セリョーギン:Серегин
アレクサンドル、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 住民社会保護省次官及び大臣官房長官をつとめる。同省は、98年4月30日付で廃省。権限を外務省に移管。


セルギエンコ:Сергиенко
ワレリー、И.
生年月日 1946.01.28
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 85年2月クラスノヤルスク地方党委員会書記。88年9月12日クラスノヤルスク地方ソヴィエト執行委員会議長。ソビエト人民代議員。クラスノヤルスク地方行政第1副長官をつとめる。クラスノヤルスク地方製造業者・経営者同盟会長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、選挙団体「ロシア人共同体会議」の推薦を受けて、クラスノヤルスク地方アチンスク選挙区から当選。議員グループ「人民に権力を」所属。第2期国家会議財産・民営化・経済活動委員会副議長。


セルゲーエフ:Сергеев
エヴゲニー、В.
生年月日 1949.11.12
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 靴工場で働き、72年大卒後、石油関係の専門家として配属される。軍の山岳救助隊支隊で技師をつとめる。74年から社会学研究室で働き、76年大学院の哲学研究科に入学、社会学を専攻。教職に就く。共産党員。90年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。93年9月まで最高会議国際問題・対外経済関係委員会小委員会議長代行。


セルゲーエフ:Сергеев
ユーリー、С.
生年月日 1938.08.10
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 大学で地質学を専攻。ソ連極東地域の探求隊に数多く参加する。環境運動家としても著名で、環境問題に関する地方レベルの非公式グループの代表。代議員選出時には、企業で地質専門家として働いていた。90年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。93年9月まで最高会議環境・天然資源の合理的利用問題委員会小委員会議長。


セルゲーエフ:Сергеев
ワレンチン、М.
生年月日 1931.01.27
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 モスクワ国立大学哲学部卒。「建設新聞」、「水運」紙及び「オクチャーブリ」誌と「ジャーナリスト」誌に勤務。90〜93年5月ロシア首相報道官、ロシア政府情報局長。大統領府長官顧問を経て、93年5月政府プレスセンター長官就任。93年10月より首相全権代表(閣僚級)。


セルゲーエフ:Сергеев
アレクサンドル、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ロシア鉱山労働者独立労組議長。94年4月26日、大統領評議会員に就任。


セルゲーエフ:Сергеев
Д.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 サンクトペテルブルグ市副市長をつとめる。


セルゲーエフ:Сергеев
イワン、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年4月14日、連邦外務次官に就任。


セルゲーエフ:Сергеев
イーゴリ、Д.
生年月日 1938.04.20
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 ウクライナ東部のヴォロシロプグラド州(現ルガンスク州)で炭鉱労働者の家庭に生まれる。妻と息子1人。60年ナヒモフ(名称)海軍上級アカデミー、73年ジェルジンスキー(名称)軍工科アカデミー、80年参謀本部アカデミー卒業。さまざまな部隊や参謀部での勤務を経て、83〜85年、戦略ミサイル軍(RVSN)総参謀部の作戦本部長、92年8月26日から総司令官となる。軍の削減に対して肯定的な立場をとる。97年5月22日、ロジオノフ国防相解任に伴って同日国防相代理に任命され、翌23日に国防相に正式任命される。同年7月5日、安全保障評議会常任メンバーに任命。同年8月、安全保障評議会国防安保省庁間委員会議長に就任。同年11月21日、ロシア軍指導者の第1号として「ロシア連邦元帥」の称号を授与される。98年3月23日、チェルノムィルジン首相解任と内閣総辞職を決定する大統領令が出され、新内閣が組閣されるまで臨時に国防相代行となる。同年4月20日、満60歳になったが、兵役義務及び軍隊勤務に関する新連邦法により、軍最高幹部の定年が65歳まで延長されたため、職務を続行。同年4月28日国防相に任命。同年8月23日付大統領令により、内閣総辞職、国防相代行となるが、同年9月11日、同職再任。同年10月5日、政府幹部会メンバー。


セルゲエンコフ:Сергеенков
ウラジーミル、Н.
生年月日 1938.12.05
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 55年からウドムルト自治共和国キズネル製材工場に労働者として勤務。61〜64年モルドバ自治共和国の地区検察局予審判事として働く。64〜71年コムソモールやソ連共産党raikomの書記をつとめ、71〜74年党中央委員会社会科学アカデミーに院生として学んだ後、74〜81年サランスクgorkom書記をつとめる。81〜91年党・ソビエト・運営幹部技能向上コース指導者。キーロフ市社会経済問題大学長および財政経済大学助教授。93年12月選挙で第1期連邦会議代議員に当選。94年3月26日、上院経済改革・所有・財産関係問題委員会副議長に就任。95年12月第2期国家会議代議員選挙でキーロフ州キーロフ選挙区から当選。「人民に権力を」会派所属。第2期国家会議財産・民営化・経済活動委員会メンバー。96年10月20日、キーロフ州知事選挙の決選投票で当選。


セルゲエンコフ:Сергеенков
アレクサンドル、Н.
生年月日 1955.06.28
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に選出される。小選挙区から選出される。市行政府付属権力機関改革・地方自治組織問題暫定委員会副議長として働く。


ゼレーニン:Зеленин
ウラジーミル、М.
生年月日 1936.08.10
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 93年12月選挙で第1期国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。ペルミ農業大学講座主任として働く。ロシア連邦共産党会派のメンバー。第1期国家会議天然資源・自然利用委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙でペルミ州レーニン選挙区から当選。農業党議員グループ所属。第2期国家会議天然資源・自然利用委員会副議長。


セレズニョフ:Селезнев
ゲンナディー、Н.
生年月日 1947.11.06
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 スヴェルドロフスク州北部の都市セローフ生まれ。家族は妻イリーナさんと娘タチヤーナさん。63年レニングラードで職業技術学校を卒業し、64年レニングラード国立大学ジャーナリズム学部卒業。64年からレニングラードの企業で旋盤工。66〜68年ソ連軍で兵役。68年からレニングラードでコムソモール活動に従事し、コムソモール地区委員会の指導員、部長、レニングラード州委員会の指導員、部長、レニングラード州委員会の副部長などを経て74年から州の新聞「スメーナ」の副編集長、75年から編集長。80年全ソ・コムソモール中央委員会宣伝扇動部第1副部長。80年から8年間、コムソモリツカヤ・プラウダ紙編集長、その後、教員新聞編集長を務め、90年7月14日から91年ソ連共産党中央委員。91年にプラウダ副編集長、同年編集長に昇格する。92年9月1日「プラウダ・インターナショナル」副社長。95年3月〜96年1月、「プラウダ・ロシア」紙編集長。70〜91年ソ連共産党活動停止まで党員(90年7月から中央委員)。93年12月、第1期国家会議代議員に選出され、94年1月、下院情報政策・通信委員会副議長になる。ロシア共産党会派のメンバー。95年12月第2期国家会議代議員にロシア連邦共産党より比例区当選。95年1月25日ロシア連邦国家会議議長。96年1月17日、国家会議(下院)議長に就任。96年5月、ロシア共産党中央委員会非公開議会で、下院議長としての職務多忙のため党中央委員会書記を解任。第2期下院評議会員。98年5月4日、ロシア・ベラルーシ同盟議会議長に就任。


セレズニョフ:Селезнев
ウラジーミル、В.
生年月日 1949.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 チェリャビンスク州におけるロシア大統領代理人をつとめる(97年3月解任)。


セレトコワ:Селеткова
タチヤーナ、С.
生年月日 1949.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選するが、94年1月4日、中央選挙管理委員会決定により議員資格失効。中学校教師。


ゼレノフ:Зеленов
エヴゲニー、А.
生年月日 1951.11.18
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 航空師団第55017部隊副部隊長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、ノヴゴロド州ノヴゴロド選挙区から当選。議員グループ「ロシアの地域」(独立議員)所属。第2期国家会議国防委員会メンバー。


セレブリャコフ:Серебряков
ユーリー、М.
生年月日 1945.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ロシア・シンガポール合弁有限責任会社「スキト」会長。97年12月7日に実施された沿海地方議会代議員選挙に立候補し、当選。


ゼレンキン:Зеленкин
ヴィタリー、А.
生年月日 1944.03.30
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 ペルミ工業大学卒業。助教授の称号を持つ。67〜90年ペルミ工業大学勤務。助手、先任講師、助教授を経て学部長をつとめる。78〜82年アルジラ市大学講師。90〜92年ペルミ州ソビエト副議長、議長代理。92〜93年民営化・外国投資促進国際財団地域支部長。93年12月、連邦会議代議員に当選。無所属。94年1月には経済改革・所有・財産関係委員会議長になる。連邦会議会議規定・議会手続き委員会委員。


ゼレンキン:Зеленкин
ヴィクトル、В.
生年月日 1947.01.27
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月、国家会議代議員に選出される。小選挙区から選出される。医師、市ソビエト議長として働く。「ロシアの選択」会派のメンバー。国家会議地方自治委員会委員。国家会議代議員資格審査委員会委員。


ゼレンキン:Зеленкин
ヴィクトル、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 国有財産管理国家委員会副議長をつとめる。同国家委員会は、97年10月、国有財産省に改組される。


ゼレンコフ:Зеренков
ワレリー、Г.
生年月日 1948.08.13
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 スタヴローポリ農業大学卒業。機械技師の資格を持つ。67年から69年ソ連軍勤務。69年から73年自動車輸送会社で働く。73年から77年トレーラー工場の職長として働く。79年から80年スタヴローポリのトラスト技術長。80年から82年自動車輸送企業主任技師。89年から91年人民代議員会議オクチャブリスク地区執行委員会議長。91年から94年オクチャブリスク地区行政長官。94年4月、スタヴロポリ地方地方議会(ドゥーマ)議長に選出される。第2期ロシア上院議員。第2期連邦会議予算、財政・外貨・金融規制、通貨発行、税政、関税規制委員会委員。


ゼレンツォフ:Зеленцов
А
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 オレンブルグ州行政副長官をつとめる。


ゼレント:Зелент
イワン、З.
生年月日 1941.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年4月イルクーツク州立法議会議長に選出。第2期ロシア上院議員。第2期連邦会議連邦問題・連邦条約・地域政策委員会委員。


セロフ:Серов
ワレリー、М.
生年月日 1940.04.15
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 モスクワ生まれ。妻と子供2人。62年クイブィシェフ記念モスクワ建設工科大学卒。建設技師。ソ連時代末期に、工業建設総局第1副局長、国家計画委員会の建設担当副議長、国家建設委員会議長、建設・投資国家委員会議長などの要職を歴任。ソ連崩壊後、「国際建築家同盟」の議長を務めていたが、95年2月16日、CIS加盟諸国との協力相に就任。96年8月15日、連邦副首相(CIS諸国との協力、民族・地域・法律政策担当)に任命される。かつてのKGB長官チェブリコフの娘婿。ロシア政府政令No.1051(96.9.9)により政府業務委員会メンバーに任命される。97年3月17日、副首相に再任。同年4月8日付首相命令でロシア連邦と諸外国間の貿易・経済及び科学・技術協力における政府間委員会ロシア側議長(カナダ、ベトナム、スペイン担当)に任命される。98年2月28日付大統領令により副首相職解任。同年8月10日までロシア・ウズベキスタン政府間経済協力委員会ロシア側議長をつとめる。


セロワ:Серова
エヴゲニヤ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 農業省(現農業・食糧省)大臣顧問(経済問題担当)をつとめる。


ゼンキン:Зенкин
アナトリー、А.
生年月日 1939.01.18
性別
国籍 その他
学歴 博士候補
考察 通信教育で党中央委員会付属高等学校、同委員会社会科学アカデミー卒業。57年からマリ自治共和国でコルホーズ勤務。59年から村ソビエト会計係、議長をつとめる。62〜63年再び区域長、農業専門家としてコルホーズ勤務。63〜79年コムソモールraikom第1書記、obkom第2書記。70〜73年共産党中央委員会付属社会科学アカデミー院生。73〜74年ソ連共産党obkom講師、副課長をへて74〜82年マリ自治共和国文化大臣。82〜84年ソ連共産党obkom課長、84〜87年同raikom第1書記、89〜91年同obkom書記。91年〜93年マリーエル共和国最高会議第1副議長。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。無所属。連邦会議科学・文化・教育問題委員会書記。


ゼンキン:Зенкин
セルゲイ、А.
生年月日 1960.10.08
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 93年12月選挙で国家会議代議委員に当選し、94年1月より下院立法・司法委員会副議長となる。小選挙区から選出される。州ソビエト議員、国立大学講師として働く。ロシア統一・合意党会派のメンバー。国家会議立法・司法改革委員会副議長。