ライカム:Лайкам
コンスタンチン、Э.
生年月日 1957.02.15
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。有限会社社長として働く。「12月12日連合」グループのメンバー。国家会議経済政策委員会委員。


ライコフ:Райков
ゲンナディー、И.
生年月日 1939.08.08
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 株式会社「チュメニ石油ガス建設」副社長。95年12月国家会議代議員選挙で、チュメニ州チュメニ選挙区から当選。「ロシアの地域」(独立議員)会派所属。第2期国家会議安全保障委員会委員。


ライフィケシト:Райфикешт
ウラジーミル、Ф.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 アルタイ地方行政長官をつとめる。94年1月20日、同職解任。96年12月、アルタイ地方における大統領代理人に就任。


ラヴロフ:Лавров
セルゲイ、В.
生年月日 1950.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年4月3日、外務省次官に就任。94年7月7日、国連大使に任命される。


ラキトフ:Ракитов
アナトリー、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 大統領府情報分析センター所長、を経て、93年3月6日、一般政治分析センター所長に就任。科学技術政策・情報問題担当大統領顧問。


ラコフ:Раков
ヴィクトル、Н.
生年月日 1949.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 「ロシア自由民主党」リャザン州組織調整員。95年12月第2期国家会議代議員選挙で「ロシア自由民主党」から比例区当選したが、辞退。


ラザルク:Лазарук
セルゲイ、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年10月、映画国家委員会副議長に就任。


ラザレフ:Лазарев
ヴャチェスラフ、П.
生年月日 1939.08.05
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 医科大学を卒業し、医師となり、病院に勤める。75年自ら創設した創傷外科部長となる。この分野では屈指の専門家である。市ソビエト代議員経験あり。90年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。93年9月まで最高会議保健・社会保障・体育委員会小委員会議長。


ラザレンコ:Лазаренко
В
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 チェリャビンスク州行政副長官をつとめる。


ラジェフ:Ражев
ヴィクトル、Ф.
生年月日 1937.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 65年極東国立大学法学部夜間部卒業。50年代末3年間太平洋艦隊勤務。復員後、ウラジオストック船舶修理工場で働く。極東大学3年生終了後、ペルヴォレチェンスク地区裁判所で裁判官として働き始め、そこに9年間勤務する。72年沿海地方裁判所裁判官に選出される。74年から同裁判所の副議長として働く。94年大統領令により沿海地方裁判所議長に任命される。


ラジコ:Радико
チモフェイ、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 司法省次官を努める。


ラジモフ:Разимов
ウラジーミル、Р.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ウリヤノフスク州人民代議員ソビエト議長をつとめる。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同州ソビエト解体。


ラズドゥホフ:Раздухов
ウラジーミル、Ю.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年4月〜97年3月、対外経済関係省次官をつとめる。98年2月、対外関係・貿易省次官及び大臣官房長官に就任。同省は、98年4月30日付で廃省され、経済省の一部機能を加えて新たに産業・貿易省を新設。


ラズトキン:Лазуткин
ヴィクトル
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ペンザ州第1行政副長官をつとめる。


ラズトキン:Лазуткин
ワレンチン、В.
生年月日 1945.01.10
性別
国籍 不明
学歴 博士候補
考察 モスクワ州生まれ。妻と1男1女。73年モスクワ大学経済学部卒業。83年大学院修了。国際情報化アカデミー通信会員。67〜73年、コムソモール出版・情報部長。74年からテレビ関係分野で働き、91年から国営「オスタンキノ」テレビラジオ会社第1副総裁。93年12月から連邦テレビ・ラジオ機関第1副長官。95年3月17日、アレクサンドル・ヤコヴレフの後任として同長官兼「オスタンキノ」社長に就任。98年5月8日、連邦テレビ・ラジオ局長官を解任され、首相顧問(テレビ・ラジオ問題担当)就任。


ラストルグエフ:Расторгуев
ワレリー、Н.
生年月日 1949.09.08
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。94年3月26日、上院社会政策・住民の社会的保護委員会副議長に就任。また会議規定・議会手続き委員会委員。教授の称号をもつ。国際情報化アカデミー会員。71〜74年カリーニン国立大学院生。74〜93年トヴェリ国立大学勤務。助手からはじめて哲学講座主任をつとめる。また(在モスクワ)スラブ文化アカデミー文化人類学講座講座主任も兼ねる。


ラズトワ:Лазутова
マリヤ、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年8月、教育次官に就任。96年10月より対CIS諸国協力省次官・大臣官房長官。同省は、98年4月30日付で廃省。権限を外務省に移管。


ラゾヴォイ:Лазовой
アレクサンドル、П.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 タタールスタン共和国最高会議副議長をつとめる。


ラソヒン:Рассохин
ヴィタリー、П.
生年月日 1935.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年11月23日、連邦特許・商標委員会議長に就任。同委員会は、96年8月15日付大統領令「ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令」により、ロシア特許・商標局に再編される。96年11月、同職解任。


ラチコ:Радько
チモフェイ、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年2月まで司法省次官をつとめる。


ラッソロフ:Рассолов
ミハイル、М.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦最高審査委員会副議長を務める。同委員会は、96年8月15日付大統領令によって、国家委員会に名称変更される。同国家委員会は、98年現在存在が確認されず、廃止されたものと思われる。


ラティシェフ:Латышев
ピョートル、М.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年8月31日、内務次官に就任。


ラドイギン:Ладыгин
ウラジーミル、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦国家備蓄委員会副議長を務める。同委員会は、96年8月15日付大統領令によって、国家委員会に名称変更される。


ラトキン:Латкин
А
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 サマラ州行政副長官をつとめる。


ラトキン:Латкин
アレクサンドル、П.
生年月日 1945.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 69年に極東工業大学卒業。専門は造船工学。数年後修士論文の審査を受けて工学博士候補になる。88年科学技術システム管理に関する博士論文の審査に合格。62〜64年ダリザヴォド工場で船体組立労働者として働く。64年から大学の講師として、ソ連科学アカデミー極東支部研究所で研究者として働く。在ウラジオストック太平洋経済研究所副所長、ソ連科学アカデミー極東軍管区研究管掌者になる。90年代はじめに国際景気・予測研究所を組織し、所長になる。93年末にウラジオストック選管区でロシア民主党から国家会議議員選に出馬したが、同じく極東の学術を代表するグルボコフスキー(ヤブリンスキー連合)に破れた。近年国際経済の統合に注目しており、「トマガン」構想へのロシアの参加を支持し、積極的に宣伝している。


ラバ:Лаба
レオニード、П.
生年月日 1938.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 66年極東国立大学法学部卒業。58〜61年太平洋艦隊勤務。大学卒業以前に法学の実務を始める。65年にキーロフスキー地区裁判所(沿海地方)人民裁判官に選ばれる。76年ナデージンスキー地区人民裁判所に移る。82年レソザヴォツキー市人民裁判所人民裁判官に選ばれる。80年代半ばキーロフカ居住区に裁判官として移動。87年キーロフスキー地区裁判所議長に就任。設立・運営の活動に対する強い執着はもっていないと考えている。


ラヒモフ:Рахимов
ムルタザ、Г.
生年月日 1934.02.07
性別
国籍 バシュキル人
学歴 大学卒
考察 バシキール自治共和国(現バシコルトスタン共和国)クガルチノ地区タヴァカノヴォ村で農村の家庭に生まれる。ウファ中等石油専門学校及びウファ石油大学通信教育部を卒業。56年からウファの製油所勤務。機械操作工から技師長を経て所長になる。74〜91年ソ連共産党員。86〜90年「ソ連共産党第22回大会」(名称)ウファ石油精製工場長。90年からバシコルトスタン共和国最高会議議長、93年12月12日、同共和国大統領に就任。89〜92年1月ソ連人民代議員。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。連邦会議連邦問題・連邦条約・地域政策委員会委員。第2期連邦会議安全保障・国防問題委員会委員。98年6月14日、バシコルトスタン共和国大統領選挙が実施され、現職当選。


ラプシン:Лапшин
ミハイル、И.
生年月日 1934.09.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 アルタイ地方ソヴィエツキー地区セトフカ村出身。妻と3人の子供。チミリャゼフ(名称)モスクワ農業大学を卒業。モスクワ国立国際関係大学、M.トレズ(名称)国立外国語大学でも学ぶ(国際関係大学から農業大学に転学)。58年農業大学卒業後、モスクワ州ストゥピノ地区と同州「ゴロジシチェ」ソフホーズの首席農業技師になり、61年からストゥピノ地区「レーニンの遺訓」ソフホーズ支配人。90〜93年ロシア共和国人民代議員、ロシア共和国最高会議では会派「農業同盟」を率い、93年9月には議会(人民代議員大会と最高会議)の解散に激しく反対。61〜91年ソ連共産党員。91年秋、社会主義勤労者党の設立者の1人になり、その1年後に「救国戦線」組織委員会と同戦線政治評議会のメンバーになる。ロシア共産党復活大会で同党(議長ジュガーノフ)の副議長の1人に選ばれるが、93年2月農業党が設立されると共産党からも勤労者社会党からも離党。93年12月選挙で国家会議代議員に当選。農業専門家、講師、株式会社社長として働く。ロシア農業党会派の議長。98年2月、アルタイ共和国の有権者グループからロシア下院議員の候補者として推薦され、候補者登録。同年5月、アルタイ共和国ゴルノアルタイスク小選挙区で実施された連邦下院議員選挙でロシア国民愛国同盟の統一候補として出馬し、42%以上の得票率で当選。


ラブダノフ:Рабданов
ウラジーミル、Р.
生年月日 1938.09.28
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年4月、アガ・ブリャート自治管区議会(ドゥーマ)議長に選出される。。ロシア上院議員。第2期連邦会議国際問題委員会委員。


ラプチェフ:Лаптев
アドリフ、Ф.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年1月までイワノヴォ州行政長官をつとめる。


ラプチェフ:Лаптев
ユーリー
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年9月、ペンザ州行政副長官に就任。


ラプチェフ:Лаптев
イワン、Д.
生年月日 1934.10.15
性別
国籍 不明
学歴 博士
考察 オムスク州クルチンカ地区スラトコエ村生まれ。妻と娘1人。52年に手工業学校を終えてオムスク河港でボイラーマン、クレーン作業員、取付工として働く。シベリア自動車道路大学、ソ連共産党中央委員会付属社会科学大学を卒業し、モスクワ国立大学新聞学部にも学ぶ。大学卒業後は、自動車道路大学講師、ソ連陸軍中央スポーツクラブ指導員、「ソヴィエツカヤ・ロシア」紙特別通信員、「コムニスト」誌党生活部コンサルタントなど。73年ソ連共産党中央委員会付属社会科学大学を修了して党中央委員会で宣伝部の講師やコンサルタントを努め、78年から「プラウダ」紙に勤務、84年まで同紙副編集長を務める。84〜90年イズベスチヤ編集長、91年から社長を務める。90〜91年ソ連最高会議連邦会議議長。89年3月〜92年1月ソ連人民代議員。全ソ禁酒協会中央評議会議長、ソ連ジャーナリスト同盟議長、「民主改革運動」評議会共同議長なども努める。60〜91年ソ連共産党員(86〜90年中央委員候補)。哲学博士の学位をもち、自然と社会の相互作用の問題に関する数多くの著書がある。ロシア出版者・編集長協会総裁を経て94年12月より連邦新聞委員会副議長(印刷部門担当)をつとめ、95年7月26日、同委員会議長就任。同委員会は、96年8月15日付大統領令によって、国家委員会に名称変更される。


ラフマニン:Рахманин
ウラジーミル
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ソ連共産党中央委員会メンバーの父を持つ。中ロ関係の専門家。英語と中国語に堪能。妻と1男1女。息子も中国問題の専門家。外務省第1アジア総局(中国、朝鮮半島)長を経て、98年4月15日、外務省情報・新聞総局長に就任。同総局長は、外務省のスポークスマン的役割を果たす。


ラポタ:Рапота
グリゴリー、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 中将。対外情報局につとめる。98年4月21日、安全保障評議会副書記(国際安全保障担当)に任命。


ラボチャジェフ:Работяжев
ウラジーミル、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 対外経済関係省次官をつとめる。


ラホワ:Лахова
エカテリーナ、Ф.
生年月日 1948.05.26
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 スヴェルドロフスク(現エカテリンブルグ)生まれ。夫と息子1人。72年スヴェルドロフスク医科大学を卒業し、医師となる。76〜78年、スヴェルドロフスク医科大学でインターン。78〜81年、市立第8病院小児科長。91年8月まで党員。81〜87年、市執行委員会保健衛生局副局長、87〜89年、スヴェルドロフスク州執行委員会保健衛生局副局長。90年ロシア人民代議員に選出。同年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。90〜91年、最高会議婦人・家族・母子保護問題委員会議長。91年RSFSR国家顧問(家族、婦人、子供問題担当)に任命。92年8月28日大統領令により大統領顧問(担当同上)に任命、93年1月4日解任。93年12月政治運動「ロシアの女性」から第1期国家会議代議員に選出される。ロシア連邦大統領婦人家庭児童問題顧問。議会内会派「ロシアの女性」リーダー。94年1月27日、大統領直属女性・家族・人口統計委員会議長に就任。第1期国家会議女性・家族・青年問題委員会委員。(女性問題小委員会委員)95年12月の第2期下院選挙に「ロシアの女性」の推薦を受けてウリヤノフスク州センギレイ選挙区から当選。第2期議会では無会派。96年3月1日から議員グループ「ロシアの地域」(独立議員)所属。第2期国家会議活動組織委員会書記。


ラモフ:Ламов
フョードル、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦国境警備局副長官を務める。


ラリオノフ:Ларионов
エゴール、М.
生年月日 1940.12.04
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 63年から65年コムソモール基礎組織指導員、専従書記。ナムツィ区コムソモール委員会書記。70年レンスク区人民裁判所判事。ヤクーツク市及び州党委員会事務局勤務。ヤクート自治共和国スンタール区党委員会第2書記。88年ナムツィ区ソヴィエト執行委員会議長。89年から92年ナムツィ区党委員会第1書記。92年ナムツィ区ソヴィエト議長。93年サハ(ヤクーチア)共和国最高会議副議長。95年5月、サハ共和国国家会議(イル・トゥメン)上院議長に就任。第2期ロシア上院議員。第2期連邦会議憲法・司法問題委員会委員。98年4月、同共和国議会が上下二院制から一院制の共和国国会となり、議会議長職を失う。


ラリツキー:Ларицкий
ウラジーミル、Е.
生年月日 1938.09.02
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 株式会社「オートクレーン」社長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、イワノヴォ州イワノヴォ選挙区から当選。96年1月16日から議員グループ「ロシアの地域」(独立議員)所属。その以前は「人民に権力を」及び「ロシアの地域」会派所属。第2期国家会議財産・民営化・経済活動委員会副議長。


ラリン:Лалин
アナトリー、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年7月、リペツク州大統領代理人に就任。


ラリン:Лалин
ウラジーミル
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 株式会社「ウルガルウーゴリ」会長。97年12月7日に実施されたハバロフスク地方議会代議員選挙に立候補し、得票率26.76%で当選。


ラリン:Ларин
А、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年2月29日、運輸省第1次官に就任。