リヴァノフ:Ливанов
ヴィクトル、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年10月、国防産業省次官に就任。


リガチョフ:Лигачев
アナトリー
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年4月、クルガン州における大統領全権代表に就任。


リシチキン:Лисичкин
ウラジーミル、А.
生年月日 1941.10.03
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 93年12月、第1期国家会議代議員に当選し、94年1月より下院財産・民営化・経済活動委員会副議長になる。国際エンジニア・アカデミーおよび経済学・企業活動アカデミー会員。科学生産合同企業長として働く。ロシア自由民主党会派のメンバー。国家会議財産・民営化・経済活動委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。第2期国家会議経済政策委員会副議長。


リシツィン:Лисицын
アナトリー、И.
生年月日 1947.06.26
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 レニングラード林業技術アカデミー卒業。63〜87年家具コンビナート「スヴァボーダ」勤務。指物師からはじまってコンビナート長になる。87〜91年中央地区執行委員会議長、ルィビンスク市執行委員会議長をつとめる。92年9月10日、ヤロスラヴリ州行政長官(現知事)に就任。ロシア連邦州知事協会理事。93年12月選挙で連邦会議代議員に選出。無所属。連邦会議国際問題委員会委員。95年12月、下院選挙と同時に実施された行政長官選挙で再選される。96年10月11日付大統領令によって承認された大統領直属納税・予算規律強化臨時非常委員会議長メンバー。98年10月1日、我が家ロシア(NDR)運動からの脱退を表明。


リシン:Лисин
ウラジーミル、П.
生年月日 1944.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 大学でジャーナリズムを専攻。新聞社で記者などをつとめる。87年博士候補となり、主に人権問題、官僚問題、自然破壊などに関する著書がある。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。最高会議共和国間関係・地域政策問題および協力委員会小委員会議長を経て、93年1月より93年9月まで最高会議マスコミ委員会議長。


リストコフ:Листков
А
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ニージニーノヴゴロド州人民代議員ソビエト副議長をつとめる。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同州ソビエト解体。


リセツキー:Лисецкий
ピョートル、И.
生年月日 1946.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年6月、マガダン州議会(ドゥーマ)議長に選出される。第2期ロシア上院議員。第2期連邦会議北部・少数民族問題委員会委員。


リソフ:
エヴゲニー
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 98年10月、大統領府副長官・大統領監督総局長に任命。


リチェンコ:Личенко
ミハイル、Н.
生年月日 1954.10.07
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 77年極東工業大学卒業(在ウラジオッストック)。大学在学中大学の補助的な仕事をした。77〜78年学術研究セクションの技師となる。78〜83年職場は記載されていない。それから88年まで5年間、党gorkomで組織部長として働く。88年ソフホーズ「サリスキー」長になる。92〜93年沿海地方行政府農業局副局長として働く。93年から再びダリネレチェンスク地区で企業「サリスコエ」執行部支配人として働く。94年秋沿海地方議会代議員に選出される。3人の候補者の中から、ウラジオストックの保険会社社長を凌駕し、52.9%の票を集めて当選。投票人はナズドラチェンコを絶対的に支持しているわけではない。だがジリノフスキーの評価はロシア連邦共産党や「ロシアの選択」より2.5倍高い。ダリネレチェンスク市長から、97年12月7日に実施された沿海地方議会代議員選挙に出馬し、当選。


リチュチン:Личутин
А
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 アルハンゲリスク州第1行政副長官をつとめる。


リトヴィネンコ:Литвиненко
ミハイル、Т.
生年月日 1928.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 61年共同組合方式のハバロフスク技術学校卒業。続けて製造を学び、「経済およびソ連コーペラチーフ商業計画」を専攻する。40年から沿海地方に暮らし、48年からイワノフカ村地区執行委員会で統計部監査官、体育とスポーツ部長として働く。49〜52年ソ連軍勤務。復員のあと沿海地方消費者協会組織部指導員として働く。その後監査・検察官、組織・検察部副部長の職に就く。56年地方消費者協会検察委員会議長に選出される。61年生産企業部長に任命される。62〜78年本部副議長として働く。78年地方消費者協会本部商業部門第1副議長になる。86年から沿海地方消費者協会本部長になる。再三様々なレベルのソビエトに選出される。94年秋沿海地方議会に立候補する。得票率は選挙参加者の19.7%、5人の候補者のうち第2位で落選。


リトヴィノフ:Литвинов
ユーリー、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 コストロマ州におけるロシア大統領代理人をつとめる(97年3月解任)。


リトヴィノフ:Литвинов
ニコライ、И.
生年月日 1947.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 69年沿海農業大学(専門は水力工学)、82〜84年ハバロフスク党高等学校卒業。技師として2年間働いたあとコムソモールの専従職員なる。74年から1年からサハリンで1年間現場監督として働いたあと、軍に徴集され、中隊の副指揮官として勤務した。77年に予備役に入り、党raikomで指導員、部長として働く。ハバロフスク党学校卒業後、党kraikomの機関で指導員、活動組織部長として働く。85〜88年党gorkom第2書記、その後ウッスリスク執行委員会議長をつとめる。91年からウッスリスク地区行政長官、94年ウッスリスク市行政長官。89年にソ連邦人民代議員に立候補するが陸軍大佐アウシェフに敗れる。93年連邦会議代議員に立候補するがナズドラチェンコおよびガエルに敗れる。だが27%の票を集めて、4位のワシャノヴィチを引き離した。94年秋沿海地方議会代議員選で、3人の候補者からなる選管区で選挙参加者の51.7%を集めて当選。投票者はほどほどに保守的であり、地主党やコミュニストに共鳴しており、民主主義者よりもジリノフスキーをよしとする。96年12月27日、沿海地方議会議長がウスリースク市長に転出したのをうけて、同議会議長に選出される。97年12月7日に実施された沿海地方議会選挙で落選。


リトヴィンツェフ:Литвинцев
ユーリー、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 トゥーラ州人民代議員ソビエト議長をつとめる。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同州ソビエト解体。


リハチョフ:Лихачев
ウラジーミル、Н.
生年月日 1946.11.04
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 クルスク農業大学卒業。69年からコルホーズに技師長、コルホーズ長として勤務。89〜91年クルスク州農業局副局長。91年からクルスク州人民代議員ソビエト議長をつとめる。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同州ソビエト解体。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。無所属。連邦会議農業政策委員会委員。現在、株式会社「レベヂンスキー・採掘・選鉱コンビナート」農業部門社長。


リハチョフ:Лихачев
ワシリー、Н.
生年月日 1952.01.05
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 ゴーリキー(現ニージニーノヴゴロド)生まれ。家族構成は妻と2女。69年全ソ連陸海空軍後援会ゴーリキー市海洋クラブ水夫。75年カザン国立大学法学部卒、78年同大学院修了。教授の資格を持つ。78年カザン国立大学国家法・ソヴィエト建設講座助手。82年から83年ギニアビサウ国立法学校教員。87年から88年マダガスカルにて大学教員。88年から90年タタールスタンobkom国家・法部長、カザン大学教授、国際情報処理アカデミー会員。90年から91年タタールスタン憲法監視委員会議長。91年7月4日、タタールスタン共和国副大統領に就任。92年タタールスタン共和国大統領付属国際問題及びCIS問題局長。95年3月5日タタールスタン共和国国家会議議員。同年3月30日タタールスタン国家評議会議長(96年12月解任)。96年1月24日、連邦会議(上院)副議長に就任。98年5月5日、欧州連合(EU)常駐代表に任命。


リピツキー:Липицкий
ワシリー、С.
生年月日 1947.06.19
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 モスクワ生まれ。モスクワ国立大学歴史学部卒(専攻はソ連共産党史)。中央古文書保管所職員(64〜70年)、コムソモール中央委員会学生建設部隊中央本部指導員(70〜73年)、モスクワ国立大学青年共産主義教育研究室上級研究員、部長(73〜83年)、ソ連共産党中央委員会付属マルクス・レーニン主義研究所ソ連共産党支部上級研究員代行、編集部副主任、課長(83〜90年)。76〜91年ソ連共産党員(90〜91年、同党の一部だったロシア共和国共産党の中央委員)。90〜91年ロシア共産主義者民主党(後のロシア社会民主同盟)の設立に参加し、それが原因で91年8月ソ連共産党を除名処分。91年から「民主改革運動」政治評議会メンバー。91年から自由ロシア人民党議長。92年6月から政治ブロック「市民同盟」執行委員会議長。93年10月のモスクワ騒乱では共産主義者民主党の党首で副大統領のルツコイと行動を共にせず、94年秋にはロシア社会民主同盟の設立に参加、その共同議長になる。ロシア科学アカデミー社会政治研究所副所長だった93年12月の選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。国家会議社会団体・宗教宗教組織問題委員会委員。


リフォロフ:Лифоров
ヴャチェスラフ、В.
生年月日 1948.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 71年極東高等海洋技師学校船舶機械学部を優秀な成績で卒業。78年通信教育で極東漁業工業大学を卒業。極東海洋汽船会社の船で4等機関士として働き始める。72年からコムソモールの仕事に専従する。コムソモールraikom第2書記を経験。75年から再びウラジオストックのトロール・冷蔵船団の船で4等、3等、2等機関士として働く。80〜81年党raikom組織部指導員。81〜85年科学生産連合極東支部漁獲技術部門技師長。85年ウラジオストックトロール・冷蔵船団に戻り、指導職につく。87〜89年シンガポール港ロシア漁船修理機関に携わる。90年から漁業会社「ダリルイブコムフロート」商業活動の長となる。94年秋沿海地方知事選に立候補する。選挙はロシア連邦大統領令によって中止された。


リフシツ:Лившиц
アレクサンドル、Я.
生年月日 1946.09.06
性別
国籍 不明
学歴 博士
考察 ベルリン生まれ。妻と娘2人。プレハノフ国民経済大学卒。専門は数理経済学で著作多数。教授の資格をもつ。74〜92年モスクワ工作機械大学で経済理論の講座を担当。「市場経済入門」(1990年)の著者。ソ連崩壊後、92年クレムリン入り、ラキトフ率いる分析グループ(後に大統領府一般政策センター)に参加し、同センター副所長を経て、94年3月2日、大統領直属専門家グループ指導者となる。大統領が経済政策のイニシアチブをとる際にはリフシツが実質的な起草者であった。同年11月9日、大統領補佐官(経済問題担当)に就任。96年8月15日、連邦副首相兼蔵相に任命される。同職は政府内において、財政、外貨・輸出管理、国家税務局、保険活動の監督、有価証券市場及びアルコール飲料取引に対する国家独占の確保に関する広範な問題を監督する。同8月21日、大統領補佐官解任。ロシア政府政令No.1051(96.9.9)により政府業務委員会メンバーに任命される。同年9月19日、安全保障評議会非常任メンバー。同月21日、国際通貨基金(IMF)のロシア代表理事となる。96年10月11日付大統領令によって承認された大統領直属納税・予算規律強化臨時非常委員会議長メンバー。97年3月18日、副首相兼蔵相職を解任され、大統領府副長官(経済問題担当)に任命される。同年4月、大統領令により創設された大統領経済局を監督する。同局の主要な任務は経済改革戦略の策定への参加である。同年6月30日、全国銀行評議会における大統領代理人に任命。98年4月4日、「ロシア統一電力体系」(EES)の臨時株主総会で、チュバイス、ヤーシンらと共に理事会入り。同年6月、「ガスプロム」の年次株主総会で、同社理事会メンバーに選出。同年8月17日、金融危機の責任をとり、大統領府副長官辞意を表明。翌日、大統領令により解任。


リフシツ:Лившиц
ロマン、З.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 科学アカデミー国家と法研究所主任研究員。94年4月26日、大統領評議会員に就任。


リマンスキー:Лиманский
ゲオルギー
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 サマラ州議会副議長からサマラ市長に就任。97年12月7日実施のサマラ州議会選挙に立候補し、再選される。


リムクナス:Римкунас
イワン、И.
生年月日 1921.01.01
性別
国籍 リトアニア人
学歴 大学卒
考察 52年ソビエト陸軍軍法アカデミー卒業。39年から軍隊勤務。小隊長、中隊長として大祖国戦争参加。アカデミー卒業後ソ連武装部隊裁判所勤務。65年からウラジオストックで太平洋艦隊軍法会議副議長。75年からウラジオストック警備隊軍法会議議長。79年から陸軍大佐の称号で予備役に退職後、沿海地方弁護士会のメンバーに採用され、ウラジオストック市フルンゼンスキー地区法律相談所で働く。83年から弁護士会議長団議長に選出される。


リムシーナ:Римшина
ニーナ、П.
生年月日 1940.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 64年ウラル国立大学を卒業。専門はジャーナリズム。64年からハバロフスク市の新聞「極東の青年」の編集部で働く。通信員から編集長まであらゆる職に就く。78年ソビエト共産党中央委員会附属社会科学アカデミー高等党学校を卒業。78年から新聞「太平洋の星」の第1副編集長として働く。長期間にわたって人民代議員ハバロフスク市会議の議員。ハバロフスクの社会活動に積極的に参加。ハバロフスク市とポートランド市の友好委員会委員長。「始まった改革とペレストロイカは足踏み状態で、残念ながらわれわれは当分の間人民の社会状態を悪化させている権力のための闘いを見るだろう。一方、独立企業の経済状態は柔軟性のない税政策のために不安定である。」


リャザノフ:Рязанов
Э、П.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 大統領国法総局副部長をつとめる。


リャシコ:Ляшко
ユーリー、Г.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年6月、アムール州行政長官に任命される。同年9月22日に同州行政長官選挙が実施されたが、選挙不成立となる。97年3月23日に再選挙にのぞむが、24.4%しか得票できず、落選。同年10月、北方開発国家委員会副議長に就任。同国家委員会は、98年9月22日付大統領令第1142号により廃止。


リャビンスキー:Рябинский
ワレリー、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦映画委員会副議長を務める。同委員会は、96年8月15日付大統領令によって、国家委員会に名称変更される。


リャブヒン:Рябухин
セルゲイ、Н.
生年月日 1954.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ウリヤノフスク州立法議会議長。ロシア上院議員。第2期連邦会議科学・文化・教育・保健・環境委員会委員。


リャベフ:Рябев
レフ、Д.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 原子力省第1次官を努める。


リャベンコ:Рябенко
エヴゲニー、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年8月、連邦化学・石油化学競業委員会副議長となる。同委員会は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって、産業省に統合され、廃止。


リャホフ:Ляхов
アレクセイ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年5月、連邦気象・環境監視機関副長官に就任。


リャボフ:Рябов
ニコライ、Т.
生年月日 1946.12.09
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 ロストフ州サリスク市で労働者の家庭に生まれる。サリスク中等専門学校の後、軍政治学校を卒業したが、間もなく軍を飛び出し、ロストフ大学法学部に入学。64年サリスク地区養馬場のトラクター運転手として労働生活のスタートを切り、その後サリスク農業機械製造工場の技師(72〜73年)、サリスク農業中等専門学校の教師、副校長(73〜90年)など。ソ連共産党員で党組織書記だったが、90年3月ロシア人民代議員選挙に無所属で出馬、当選。90年より共和国会議代議員、同会議議長をつとめる。90年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。90〜91年ロシア共和国最高会議立法小委員会議長。院内会派「民主主義をめざす共産主義者」に所属。92年12月14日、最高会議副議長及び人民代議員大会憲法委員会副議長に就任。91年8月のクーデター事件の際に離党。92年12月〜93年9月最高会議副議長。94年10月より中央選挙管理委員会議長、95年3月新構成の同委員会議長に再選。96年11月、チェコ駐在特命全権大使に任命される。


リャボフ:Рябов
アレクサンドル、И.
生年月日 1936.10.15
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 55〜58年クルスク州でコルホーズ技師として働いた後、サラトフ州特殊自動車交通機械技師軍学校に学び、次にタンボフ州で自動車工、分隊長として働く。61〜70年コムソモールタンボフ州obkomで指導員、第1書記などをつとめる。70〜76年タンボフ州職業技術教育局長として働きながら、党高等学校に聴講生として学ぶ。タンボフ州obkom部指導員をつとめる。76〜85年タンボフ州人民による管理委員会副議長およびgorkomやobkomの書記をつとめる。85年からタンボフ州執行委員会議長。タンボフ州人民代議員ソビエト議長。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同州ソビエト解体。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。94年10月よりタンボフ州議会議長。連邦会議安全保障・国防問題委員会委員。96年2月より同委員会議長。上院会計検査委員会議長。95年12月、下院選挙と同時に実施された行政長官選挙に共産党の推薦を受けて出馬し、決選投票の末選出される。


リャボフ:Рябов
セルゲイ、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦規格・度量衡・品質認定委員会副議長を務める。同委員会は、96年8月15日付大統領令によって、国家委員会に名称変更されるが、98年4月30日付で廃止され、新設された産業・貿易省に機能吸収。


リャボフ:Рябов
ドミトリー、М.
生年月日 1939.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 60年建築技術学校を、69年コムソモリスク-ナ-アムーレ工業大学を卒業。コムソモリスク-ナ-アムーレ鉄筋コンクリート建造物工場で交代制の技術者として働き始める。71年からコムソモール昇降・移動型輸送機械設備工場で班長、作業場長、副支配人として働く。82年から株式会社「昇降・移動型輸送機械設備工場」支配人。自分の職業についてこう語っている。「自慢したくはないが、わが国の経済の現在の苦しい状況を考えると、他の勲章の中でも、国家勲章の「ファーケル・ビルミンゲーラ」を受け取ったのは、複雑な経済状況の下で生き、仕事をしたためだ、といわざるを得ない。」政治的意見は中道主義。


リュトフ:Лютов
ニコライ、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年5月、税関国家委員会副議長に就任。98年6月、国外で印刷された刊行物がロシアへの持ち込みを禁止された事件に関連して同職解任。


リュビーモフ:Любимов
アレクサンドル、М.
生年月日 1962.06.23
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 無党派。84年大卒後、87年まで国際ラジオ委員会を含む公的機関で働く。87年以降Vzglyad(View)という人気テレビ番組の企画者およびアナウンサーとして活躍。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。


リュビーモフ:Любимов
ヴャチェスラフ、Н.
生年月日 1947.01.17
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 64年専門学校卒業後、石油精製工場で働く。軍役についた後、再び石油精製工場に戻り、73年コムソモール機関に招かれ、技師および委員会書記をつとめる。後に党付属の農業大学を卒業し、農業経済学者となる。75年より党員。78年以降党の職務に専念し、raikom、obkomなどで第1書記や議長を経験する。90年地方ソビエトの議長に選出される。同年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。地方代議員、党の幹部職を歴任。93年9月まで最高会議農村の社会的発展・農業問題・食糧委員会小委員会議長。その後離職し、93年12月の選挙で連邦会議に当選。ロシア連邦共産党のメンバー。94年3月26日、上院農業政策委員会副議長に就任。連邦会議会議規定・議会手続き委員会委員。会計検査院検査官を経て、96年12月22日に実施されたリャザン州行政長官選挙の決選投票で、人民愛国勢力の推薦を受け、当選。


リュブリン:Люблин
ユーリー、З.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年12月、労働・社会発展省第1次官に就任。


リュリコフ:Рюриков
ドミトリー
生年月日 1945.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 外交政策を専門とする。外交官で、イラン問題の専門家。国際法専門家、外務省中東課長。91年8月コズィレフの勧めによりエリツィンと共に働くようになったと噂される。現在は外務省の路線に忠実に従うが、しばしば独自の見解をとる。エリツィン大統領の外国首脳の接遇について助言している。93年から大統領補佐官(国際問題担当)をつとめ、97年4月、同職解任。この解任劇は、ロシア・ベラルーシ同盟条約(97年4月2日締結)の内容が骨抜きにされた責任をとらされたためといわれる。同氏は大統領府におけるロシアとベラルーシの統合に関連した文書の作成に直接責任を負っていた。


リンニク:Линник
ヴィタリー、В.
生年月日 1949.04.30
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ロストフ州行政府住民社会保護局長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。「我が家ロシア」会派所属。第2期国家会議労働・社会政策委員会副議長。