され、いくつかの部が廃止されると共に大統領府職員が大幅に削減され、これに関連して同月12日大統領顧問職から解任。


マルィシェフ:Малышев
ワレリー、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年7月、サンクトペテルブルグ市副市長に就任。


マルイチェフ:Марычев
ヴャチェスラフ、А.
生年月日 1939.09.21
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。レニングラード鋼鉄圧延工場のクラブ支配人として働く。ロシア自由民主党会派のメンバー。国家会議地方自治委員会委員。95年6月、国家会議の本会議でスキャンダルを起こし、会議の実務的環境を乱したことで、議会のモラルに反したとして発言権を停止された。


マルィヒン:Малыхин
アナトリー、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 91年10月、ケメロヴォ州におけるロシア大統領代理人に就任。コニャヒン前レニンスク・クズネツキー市長を支持したことで非難され、97年9月27日同職解任。


マルキドノフ:Маркидонов
セルゲイ、А.
生年月日 1961.04.29
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。チタ州財産基金理事長として働く。「12月12日連合」グループのメンバー。国家会議財産・民営化・経済活動委員会委員。


マルキナ:Маркина
リュドミラ、Н.
生年月日 1940.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選するが、94年1月4日、中央選挙管理委員会決定により議員資格失効。リース企業「第3メリニチヌイ・コンビナート」支配人。


マルキン:Малкин
エヴゲニー、Б.
生年月日 1957.03.03
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 94年2月再選挙で国家会議代議員に当選。ロシア科学アカデミーラジオ工学研究所主要技師、ロシア民主党幹部秘書として働く。ロシア民主党会派の副議長。国家会議国防委員会委員。


マルケロフ:Маркелов
レオニード、И.
生年月日 1963.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 マリーエル共和国弁護司会弁護士。95年12月第2期国家会議代議員選挙で「ロシア自由民主党」から比例区繰り上げ当選。ロシア自由民主党会派所属。第2期国家会議教育・科学委員会副議長。97年1月4日に行われたマリーエル共和国大統領選挙の決選投票で落選。


マルコフ:Марков
ヴィクトル、Е.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦機械製作委員会第1副議長を務める。同委員会は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって、産業省に統合され、廃止。


マルコメンコ:Маркоменко
ウラジーミル、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年2月、連邦政府通信・情報局第1副長官に就任。


マルシェフ:Маршев
アリベルト、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年1月より建設省次官をつとめる。同省は、97年3月17日付大統領令によって、住宅・建設政策国家委員会に再編される。同年8月、同委員会副議長に就任。同委員会は、98年4月30日付で廃止され、新設の土地政策・建設・住宅公共事業省に吸収される。


マルチェンコ:Марченко
ピョートル、П.
生年月日 1948.01.02
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 74年から86年現場監督、現場監督主任、建築技師主任、主任技師、住宅建設コンビナートトラスト「スタヴローポリゴルストロイ」長。86年から87年トラスト「グラブスタヴローポリストロイ」副トラスト長。91〜95年、スタヴロポリ地方行政副長官、同第1副長官をつとめる。95年7月20日、同行政長官に就任。クズネツォフ前行政長官は、ブジョンノフスク事件の後に解任された。第2期ロシア上院議員。第2期連邦会議国際問題委員会委員。96年11月17日に実施されたスタヴロポリ地方行政長官選挙の決選投票で、我が家ロシアの支持を受けて臨んだが、落選。同年12月30日、北カフカスにおける大統領代理人に就任。


マルチェンコ:Марченко
ボリス、В.
生年月日 1945.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 中等学校を卒業後、ウスリースクの酸素工場で労働者として働く。極東水産業及び経済技術大学を卒業。遠洋航路航海士の肩書きで、漁業工業の機械技師の資格を持つ。第3副艦長として2年間、漁業トロール船に乗り込む。72年生産合同「ダリフトルツヴェトメト」で、加工作業場長として働き始める。90年主任技術者に任命される。この年にモスクワの貿易アカデミー付属高等商業学校を卒業。91年の日露合弁企業「ボストークメタル」組織者の一人。創立者会議によって技師長に任命される。「経験で知っているが、我々の企業家の一部が、パートナーの利益を考えようとしないことと、その利益を守ろうとしないことで、外国のビジネスマンに不快な印象を与えている。皆それぞれ欠点を持っているが、もし誠実さと能力を持っていれば、彼らと交渉を持つことができる。」政治的意見は中道主義者。


マルチヤノフ:Мартьянов
ニコライ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年1月、キーロフ州における大統領全権代表に就任。


マルチューク:Марчук
フョードル
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 93年1月18日、連邦貿易委員会第1副議長に就任。同委員会は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって廃止。


マルテミヤノフ:Мартемьянов
ワレンチン、С.
生年月日 1932.03.07
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。モスクワ国立法科大学講座主任として働く。ロシア連邦共産党会派のメンバー。国家会議財産・民営化・経済活動委員会委員。1994年死亡。ただし正確な日時は不明。


マルデル:Мардер
ナウム、С.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 通信省次官を努める。


マルトイネンコ:Мартыненко
アナトリー、Н.
生年月日 1935
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 「コンタクト」会社社長。94年3月ハバロフスク議会選挙に立候補し、当選。


マルトイノフ:Мартынов
アナトリー、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年4月9日、政府医療センター総支配人に就任。


マルトイノフ:Мартынов
アレクサンドル、Г.
生年月日 1942.12.21
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 モスクワ市第14自動車サービスセンター総支配人。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。「我が家ロシア」会派所属。第2期国家会議連邦問題・地域政策委員会委員。96年1月21日まで国防委員会委員。


マルトイノワ:Мартынова
ワレンチナ、Г.
生年月日 1942.05.19
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。国営企業副総支配人として働く。「ロシアの女性」会派のメンバー。国家会議健康保護委員会委員。


マレーエフ:Малеев
ワレンチン、В.
生年月日 1941.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 中/高卒
考察 ウッスリースク中等農業技術学校機械化部卒業。ソフホーズで先任技師として働き、62〜64年太平洋艦隊勤務。64〜66年ウッスリースク機械工作工場設計・技術者として働く。66年ソフホーズに戻り、部門長として働く。その後71年まで中等学校で教師として働いたあと、再び機械技師としてソフホーズに移った。72〜73年党raikom指導員、81年まで党raikom第2書記、その1年後地区農業生産局長になる。87年党gorkom第2書記、90年地区ソビエト執行委員会議長。91年からダリニレチェンスキー地区行政長官を務める。


マレーエフ:Малеев
ワレリー
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ソフホーズ「カメンスキー」所長。96年11月17日に実施されたウスチオルダブリャート自治管区知事選挙で当選。ロシア連邦会議最年少議員(32歳)となる。


マロフ:Малов
エヴゲニー、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年2月12日、ロシア鉱工業の連邦監視機関副長官に就任。後に連邦鉱工業監督機関第1副長官。


マンジョソフ:Манжосов
ニコライ、И.
生年月日 1935.12.13
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 レーニン(名称)コルホーズ議長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、選挙団体「ロシア連邦共産党」の推薦を受け、スタヴロポリ地方ゲオルギエフスク選挙区から当選。ロシア農業党議員グループ所属。第2期国家会議農業問題委員会委員。97年3月8日、地方出身議員が滞在するモスクワのホテル「ロシア」の部屋で遺体で発見される。心臓の虚血症で死亡したものとみられる。


マンドルィギン:Мандрыгин
ウラジーミル、И.
生年月日 1942.09.25
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 59年医療専門学校卒業後、病院に勤める。軍役の後、67年入党。71年働きながら医科大学を卒業。医師として病院に勤務し、85〜88年モザンビークにも派遣される。医学博士候補で、論文も発表している。91年7月、第5回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。93年9月まで最高会議保健・社会保障・体育委員会副議長。